波紋
怪物は己のランクを誇示するように、身体のどこかにその数を刻む。
それ程までに、怪物にとってランクという存在は大きい。
己の存在証明。
人が二足歩行をするように、言葉を話すように、種として掲げるべきもの。
そのため現代世界では、身体に数字を刻むのはある種の禁忌として忌避される。
時には怪物信仰者として見られることもあるほどだ。
ではそんな社会で、成長と共に数字が変わる者がいたら、どのように見られるのか。
現実は火を見るよりも明らかだ。
「理事長、彼の少年の噂は確実に広がっています」
桜花魔法学園の教員、十善佐勘は静かにそう言った。
彼の少年とは、適性試験で化蜘蛛を倒した生徒、真堂護のことだ。
護は入学試験の時から異質な輝きを放っていた。
そもそも『エナジーメイル』すら使えない。使える魔法は『火焔』という、誰も聞いたことがないものが一つ。
彼は入学試験で剣崎王人を倒し、ボランティアではランク2の怪物を撃破。
更には先の適性試験において、化蜘蛛を仲間と共に打倒してみせた。
経歴だけを見れば、あまりにも輝かしい。
しかしそんな彼について回る噂は、あまり良いとは言えないものだった。
エナジーメイルすら使えない不適合者。星宮有朱の手柄を奪った卑怯者。
そして今回の件が駄目押しになった。
突如として化蜘蛛を圧倒してみせた真堂護は、その瞬間、瞳に『×』の刻印を宿していた。
これまで『Ⅰ』だったものが変化した姿。
そうそれはまるで、
「彼は、怪物に類する者ではないかと」
真堂護の魔法は、進化によってランクを上げる。怪物と同じように。
「どうされますか?」
佐勘に問われ、初めて部屋の主は振り返った。
窓から差し込む日の光に透ける白金の髪が、ヴェールのようにひるがえった。
そしてその向こうに覗く顔は、動くことが不自然にさえ見えるほどに、完成された美しさだった。
この部屋の主、桜花魔法学園の理事長――アークライトである。
「どうするとは?」
問いかける声は、ガラスの中で転がしたように澄んだ響きを奏でた。
「対応はしなくてよろしいでしょうか」
「必要ないだろう。突出した杭に付いて回るものだ、そんなものは」
そう言うと、理事長は薄く笑みを浮かべた。
「本人がどうにかする。そうでなければ、その程度の器だったということだ」
「承知いたしました」
明らかに年上である佐勘がうやうやしく頭を下げるその光景は、人によっては奇異に見えるだろう。
しかし理事長の存在を知る者であれば、当然のものだった。
魔法省お抱えの国立桜花魔法学園。日本最大規模の、魔法師育成学校。
その設立当初から、アークライトは理事長としてトップに立ち続けてきたのだ。
この学園で彼女に逆らえる者は一人として存在しない。
「それよりも、私の庭で勝手をした愚か者は見つかったのか?」
「いえ、まだです」
「そうか。私は、あまり気が長い方ではないぞ」
「もちろん、存じております」
アークライトの言葉に、佐勘は深く頷いた。
愚か者とは、エディさんにウィルスを入れた犯人のことだ。ほぼ間違いなく、内部による犯行。
そしてその犯人が見つからなければ、アークライト自身が動くと言っているのだ。
彼女が動けば、どうしたってことは大きくなる。世間に及ぼす影響の大きさは、考えるだけで苦虫を噛み潰したような気分になった。
アークライトはそんな佐勘の様子を見て笑った。
「頼んだぞ佐勘。騎士団であろうが関係ない。全てを白日の下に晒せ」
「仰せのままに」
佐勘は一人理事長室を出ると、ひたひたと廊下を歩き始めた。
裏切り者の捜索、急遽決定した一年生の強化合宿、適性試験の不備による方々への対応。
やるべきことはいくらでもある。
「十善先生」
そんな佐勘に声を掛けてくる者がいた。
横を見ると、廊下に寄り掛かった一人の男が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
二年を担任している雲仙雨霧だ。
長めの茶髪に、薄っぺらい笑みを張り付けた顔。柄物のスーツも相まって、教員というよりは新宿でホストでもしていそうな見た目だ。
「理事長様はなんて?」
「雲仙先生、あとで職員室で全員に共有しますよ」
「どうせいつも通り、さっさと見つけろ、でしょ。俺がやりましょうか? 手っ取り早く終わらせますよ」
へらへらと言う雨霧に、佐勘は目を細めた。
「子ども達も今は不安定な時期です。あまり極端なことはしない方がいいでしょう」
「悠長ですね。そんなことをやっている間に次の被害が出ますよ」
「そうならないように、動くのでしょう」
「まどろっこしいですね。公僕になると、気高さまで忘れてしまうものなのでしょうか。理事長も焼きが回って――」
ぐっ、と喉ぼとけに圧迫感を感じ、雲仙は言葉を閉ざした。
いつの間にそうしたのか、佐勘の右手が雲仙の喉に触れていた。
「――小僧、そこまでにしろ」
「‥‥すみませんね」
両手を上げた雨霧を見てから、佐勘は手を下ろした。
「申し訳ありません、取り乱しました。今は大事にするわけにはいかないのですよ」
「ほう、それはまたどうして」
「学校で対処できないと判断されれば、魔法省の手が入ります。これ以上、外部の者を校内に入れるわけにはいきません。ここは理事長の手によって守られています。そうであるからこそ、神聖な学び舎であれる」
「‥‥なるほど」
「あなたの家も同様ですよ、雲仙先生」
「そんなつもりはありませんでしたけど」
雨霧は肩をすくめた。
佐勘はそれ以上何も言うことなく、歩き出そうとした。
そこへ、雨霧が「ああ」と声を掛けた。
「じゃあ、この学校に入学してきた生徒が、この学校にとって害になる場合、どうするんです?」
「‥‥」
佐勘は振り返らずに答えた。
「無論、私が対処します」
そう言い残すと、佐勘は今度こそ職員室に向かって歩き始めた。その顔は、もういつも通り、善ちゃん先生と呼ばれる柔和な笑みに戻っていた。
第三章『叛逆の百分率』始まります。
今回は楽しい楽しい合宿です!
お楽しみいただければ幸いです。




