決戦の日
◇ ◇ ◇
決戦の日となった七日目。
空は状況とは正反対の快晴。雲の切れ目から零れる光芒が、大通りを照らし出す。
退廃した町であっても、あるいはだからこそ、その光景は美しかった。
既にメンバーは配置についている。唯一俺の隣に立っている村正が、がちがちと歯を鳴らしていた。
「エディさんの話なら、そろそろだな」
「な、なんでお前はそんなに余裕そうなんだ?」
「別に余裕はないぞ」
これは事実だ。シンプルに開き直っているだけで、ここから先うまくいくかなんて微塵も自信はない。
ただできるだけのことはやった。それなら、もう後は動くだけだ。
何度も深呼吸を繰り返した村正が、改めて俺を見た。
「よし、やるぞ、やるぞ、やってくれる!」
「おお、その意気だ。俺たちであいつに一泡吹かせてやろうぜ」
どこの誰だか知らないが、俺たちの適性試験で好き放題してくれた借りは返さないとな。
そんな俺たちの意気込みを見計らったかのように、あいつは現れた。もはや姿を隠す必要はないと言わんばかりに、真正面からゆっくりと歩いてくる。
刃の脚に、だらりとうなだれた女性の上半身。心臓の鼓動の様に、胸元の『2』が青く光っている。
来たな、化蜘蛛。
エディさんには、化蜘蛛の位置と移動ルートを確認してもらった。直接干渉は出来なくとも、それくらいは出来るらしい。
しかし、こうして明るい場所で見ると、確かにその身体は傷だらけだ。
元々六本あったはずの脚で健在なのは四本だけで、一本は根元から、もう一本は半ばから無くなっている。
さらに上半身の女にも、無惨な傷がいくつも刻まれていた。
王人、星宮。
他にも戦った生徒たちがたくさんいたんだろう。
向こうも万全ではない。そこに付け入る隙がある。
レオールと相対した時のような、冷たい熱が全身を侵した。
「行こう、ホムラ」
『火焔』――発動。
炎が内側から噴き上がり、火の粉が舞い上がった。
とにかく今回は火を練る必要がある。まともに攻撃を仕掛けたところで、勝ち目はない。まずは『捕食』で化蜘蛛の魔力を奪い、こちらを強化、相手を弱体化させる。
体内で操れる炎には限界がある。身体の外に炎を発し、それを操作することで巨大な顎を作る。
「――」
「ッ‥‥!」
化蜘蛛が、顔を上げた。
八つの瞳が、爛々と輝いていた。
万全とは言えない身体で、それでもその瞳は生気に満ちていた。あるいは、もっと別の何かか。
ゾッとするな。
怪物ってのは、人類の敵だ。
それは分かっていたつもりだった。
しかし化蜘蛛と相対した時に感じた刃物のようなむき出しの感情。
それは無機質な殺意ではなく、怒りを芯金に鍛えられたものだった。
向けられた真摯な殺意に、身が震える。
さあ、どこからでも来い。
「――」
頭上にかざした炎の塊を脅威と見たのか、化蜘蛛は大地を刻みながら真っ直ぐこちらに走ってきた。
速い。
巨体に、四本の脚だからか、その速度は想像以上だ。
しかし、この大通り、真っ直ぐ突っ込んでくるのなら、タイミングはいくらでも合わせられる。
「かかったな」
俺の目前で、横から殴りつけてきた風のハンマーに、化蜘蛛が吹っ飛ばされた。
けたたましい音をたてて、化蜘蛛の巨体が建物に突っ込んだ。
「ぅぐっ‼」
「ぉぉおおお⁉」
なんて威力だ。
風の余波に煽られて、危うく俺たちまで吹き飛ばされそうになる。
俺は炎の制御を止め、その場に踏ん張る。
話には聞いていたが、とんでもない威力だ。だからこそ、ここではこの力が必要だった。
顔を上げた先には、太陽を遮る黒い影と、離脱する小さな人影が見えた。
『天狗烏』と呼ばれるランク2の怪物だ。遠目には見ていたが、こうして近くで見ると、その威容に戦慄する。
俺の立てた作戦はいたってシンプルだ。天狗烏を釣り出し、化蜘蛛にぶつける。
本来、怪物同士は戦わないはずだが、バグである化蜘蛛は違う。
化蜘蛛は刃狼と戦い、その首を引きちぎった。奴にとって、エディさんの作り出した世界に生きる生物は、全て殺戮の対象ということだろう。
だからエディさんに頼んで、この二体が近づく瞬間を予測してもらった。
あとは天狗烏をどう釣り出そうかというところだが、
『それなら僕がやろう。空ならそれなりに自信がある』
空道がそう名乗り出てくれた。空道は『ホバー』という魔法が使えるらしく、空中でもある程度自由に動けるらしい。
その言葉に嘘はなかった。
空道にまんまと釣り出された天狗烏は、化蜘蛛に攻撃をぶつけた。
俺たちの役目も一度終わりだ。
「行くぞ、真堂」
「ああ、頼んだ」
俺は村正の広げたカーテンの下に潜り込んだ。ここからは化蜘蛛と天狗烏の戦いだ。巻き込まれたらたまったもんじゃない。
「──」
「aaaaa──」
建物の奥から、瓦礫を落としながら化蜘蛛が姿を見せた。
直撃に見えたが、特別こたえた様子もない。
俺は村正と移動しながら二体が睨み合う姿から目を離せなかった。ほんの少しでも視線を外せば、こちらにいつ余波が飛んできてもおかしくない。そういう恐怖感が背中にへばりついていた。
そして戦いの火蓋は突如として切られた。
ゴッと地面を蹴り、化蜘蛛が加速する。初速からトップスピードに乗り、路面からビルの壁へと脚を伸ばした。
そして駆け上がる。
垂直の壁を現実の蜘蛛さながら、重さを感じさせぬ速度で走る。
化蜘蛛は空を飛べない。だから先手で距離を詰める。シンプルな答えだが、そこに至るまでのスピード、決断力が早い。
天狗烏の対応も早かった。手のような翼を巧みに動かし、ビルから距離を取った。
壁にヒビを入れるほどの力で化蜘蛛が踏み切り、飛ぶ。
その刃脚が翼の端を掠め、空を切った。
届かない。
それが分かっていたかのように、化蜘蛛は糸を放った。
触れれば爆発する糸は、耐久力の低い天狗烏にとってはそれだけで脅威である。
その糸は天狗烏に触れる瞬間、明らかにおかしな挙動で逸れた。
「aaaaAAA‼︎」
そうか、風だ。
天狗烏は全身に風の鎧を薄く纏っている。それが化蜘蛛の糸を弾いたのだ。
紡の言葉通り、化蜘蛛の糸は爆発する代わりに、強度も張力も低いのか。
一瞬の交錯すら起こらず、勝敗は決した。
空に浮いた化蜘蛛はもはや死に体も同然。天狗烏が嵐のハンマーを叩きつけ、化蜘蛛は一直線に地面に叩きつけられた。
耳に響く、何かが潰れる音。
「おお、このまま倒してしまうのではないか?」
「そうだな、そうなってくれたらいいんだけど」
所定の場所についた俺と村正は顔を近づけて囁き合う。
しかしこれは嬉しい誤算だった。
天狗烏は化蜘蛛に対して相当相性がいい。倒さないまでも、結構なダメージを与えてくれるかもしれない。
「ァァ──」
爆心地のように陥没した地面の中心から、化蜘蛛が這い出す。これまで受けてきたダメージに加えて、今の一撃はそれなりに効いたらしい。骨格がイカれたのか、上半身が傾げ、足元もおぼついていない。
村正のいう通り、これなら本当にいけるか。
天狗烏は攻撃の手を止めず、翼をはばたかせ、嵐の大槌を絶え間なく化蜘蛛に叩きつけた。
その度に化蜘蛛から鮮血のような真っ赤な光が吹き出した。
「いける──!」
村正の言葉通り、本当にこのまま倒してしまいそうな勢いだ。
その瞬間、化蜘蛛が顔を上げた。
八つの青い瞳が、天狗烏を睨みつける。当然の如く、そこに諦めの色はない。
純粋な殺意だけが、不気味に揺らめていた。
そして上半身が糸を紡ぐ。
膨大な赤い糸が、風の隙間を縫って天狗烏へと伸びた。
まさか、この数秒で風の流れを読み切ったのか。確実に糸を届かせるために。
その異常な動きに気付いたのだろう。天狗烏は攻撃をやめ、迎撃に移った。風の壁を展開し、あらゆる糸の進撃を阻む。
糸にはスピードがない。あれでは天狗烏を捉えるのは不可能だ。
「――開火」
その時、声が聞こえた。
そしてそれを塗りつぶすように、爆音が轟く。
風を押し返すように、爆炎が天狗烏へと手を伸ばした。
しかしそれすらも、ブラフ。
「シネ」
炎と煙に紛れてビルを駆け上がった化蜘蛛が一気に跳び上がり、天狗烏の更に上を取ったのだ。
上を取れば逃げられないという判断か。
天狗烏は防御から一転、翼を回し、方向転換をして逃げる。
その判断は正しい。
近接戦闘に持ち込まれてしまえば、天狗烏に勝ち目はない。
だからその判断は正しかったのだが、化蜘蛛の方が一枚上手だった。
──嘘だろ、おい。
「AAaaa⁉︎」
翼が、糸に絡まった。
蝶を絡めとるように、化蜘蛛は巣を張っていたのだ。初めの空中での戦い。あの時すでに糸を辺りに散らし、巣の準備をしていた。
そして上から襲撃することで、そこに誘い込んだのだ
そうなれば、もはや勝敗は決していた。
「開花」
ゴウッ! と天狗烏にまとわりついていた糸が一気に爆発した。黒い羽が赤に包まれ、散っていく。
それは不思議な気持ちになる光景だった。
人類の敵である怪物を、怪物が蹂躙する。
「シネ、シネ、シネ」
翼をもがれ、芋虫のように地面をのたうつ天狗烏へ、化蜘蛛が近寄る。
そして、刃脚で身体を刺した。
何度も、何度も、丹念に、すり潰すように。
失敗すれば、次にああなるのは俺たちだ。
「行くぞ、村正」
「‥‥あ、ああ」
グッ、と肩を掴まれた。横を向くと、村正が今にも泣きだしそうな顔で唇を震わせていた。
「お、俺は戦いのサポートはできん。だから、頑張れ。頑張ってくれ」
「‥‥村正がいるから、俺も全力で戦えるよ」
さあ、行こう。
俺は縁に足をかけ、化蜘蛛に向かって飛び降りる。
いい位置についてくれた。これなら、このまま攻撃を叩き込める。
構えるのは炎の顎。
時間をかけ、今できる限界まで炎を練り上げた最大の牙だ。
天狗烏は囮だ。俺が『捕食』の準備を終えるまでの時間稼ぎ。
一気に近づいてくる化蜘蛛に向けて、腕を振るう。
「――」
直前で、顔を上げた化蜘蛛と目が合った。
よう、再戦に来たぜ。
「『捕食』‼」
その顔面目掛けて、顎を叩き込んだ。




