君はこの変化のスピードについてこれるか
「そ、そう。覚えているじゃない」
黒曜さんは表情を取り繕いながら、それでも口の端がひくひくとしている。
そこまで嬉しそうな顔をされると、名前を忘れていたことがとんでもなく申し訳なく思えてくる。
「それで、何か思い出すことはないの?」
「思い出すこと?」
だから修飾語少ないって。
しかしコミュニケーション能力皆無な俺であっても、ここまでくれば黒曜さんが何を言いたいか分かる。
多分、俺と黒曜さんは面識があるんだろう。
問題は俺にさっぱりその記憶がないことだ。中学生三年間の出会いでないことだけは確かだろう。何せその間俺がまともに話したのはホムラだけだからな。
さてそうなると小学生時代‥‥。
「‥‥ぁ」
そうか。
そこまで考えて、俺は自分が意図的に小学生時代を思い出さないようにしていたことに気付いた。
親父が死に、魔法を遠ざけ、友達もいなくなった。
それよりも前の記憶は、思い出すには温かく、傷に染みて、たった一人の学校に歩く足が止まってしまいそうだったから。
俺は、思い出すのを止めたのだ。
魔法を使わないなんてしょうもないことばかり意地になって、それより前に積み重ねてきた大切なものに、蓋をした。
今は前を向いたからなのか、傷口が塞がったからなのか、思い出は心を温めるだけだった。
「思い出したの?」
「いや――」
ごめんと答えようとして、不安そうな黒曜さんの顔を見た時に、頭の中で記憶が爆発した。
大人っぽくなって、勝気な印象が強いせいで気付かなかった。
不安そうにこちらを見上げる瞳は、眦が下がって、幼さを帯びる。
その表情が、俺の中の記憶に重なった。
「紡‥‥つむちゃんか!」
「その呼び方‥‥恥ずかしいから、やめてよ」
「あ、ごめん」
つむちゃん。
小学三年生まで同じ学校に通っていた女の子だ。大して背の高くない俺よりも更にちっちゃくて、ふっくらしたほっぺがとても柔らかそうな女の子だった。
性格は引っ込み思案で、いつもおどおど何かに謝っていた気がする。
つむちゃんは一人称が『つむ』で、俺もずっとつむちゃんと呼んでいたものだから、苗字を聞いてもピンと来なかったのだ。
「へー、つむちゃんかぁ」
ぷっくらぷにぷにで、いっつも誰かの後ろに隠れていたつむちゃん。
目の前には、モデルばりにすらりとした手足に、女子にモテそうな端麗な顔立ち。
「いや、変わりすぎじゃないか?」
名前云々かんぬん以前に、目前の黒曜さんと記憶の中のつむちゃんが、違い過ぎて結びつきようがない。
たまたま表情が一致したけど、よく気付いたな、俺‥‥。
女子は変わると聞くが、あれは都市伝説じゃなかったんだな。
家から出た瞬間に化け猫を被る妹と姉のことだと思ってた。
黒曜さんはお腹の下で手を握り、指先をすり合わせながら唇を尖らせた。その仕草が、確かに昔のつむちゃんを思い出させる。
「そりゃ、変わるでしょ。何年経ったと思ってるの」
「六年ぶりくらいか。本当に久しぶりだな」
そうだそうだ。思い出してきた。
懐かしいなあ。まさかこんなところで旧友に出会うことになるとは。世界は意外と狭いものだ。
「‥‥大体、知ってたんなら、探しに来てくれたらいいじゃん」
「え、何がだ?」
「何がって、知ってたんでしょ? 私がいること」
「いや、全然」
つむちゃんが転校したのは小学生の時だ。その後桜花魔法学園に進学したかどうかまでは知らない。
しかしその答えを聞いた黒曜さんの顔色がサッと変わった。
「知らなかった‥‥? いや、でもまあ、それはそっか‥‥」
「黒曜さん?」
「つむちゃんも嫌だけど、それもやめて。むずがゆいから。紡でいいわ」
「そ、そうか」
この年になって、女子を名前で呼び捨てにするというのはハードルが高い。
男である王人でさえハードルが高かったのに、紡なんて――。
いや、よく考えたら王人だって見た目は可憐な少女だし、そんなには変わらないか。むしろ黒曜さんは幼馴染だし、もっと気安いかもしれない。
「じゃあ、紡」
「そうそう、それでいいわ」
満足そうに紡は頷いた。なんだか頬が熱くなる。
それから紡は何かをためらうように口を開け、閉め、視線を惑わせ、意を決したように俺を見た。
「それじゃあ――、約束。約束を果たすために、ここに来たんでしょう?」
「‥‥どうしてそれを?」
ホムラとの約束を守るために俺は桜花魔法学園に来た。けれどそれをこの学校で話したのは、星宮に対してだけだ。
俺がホムラと会うようになったのは、紡と別れた後だ。
約束のことを知っているはずもない。
「どうしてって、当たり前じゃない。私との約束なんだから」
「紡との、約束?」
思わぬ言葉を言われて、俺はオウム返しにした。
それが良くなかった。俺はずっと前からもう地雷の縁を渡り歩いていて、今この瞬間、それを踏んだ。
そういう直感がアラートを鳴らした。
「――は?」
 




