奈良公園と鹿と最強
日本の歴史上、幾度となく皇居が構えられ、都として隆盛した土地がある。
しかし現在その土地についてのイメージをそこらの人々に聞けば、返ってくる答えはほぼほぼ一つだ。
「鹿だ」
芝生の上を悠々と鹿が闊歩している。
東京なら絶対に見られない光景に、思わず見入ってしまう。
本当に歩いてるんだな。
「奈良なんだから、当たり前でしょ」
隣を歩く紡が鼻を鳴らして言った。
そう、今俺たちがいるのは奈良県である。歴史的価値は京都に次いで高かろうに、どうしても鹿の県というイメージが根付いている県だ。
なんとも言えない不憫さが愛らしく、京都のようにとっつきにくくもない。そうまるで眼鏡をかけた温和な幼馴染のような存在だ。
眼鏡の代わりにピアスを付け、鋭い目を向けてくる幼馴染が得意気に言った。
「奈良の鹿は春日大社の神鹿として尊ばれているから、手厚く保護されているそうよ。国の天然記念にもなってる」
ま、これくらいは知っていて当然よね、と言わんばかりの顔だ。
ほう、言うじゃないか。
「紡は奈良来たことあるのか?」
「ないけど」
「じゃあ紡も初めて見たんだろ。もっと素直にびっくりしていいんだぞ」
「しないわよ。私はちゃんと調べてきたから」
紡はバッグからガイドブックを取り出して見せびらかしてくる。大量に貼ってある付箋から、その読み込み具合が分かる。
椿先輩からミッションの話を聞いて、二日後の今日、俺たちは奈良県にやってきた。
一日しか猶予がなかったのに、旅の準備をしてガイドブックを買って、読み込むところまで頑張っちゃったらしい。遠足前で寝られない子供かな。
「‥‥旅行に来たわけじゃないぞ」
「分かってる」
紡は途端に不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。
まあミッションの合間とか、やることが終わった後なら紡が調べた店に行ってみるのもありかもしれない。
「ここに椿先輩がいらっしゃるんですよね?」
大きなリュックを背負った音無さんが周囲を見回した。
椿先輩は俺たちよりも先に奈良に来ており、今日はここで合流する予定なのだ。
俺たちが今いるのは春日大社がある奈良公園である。いたるところで鹿が悠々と歩いたり、寝そべったりしている。なんとも優雅な生活だ。
「ああ、そのはずなんだけど」
見回せど見回せど、目立つ銀髪は見当たらない。そもそも奈良公園は東京ディズニーランドやUSJよりも遥かに広い。こうしてぐるぐる歩いていても、ちゃんと場所を決めなければ会える確率は低い。
しかし椿先輩は、
『大丈夫大丈夫! そこに居てくれたらすぐに会えるから!』
としか言わなかった。
連絡しても返信は来ないし、どうするんだろ。
「とりあえず鹿せんべいでも買ってみますか? 鹿を動かしたらイベントが進むかもしれません」
「そんなゲームじゃないんだから」
でも鹿せんべいはちょっと興味ある。
そんなことを考えていたら、どこからか声が聞こえた。
「――――くーん」
「なんだ? どっかから声が」
「マモ君‼」
ダンッ! と空から何かが降ってきた。ふわりと浮かび上がる銀髪がキラキラと舞い踊る。椿先輩だ。
「びっくりしたぁ! 何で毎回空から降ってくるんですか!」
「え、空から見るのが一番見付けやすいでしょ」
「‥‥空、飛んでたんですか?」
「うん」
そうか。空道とかも『ホバー』の魔法で空を飛んでいるし、一位なんだからそのくらいはやってのけるということだろう。
椿先輩は一緒に落ちてきた身の丈ほどもある巨大なアタッシュケースを片手で担ぎ上げる。
紡が呆れた顔で椿先輩に話しかけた。
「椿先輩、先に来て何をしてたんですか?」
「ちょっと事前に調べておきたいことがあってさ」
「何か分かったんですか?」
「うーん、折角だからどっかお店入って話そっか。どこかいい店知ってる?」
それなら、と紡はガイドブックをぱらぱらとめくる。
鹿せんべいはお預けだな。仕事の時間だ。
俺たちは店に移動した。
◇ ◇ ◇
「それで、ちょっとこれ見て欲しいんだけど」
席に着いた俺たちに椿先輩がタブレットを見せてきた。
そこには前にも見せてくれた干渉波のマップが映っている。
「昨日一日かけてこの干渉波が起きたところを全部見て回ったんだけど、特におかしな様子は見られなかったんだよね。守衛魔法師に問い合わせても、ここ最近怪物の出現はないみたい」
「じゃあやっぱり『揺らぎ』でしょうか」
「それにしてはここに集中しすぎてる。ここで一つ仮定なんだけど、もし干渉波を抑える術を持った怪物がいたとしたら、それらは何をしていると思う?」
干渉波を抑える術を持った怪物か。
怪物の本質は人間の殺害だ。そこに理性や理屈は存在しない。目に見える全ての人間を破壊し尽くすことが、存在意義だ。
そんな怪物が人間に危害を加えることもなく、この周辺を歩き回っている。
何のために。
「‥‥探し物」
奇しくも紡と俺の考えが一致した。
何か目的があるとすれば、探し物か探し人かのどちらかだろう。
椿先輩も頷いた。
「うんうん、やっぱりそうなるよねー。でもさ、怪物が何か探し物なんてする?」
「何か、どうしても殺したい人間がいるとか、ですか?」
「相当高ランクの怪物なら、そういう執着染みたことをする個体もいるとは思うけど、そういう連中って姿を隠すとか干渉波を抑制するみたいな考えはないと思うんだよね。他の人間に危害を加えない理由もないし」
「なるほど‥‥」
椿先輩の言葉には説得力があった。一日前に現地入りして調査地も回ってくれているようだし、戦闘以外でも優秀なんだな。
音無さんが手を上げた。
「ということは、私たちもその何かを探す方向性ですか?」
「流石になんのヒントもなくそれを探すのは無理だから、基本方針は怪物の捜索だね。どれだけ上手に姿を隠していても怪物は怪物だから、何か違和感があるはず。それを地道に聞きこんでいこ」
「小動物みたいな、ランク1以下の怪物という可能性は?」
「私、警察にかけあって監視カメラの映像もらったんだ。でも、干渉波のある地点でおかしな映像は一切見えなかった。ランク1以下の怪物となると、監視カメラを避けるような複雑な行動ができるとは思えないんだよね」
「そ、そうですか」
おいおい、この人本当に優秀だぞ。というか明らかに学生の権限を越えて動いているあたり、本当にプロの守衛魔法師なんだな。
「ってことで、オトちゃんは周辺住民の人たちから聞き込み、私は逆に人が立ち入らなさそうな場所を中心に異変がないか見て回るね」
「俺たちはどうしますか?」
てっきりオトちゃん(多分音無さん)と一緒に聞き込みをするもんだと思ってたけど。
椿先輩はにんまりと笑みを浮かべた。
「怪物を探すっていうなら、一番初めに聞き込みをすべき存在がいるでしょ」
「一番初めに?」
この近辺の守衛魔法師とかじゃないのか?
「あっ」
紡は何かに気付いたらしく、その存在を口にした。
「――妖精」
等しく人類の枠から外れた超次元存在でありながら、怪物と対極にいる者だ。




