大人の責任
◇ ◇ ◇
「いつまでこうしてりゃいいんだ! 理事長はなんて言っている!」
怒号を上げたのは、一人の教員だった。
とても教育者とは思えない荒い言葉遣いだが、実際のところ、この場に集った教員のほとんどが同じ思いを内に抱いていた。
ここは会議室の一つだ。
生徒を管理するために個別に担当についていた教員たちが、ここに集まっているのだ。一部の教員は今も生徒のメンタルケアと保護者や行政への連絡と走り回っている。
ここにいるのは、有事の際に動く者たちだ。
この場合における有事とは、物理的に生徒を保護する戦闘の専門家たちである。
今にも暴れ出しそうな緊張感の中で、初老の男が静かに答えた。
「現在も理事長は別件で手が離せない状態です。状況は、エディさんから伝えられた通り、手の出しようがありません」
十善佐勘、通称善ちゃん先生がそう言うと、テーブルの上に置かれたぬいぐるみのような少女が手を上げた。
「お~、本体は未だスリープモードだ~。これ以上の浸食は避けたいからな~」
エディさんだ。言葉通り本体は異空間で眠ったまま、分体だけがこうして活動しているのである。
初めに怒りの声を上げた教員が、十善を睨みつける。
「じゃあ何か、このまま生徒が死ぬのを、ただ眺めてろってことか」
「死ぬのを待つわけではありません。彼らとて守衛魔法師を志す者たち、戦うでしょう」
「詭弁だね。言い方を変えただけで、本質は何も変わらねえ。それともあんたは、新兵を仕事だっつって化蜘蛛の前に放り出すのか?」
「必要がなければ、そんなことはしません。しかし事態がそれを求めるのであれば、話は別です」
ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえた。
その時、二人の間に割って入る声があった。
「十善先生、既に生徒たちのほとんどがドロップアウトしています。化蜘蛛を倒せる可能性はほぼゼロです」
それは鬼灯薫だった。
普段、こういう場でほとんど話すことのない薫の言葉に、十善が眉を動かした。
「そうですね。化蜘蛛の動きは狡猾でした」
そう、生徒の中には剣崎や星宮をはじめ、強力な力を持つ者たちが数多くいる。彼らが結託し、戦うことが出来ていれば、可能性はあったかもしれない。
しかし化蜘蛛がそれを許さなかった。
自身の存在が気付かれるよりも早く、静かに、各個撃破に動いた。
そのせいで、生徒たちは合流が出来なかった。
「化蜘蛛を倒せない以上、リミットを決めるべきです」
「リミットですか?」
「エディさん、あなたは生徒たちが全員いなくなったあと、最終的にどうやって化蜘蛛を消すつもりですか?」
十善の質問には答えず、薫はエディさんに聞いた。
そう、ウィルスの本体である化蜘蛛を誰も倒せなかった場合、最終的に何とかするのはエディさん自身だ。
「そうだな~。世界を縮小して、防衛プログロムを発動する~」
「あん? そんなこと出来るなら、今すりゃいいだろ」
誰かが言った。
当然の意見だ。最初から倒せる方法があるのなら、それをすればいい。
しかし、出来ないのだ。何故なら、ここが学校だから。
「その防衛プログラムが作用するのは、化蜘蛛に対してだけですか?」
「いいや~。世界のあらゆるものに作用する~」
「おい、まさか――」
「今動かせば、生徒たちも殺してしまうな~」
そう、それが答えだ。
もしそんなことをすれば、学校が、侵入者を許し、あまつさえ、生徒を殺したという形になってしまう。
最悪の結末だ。世間からのバッシングは避けられないどころか、学校そのものの在り方を問われることになる。
だから防衛プログラムは動かせない。
「それでも、リミットを設けるべきです。戦えず、死ぬこともできず、長時間生徒をストレスにさらすぐらいなら、学校が全ての責任を負って、終わらせるべきです」
「‥‥」
薫が一番危惧しているのは、残された生徒のメンタルだった。
戦って死ぬ、あるいは自死する。
その二つを十五、六歳に選ばせるのは、あまりに酷だ。
それならば、幕引きは自分たちがすべきだ。結果として、どんな責任を負おうとも。
何故なら、これは大人の不甲斐なさが引き起こした事態なのだから。
少し間をおいて、十善が頷いた。
「分かりました。そうしましょう。理事長には私から伝えます」
これは大人たちの戦いだ。
誰もが心の中にありながら、言わない言葉があった。
すなわち、「誰がエディさんにウィルスを入れたのか」。
桜花魔法学園のセキュリティは国内有数。更に元守衛魔法師が数多く在籍し、理事長は最強の魔法師の一人だ。
その目をかいくぐり、異空間に閉じこもるエディさんにウィルスを入れられる人間。
内通者の存在が、影となって浮かび上がる。
もしかしたら、この場に何食わぬ顔で座っているのかもしれない。
だからこそ薫はさっきの提案をしたのだ。もしもこのウィルスがただの時間稼ぎで、これ以上異空間で何かが起きては遅い。
(‥‥護‥‥)
まだあの空間で戦っている弟子の姿を思い浮かべ、薫は深呼吸をした。
護がどんな選択をするのか、見なくても分かってしまうから。




