不適合者の許せないこと
俺は自分でも気づかない間に茶髪たちを呼び止めていた。
やめとけ、受験生だぞ。ここは学校じゃない、誰も止めてくれないところで喧嘩なんてしたら、碌なことにならないのは目に見えている。
そんな理性を無視する。
少なくとも、今だけは違う。お行儀よくルールを守っているべきじゃない。
軽快なおしゃべりは一瞬にして止まり、薄寒い沈黙の中で茶髪たちが振り返った。
「何だよ」
もうそこに笑顔はない。穏便な話にならないことは、向こうも気付いているはずだ。
それでも止まらないし、止める気もない。
「ホムラに謝れ」
「何? なんでそんなことしなきゃいけないわけ?」
「ホムラは役立たずじゃない。今の暴言について謝罪をしろと言っているんだ」
こいつは自分勝手な思い込みでホムラを見下し、暴言を吐いた。それを何事もなかったかのように終わらせるわけないだろ。
しかし茶髪は悪びれもせず言った。
「こっちはそいつのせいで無駄な労力を使ったんだけど。むしろ謝ってほしいくらいだ」
「勝手に期待したのはそっちだろ。責任転嫁するなよ」
いや、期待という言葉すらふさわしくない。こいつらはホムラの力だけをあてにしてきたのだ。
茶髪は肩をすくめて笑った。
「何をそんなに本気になってるんだよ。妖精信仰とか、そういうやつ?」
本気になるなんて馬鹿だ、こんなことで怒るなんて器が小さい。へらへらした笑いの中から、そんな言葉が聞こえてくる。
これもこいつらの常套手段だ。そうやって自分たちがしたことの責任を化かし、軽く見せかける。
しかしそんなことはどうでもいい。今の言葉で改めて分かった。こいつらはホムラを意志あるものとして見ていない。ゲームのNPCか何かだと思っている。
だから自分の思い通りに動かなければ苛立ち、平然と礼儀を欠いた行動を取る。
「そういう適当な言葉ではぐらかすなよ。他にやり方知らないのか?」
「は?」
考えろ。こいつが一番反応する言葉は何か。
端からこいつがまともに謝るなんて思ってない。たとえ言葉だけの軽薄な謝罪をされたところで、ホムラが受けた屈辱は晴れないのだ。
「口ばっかりじゃ、怪物相手には戦えないぞ」
その言葉は効果覿面だった。
茶髪の雰囲気が完全に変わった。
「不適合者ごときが何調子乗ってんだよ。潰すぞ、お前」
低く唸るような声。
「ちょ、やばいって」
「もうあんなやつほっとこうよ」
「うるせえな。これだけ馬鹿にされて引き下がれるかよ」
周りの連中もやばいと思ったのか、慌てて鳥居の向こう側に駆け出す。
茶髪はそれを見ることもなく、こちらに一歩踏み出した。
「俺が怪物と戦えないって?」
「よく考えろよ。思い通りにならなきゃ癇癪を起こすような奴が、戦えるはずない」
守衛魔法師は常に冷静でなければならない。戦況を客観的に判断し、適切な選択を取り続ける。間違えた先にあるのは、誰かの死だ。不慮の事態に心乱すような人間に務まるはずもない。
ギリッと茶髪の歯が鳴る音が、俺にも聞こえた。
「護、もういいですから。やめましょうこんなこと」
危険な雰囲気を感じたホムラが袖を引くが、今更なかったことにできる段階は過ぎている。というか、俺にその気はないぞ。
向こうにもな。
「離れてろホムラ、すぐ終わる」
ホムラはしばらく迷っていた様子だが、こちらに退く意思がないと諦めたのか、距離を取った。
茶髪も巻き込むつもりはなかったんだろう。それを見届けてから言った。
「覚悟はできてるんだろうな、不適合者」
「こっちの台詞だ」
「そうか、よ!」
それが始まりの合図だった。
茶髪が目の前を薙ぐように腕を振った。魔法の発動を示す光のアイコンが瞬く。
パァン! という音と共に目の前の景色が歪んだ。
「っ!」
次の瞬間、前面に叩きつけられた衝撃に足が大地を離れ、浮遊感が襲う。
『ショックウェーブ』。
暴風を生み出す魔法だ。正面から受ければ、成人男性を吹っ飛ばすくらいの威力が出る。
下は石畳。まともに受け身を取ってもダメージは免れない。
だから俺は抗わない。風の波に運ばれるようにして、後ろに跳ぶ。腕は前で衝撃を受け、膝を曲げてバランスを取る。
そして着地。
スニーカーが石畳をこする音が脚を伝わって響いた。
茶髪にも多少の理性は残っていたらしい。本気のショックウェーブだったら、こんな簡単にはいかない。あるいはこれが彼の全力だったのか。
どちらにせよ、次はこちらの番だ。
着地と同時に膝にためていた力を解放し、一気に前に走る。
「何⁉」
茶髪が慌てて腕を振った。
ショックウェーブの長所は見えにくいところ、そして面での制圧が可能なところ。近づくほど躱し辛くなる。
だが来ると分かっていれば、やりようはいくらでもある。
俺は倒れる寸前まで体勢を低くしながら、全力で地を蹴って前に進んだ。
二発目が来た。
身体にぶつかる風圧を感じながら、それを貫くように走る。
お前のショックウェーブじゃ、中心と端で威力が違い過ぎる。冷静に俺の進路を見極めていたら、あるいは止められたかもな。
「くそ、ふざけんな!」
「この距離じゃそれは遅ぇよ」
三度ショックウェーブを発動しようとする茶髪の腕を掴みながら背後に回る。関節を極めて重心を崩し、そのまま床に倒した。
「ぐっ!」
「下手に魔法を使おうなんて思うなよ。腕が折れるぞ」
言葉通り、ミシミシと茶髪の腕から音が鳴った。
茶髪は苦悶の声を上げながら、地面をつま先で叩く。魔法を使うためには魔力が必要になる。それは精神力であり、心の力だ。
使おうにも、痛みでそれどころじゃないだろう。
「さて、じゃあ謝ってもらおうか」
その声が茶髪にはどう聞こえたのだろうか。
そんなことは俺の知ったことじゃない。俺はホムラを近くに呼んだ。
しばらく痛みに呻いていた彼は、数分後、観念したように謝罪の言葉を口にした。
◇ ◇ ◇
「何故あんなことをしたのですか?」
また静かになった縁台。ホムラはそこで不機嫌です、といった顔で言った。
「ムカついたからだ」
「ムカついたから喧嘩になるとか、何歳ですかあなたは」
「何歳になっても同じようにするだろ、あれは」
「余計にダメですね。進歩がありません。成長していません」
言いすぎだろ。
だが、確かにやりすぎた感は否めない。まあ、この件が表沙汰になったら魔法を使ったあいつの方が重い処罰を受けるから、他言はしないだろう。
多分。
ホムラはため息をつき、そっぽを向いたまま言った。
「でも、ありがとうございました」
「お礼は人の目を見て言うものだぞ」
「私は人ではありませんので」
それもそうだ。
だから俺もホムラの方を見ずに言った。
「どういたしまして」
「くるしゅうありません」
「それ使いどころ絶対今じゃないだろ」
ホムラの方を見ると、完全無欠に美白な耳は、熟れたりんごのように真っ赤になっていた。
素直じゃないな。
そういえば、一つ聞いておきたいことがあったんだ。
「ホムラ、どうしてあいつらを無視しなかったんだ? いつもならそうしてただろ」
「それは、あなたの同級生だったから――」
そこまで言って、ホムラは口を閉じた。
そ、そうか。俺の同級生だから気を遣って話してくれてたのか。
なんだよ、そういうことか。そんなこと気にしなくていいのに。
「あ、ニヤニヤしていますね。人の気遣いを笑っていますね?」
「いや、笑ってないぞ」
「笑っています。いいから顔を見せなさい護。逃げるんじゃありません!」
やめろ、人の顔を勝手に見ようとするな。肖像権の侵害だぞ。
そこから始まる鬼ごっこ。真夏に二人で何やってるんだと思うが、結局俺たちは日が暮れて動けなくなるまで境内を走り回るのだった。