刹那の勝負 ―椿―
ああ、なんて素晴らしい瞬間なんだろう。
椿は空を地面に触れるほど低く飛びながら、心の中で呟いた。
目前には死力を尽くしてなお届かない敵。
見たこともない魔法を使う後輩。
挑戦者として飛ぶことができる。
血潮がたぎり、心臓が荒れ狂う。
日向椿は幼い頃に慕っていた男がいた。日向の縁戚で、その実力で本家の道場に通うことが認められた男だった。
その実力、誇り高さ、何より強さに貪欲なところに憧れていた。
その男は椿の父を殺し、道場を出た。
――そっか。そこに、至ったんだ。
道場に転がる父の亡骸を見て、幼い椿の内にあったのは妙な納得感だった。
彼ならそうするだろう。
だって強くなりたくて、すぐ近くに、成長できる相手がいるのだから。
命を懸けて、戦いたくなるだろう。
父の死に様が壮絶なものであったのは、一目で分かった。暗殺されたわけでも、油断していたわけでもない。
真っ向勝負によって殺されたのだ。
こんなにも潔く清々しい死が他にあるだろうか。
ここが今の自分にとっての死に場所かは分からない。
ただ分かるのは、全力を出して出して出し切ったその先に、自分が見たい何かがあるということだけだった。
「――はは」
思考と記憶から手を離す。
二つの斧は落ちることなく椿の横を並走した。
進化――『王権掌握』
日向椿が常に使用し続けている『王権掌握』は、自らが触れた物を操作する力である。
椿が巨大な斧を振り回せているのも、空を飛べているのも、この魔法で操作しているからだ。
生物や魔法に対して支配権は及ばないが、それを差し引いても破格。
思考と記憶は人力では不可能な速度で回転し、円盤と化す。
これは相手の攻撃の癖を読まないと使えない技だ。
斧二本、自分自身、シュテン。全てを支配下に置き、蹂躙する。
魔法戦闘――『呑天』
二本の斧がシュテンを斬った。
その音が響き渡るより早く、斧は次の攻撃へと移っていた。
人体の枷から外れた思考と記憶は、縦横無尽に暴れ回る。
――マモ君は。
シュテンから視線を外さず下を見ると、立ち上がろうとする護が見えた。
しかしダメージが想像以上に大きいのだろう。意志に反して身体が動いていない。
それでいいよ。
椿は呟きながら、右手を前に出した。
照準をシュテンに合わせ、手を握りしめる。
「――ァア?」
シュテンの動きが停止した。
飛来した斧がシュテンの首と脇腹を斬り裂いて通り過ぎる。
一度ではない。
椿が手を握る度にシュテンの動きが止まり、傷が増えていく。
王権掌握で操れるのは武機だけではない。
この場にある大気を掴み、シュテンへと圧縮したのである。
止められるのは一秒にも満たない時間。
その微かな隙に斧を叩き込む。
驚くべきか、当然と思うべきか、いくらダメージを受けてもシュテンは怯まない。
椿の攻撃の隙間に確実に森羅剣を打ち込んでくる。
思考と記憶の操作、大気の圧縮。飛行による回避。全てを成立させることは椿をもってしても不可能だ。
だから椿は致命傷だけを避け、あとは全て攻撃に意識を割く。
受けたダメージは『原点回帰』によって回復。進化の同時使用によってガリガリと魔力が削れていくが、少しでも力を緩めれば勝負の天秤は崩れる。
紡に剣を弾くとは言ったが、シュテンにとってあの剣は特別なものなのだろう。ほぼすべての攻撃の起点が、あの剣によって行われている。
そんなものをそう簡単に手放すはずがない。
だったら全てをここで使い切る。
『王権掌握』。
地面に手を着いた椿は魔法を発動する。
光のアイコンが砕け、大地が揺れる。
シュテンの左右から土砂が隆起し、鬼の身体を飲み込んだ。やすりの嵐は速度と手数で肉を削り取る。
砂の中、黒いシルエットが剣を肩に担いだ。
ゴッ! という音と共に黒い一閃が椿を嵐ごと斬り裂いた。
護の最大火力を叩き切った一撃だ。
武機で防ぐことも出来ず、右肩から腹までを剣閃が断ち切った。
「――」
椿は血を吐きながら口角を上げた。
そう、こちらが隙を見せれば確実に最大の一発を打ってくると思った。
なぜ武機で防がなかったのか。理由は単純、思考と記憶は攻撃に使う。
回復さえも二の次。あらゆる脳と魔力のリソースを、この決着に込める。
二つの斧は柄尻で連結し、一本の巨大な斧と化していた。
それを回す。
風を超え、音を超え、光に手を伸ばす。
更に魔法のアイコンが立て続けに展開され、一斉に砕けた。
『エンチャント』×『サンダーウィスプ』×『エンチャント』×『プレイノイズ』×『エンチャント』×『ハンズフレイム』×『フォースサークル』×『フォースサークル』×『フォースサークル』×『フォースサークル』×『フォースサークル』
生まれたのは銀河のような光の渦だった。あまりの速度にまるでゆったりと回転しているようにさえ見える。
本来この魔法の掛け合わせは椿の十八番ではないが、彼女はこの土壇場でそれを高いレベルで実現する。
地面に落下しながら、椿はそれをシュテンへと放った。
魔法戦闘――『神災』
銀河は放たれた瞬間にはシュテンへと到達していた。
渾身の一撃を振り下ろしたばかりのシュテンは、己の命を奪うであろう一撃に反応した。
「――⁉」
脚が千切れようと、胴体が砕けようと、これは避けなければならない。
この一撃は己の命に届く。
シュテンが初めて見せた全力の回避によって、『神災』は直撃することはなかった。
それでもその刃はシュテンの両腕を切断した。
「ァガ――」
シュテンから剣が離れた。
刹那、黒光がその胸を撃った。




