リーダーとしての適性 ―星宮―
◇ ◇ ◇
「‥‥」
「‥‥」
「ひっ──」
声を漏らしそうになった空道の口を、有朱は即座に自分の手で押さえた。
今ここで居場所がバレれば、死ぬ。
三日目の早朝、有朱は何かが違うと判断した。
肌に感じる空気の質感が、部屋に吹き込む風の重さが、これまでとは違う。
その根拠のない違和感に、有朱は迷うことなく従い、拠点を放棄した。
そしてビルの外に出ようとした時、空にそれを見つけた。
気付いたのは、巨大な影が地面を滑っていたからだ。雲とは明らかに違う形、スピード。
見上げれば、悠然とそれは空を滑空していた。
カエデの葉のような、あるいは歪な人の手のような、巨大な翼を広げて飛ぶその特徴的な姿は、ある怪物と一致する。
羽ばたき一つで家屋を吹き飛ばす暴風の化身、『天狗烏』。
こんな一年生の適性試験に出てきていいはずがない、ランク2怪物。
しかもランク2の中でも非常に厄介な部類だ。
シンプルに攻撃が届かず、届いたとしても威力が減衰するせいで、致命傷に至らない。
――まさか、このレベルが出てくるなんて。
あれだけ物々しく始まった適性試験。簡単に終わるはずがないと思っていたが、これは予想外だ。
一年生どころか、学生が戦うような敵ではない。
ここからが、守衛魔法師としての生命を懸けた、適性試験の本番。
今は息を潜め、天狗烏が遠くへ行くのを待つしかない。見えなくなるまでは、動いてはいけない。
その影が自分たちを完全に通り過ぎた時、有朱も意図せぬことが起きた。
「っはぁ――」
もう一人のチームメイト、騎町樹里がその場で崩れ落ちたのだ。
緊張の糸が切れたのだろう。
初めて見るランク2。この反応は妥当なものだった。
「――――‼」
後悔すべきは、それを予期できなかった自分の甘さだ。
通り過ぎたはずの天狗烏は、眼下で何かが動く気配を察知した。
それが何なのか、敵なのか、同類なのか。
そんなことはどうでもよいことだった。
ただ何かがいるというのなら、見逃す理由もない。
「aaaAAAAAA――‼」
甲高い叫びと共に空中で反転。そのまま翼を大気に打ち付けた。
空が、歪む。
天狗烏を中心に波の円が広がり、それに触れたビルが粉々に砕けた。
そして、颶風は波濤となって大地にぶつかり、吹き荒れた。
礫や砕けたガラスが弾丸となり、建物を削った。
人の身で受ければ、たとえエナジーメイルを使っていたとしても無事では済まない。
本来なら前衛を張る騎町樹里は倒れたせいで動けない。空道の魔法では防げない。
空道は咄嗟に騎町を抱え、柱の影に隠れようとした。間に合わないとどこかで分かりながらも、背を向けて走る。
その中で、リーダーである有朱だけが、天狗烏の一撃に手を構えた。
風の壁が、眼前に迫る。
「――」
光のアイコンが弾け、有朱の眼前に精緻な幾何学模様が走り抜けた。
発動するのは、エナジーメイルに次いで、守衛魔法師の命を守り続けた魔法。
しかしながら、練度が如実に表れるが故に、一年生で実戦レベルに達している者はほとんどいない。
「『クリエイトシールド』」
光が形を成す。
六芒星の障壁が花開き、暴風を迎え撃った。
ゴッ‼‼ と風が薄い障壁を食い破らんと、牙を突き立てた。
一瞬にして砕け散りそうな薄い星の障壁は、ランク2の一撃を正面から受けながら、曲がらず、砕けず、その場で輝き続けた。
盾を作り出すクリエイトシールドの中でも、傾斜をつけて攻撃を受け流すことに特化した『アスタリスク』。
障壁を作り出すクリエイトシールドは、怪物の攻撃を耐えるために重宝される魔法だが、基本的には攻撃にも防御にも使える『エナジーメイル』が優先される。
そして次に多くの者が鍛錬するのが、怪物を倒す攻撃系統の魔法だ。
だからこそ、有用な魔法でありながら、高いレベルで使用できる一年生は稀なのだ。
風を捌き切った有朱は、即座に転身して空道と騎町の方に走り出した。
「星‥‥宮さん‥‥」
有朱が風を受け流したことで、無事に物陰に隠れることができた空道だったが、彼らに待っていたのは別の試練だった。
「鬼‥‥!」
天狗烏の攻撃に釣られたのだろう、建物の奥から三体の鬼が現れた。
どこから入って来たのかなど考えるだけ無駄だ。彼らからすれば、ビルの外壁などさしたる障害にはならない。
「わた、私が、倒します」
騎町が震える足に力を込め、立ち上がる。たしかに彼女の力なら、三体の鬼が相手でも倒すことは可能だろう。
実際にこれまでの鬼も、彼女が主力となって倒してきた。
しかし有朱は首を横に振った。
「騎町さんの魔法は威力が強いから、目立ちすぎるわ」
ここで一番避けたいのは、天狗烏の追撃だ。おそらく奴はまだこちらの存在に完全には気付いていない。怪しさを感じたから、羽ばたいただけ。
もしも今気付かれたら、二人を守って逃げるのは不可能だ。
「だったら、どうするんだ? 僕の魔法でも、ここからじゃ逃げられない」
空道の魔法は機動力が高いが、建物内では十全な能力は発揮できない。
分かっている。
それら全ての要素を考慮に入れ、有朱はこの場における最善を選ぶ。
「行きましょう。もう、終わらせたから」
「終わらせたって、何を‥‥」
空道の言葉は最後まで続かなかった。
ゾンッ‼ と幾本もの光線が、四方八方から鬼を貫いた。
知覚できない速度で、対応できない物量で、星屑の閃光は、硬い外装ごとその命を貫通した。
「スター‥‥ダスト‥‥」
光となって散っていく鬼を見つめながら、呆然と騎町が呟いた。
星宮有朱が得意とする遠距離攻撃魔法。光線を指定したルートで撃ち込む『スターダスト』は、膨大な魔力と天性の空間把握能力がなければ、扱えない。
有朱はそれを怪物にも、空道たちにさえ気付かれないように発動し、確実に急所を撃ち抜いたのだ。
言葉を失う超絶技巧。
「――二人とも、走って」
有朱は二人を引き連れて、建物を出た。前回のボランティアで成長したのは護だけではない。
有朱もまた、怪物のリアリティを精確に把握し、実力を高めていた。元々の地力がある故に、経験を積んだ瞬間に著しいレベルアップを果たしたのだ。
(適性試験でわざわざ空の怪物だけを出現させるとは思えない。地上にも同格の怪物がいると思って動くべきね)
目前の窮地を切り抜けながら、気を抜くことなく有朱は周囲を確認しながら動く。
彼女の予想は当たっていた。
天狗烏に、刃狼。そして、それと同等かそれ以上の力を持つランク2の怪物たちが、解き放たれていた。




