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鉄の想い

 音無さんを身体で後ろに下げながら、俺は正面を睨みつける。


 こちらが退いた分、それはゆっくりとにじりよってきた。


 月明りのスポットが、その正体を露わにする。


 それは獅子舞に似た何かだった。いくつもの球体をつなげた、黒々とした虎。白い紋様が、歌舞伎の隈取(くまどり)のように顔を縁取っていた。


 虎は、カタカタと喜ぶように歯が音を鳴らした。まったくもって不気味だ。


 音無さんの手が、服を強くつかむ。


「‥‥これは、怪物(モンスター)ですか?」


「いや、どうだろうな」


 怪物(モンスター)の出現にしては、干渉波がない。そしてここは桜花魔法学園の宿泊地、怪物(モンスター)の気配がすれば、すぐにでも教員たちが駆け付けるだろう。しかし、その様子はない。


 周辺はついさっきまでとなんら変わらず、静かな夜のままだ。


 それが余計に不気味に感じる。


 何よりこいつには、ランクの刻印がない。


『出会ってはならない者がうろつき始めますから』


 鬼灯先生の言っていたのは、こういうことか。幽霊なんだか妖怪なんだか知らないが、こっちを殴ってくるってことは、触れるってことだ。


 それなら、倒せる。


「音無さん、戦闘系の魔法(マギ)は?」


「え、エナジーメイルが使えますけど、精密作業用なので、戦闘には‥‥」


「それなら、合図と同時に全力で下がってくれ。林に逃げ込めば、この巨体ならそうそう追って来れないはずだ」


「わ、分かりました」


 本当なら建物に避難するか、助けを呼んで欲しいが、虎は建物を背にするように立っている。まずは音無さんの無事が最優先だ。


 呼吸を整え、拳に火を集める。


「行って!」


 後ろに音無さんが走っていく気配を感じながら、俺も地面を蹴る。爆縮(ブースト)によって加速し、一瞬で虎の鼻面に到達する。


「振槍」


 助走の勢いを全て乗せ、一直線に拳を撃ち出す。


 ()ッ! と光と熱が穂先となって虎の顔面を捉えた。


 入った。


 確かな手応えの向こうに見えたのは、無傷のまま、ぎょろりとした目を動かす虎の顔だった。


「なっ――」


 この時、俺が本来すべきだったのは、反撃の余地すら与えない追撃だった。


 しかし虎の様子に動揺し、明確な隙を生んでしまった。


 動きを止めたところに襲い掛かる前脚。単純な猫パンチは、その巨体と速度によって、砲撃と化す。


 ゴッ! と抵抗することもできず、吹っ飛ばされた。


 木に叩きつけられ、内臓が潰れた。


「かはっ!」


 骨が軋み、立ち上がるだけでも筆舌に尽くしがたい痛みが走る。


 ヤバい。想像よりも強いぞ、こいつ。


 怪物(モンスター)かどうかは分からないが、捕食(バイト)で外殻を弱体化させてから攻撃すべきか。


 どう倒すか考えている間に、虎が俺を見下ろしていた。


「うぉっ!」


 慌てて横に転がると、そこに再び前脚が叩きつけられる。地面が陥没し、衝撃が地鳴りを起こした。


 それ肉球ついてないのかよ。もう少し柔らかくしないと女の子にもてないぞ。


 ひとまず林の影に飛び込む。炎を集中させて捕食(バイト)を当てるしかない。


 炎の操作を始めた瞬間、隠れた木が爆散するような勢いで砕けた。


「ッ⁉」


 駄目だ。当たり前に考えてこの夜闇の中、俺の『火焔(アライブ)』は目立ちすぎる。捕食(バイト)の炎を溜めるだけの余裕がない。


 スタンプ、スタンプ、スタンプ。虎はモグラ叩きでもするような勢いで地面を殴る。それだけで大地が割れ、揺れる。


 明るさで位置がばれるなら、逆に最大光量を叩きつけてやる。村正の戦い方を見て、戦いは力だけでは決まらないと学んだ。


 回避から一転、虎に向き直りながら開いた両手を向ける。


 イメージするのは熱量ではない。瞬発力と光量に全ての力を注ぎ込む。


「『陽光(フラッシュ)』」


 カッ! と夜に一瞬の太陽が浮かんだ。


 そしてその瞬間、爆縮(ブースト)をふかして虎の横に回り込む。正面が硬いなら、横から内臓を(えぐ)る。迂回の勢いをそのまま軸足で巻き込み、回転。


 大木すら両断する薙ぎ払い。


 閃斧(せんぶ)


 ゴッ‼ と虎の身体が横に折れ曲がった。それだけの威力を無防備な横っ腹に入れたのだ。


 しかし、それでも嫌な予感がした。


「――」


 残り火の中で、ぎょろりと目玉が動いた。


 強靭な四肢が大地を踏みしめるのが分かった。眼前に迫る、分厚い城壁のような圧。


 重い音と共に衝撃が全身を殴りつけ、俺は林の中をボールのように跳ねた。


 どこかの骨が折れた音がした。吐き出したつばは地面よりも黒い。


 どんな身体してんだ。これまで戦ってきたどの怪物(モンスター)とも、外殻の感触が違う。


 今の一発でよく分かった。まるで衝撃そのものを全て吸収されてしまうような、ゴムの塊を殴ったような感覚だ。


「はぁ、ぐっ‥‥」


 炎を燃やして体内の傷を再生する。


 虎はまだ追ってきていない。立て直さなければ、なぶり殺しにされる。


「し、真堂君!」


「音無、さん‥‥」


 隠れていた音無さんが、小さな声で近くに駆け寄ってきた。


 逃げた音無さんの方まで吹っ飛んできたのか。


「逃げて、先生を呼んできてくれ。ちょっと、あれはまずい」


「そんなことより、傷が‥‥! 待ってください。応急処置を」


「大丈夫、必要ない」


 できるだけ火を表に出さないように、内部の治療を優先する。


 そして火の粉の散る手を、何度も握り直した。大丈夫だ、動く。しかしあの虎を倒すためには、振槍でも閃斧でも駄目だ。


 圧縮した炎で、灼き斬る。炎の花剣が必要だ。


 できるのか、今ここで。



『何がそんなに許せないんですか? 真堂君はいつも、誰かのために全力で戦っているのに、どうして自分を責め続けるんですか』



 音無さんに問われた答え。


 それは既に分かっていた。


 俺はレオールが現れたあの時から、どうしようもないもどかしさと怒りを抱えていた。



 何よりも、弱い自分自身に。



 俺が強ければ、ホムラはいなくならなかった。助けられたはずだ。


 もっと強ければ、識さんも大怪我を負わずに済んだ。


 もっと強ければ、仲間たちを危険にさらすこともなかった。


 ホムラがくれた『火焔(アライブ)』は特別な魔法(マギ)だ。再生能力も、火力も、身体強化も、通常の魔法(マギ)と比べて頭抜けている。


 だからこそ、俺が使いこなせていないことがよく分かるのだ。


 鬼灯先生は言った。花剣をものにするためには、柔らかく、硬く、しなやかに、鋭く動かなければならないと。


 しかし魔法(マギ)を使えば使う程、筋肉は硬直して鋼のような硬さを求める。


 怒りを叩きつけるように。目の前の何もかもを殴り倒さなければ気が済まないと叫ぶように。


 だから俺には花剣が使えないのだ。


 その時、音無さんの両手が俺の手を包んだ。


 火花をこぼす手を、柔らかな影が覆い隠した。


「っ、音無さん、火傷するぞ!」


「しませんよ」


 暗がりの中、音無さんが俺を真っ直ぐ見ているのが分かった。


「だって、真堂君は誰かを傷つけることなんて、しないから」


「なんで‥‥」


「ずっと、聞こえているからです。こうしている今も、あなたは私を助けることだけを考えている。どれだけ自分に怒っていても、その向こうには、誰かがいるんです」


「そんな、こと」


「あります。だってこの火は、私を傷つけはしないじゃないですか」


 音無さんは、そう笑った。泣きそうな顔で、俺の手を掴んだまま、それでも笑顔を浮かべた。


「覚えておいてほしいんです。真堂君が自分を許せなくても、あなたを支えたいと思う人間がいるんだって、知っていてください」


「なんで、そこまで、俺によくしてくれるんだ?」


 俺はまともに音無さんと話したことはない。


 どうしてここまで言ってくれるのか、まるで分からない。


 俺の言葉に音無さんは突然顔を真っ赤にした。それこそ星明りでも分かるくらいに赤くして、ニヘラと顔をほころばせた。




「多分、一目惚れです」




 ――はい?


 音無さんは慌てて両手を振った。


「あ、ごめんなさい! 一目惚れというか声に惚れたというか、こんな真っ直ぐに誰かを想う人がいるんだって、そういうところに胸を撃ち抜かれたというか、沼に落ちたというか、ごめんなさい、気持ち悪くって」


「‥‥いや、気持ち悪いとかは、ないん、だけど‥‥」


 一目惚れって、あれか。


 あの創作の中でしか聞かない摩訶不思議体験のことか。


 予想だにしない事態に頭がストップして、言葉が出てこない。今が絶体絶命の状況だということさえ忘れて、俺は間抜け面を浮かべていた。


「あ、それで真堂君、一つ提案があって」


 音無さんの言葉は最後まで続かなかった。


 というよりも、俺がさえぎった。


 彼女の身体を抱きかかえ、後ろを振り返ることなく駆け出す。


 ゴッ! と背後でスタンプの音が聞こえた。


 そりゃあれだけでかい声で喋っていたんだ。そりゃ位置もバレる。


「真堂君!」


「口閉じろ! 舌噛むぞ!」


 音無さんを抱えての戦闘は無理だ。


 どこか広いところに出なければならない。


 そんなことを考えていたら、失敗した。


 夜だったから、山道に慣れていなかったから。


 あるいは誰かを抱えて走ることに慣れていなかったからか。


 突如として足の裏から消える地面の感覚。チラリと下を見れば、そこに広がるのは、木の影すら見えない暗闇だった。


 ――崖。


 気付かなかった。どれだけの高さかも分からないが、爆縮(ブースト)で着地するしかない。


 その時、俺の胸を押す手があった。


 音無さんが身体をよじり、強引に俺の腕から抜け出す。


「音無さん!」


「ここです。この状況が――いいんです」


 落下しながら、俺と向き合い、彼女は呟く。


 その目は、これまでの視線とは明らかに違っていた。星の明かりを受けて、小さな宇宙が(またた)いている。

 

 その目を見た瞬間、何も言えなくなってしまった。


 崖の高さは分からないが、地面に着くまでに一、二秒とはかからない。



 それでも音無さんはためらわなかった。上着をはためかせた瞬間、服の袖から無数の工具が現れる。


 まるで気付かなかったが、彼女の上着には多数の工具と何らかの部品が仕込まれていたらしい。


 それを宙へと踊らせながら、彼女の視線は俺の右手を見つめていた。


 自然と、右手を前に出す。



 その瞬間だった。



 音無さんの両手が(ひらめ)き、音楽を奏でた。それが実際には演奏などではないと分かっていても、そう聞こえてしまうほどに、彼女の動きは美しかった。


 初めから何もかも譜面に起こしていたように、音無さんは指を滑らせる。


 彼女の演奏は、実際には一秒もかかっていないだろう。


「――ぁぁ」


 音無さんは小さな吐息と共に全ての動きを終えると、そのまま力を抜いた。


 あらゆる力を使い切ったというように、落ちていることなんてすっかり忘れた様子で。


「ぅおっと」


 すんでのところで彼女の身体を抱え、爆縮(ブースト)で着地する。


 それでも完全に勢いを殺すことはできず、両脚から脳天まで痺れが走った。


「どうして、こんな無茶を‥‥」


「‥‥ごめんなさい。走りながらはさすがに無理で、空中なら組み立てられるかなって」


「組み立てられるって、まさかこれを?」


 俺は音無さんを地面に座らせ、右手を見た。


 そこにあるのは、ところどころで金属パーツが輝く、黒いグローブ。


 甲の部分には、ディスク状の部品が装着されている。


「これは――」



「真堂君専用の武機(マキナ)ーー『黒鉄(クロガネ)』です」



 黒鉄(クロガネ)。これが俺の武機(マキナ)


 初めて着けるはずなのに、不思議と黒鉄(クロガネ)は俺の手によく馴染んだ。


 どんな代物なのか、どういう能力があるのか、一つも聞いていないのに、俺にはこいつの使い方が分かる気がした。


「大丈夫ですよ、真堂君。怒ってもいいんです。ただその子が、少しだけ、あなたの怒りを一緒に背負ってくれるはずです」


 ゴッ! と上空で地面が崩れる音がした。


 虎が崖を蹴って落ちてきたのだ。


 星をさえぎる巨大な影を見上げながら、俺の心は凪いでいた。きっと腹の底を焼き焦がす劣等感にも似た炎は、消えることはない。俺は俺の弱さを恨み、怒り続けるだろう。


 今なら分かる。


 親父が死んだ時も、同じだったんだ。だから、魔法(マギ)を見ないようにした。そうすることで、怒りから目を背けた。


 俺はもう、俺自身の弱さから逃げない。


 さあ、行こうか。


 炎が静かに、滑らかに、右手に流れ込んだ。黒鉄(クロガネ)の隙間から煌々と明かりが(こぼ)れ、夜が(ゆが)む。


 音無さんは、この炎を暖かいと言ってくれた。


 そうだ、当たり前だ。だってこの炎は俺を守るためにホムラがくれたのだから。


 バチバチと目の奥で光が散り、脊髄から熱が迸る。


 黒鉄(クロガネ)が紫電を纏い、ディスク状の部品が開いた。


 まるで合わせていた牙を開くように。


 夜空を押し潰しながら迫る虎に向け、俺は腰を落として構えた。


 柔らかく、硬く、しなやかに、鋭く。


 指先を揃え、炎に意味を与える。王人は言った。魔法(マギ)は捉え方だと。何を目指し、何のために使うのかだと。


 初めから答えはあった。


 炎の本質は破壊だけではない。


 傷を癒すことも、鉄を鍛えることもできる。


 すなわち、化蜘蛛(アラクネ)との戦いで得た『象炎』とは、炎によって新たなものを生み出す力。


 右目だけが、『(ワン)』から、『×(ツー)』へと瞬く。


 ああ、これは、長くは続かないな。


 滑らか故に、その流れは素早く、全身の魔力(マナ)が右手へと注ぎ込まれていく。


 はるか上空から、全ての体重を乗せた虎の一撃が、降ってくる。


「――」


 その時、俺は目を閉じていたかもしれない。 


 それくらい、静かだった。


 必死の一撃が頭へと振り下ろされるその瞬間、全てを置き去りに炎は花開く。




「『花剣(かけん)』」





 黒鉄の甲から伸びた炎の剣が、虎の前脚を、頭を、撫で切った。


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