最強のタッグ
「剣崎君、どうしてここに?」
剣崎王人と、その後ろからは二人の男女が扉から現れた。
王人が有朱たちに頭を軽く下げ、口を開いた。
「朝から他のチームを探していたんです。比較的視認しやすい天狗烏を避けて屋上を移動しているチームがいるだろうと思っていたんですが、星宮さんのチームに会えたのは運が良かったですね」
「わざわざ他のチームを?」
この適性試験には、あるルールがある。
生徒同士が集まると、怪物の行動に変化が現れるというものだ。
恐らく複数のチームが結託することを阻止するためのルールだ。
それを分かった上で、わざわ他のチームと合流することを選んだ。あの最強の剣崎王人が。
その理由はすぐに思い至った。
「剣崎君、中で話しましょう」
「分かりました。それがよさそうですね」
チームメンバーたちを置き去りに、リーダー二人はアイコンタクトで語り合う。
この時点で既に、二人はお互いに同じ違和感を有していることを理解していた。
王人たちの判断は現実世界であれば正しかった。仲間と合流し、未知の災害に対して戦力を増やす。
しかし彼らは知る由もなかった。
この異空間において怪物たちにどのようなプログラミングが組み込まれているのか。
一定数の人数を超えた段階で、急激な変化が起こるわけではない。
ある範囲内において、複数のチームが存在した場合、怪物には微かな気配の情報が与えられる。
もしかしたら、そちらに獲物がいるかもしれない。
そういう、直感にも等しい些細な感覚だ。
生徒たちの人数が増えれば増える程、その感覚は強くなる。
二チーム程度では、ほとんど影響はない。
そう、これまでの怪物であれば。
「空道君、騎町さん、一度中に――」
その言葉は巨大な爆発音に遮られた。
「何⁉︎」
すぐ近くではない。
しかしそこまで遠いわけでもない。
有朱と王人はすぐさま爆発が聞こえた方向に目を向けた。
ここからでは建物が邪魔で詳しいことは分からないが、確かに黒煙と火の粉が空に昇っていた。
一瞬頭に浮かんだのは、炎の魔法を扱う少年の顔。
(違う)
有朱はそれを否定した。彼の魔法は炎を操作するものであり、巨大な爆発を起こすようなものではない。
さらに断続的に爆発音が響いた。その度に大地が揺れ、いくつかの建物が傾いた。
そして同時に響く獣の咆哮。
「この声は」
まさかという思いを、ありえないと否定する。
この時、どう動くべきか、リーダーの二人は決定を先延ばしにした。何が起こっているのかを確認しなければならない。
どうしてもその思いが決断を鈍らせた。
一際大きな音が轟き、何かが空に打ち上がった。
黒い塊はクルクルと回転し、そのまま放物線を描いて有朱たちがいる場所に落ちてくる。
「避けて!」
全員が散開し、魔法を構えた。
その中央に、ドッ、とそれは落ちてきて、転がった。
針金のような鈍色の毛、短剣のような長さの牙が並んだ口から、だらんと舌が垂れていた。
人一人では抱えきれないほどの大きさをしたそれは、獣の頭だった。
切断された『刃狼』の、頭部だ。
「なっ──」
有朱は言葉を失い、王人は目を見開いた。
今、戦いが起きていたのだ。何かと、刃狼が、戦っていた。
その決着が、目の前に転がっている。
恐るべきは、その時間。
王人が火蜥蜴を倒すのに、数時間かかった。間延びした時間ではない。濃密な命のやり取りを続けた結果、それだけかかったのだ。
あの爆発音が、何かと刃狼の開戦の銅鑼だったとしたら、数分。
不意打ちが成功したのか、そうでなけれ、両者の間には明確な力の差があったということだ。
「こ、ここれは、なんなんだ!」
空道が耐えきれず叫んだ。
刃狼がいることさえ想像の埒外。得体の知れない怪物の頭が降ってきたのだから、もはや今何が起こっているのか予想すら立てられない。
有朱は己の失敗を呪った。確証はなくとも、事前に話をしておくべきだった。
「みんな、この場から移動するわ! 剣崎君、ルートを指定するから先頭を走って!」
「分かりました」
今は悠長に情報を共有している場合ではない。とにかく恐怖で身体が固まる前に、動く。
有朱は待機させていたスターダストを飛ばし、逃走ルートを示した。誰か一人が走り出せば、否応なく動かなければならない。だから王人を先頭にした。
その判断は正しかった。
ただ絶望的に、遅かった。
何故ここに刃狼の頭が落ちてきたのか。何の理由もなく、偶然飛んできたには、出来すぎている。
当然、時間を稼ぐためだ。
それは微かな気配を決して無視しない。執拗に、執念深く、追ってくる。
「──」
今まさに走り出さんとしていた王人は、強引に方向を変えた。
アスファルトを砕き、矢のような速度で駆ける。
向かう先は、戸惑っている空道だ。
「ぉぐっ⁉︎」
空道の腹を抱え、その場から離脱。そしてクリエイトソードを発動し、ついさっきまで空道が立っていた場所に投擲した。
カシャァンと澄んだ音を立てて、剣は粉となって散った。
音はそれだけだった。
それはここまで走ってきたはずなのに。
それはここに降り立ったはずなのに。
王人以外、誰もその接近に気付かなかったのだ。
もしも王人が空道を助けなければ、彼は今頃光となって爆ぜていただろう。
「‥‥剣崎君、私は一応優等生でここまで来たのだけれど、初めて先生方に怒りを覚えたわ」
「そうですね。これが先生の可愛がりであれば、まだいいですけど」
学生たちの前に現れたのは、六本の脚に、女の上半身がついた怪物だった。
タイプ蜘蛛を原型としたランク2。
長剣のような脚と、特殊な糸を使って人々を虐殺する姿は、憎悪に身を焦がす怪物そのものだ。
名を、化蜘蛛。
女の上半身はつぎはぎの鎧に包まれ、大きく開かれた胸元には青く『2』が光っている。
顔には黒い面を被っていて、八つの青い光が爛々と輝いていた。
もう情報を共有する必要はない。何故なら化蜘蛛は、全ての学生が知っている怪物だからだ。
二十年前、茨城県で出現し、破壊と殺戮を繰り返しながら栃木、群馬と関東を横断した。
死者四十二名。重軽傷者二七六名。内、守衛魔法師の死者十七名。
守衛魔法師による怪物対策が本格化してからは、数える程しか無い災害級の被害をもたらした化け物だ。
ランク2は強い。
化蜘蛛は、その事実を深々と守衛魔法師に刻み込んだ。
いくら適正試験といえど、出てきていいレベルではない。
「剣崎君、どうする?」
「多分、考えていることは同じだと思いますよ」
「そう、やっぱりそれだけよね」
有朱はため息を押し殺し、前を向いた。
もう二度と、無様な真似はしない。このチームのリーダーを任せられた以上、最後までその責任を全うする。
「空道君、騎町さん、逃げて」
「二人も逃げてください」
有朱と王人はそう言うと、仲間を守るように前に出た。
「早く‼︎」
有無を言わさぬ圧で、有朱は命令した。
空道が騎町を抱えて、建物から身を踊らせる。
王人のチームメイト二人も、隣の建物に移ろうと走り出した。
しかし化蜘蛛がそれを見逃すはずもない。逃げる背を刺そうと踏み出す。
刹那、リーダーの二人が動いた。
スターダストが多方面から化蜘蛛へと飛来し、王人は一直線に上半身へと飛び込んだ。
急造とは思えない息の合ったコンビネーション。
逃げる者を追うか、攻撃を防ぐか、その二択を仕掛けた。
そのはずだった。
六本の脚が乱舞し、易々、光弾と王人を弾き飛ばした。
化蜘蛛はそれで終わらない。女の上半身が、両手の指を絡めて何かを編み、振った。
「ッ──⁉︎」
手から放たれるのは、赤い糸だ。網目状に広がるそれを、王人と有朱は隙間に滑り込むようにして避ける。
空道と騎町は建物から落ちていたから避けられた。
しかし隣の建物に逃げようとしていた王人のチームメンバーは、背後から襲いかかる糸に気付くことも出来ず、絡め取られた。
「っ‥‥」
糸を避けながら、王人は剣を両手に構えた。身体を横に倒しながら回転。自分の身長ほどもある長剣を二振り、目にも止まらぬ速度で振りぬく。
「『長拵、高嶺颪』」
斬ッ‼ としなる斬撃が屋上ごと赤い糸を切り裂いた。
確実に化蜘蛛からチームへとつながる糸は断った。
そんな彼の行動をあざ笑うように、化蜘蛛は裂けた口を開いた。
「――開火」
爆‼‼
化蜘蛛によって刻まれた赤い刻印が、爆発した。
「っぁ――⁉」
「が――」
つながっているも何も関係ない。放たれた糸の一切合切が、その言葉と同時に膨張し、光と熱をまき散らした。
それは糸に巻かれた二人も例外ではない。
炎に包まれ、次の瞬間には原型を失い、光となって消えた。
「っ――」
炎を切り払った王人が、消える二人のチームメイトを見た。
もはやそこには何も残っていない。ただ火の粉と煙が漂うだけだ。
「‥‥」
声はなく、硝子玉のような瞳が、化蜘蛛を捉える。
王人は駆け出しそうになる足を、意志で強引に止めた。
闇雲に突っ込んだところで、勝てる道理はない。
この数秒でよくよく理解させられた。化蜘蛛は火蜥蜴よりも遥かに格上だ。
基礎的なスペックもそうだが、何より戦闘技術が頭抜けている。
今も周囲の逃げたメンバーに攻撃を仕掛けながら、有朱と王人の攻撃を苦も無く弾いてみせたのだ。
王人は呼吸を整えて横に声を掛けた。
「一応二人は逃がすことができましたが、星宮さんはどうしますか?」
有朱も化蜘蛛から目を離すことなく、答えた。
「質問で返して悪いけれど、剣崎君はどうするつもりかしら?」
「僕は少しやることが出来たので、ここに残ります」
何のためらいもなく言った王人は、その手には既に剣を握っていた。
有朱がなんと言おうと、彼の決意は揺るがないだろう。たった一人、この敵に挑む。
「少し、意外ね」
「血も涙もない男に見えましたか?」
「そこまでではないけれど、あまりそういったものに執着するタイプだとは思っていなかったわ」
王人はふっと小さく笑った。
「その認識で合っています。僕はあまり人に興味がありません」
それでも、と彼は続けた。
「守衛魔法師になりたいという思いも、嘘ではないんです」
思わず、有朱は王人の横顔を見た。彼の目は、一心に化蜘蛛を射抜いていた。少しでも動けば斬ると、雄弁に語っている。
己の信念にブレない姿勢。
その姿が、真堂護と重なった。
「‥‥そう。失礼な物言いだったわ。ごめんなさい。あまり力にはなれないかもしれないけれど、私も戦わせてもらうわ」
「いいんですか?」
「私なりに、譲れないものがあるの」
それが護や王人と同じだけ強固な信念なのか、自信はない。
それでもここで王人を一人残す選択肢はなかった。もう、あの時のような無様は晒さない。
星宮の人間として、人々を、仲間を守るためにここに来たのだ。
高貴なる者の義務などと言うつもりはないが、力ある者には、それを正しく振るう責務がある。
「そうですか、助かります。ただ、気を付けてください」
「何か気になることが?」
「星宮さんはさっきの爆発を魔法で防いだから気付かなったかもしれませんが、肉体の感度が上がっています」
感度?
確かに化蜘蛛の糸を、有朱は『クリエイトシールド』で防いだ。
「炎の熱も、衝撃も、何もかも昨日とは違います。ありていに言えば、痛覚が現実と同等のものになっています」
「――嘘でしょう?」
「本当に、信じたくはありませんが」
王人がわざわざ嘘を言う必要はない。
彼がそう言うのであれば、それは事実なのだろう。
有朱は王人がここまで怒りを表しているのか、その理由が分かった。せめてあの二人が、痛みを感じる暇もなくドロップアウトしたことを願う外ない。
化蜘蛛といい、痛覚といい、明らかな異常事態だ。
「これは、本格的に外で何かが起きたと思った方がよさそうね‥‥」
「それを確かめるためにも、まずはこれを倒してしまいましょうか」
「簡単に言ってくれるものね」
剣と弾丸を構え、二人は化蜘蛛を見据えた。
それが絶望に絶望を塗り重ねるだけの結果になると分かっていても、二人の目に迷いはなかった。
そして、適性試験始まって以来、最大規模の戦いが幕を上げた。




