蝕むもの
「ふぅ、今回も危うい戦いだったなぁ」
「いや、あなた何もやってないでしょう」
「あのな、あんなバチバチに近距離で殴り合っているところに割って入れるわけないだろう! 近付くだけで死ぬぞ! 俺は!」
「そんな自信満々に言う話‥‥?」
「村正はいいよ。退路を確保するのが仕事なんだから」
たしかに村正に戦闘のサポートまでしてもらえたらありがたいが、村正の能力は生存と逃走に振り切っている。得意なことに集中してもらった方がいい。
それにしても、何とか勝てた。紡が助けてくれなかったら、ドロップアウトしているところだ。
ランク1にも様々なタイプがいるのは知っていたが、知識と体験は違う。ほんの少しの油断が死に直結する。
「とりあえず、オーブを取るか」
「そうだな。他のチームが来ないとも限らない。さっさと取って拠点に戻ろう」
メモリオーブは前回と同じように花開き、小さな球体となっていた。これがメモリオーブの本体だ。
それに触れると、砂よりも細かい光の粒子となって砕け、空に溶けた。
「ん?」
「どうかしたの?」
「いや、ファンファーレが鳴らないなと思って」
前に取った時はエディさんの棒読みな祝福の言葉が聞こえたはずだが、今回はそれがない。
「そういえばそうね」
「初回だけのボーナスだったんじゃないか?」
ひょっこりと村正が後ろから手元を覗き込んできた。
「ボーナスなのか、あれ」
「‥‥メモリオーブが偽物だった可能性は?」
「それはないだろ。あのレベルの怪物と戦って偽物でしたは、試験として理不尽すぎる」
この適性試験には凶悪な怪物たちが出現するが、決して意地が悪いわけではない。
紡も「まあそうね」と頷いていた。
「ってことは、やはり初回限定ボーナスだった説が有効だな」
「それか、エディさんがそれどころじゃなく忙しいかだな」
あの声をわざわざリアルタイムで入れているとは思えないから、まあ初回ボーナスだったのかな。くれるならもう少し実用的なボーナスが良かったけど。
「それじゃ、早く戻ろう。村正の言う通り、他のチームとかち合っても面倒だ」
俺たちは足早に図書館を出て、今日の寝床へと向かった。
この時の俺たちは、まだこの異常個体を嬉しくないサプライズだと信じて疑わなかった。
異常は、既に世界を浸食していると、気付かなかった。
なんだってそうだが、悪いことは気付いた時には手遅れであることが多い。今回で言えば、この時気付いたところで何も出来なかったってところが、本当に最悪だ。
それでも仕方ない。
いつだって人間は配られたカードで戦ってきた。
最悪の中で何のカードを選ぶのか、あるいは、そもそも切ることができるのか、それこそが守衛魔法師の本当の適性なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
四日目、犬塚観月たちは、映画館の中にいた。
犬塚たちのチームがここまで生存できたのは、シンプルに運が良かったからだ。ランク2の怪物は遠目に見ただけで、遭遇はしていない。
犬塚は異変を感じ取ってから、完全に生存に向けた作戦に切り替えた。
これまではメモリオーブや怪物を探してポイントを稼ごうとしていたが、全てやめ、二日間は拠点にこもることにした。
遠目に見ただけで分かる。
あれには勝てない。
戦おうという気さえ起きない。自分たちが武器だと信じていた魔法が、ただの豆鉄砲だという事実を、突きつけられた気分だった。
四日目の夜、三人は黒いスクリーンの下で何を話すこともなく、ただ座っていた。
リーダーとして明るい空気にすべきだと分かっていても、何を言葉にしてもため息と一緒になりそうだった。
メモリオーブから現れたランク1には手も足も出ず、ランク2は見ただけで心織られた。
守衛魔法師を目指す者として、メンタルを砕かれるには十分すぎる。
一人がポツリと呟いた。
「‥‥不適合者、強かったな」
「‥‥そうね」
「やっぱり固有なのか?」
「さあ。私たちの知っている魔法ではなさそうよね」
「‥‥いいよなぁ」
「‥‥」
その言葉は、守衛科であれば多くの生徒たちがもつ思いだ。
妬み、嫉み。醜い嫉妬に、一つまみの憧れ。
妖精から与えられる魔法。多くの人はそれが平等に与えられるものだと思っているが、実際には違う。
まず使える魔法には適性がある。強化系の『エナジーメイル』が得意な者もいれば、『ショックウェーブ』などの現象系が得意な者もいる。
守衛魔法師を志す者は、まずこの適性の壁を乗り越えなければいけない。戦いに使える魔法に適性がなければ、守衛魔法師になることは困難だ。
そしてたとえ適性があったとしても、次は才能の壁が立ちはだかる。
星宮有朱のスターダストしかり、剣崎王人のクリエイトソードしかり、天才は常人とは異なる感覚で魔法を扱う。
その習熟速度は、一人だけ靴に翼が生えているようだ。
地べたを走り続ける人間では、絶対に追いつけない。
「才能、か」
犬塚は『トーチ』に淡く照らされた足元を見つめた。
彼女は自分に才能があると思っていた。『ビーストリンク』という一部の者しか使えない魔法に適性があり、他の魔法も上手に扱えた。
だから桜花魔法学園の中等部に入学し、現実を知った。
知らしめられた。
防ぐ暇どころか、身構える暇も、意識もなかった。
本当の天才という剛速球がノーガードの顔面にぶつかってきたのだ。
それで諦められないから、あがいて、努力をして、ここまで来た。
だからこそ羨ましいのだ。自分たちではどうあっても辿り着けない才能が。
犬塚はことさらに明るい声を出した。
「ま、腐ってもしょうがない。試験もあと一日なんだから、まずは生き残りましょう」
想像とは違ったが、怪物を倒すことも出来たし、このままいけば生き残ることもできるはずだ。
適性試験の結果としては決して悪くない。
「そうだな」
「‥‥」
「どうかしたの?」
犬塚はメンバーの一人が上を見ていることに気付いた。
彼は目を細め、訝し気に天井を睨んでいる。
「いや、上で何かが動いた気がして」
「そんなことあるわけないでしょ。出入口は塞いであるし、何かが入ってきたら分かるから」
「でも確かに、音も聞こえ――」
言葉は最後まで続かなかった。
三人のすぐ横に、何かが落ちてきた。
それは巨大だった。仄かなトーチの明かりでは全貌が見て取れぬほどに、大きかった。
しかし音がなかった。
映画館の高い天井からここまで落ちてきたにもかかわらず、不気味なほどに、静かだった。
その異質さに、反応が遅れた。
「え――」
「なに」
まず二人のチームメンバーは、その言葉を残して首が飛んだ。
暗闇の中にパッと赤い光が乱舞し、その奥で鋭い刃と、青く光る『2』の文字が見えた。
「ぁ、ぁ、あ」
魔法を、発動しなければ。
エナジーメイルでも、ビーストリンクでも、身体を強化して、逃げるのだ。
理性がそう叫んでも、身体は無様に尻をこすりつけながらあとずさりするだけ。
「あぁあああああああ!」
声は続かなかった。
静かになった映画館で、黒い影がゆっくりと歩き出した。




