碧の光
◇ ◇ ◇
俺は身体が動けると判断した瞬間、身体を起こした。
「護、駄目。まだ動いちゃ――」
「戦ってるのは、椿先輩か」
暗がりの中、巨大な黒い影と、金属の輝きが乱舞していた。
影の中ちらりと見えた青い光は、『3』。
そのランク3と相対するのは、いつ到着したのか、椿先輩だった。
ランク3は災害に等しい。現れれば都市一つが壊滅してもおかしくないだけの力を持つ。
そんな最悪を前に、俺たちがまだ生きているのは椿先輩が戦ってくれているからだ。
「護!」
「行かなきゃ‥‥」
行って何が出来るかは分からない。
それでも戦わなければならない。椿先輩が倒れれば、全員殺される。
ようやく、ようやくホムラに関する手掛かりに辿り着いたんだ。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
不安定な脚で身体を支えながら怪物をよく見る。
速すぎる。
椿先輩も怪物も、目で追うのがやっとの速度で攻防を成立させている。
鬼灯先生が教授と戦っている時にも感じた、圧倒的な次元の違い。
怪物のタイプはおそらく鬼だ。大剣を巧みに操り、椿先輩の攻撃を全て捌いている。
「――」
それだけじゃない。俺が立ち上がったことにも気付いている。
ビリビリと痛いくらいの殺意が全身に突き刺さってくる。
戦わなきゃって、どうするんだ? あそこに入ったところで、何も出来ずに殺されるのがおちだ。
ふぅ――。
落ち着け。
見極めろ。俺が入れるタイミングを。
親父や鬼灯先生から教わった毀鬼伍剣流。
ホムラの残してくれた『火焔』。
これがあれば、戦えるはずだ。
「‥‥紡、俺の身体に糸を巻いておいてくれ」
「‥‥本気であれに割って入るつもり? 今度こそ死ぬわよ」
「死なないために、戦うんだよ」
負ければ全員死ぬんだ。勝つ以外に道はない。
気息を練り上げ、身体の奥底で炎を燃やす。
魔力そのものは戦いの中で十分蓄えられている。
位階×。
行くぞ。
鬼が黒い稲妻を放ち、椿先輩との距離が離れた。
そして鬼はそのまま次の攻撃の溜を作ろうとした。まずは厄介な椿先輩を確実に落とすつもりだろうが、そうはさせない。
雷脚。
爆縮。
加速の重ね合わせで、俺は一気に鬼との距離を詰めた。
そしてそのまま振槍を打ち――
フラッシュバックする、父の姿。
「――」
型が変わる。
これまで学んできた型をベースに、細かな差異を修正する。
ただそれだけで全身の中に力の通り道が生まれ、そこを炎が駆け抜けた。
振槍。
崖でも殴りつけたような重い感触が伝わり、そのまま打ちぬいた。
鬼の巨体が縦に回転しながら飛んでいく。
――何だ。
今、感触がおかしかった。
明らかにこれまでの振槍とは違う威力、通り方だった。
無意識に動きを修正したのは分かった。ただそれがあまりにも自然な流れで、不自然だった。
一体何がどうしたんだ。
その答えを探る暇は与えられなかった。
「――ァア」
真下。
俺よりも遥かに巨大な身体が、影のような低さで踏み込んできていた。
ヤバ――。
懐を掠めるように腕が伸びてくる。狙いは顎だ。
当たれば頭が飛ぶどころか、粉々に砕け散るだろう。
避けられない。
「ボーっとしない‼」
グン! と身体を後ろに引っ張られ、目前を砲撃のような手が通り過ぎていく。
俺を助けてくれた椿先輩が入れ替わりで前に出た。
刹那、衝撃と火花が連続して爆ぜた。
二本の斧と鬼の大剣が尋常ならざる速度でぶつかり合ったのだ。
両手斧を片手で軽々振り回す椿先輩も異常だが、それらの攻撃を一振りの大剣で捌く鬼もぶっ飛んでいる。
右、上、左、右、下、上。目まぐるしく振るわれる武器は、火花を散らして相手を食い破らんとする。
ただ互角に見える打ち合いも、ほんの少しずつ、椿先輩が遅れていく。
どこかで、どこかで入らなければ。
肉壁でもなんでも、椿先輩が攻勢に出られるように隙を作る。
動け。動け。動け。
重心を前に倒し、倒れるように身体を前傾にする。
「うぉぁぁあああああ‼」
全身全霊で大地を踏み抜き、鬼へと肉薄する。
攻撃の瞬間に『炎駆』を発動し、もう一度、さっきの一撃を叩き込む。
そう考えた時、握った拳に硬い感触が触れた。
そして俺は地面を転がっていた。
「ぉご、がっ、げはっ!」
ぐるぐると回る頭をなんとか持ち上げると、喉から粘つく血が零れ、地面をぼたぼたと汚した。
痛い。身体の中心から鈍い痛みが広がっていく。
俺の認識できない速度で大剣を横薙ぎにされた。構えていた右腕ごと、胴を薙ぎ払われたのだ。
なんとか腕は繋がっているが、それは運が良かっただけだ。本気の攻撃じゃない。鬼からすれば、椿先輩との戦いで邪魔だから払われただけだ。
それでこの威力。
痛みで頭が馬鹿になりそうだ。
それでも諦めない。
俺を振り払ったってことは、その分一手遅れるということだ。
同じことを繰り返し、隙を大きくする。
炎でつないだ拳で地面を殴りつけ、顔を上げる。
何度だって立ち向かってやるよ、ランク3。
『炎駆』。
炎で身体を再生し、筋肉を炎で補強する。
今の一発でよく分かった。出し惜しみなんてあまりに馬鹿だった。
椿先輩と鬼が激しい打ち合いの中で、ほんの少し距離を開けた。
そこに割り込む。
「――」
炎駆による加速は、容易に俺を鬼の前に連れ出した。
鉄仮面の中で青い眼光が燃えている。
喉から変な音が漏れた。
これがランク3。
ただ睨まれただけで全身の筋肉が硬直するのが分かった。
生物としての本能が諦めることを選ぼうとする。
傷つくことよりも、死ぬことよりも、これまで鍛えてきた拳が、無力な石ころでしかなかったと気付く恐怖。
こんな奴を相手に椿先輩はたった一人で立ち向かっていたのか。
鬼が剣を持ち上げる。
無力? 無力なわけがあるか。
俺は弱いかもしれない。
それでもホムラが、お前に、お前らに、負ける理由にはならない。
固まっていた身体を炎が燃やす。
動かない身体はいらない。本能にすら抗えない肉体は捨てていけ。
この熱が、お前を撃ち抜く。
「ぁぁあああああああがあああああああああ‼」
体に刻まれた炎の刻印がより一層と輝き、広がる。
十煉振槍。
鬼の剣が振り下ろされるよりも先に、炎の拳が鬼面を殴りつける。
ゴッ‼ と先ほど同様、山を撃ち抜くような重さ。
この程度で怯むとは思わない。もう片方の拳を固め、魔力を燃やす。
七煉振槍。
五煉閃斧。
五煉振槍。
五煉振槍。
外殻を燃やしながら拳打を叩き込む。
それでも止めきれない。魔力を燃やして威力を底上げしているにもかかわらず、鬼の軸はブレない。
炎を突き破って剣が振るわれんとする。
その間髪の隙を見逃さず、彼女は来た。
「よくやったマモ君‼」
声と共にロケットのような速度で銀の閃光が俺を追い越した。
「踏破の駿脚‼」
二本の両手斧が一つの巨大な刃となり、下段から三日月を描いて鬼を捉えた。
上から下、更に上へと振り子のように振り上げたのである。
助走、遠心力、斧の重さ。
全てを掛け合わせた一撃は、鬼の外殻を砕いて斜め上へと吹き飛ばした。
「――!」
ランク3が明確にダメージを負った。
砕けた外殻が空に散らばり、鬼の身体が宙を泳いだ。
今だ。
今、追撃を仕掛けろ。
全ての火力をもって、外殻が砕けた隙間に攻撃を叩き込む。
「行くよ‼」
「はい‼」
椿先輩と二人で駆け出そうとした瞬間、俺たちは見た。
鬼が、碧い光を纏う。
砕けた外殻、そこから煌々とした明かりが輝いた。
それはまさしく曇天に浮かぶ月。
そこで思い出した。怪物は魔力の塊だ。
外殻は本来魔力によって構成された肉体を保護するためのものだ。
しかしランク3にとって、外殻はそれ以外の意味を持つ。
すなわち、拘束具。
外殻から開放された魔力は、鬼そのものさえも焼き焦がす破滅の光と化す。
鬼が空中で大剣を振り上げた。
――天地の一切合切を区別なく蹂躙せよ。
森羅剣。
破壊の鉄槌が、山に振り下ろされた。




