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何を選ぶべきかは決まっていた

 撫子先生じゃないが、俺は温泉の後に何を飲むかでその人が大切にしているものが見えると思っている。


 牛乳を選ぶ人は、清楚。真面目で実直、子供の頃から健康に気を遣ってきたんだろう。冷たいうちに一気飲みする牛乳で楽しむのは、そののど越しだ。


 コーヒー牛乳を選ぶ人は、大人になりたかった子供。あるいは子供に戻りたい大人だ。そこにあるのはほのかなノスタルジーと、あの頃の大人への憧憬。


 フルーツ牛乳を選ぶ人は、天真爛漫。少し子供っぽくても、フルーツの甘みと酸味が欲しいと言える素直さが大人には必要なのかもしれない。


「ふぅ」


 ちなみに俺が選んだのはコーヒー牛乳だ。驚くべきことにこの旅館では温泉の前に休憩所があり、無料で飲み物が飲めるように冷蔵庫が置いてあった。


 マジでなんなんだこの旅館。普通ボタンで番号入れるタイプの自販機だろ。


 どんな高級なところで飲もうとコーヒー牛乳の味は変わらない。


 火照(ほて)った喉にぐっと流し込むと、頭を殴りつけるような甘みが口いっぱいに広がった。


 うまい。


 ここまでが温泉のセットだよなぁ。大人はビールを飲むらしいが、俺は大人になってもコーヒー牛乳を飲む自信がある。


「‥‥ホムラなら、何にするかな」


 ふと言葉がこぼれ出た。



『護! 護護護! これは一体何ですか⁉』



 俺が初めて渡した缶コーラを片手に、ホムラが目を丸くしていたのを思い出す。


『喉がパチパチして、あっまくて美味しいですねこれ!』


 びっくりするくらい喜んでたな。


 炭酸を飲むのが初めてだったようで、一口飲んでは肩を震わせていた。


 そうやってびっくりしたり喜んだりしている姿を見るのが好きで、よくコンビニで何かを買っていった。


 本当は、もっとたくさん。いろんなものを一緒に食べたり、旅行に行ったり、ホムラが居なくなってから、ホムラとしたいことばかりが増えていく。


『はい、護』


 飲みかけの缶コーラ。ホムラのためのものだから、毎回二人分はきついから。そういう理由で一本だけを買っていくと、彼女は必ず途中で俺に渡した。


 二人で一つのものをシェアするっていうのが嬉しかった。


「‥‥」


 トン、と隣に誰かが座る気配がした。




「ホムラさん――って、どなたですか?」




 音無さんが座っていた。


 俺と同じように部屋に置いてあった浴衣を着ている。白い肌は朱に染まり、いつもはふわふわしている髪はしっとりと細い肩を滑り落ちる。


 俺が知っている音無さんは、ごついヘッドフォンをして、服の隙間という隙間に工具を敷き詰めているエンジニアだ。


 しかし今ここにいるのは違う。湯上りの、女子だ。


『うわ、でっか――』


 思わず視線が下がる。合宿の夜にも見た、小柄な身体には不釣り合いなふくらみが浴衣を押し上げていた。


「真堂君?」


「あ、ああ。どうした?」


 まずい。万乳引力(ばんにゅういんりょく)の罠にはまるところだった。ちなみにこの説は全ての胸に引力があると主張する派閥と、(よろず)のように大きい胸ほど引力が大きいと主張する派閥が存在する。


 物理法則に逆らい、全力で音無さんの目に視線を固定する。それはそれでくりくりの目に俺の姿まで映り込みそうで、目を逸らしたくなる。


 眉間だ。眉間を見るつもりでいるんだ。


「あの、ホムラさんってどなたなのかなーって」


「‥‥どうしてホムラのことを?」


「さっきご自分で呟いてましたよ」


「聞いてたのか‥‥」


 いや、音無さんなら仕方ないか。下手したら脱衣所からでも聞こえていそうだ。


 俺の顔を見た音無さんが途端に捨てられた子犬のような顔になる。


「す、すみません。ヘッドホンをしてなかったから、聞こえてしまって。それで、その‥‥」


「ああ、ごめん。責めてるわけじゃないんだ。ちょっと恥ずかしかっただけだから」


 音無さんの聴覚は第六感(シックスセンス)じみた力だったはずだ。


 聞こえてしまうことは、音無さんが悪いわけじゃない。


 しゅんとした顔をされると非常に罪悪感が湧いてくる。


「ここ、冷蔵庫に入ってるものなら好きなの飲んでいいんだって。牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、どれがいい?」


「じゃ、じゃあフルーツ牛乳を」


 おお、天真爛漫。


 よく冷えたフルーツ牛乳を手渡すと、音無さんはコクコクと飲んだ。


 おかしいな、俺の姉貴が飲むときはゴキュッゴキュッ、という音が鳴ったはずなんだが、喉にヒバリでも飼ってるのかな。


「それで、ホムラさんというのは‥‥」


「‥‥」


 うーん、どうすべきか。


 ホムラは間違いなく妖精(フェアリー)の中でも特別な存在だ。


 誰かに聞いてもらいたくて、紡に何もかもを吐き出した。


 星宮は何かがあることを知った上で、踏み込んできてくれた。


「真堂君」


 音無さんが立ち上がり、俺の顔をすぐ近くで覗き込んできた。


 火照った体温まで感じ取れそうな距離だ。


「私、専属エンジニアですよね」


「そう、ですね」


 コツンと互いに持っていた瓶がぶつかる。


 これはもう、仕方ないか。


 俺はホムラについて話すため、椅子に腰掛けた。


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