卑怯者の一撃
「よう不適合者。それとも今は『卑怯者』って呼んだ方が正しいか?」
「お前は‥‥」
アリーナで俺を待っていた対戦相手は、ツンツンと尖った髪に、野生味のある顔立ちの男だった。
「佐藤か」
「ちげーよ。ふざけてんのか? ああ?」
「悪い、加藤だったな」
「てめえいい加減にしろよ? 連想ゲームみたいに思い出してんじゃねーぞ」
ピクピクと男の額に青筋が浮かぶ。
その顔を見て思い出した、そうだ武藤だよ武藤。
鬼ごっこの時から何度も突っかかられているせいで、顔だけは覚えてしまった。
「ところで卑怯者ってのはなんの話だ?」
不適合者は聞き馴染みがありすぎて困ったものだが、そっちの名前は初めて聞いた。
まあ聞いただけで中傷だと分かるあたり、はらんでいるものは似たようなもんだけどな。
武藤はニヤリと顔を歪めた。
「なんだ、まだ聞いたことなかったか? 今学年じゃ専らの噂だぜ。あの星宮の後ろにひっついて、怪物討伐の場に居合わせた卑怯者だって」
「‥‥」
ああ、そういうことか。
最近噂の話とか、視線とか、嫌な重さと粘度に変わっていくのは感じていた。
ようやくその理由が分かった。
怪物討伐の場に居合わせたボランティアの生徒は二人。
中等部の頃から有名な星宮と、エナジーメイルすら使えない俺。
最初から、俺が怪物を倒したなんて誰も思っちゃいない。
お荷物を抱えてランク2の怪物を倒す魔法学園のエース。
誰もが飛びつき、面白がる最高のストーリーだ。
特にお荷物がいるってところが最高だ。明確に自分たちより下の人間がいることで、プライドが保たれる。
「ムカつくな」
「あん?」
「ムカつくって言ったんだよ」
そう言うと、武藤は大袈裟な動きと声で笑った。
「ははは! 傑作だな! 不適合者のくせに、事実を言われて傷ついたのかよ! お前があの場にいて、何が出来たって言うんだ? お得意の逃げ足で囮にでもなれたってかぁ!」
アリーナに笑い声がこだまする。
それに紛れるように、観客席からの声も聞こえてきた。
「あいつだろ、不適合者」
「星宮さんの邪魔しかしてないって」
「さっさと避難所に逃げたんじゃない?」
武藤が正面切って俺を馬鹿にしたから、理性のタガが外れた。
それぞれが思っていた疑念や不満が、ざわめきに変わる。
別段、俺がどう言われようがそんなことは知ったこっちゃない。ホムラのくれた『火焔』がある限り、そんなものは蠅のようなものだ。
しかし、このしょうもない噂を聞いた時、彼女はどう思うだろうか。
命を賭け、必死の思いで俺を助けに来てくれた星宮。清廉潔白で真っ直ぐに前を向く彼女にとって、この欺瞞と保身に満ちた言葉たちは、毒だ。
俺も彼女も全力で戦い、生き残った。それだけが全てだ。
「どいつもこいつも、外野でピーピー騒いでんな」
そんなに声を出したつもりはなかったが、俺の一言は想像以上に響き渡り、アリーナがしんとしずむ。
それならそれでいい。
鬼灯先生も言っていた。こういう噂に対する一番の武器は、実力だと。
「気になるなら試してみろよ」
「あん?」
顎を上げる。
見下すように、挑発するように。
こういう連中は、下だと思っている奴に馬鹿にされるのが、心底気に食わないのだ。
ナイフのように鋭くなる武藤の目を見ながら、言う。
「怖いのか?」
「──ぶっ殺す」
試験官として立った担任から開始の合図がなされる。
魔力がいななき、魔法が発動した。
光のアイコンが弾け、武藤の身体を幾何学模様が駆け抜けた。
魔法師を魔法師たらしめる最強の鎧、『エナジーメイル』。
こいつ、武器はないのか。無手同士の戦いなら、間合いは取りやすい。
強化された足を踏み鳴らし、武藤が拳を突き出してきた。
「ッラァ!」
空気を裂く音と共に放たれる拳は、想像よりも遥かに鋭い。
身体を横にずらして拳を避けると、斜め下から次が来た。
「ッ──」
後ろに跳んだ瞬間、目の前の空間を拳の鎌が薙いだ。フックのような技だ。エナジーメイルによって強化されたそれは、獣の剛腕に等しい。
「やっぱり避けるばっかじゃねえかよ‼︎」
腰を捻転させ、遠心力を乗せて武藤は拳を振り回す。
長い腕を生かし、視界の外から飛び込んでくる拳は、避けづらい。しかもこいつ、純粋にエナジーメイルの練度が高い。
後ろに避け続け、コートの端に追い込まれる。
武藤の回転は衰えるどころか、勢いに乗って更に上がる。
「終わりだ不適合者‼︎」
逃げ場のなくなった俺に、武藤が全力のフックを放ってくる。
たしかに速いが、決めるなら一発目だったな。
「‥‥!」
見極めるのは一ミリの空隙。
身体を回転させながら、フックの内側に転がるように滑り込む。
間合いの内に入れば、その攻撃は使えない。
「バァァカ」
武藤が引いていた逆の拳。次のフックへと打ち出されていた拳の軌道が、変わる。
外側への大きな回転から、内側への捻転。
自分のテリトリーに誘い込まれた兎を一撃で刈り取る、コークスクリューだ。
初めからこれが狙いだったのだ。本当の間合いに入れるための、大振りなフックの連打。
最短距離を一直線に走る拳を見ながら、俺は思った。
──来た。
黒鬼と戦った時と同じだ。あいつは『負荷雷光』で内に入る俺を迎え撃った。
武藤の技は見事だった。気性に似合わず、その拳は磨かれていた。
だからこそ、ランク2との差が浮き彫りになる。
「なぁっ‥‥⁉︎」
武藤の一撃は届かない。来ると分かった一撃なら、捌ける。
『火焔』によって強化された腕で、武藤の拳を受け流した。
そして、その時になってようやく気付いたのだろう。武藤は歯を砕かんばかりに噛み締めた。
俺は、魔法を発動していなかった。
鬼ごっこの時と同じように、生身で向き合っていたのだ。
その事実に気付いた武藤がこの瞬間何を思ったのか、俺には分からない。別に侮辱しようと思ったわけでも、舐めてかかったわけでもない。
ただ、そちらの方が鍛錬になると思った。
あの時と同じ緊張感が、意識と身体を冴え渡らせる。
魔力が熱の奔流となって全身を駆け巡り、火の粉が燐光となって舞った。
振槍。
身体強化によって撃ち出した拳は、爆発的な加速で武藤の顎をかち上げた。
ゴッッ‼ と骨身に染みる音を響かせ、武藤の身体が浮いた。
砕けたエナジーメイルの光が、ガラスのように落ちてくる。
そのまま床に倒れた武藤が立ち上がってくることはなかった。
静まり返ったアリーナの中に、試合の終了を知らせる笛の音が響いた。




