メモリオーブ
歩き出して一時間。街の広さが想定以上だということに、俺たちはようやく気付いた。
「これ、相当な広さだぞ‥‥」
受験の時とは比べ物にならない。文字通り街一つ分くらいはあるんじゃないだろうか。
それを証拠に、怪物どころか、生徒とすら一度も会っていないのだ。
当然のごとく、メモリオーブとやらも見当たらない。
「というか考えてみると、メモリオーブの形も大きさも知らないんだけど、本当に見付けられるのか」
俺たちの斜め後ろを歩いていた村正が呟いた。
「提示していないってことは、見れば分かるってことでしょ。それよりも、怪物に会わないことの方が気になるわね。時間経過で数が増えていく形式なのかしら――」
前半は村正に向けて、後半は自分の考えを整理するように、紡が周囲に視線を送りながら言った。
拍子抜けというか、肩透かしというか。
てっきりもっと怪物の姿が見えるのかと思っていたら、影も形もない。紡の言う通り、時間が経つと出現率が上がるのだろうか。
ただ楽なわけではない。いつ出てきてもおかしくないという雰囲気が、緊張感を強いてくる。
「もう一時間は歩いているし、どこかで休憩でも取ろうか」
今のところ、俺たちは大通りを中心に小道や大きな建物の中を覗いたりしていた。
しかしメモリオーブらしき姿は見当たらない。
何の成果もないまま時間と体力を消費し続けるのは、精神的にも疲労が溜まる。
少しは休憩を取った方がいい。
「賛成だ。しかしこれだけ動いても空腹になったり、喉が渇いたりしないというのはおかしな感覚だな」
「エディさんが異空間を作れるのは知っていたけど、ここまで細かい設定もできるものなのね」
本当に、妖精ってのは謎ばかりだ。
「そうね、休憩なら、あそこを調べてからにしてみない?」
そう言って紡が指さしたのは、地下鉄に降りる階段だった。
たしかにまだ地下は探索してなかったな。
「地下‥‥地下に行くのか? 見通しは悪いし、怪物が出たとしても逃げ場は限られているんだぞ」
「それはそうだけど、調べておこう。隠すんなら、やっぱり見つけづらいところだろうし」
「いや、それはまあ、そうかもしれんが‥‥」
「地下鉄なら出入口は一か所じゃないはずだし、いざとなれば線路を使えば逃げ道もある」
それ以上村正は何も言わなかった。
これは適性試験だ。それならば宝は過酷な道の先にこそ、あるのかもしれない。ゲームなら、レアアイテムはダンジョンの奥深くに隠されているのが定石だ。
「行こう」
当たり前に見かけるはずの地下鉄の階段は酷く暗く、まるで怪物の口のように、ぽっかりと俺たちを待ち構えていた。
◇ ◇ ◇
電気が通っていないせいで、階段の下は真っ暗だった。
ここも他の建物と同様に破壊の爪痕が無惨に残されており、ただ歩くだけでも気を付けなければいけない。
「『トーチ』」
危険ではあるが、火の玉でも浮かべるかと考えていたら、俺たちの頭の上に光の玉が現れた。
それはランタンのような明るさで、周囲を照らす。
「これは――」
「怪物の気配もないし、何も見えないよりはいいだろう」
「村正の魔法か?」
「見たことないのか? 『フラッシュ』から派生する『トーチ』という魔法だ。見ての通り、光源を作り出すことができる」
「へえ、初めて見た」
魔法からは遠ざかった生活をしていたし、桜花魔法学園に入学してからも、戦闘に使える魔法くらいしか勉強していなかった。
当たり前だけど、こういう便利な魔法もたくさんあるんだよなあ。
しげしげとトーチを眺めていたら、村正が得意げに鼻を鳴らした。
「言っただろう。多彩な魔法が使えるとな。光量も範囲も思いのままだぞ」
村正の言葉に答えるように、トーチが明滅を繰り返し、かと思えばミラーボールよろしく、回転してカラフルに周囲を照らしだした。
「おお、すげぇ!」
なんだこれ、どこでもパーリートゥナイト。パリピには必須の魔法じゃん。
別にパリピってわけじゃないし、クラブも行ったことないけど、なんだかテンション上がっちゃうな。
「馬鹿なことはやめて。目が痛いし、目立つ」
今にも踊り出しそうな俺と村正に、冷や水がぶっかけられた。
毒々しい虹色の中で、どこまでも冷めきった紡の目が俺たちを見ていた。
「はい――」
「すみません‥‥」
俺たちはしゅんと肩を落とした。ミラーボールも反省するように光量を落とし、元のトーチへと戻る。
紡は頭痛を押さえるように額を押さえた。
「怪物との戦いでは、いつでも良い環境で戦えるとは限らない。自分たちに有利な環境を作るのも大事な仕事の一つよ。そういう意味では、トーチは地味だけど有用な魔法ね」
「へー、魔法の使い方も奥が深いな」
『火焔』しか使えない俺からすると、羨ましい話だ。
「とりあえず、周囲に怪物の気配はないわ。ただ少し妙な気配がするから、警戒は怠らずに進みましょう」
「分かった」
さてさて、蛇が出るか鬼が出るか。
できれば前者だとありがたい。鬼灯先生が出てきたらゲームオーバーだからな。
そうして魔法の明かりを頼りに歩き始めた俺たちが出会ったのは、蛇でも鬼でもなかった。
階段を更に降りた、地下鉄のホーム。そこにそれはあった。
村正の出したミラーボールとは違う。虹を水晶玉に閉じ込めたような不可思議な色合い。決して明るくはなく、されど埋もれることのない、テクスチャが現実とはズレているような、そんな見た目だ。
これがメモリオーブなのだと、一目で分かった。
しかしそれを手に入れるには、大きな問題があった。
「あら、こんなところで奇遇ね」
ホームには不釣り合いな黒い台座。メモリオーブはその上に置かれているのだが、その周りには既に人がいた。
――残念、出遅れたみたいだな。
制服を着た三人の生徒たちが、台座を囲うように立っていた。
俺たちに声を掛けてきたのはその中の一人、黒い髪を一つ結びにした女生徒だった。
「えーと、黒曜さんと真堂君。もう一人は‥‥ごめんなさい、誰かしら」
「‥‥村正源太郎だ」
「そう、よろしく。私はB組の犬塚観月」
犬塚さんはそう言ってにっこりと笑った。
俺も喋ったことないはずだけど、どうして俺の名は知っていたんだろうか。いや、間違いなく噂のせいだな。
不適合者とか卑怯者とか、悪名の方がずっと有名だろうし、名前できちんと呼んでくれるだけ、いい子だ。
「――何デレデレしてんの?」
「え、別にしてないだろ」
「真堂君は、胸が大きいのが好きなのかしら?」
「何の話だよ‥‥」
今まで真堂君なんて呼んだことなかっただろ。
紡に言われたせいで、自然と視線が犬塚さんの胸の部分に吸い寄せられる。なるほど、確かに星宮には及ばずとも、結構な大きさのふくらみが見て取れた。
一方紡の方は、決してないわけではない。ないわけではないのだが、高い背に、すらりとした手足も相まって、どちらかというとスレンダーな印象を受ける。
俺の視線に気付いた紡が胸を隠すように抱き、冷たい目で見上げてきた。
「‥‥サイテー」
「いや、これは不可抗力だろ」
紡が胸の話をしたからだろ。そりゃ見るよ。男だもの。見ない方が不健康だ。
「こっちも話していい?」
「ん、ああ。もちろん」
犬塚さんが呆れた表情でこちらを見ていた。紡が意味の分からないことを言うせいで、話が逸れてしまった。
「あなたたちもメモリオーブを探しに来たのよね」
「そうだな。少し遅かったみたいだけど」
「タッチの差ね。私たちの物ってことで‥‥いいかしら?」
ん?
そりゃ先に見つけたんだからそうだろう。何を不思議なことを聞くんだ?
そう思っていたら、あることに気付いた。
犬塚さんの足が微かに震えていた。
ああ、そういうことか。悪名高い不適合者に、こんな地下で出会ってしまったのだ。しかも狙っている物も同じ。
後ろから攻撃されないかと不安なんだろう。
「安心してくれ。基本的に早い者勝ちだろ。俺たちは手を出さないよ」
「――そう、ありがとう」
あからさまにほっとした様子で犬塚さんは言った。そういう反応をされると、それはそれで心にくるものがあるなあ。
犬塚さん以外は男女一人ずつのチームで、その二人も安心した様子だった。
あまり戦いが得意なチームではないのかもしれない。
「それじゃあ、俺たちは戻って休憩するか」
「‥‥いいのか?」
「いいも何も、仕方ないだろ」
村正に答える。
今回はチーム同士の戦いじゃない。あまり集まることはできないが、同じ学年のチームだ。
まあ、向こうが同じように思ってくれているかは分からないが。
「そう」
紡はそれだけを呟くと、早々に振り返って歩き始めた。切り替えが早いなあ。
その後を追うために一歩を踏み出した時、それは来た。
――首筋に刃を当てられる感覚。
「ッ――⁉」
即座に反転し、『火焔』を発動する。
これは、怪物の気配だ。
「何⁉」
「何が起こってるんだ⁉」
犬塚さんたちが、狼狽の声を上げている。
おそらく俺たちが出ていこうとしたのを確認して、メモリオーブに触れたのだ。
それを示すように、メモリオーブが妖しく光輝いていた。
やられた。
メモリオーブの入手。戦わなくてもポイントが手に入るなんて、この桜花魔法学園でそんな甘い話があるはずがなかった。
「紡、村正、構えろ!」
メモリオーブが輝きを増し、そして弾ける。虹がひび割れのようにホームを覆う。
更にそれを上書きするような、黒の幾何学模様。そこから現れるのは、メタリックな駒だ。
駒の数は全部で五体。
それらがゆっくりと立ち上がる。短い脚に長い両腕。そして短剣のように研ぎ澄まされた爪。
つるりとした面に、青く『1』の文字が刻まれている。
タイプ鬼だ。




