妖精の役割
◇ ◇ ◇
ホムラとバリバリ君を食べてから数日。相変わらず、夏の補習は続いていた。
ここで勉強をすることが輝かしい将来への着実な一歩だ。歴史の単語が右耳から左耳を通過していきそうになるのを、何とか引き留める。
最近は高校入試も五教科での受験を選べるところも増えてきた。将来的な国立大学への入学を視野に入れているのだそうだ。理科と社会は暗記科目なので、これで点数を稼ぐという人間も少なくない。
時代の変化というやつだ。
しかし教材も日々進化しているというのに、教育の本質は変わっていない気がする。このカタカナや漢字の羅列が俺の将来で活躍してくれる気がしない。せめて大学受験までは頭の中にいてほしいところだけど。
しかし文句を言っていても仕方ない。結局この受験というのは、どれくらい努力することができて、頭脳のポテンシャルがあるのか、それを計るためのものなのだから。
そして補習も終わりかけというころだった。
「皆さんも将来の夢があることでしょう。現在勉強している内容は、そのための資産です。ぜひ、頑張ってください」
初老の先生がそう言うと、茶髪が大きな声で言った。
「先生ー、俺は守衛魔法師志望なんで、魔法の練習がしたいでーす」
でかい声に、周りからも「俺も俺もー」「どうせなら使うもの勉強したいよね」と言葉が沸き起こった。
先生は頭をかきつつ、苦笑いを浮かべた。
「そうですねえ、実技だけならそれでもよいのですが。今は筆記試験がある場所がほとんどですから」
「マジ意味わかんねー」
茶髪はふんぞり返ったまま舌打ちをした。
こんな奴が守衛魔法師になったら世も末だろう。
『守衛魔法師』とは、『怪物』と戦うことを認められた魔法師のことだ。
今や少年たちの将来の夢第一位。魔法を華麗に用いて怪物を倒す姿は、物語のヒーローそのものだ。
しかしその実態は、そんな格好いいものじゃない。
地道で、血みどろの日々。
魔法を使う職業の花形ではあるが、俺は絶対にごめんだ。
そんな思いを口にすることもなく、無言で筆箱をしまった。ホムラは何をしているだろうか。
補習を終えた俺はまた神社への道を歩いていた。
ホムラとの出会いは二年以上前になる。中学に上がりたてだった俺は、偶然この神社に辿り着き、そこで彼女に出会った。
一目見て人間ではないと分かる、幻想的な容姿。
気障ったらしくて一生言うことはないだろうが、この世で彼女より奇麗な存在はない。本気でそう思った。
神社への道を歩いていると、あの日の感動がパノラマのように頭を過る。
本当に妖精というのは理不尽な存在だ。
そう思いながら神社に着くと、
「‥‥」
「‥‥」
ブリッジをしているホムラと目が合った。
え、何やってんの?
幻想的で美しい見目と、異様な体勢とが恐ろしいギャップを生み出していた。
なんだろう、高級な鯛でデザート作っちゃったみたいな。
とりあえずおかしい。
「‥‥」
ホムラは無言で立ち上がろうとし、無理だと悟ったのか一度身体を下ろそうとする。
「ふぐっ!」
途中で手がすべり、頭を縁台にぶつけた。
本当に何やってんの‥‥。
ホムラはしばらく頭を押さえていたが、なんとか表情を取り繕うと、俺の方を見た。
「あら、来たのですか護」
「え、今のなかったことにしてる?」
ならないだろ。シュールすぎて前衛芸術みたいになってたぞ。
「来たのですか?」
「いや、来てるは来てるけど」
「来たのですね」
「まあ」
「本当に私のところ以外、行くところがない男ですね」
ホムラは全てを力技で押し切った。パワーこそパワー。もう少しからかってやろうかと思ったけど、頬を赤くしてそっぽを向いているホムラを見ていると、そんな気も失せた。
どうせなら写真に撮っておけばよかったな。
「補習が終わって暇だったんだよ。ホムラもどうせやることないだろ?」
「私は豊胸スト‥‥、自己研鑽をしていましたので、決して暇ではありません」
「今豊胸ストレッチって言おうとしなかった?」
「言っていません。大体なんですかその浅ましい言葉は。私は妖精ですよ、そこらの人間と同じだと思わないでください。既にこの肉体は完成されているのです」
早口だなあ。
さっき自分で自己研鑽とか言っていた矛盾にも気づいていないし。
だいたい、胸の大きさが気になるなら、身体を作り直せばいいのに。しかしホムラと会ってから、服装や髪型が変わることはあっても、身体が変わることはなかったので、何かしら制約があるのかもしれない。
今更巨乳になられても、反応がし辛いけど。胸パッド入れたとしか思えない。
すると彼女はそらしていた視線を神社の鳥居に向けた。
「そういえば、今日は珍しく一人ではないのですね」
「は? なんだ嫌味か?」
ホムラと知り合ってこのかた、ここに誰かを連れてきたことはない。それは今も変わらない。
そもそも受験生に友達など不要なのだ。全ての同級生はすべからくライバルである。
しかしホムラの言葉通り、鳥居の向こう側にある階段から、やかましい声が響いてきた。
どうにも聞き覚えがある。おかしい、俺の友人に、我が世とばかりに陽気な声をあげる人間はいない。そもそも友人もまともにいない。
今どき魔法が使えない人間なんて、ゲームを持っていない小学生以上に排斥される。
さっきから嫌な予感が夏の入道雲のようにむくむくと湧いてくる。
それを肯定するように、彼らは姿を現した。
「こんな場所に神社あったんだー」
「つーかあっつ。今日はカラオケ行くって言ってたじゃん!」
「誰か飲み物持ってね? マジで喉カラカラなんだけど」
「文句ばっか言うなって」
教室でも目立つ四人組。その筆頭、茶髪がこちらに気づき、満面の笑みを浮かべた。
「本当にいるじゃん」
それが誰のことを指しているのか、彼らの言葉からすぐに知れた。
「うわ! 本当だ妖精さん!」
「こんなところにいたんだ」
「全然知らなかったな。てっきりガセだと思ったのに」
「神社の妖精なんて、誰も信じなかったんだろ」
ホムラが身を硬くするのが分かった。
どうやらち茶髪たちのお目当てはホムラらしい。妖精はその見た目と魔法の譲渡をしてくれることから、老若男女問わず人気がある。
テレビで妖精特集がされているのなんてざらだ。
だからこそ、こういう人目につかない場所にいる妖精はウケがいい。端的にいえば、レアなのだ。
彼らはゲームで出てくる隠しキャラクターを探すように、ここにたどり着いたんだろう。
「あれ、不適合者もいるじゃん」
「えー、私たちが一番乗りじゃないの?」
そりゃ誰かが情報流している時点で、一番乗りではないだろ。
実は俺以外にもホムラに出会った人はいる。けれどホムラが心を開いたことはなかった。理由は分からない。
そんな時、彼女は錠をかけた宝石箱のように口を閉ざす。
なぜ俺だけなのか。子どもの時に出会ったからなのか、あるいはもっと別の理由なのか。
人は秘密を自分だけのものにしたがるものだ。そうして彼女はこの神社の中でひっそりと暮らしてきた。
「そんなやつどうでもいいだろ」
茶髪はそう言うと、前に出た。俺のことは視界に入れようともせず、ホムラに見入っている。
それも無理はない。ホムラはそこらの妖精と比べても、はるかに美しい。恐ろしいことに、完成された外見というのは本当だ。
彼女は誰のものでもない。俺は話す機会は多いが、それはこちらから話しかけに行っているからだ。当然、他の人間がホムラに見惚れようと、話しかけようと、それを止める権利はない。
そんな理屈は分かっている。それでもムカつく。ちょっとばかりイケメンで、運動ができて、魔法を使えて、女子に人気がある。
そんな男がホムラに近づいていることに、心拍数が上がる。
なんだこれは。姉に彼氏ができると複雑な気分になるっていう、あれか。
「なあ君、名前は?」
茶髪は固まるホムラの前に立った。
しかし残念だったな。ホムラは超絶人見知り。初めて会う人間に対して心開くことはない。さしもの茶髪も、無視され続ければ心折れるだろう。
そんなことを考えている俺の横で、ホムラは口を開いた。
「私はホムラです。何か御用でしょうか」
‥‥なんでだ?
俺の予想に反して、ホムラは普通に返答した。硬い声ではあるものの、無視はしていない。
それに気をよくした茶髪が続けて言った。
「じゃあさホムラちゃん」
ちゃん付け? 初対面の女の子にちゃん付けするか普通。どこの世界線で生活してるんだよ。
俺が動揺している間に話は進んでいた。はっきり言って、ここまで来た人間が言うことなんて一つしかないのだから。
「魔法くれない?」
これまで幾度となく聞いてきたはずの言葉は、妖精の存在意義そのものだ。
妖精についての研究は常に行われているが、そのほとんどにおいて、彼女たちは魔法の管理者として見られている。
求められれば与える。
そういう存在なのだ。
「あ、そこらでもらえるような魔法じゃなくてさ、ホムラちゃんしか持ってないようなやつね。あるでしょ?」
茶髪は笑顔で要望を付け足した。実は妖精によって、管理している魔法が異なることがある。
茶髪は思ったんだろう。人目を忍んでいるようなホムラは、きっとレアな魔法を持っていると。
だが返答は予想だにしていないものだった。
「申し訳ありませんが、私はあなたに与えられる魔法を持っていません」
「は?」
ポカンと茶髪は呆けた声を出した。
「なんで? 君妖精だろ。魔法の管理は?」
「確かに魔法の管理はしていますが、あなたに渡せるものがないと言っているのです」
ホムラは丁寧に説明した。
いつもならこんな対応をする彼女ではない。いつもみたいに無視すればいいだろ。
しかし茶髪はそんな彼女の返答が気に食わなかったのか、笑顔を歪めた。
「なんだよそれ。なんか条件つきのやつ? だったらそれ教えてよ」
「申し訳ありませんが、それを答えることもできません」
「‥‥」
茶髪は何も言えなくなった。こんな経験は彼の中でなかったんだろう。
それにしてもどういうことだ? 魔法を与えられない? いつも彼女は冗談混じりに言っていたはずだ。いつでもあげると。あれはなんだったんだ。
そんな俺の思考を遮るように、チッ、と大きな舌打ちが響いた。
茶髪だ。
「あー、そうなの。面倒くさいなあ。これ以上イベントとか付き合ってらんないんだけど」
「別にそういうわけでは──」
「誰も来ないって時点で気づけばよかった。ただの役立たずじゃん。つっかえな」
──は?
茶髪はそう吐き捨てると、元来た道を戻っていく。
ホムラはその背に何を言うでもなく、ただ見守っていた。
「え、魔法もらえないの?」
「ここまで来た意味ー」
「それじゃ何のためにいるんだよな」
「もういいって、さっさと戻ろうぜ」
俺は気が長い方じゃない。ムカついたらムカついたって言うし。殴られれば殴り返す。それで何百回と親に怒られてきたし、後悔もしてきた。
それでもこういう時は自分の短気なところが良かったと思う。
「待てよ」