位階△
×から△へ。
位階が変わったことを護は認識していなかった。
胴を両断されたのが原因か、それとも身体を焼く炎が原因か。
意識は完全に消失していた。
そもそも即死している傷――傷と称するべきかも躊躇われる状態。
意識はなかった。
誰に命じられたかも分からぬまま、魔力だけが動いた。
炎が分断された上半身と下半身を覆いつくし、ゆらゆらと立ち昇る。
「――ナニ」
炎の中から無傷の護が現れ、シュテンは疑問を呟いた。
たしかに殺した。
間違いなく殺した。
命を両断した感触があった。
なのに何故、立っている。
「 」
護が何かを言った。
聞き取れなかったのは、シュテンが人語にまだ疎いからではない。
理解できる言葉ではなかったのだ。
どちらにせよ怪物の敵が目の前にいるのは違いない。
シュテンは己の角であった大剣を構えた。
『森羅剣』は森羅万象の一切合切を破壊する異能である。その威力は振るう力に比例して大きくなる。
たとえ何が相手であっても、シュテンならば破壊することが出来る。
故に彼は護目掛け、無造作に大剣を振り下ろした。全開放した魔力は黒い光となり、目前の全てを破壊し尽くす。
そのはずだった。
剣が炎に止められた。
護から溢れた炎が大蛇のように波打ち、剣もひびも止めたのである。
だが真に驚くべきはその後に起こった。
森羅剣を受けた炎が、膨れ上がったのだ。
大地に広がる火炎は瞬く間にシュテンと護を囲んだ。
位階△によって得られた権能は、『紅蓮』。
象炎は炎に新たな性質を刻む力だ。
それに対し、紅蓮の力は至ってシンプル。
炎が持つ根源的な性質の強化。
炎は、ありとあらゆるものを呑み込んで広がるのだ。
ランク3という魔力の塊を前に、炎は舌なめずりをするように揺らいだ。
「ガァァアアアアアアアア‼」
シュテンは横薙ぎに森羅剣を放った。大気が割れる音が響き、黒い罅が広がった。
それに対し、炎が迎え撃つ。
いや、喰らわんと顎を開いた。
紅蓮は罅に牙を突き立て、噛み砕きながら激しく燃え盛った。
山の頂上は地獄のような有様に変わっていた。
大地に無事な場所はなく、木々は水分を失って発火する。赤と黒が入り混じる劫火の世界。
その中で護は両腕を広げ、魔法を発動した。
制御を失って巨大化する炎は『象炎』によって形を得た。
現れたのは巨大な指。
一本一本が節くれだち、鱗に覆われた巨杭のような十本の指だ。
「『蝕の竜腕』」
指がシュテンを大地ごと抉った。
象炎によって物理的な強度を得た指は、先ほどまでの炎とは比べ物にならない力だ。
その指が、飛んだ。
「スゥゥウウ――」
碧い光から魔力の吐息を漏らし、シュテンは剣を振るう。
一振りで指を叩き斬り、炎を潰す。
森羅剣は炎の奥深くまで食い込み、内部から破壊する。
シュテンは莫大な火炎に取り巻かれながら、本質を見失ってはいなかった。
護を殺せばこの炎は消える。
罅割れは護を探すための攻撃でもあった。
しかし、位階△の動きはシュテンの予測から大きく外れた。
「 」
探すまでもなく、護はシュテンの目前に現れたのだ。
その周囲には炎の球が浮かんでいる。
「『槍刺す息吹』」
球体の内部が結晶化。炎が槍となって爆ぜた。
ゴガガガガガガガ‼
シュテンが構えた大剣に槍が突き刺さる。防ぎきれないものが肉体を貫いた。
「ッァガ――」
高密度の魔力によって構成されたシュテンの肉体は、外殻がなくともあらゆる魔法を通さない。
そんなもの意に介さず、槍はシュテンを貫いたのだ。
ランク3になって初めての経験だった。
しかも攻撃はそれだけに留まらない。
槍は魔力を喰らい、膨張する。
そして爆発。
ただの火炎ではなく、槍としての性質を得た炎の拡散だ。すなわち、シュテンの内部で数えきれない槍が生まれたのである。
碧い光が血のように散った。
その燐光を炎で舐め取り、護は初めて表情を変えた。
「――――――――‼‼」
それは明確な笑いだった。
ランク3を食い散らかし、溢れんばかりの魔力に酔いしれ、護は、位階△は笑っていた。
両手を上に掲げると同時に、暴れうねっていた炎が渦を巻き、円環を作り上げた。
何もかもを燃やし尽くす炎によって、円の中心には『無』が生まれる。
これは入り口であり、出口でもある。
円環が弾け、『無』が開かれた。
刹那、周囲の炎が、物質が、魔力が、『無』へと吸い込まれた。
ありとあらゆるものを炎が巻き取り、螺旋を描く。
虚無を作り出すことで、戦いの中で広がっていた炎や魔力の残滓を、一瞬にして集め、爆発的な燃焼を引き起こす。
その一撃は、軌道上の全てを灰燼に帰す。
「『滅ぼしの咆哮』」
白光の円柱が、空を貫いた。
あらゆるものを抹消する極光は、たとえランク3であっても例外ではない。
無意識に選んだ技は、当たれば確実に殺す、文字通り必殺の一撃だった。
しかしこの場にいる誰もが知らなかった。
ランク3というものの本当の恐ろしさを。
彼らは本能のままに戦うランク2とは異なり、明確な意志を所有している。
意志は信念となり、信念は絶望に穴を開ける光となる。
「――ハァァ」
シュテンは目前に迫る炎が己を殺すものでありと知りながら、真っ直ぐに大剣を振り上げた。
これまでの野卑な構えではない。
研ぎ澄まされた一閃を放つための構え、呼吸。
絶望を切り拓くのは、常に自らの角であった。それは今形を変え、剣として手の中にある。
碧の魔力が刀身の中で暴れ、震える。
森羅剣は森羅万象の一切合切を破壊する力。
それは暴食の炎が相手でも、例外ではない。
魔力が音を立てんばかりに圧縮され、臨界で停止する。
均衡。
崩壊は一瞬だ。
溜めに溜めたものを、刃の一筋に乗せて崩落させる。
「『森羅剣――唯我の道』」
それは漆黒のシルエットだった。
まるで絵画を上から墨で塗りつぶすように、鮮烈な赤の中に一本の黒い線が現れた。
「――あ?」
護が気付いた時、目の前に道が生まれていた。
そしてシュテンの手が迫る。
ガッと頭を巨大な手が鷲掴みにし、地面へ叩きつけられる。
地は陥没し、衝撃が頭を貫いて全身を砕いた。
「シヲ」
同時にシュテンは逆手に持った剣を護の腹に突き立てた。魔力と力が込められた剣は永続的に罅割れを放つ。
回復するなら、殺し続ける。
徹底的な殺意に蝕まれながら、護は真っ直ぐにシュテンを見つめ続けた。
罅を炎で燃やし、魔力に変換。
『紅蓮』によって炎は爆発的に広がり、牙となってシュテンへ食らいついた。
碧と赤の光が入り混じり、罅と炎が互いの肉体を削り合う。
「ハァァアアアアア――」
「 」
戦いはこの瞬間、佳境を迎えようとしていた。




