最強、襲来
◇ ◇ ◇
桜花魔法戦が終わり、しばらくはいつも通りの日常が続く。
そう思っていたところに、秋の嵐が吹き荒れたのは、九月も終わる朝のことだった。
ちらほらと長袖のシャツやカーディガンが見られるこの頃、木々の緑はまだまだ現役だが、曇り空の下を吹き抜ける風に涼しさを感じる日も増えてきた。
あれから資料を探っているが、今のところ目ぼしい情報はない。
雲仙先輩が怪物に変化した理由も、最後に現れた襤褸切れの存在も、何も分からないままだ。
『おいたわしい』
あの存在が呟いた言葉、あれは俺に向けた言葉だった。
いや、俺なのか、あるいは――。
「おはよう」
「おう、おはよう」
思考を中断して挨拶してきた相手を見ると、そこにいたのは紡だった。
教室のエアコンが寒いらしく、薄手のカーディガンを羽織っている。
なんだか服装が変わる度、昔のつむちゃんと重ねて、そのギャップに驚く。
「何か考え事?」
「うーん、まあそんなところ」
「あっそ」
そっちから聞いてきて、なんでそんな淡泊な返事なんだよ。もう少し話を広げる工夫をしないと俺と村正以外に友達出来ないぞ。
二人で校舎に向けて歩いていると、紡の視線が俺のバッグに向けられていることに気付いた。
「どうした?」
「‥‥それ」
紡が指さしたのはトン助2号だった。ついこの間、星宮と一緒にゲーセンで取ったやつだ。
「ああ、これか。これは――」
星宮とゲーセンで取ったんだよ、と言おうとして、紡の目が気になった。
いつもより大きく、丸くなって、潤んでいるように見える目。それが、つむちゃんのものと重なった。
「――ゲーセンで取ったんだよ。ほら、こういうのついてた方が、見分けやすいだろ」
「‥‥そう、なんだ」
「ふてぶてしいから、あんまり可愛くないけどな」
「そう? 私は割と好き」
紡はちょんちょんとトン助2号をつついた。
星宮も可愛いって言ってたけど、女子の可愛いの基準がよく分からん。
自分でもなんで星宮の名前を出さなかったのか、明確な理由は分からなかった。
まあ、わざわざ言う必要もないだろ。なんか合宿の時も星宮と紡、バチバチしてたし。
女子の関係に男が首を突っ込んでいいことは何一つない。
自分の危機管理能力を褒めてあげながら歩いていると、学校が見えてきた。
今日もランニングだ。さっさと着替えて行くとしよう。
その時だった。
「おはよう、真堂護君‼」
とんでもない声が降ってきた。
え、誰? というかどこ?
まさかと思いながら上を見上げると、そこにあるのは校舎だけだ。
いや、校舎に誰かが立っている。
――は?
いやいや、それはおかしいだろ。
その人物は、校舎の壁に垂直に立っていた。重力という存在を忘れているかのように、地面と平行に仁王立ちしているのだ。
銀色の髪と長いまつ毛に縁どられた瞳が、朝日よりも輝いている。
話したことはない。会ったこともない。
しかし俺はその人を知っていた。一度見れば忘れない顔だ。そして、この学校の誰しもが、彼女のことを知っている。
正確に言えば、ついこの間、覚えさせられたのだ。桜花序列戦最終日、最後に行われた鮮烈な戦いが、今も目に焼き付いている。
そこで圧倒的な実力を見せた、桜花序列、第一位。
「日向椿先輩‥‥」
桜花魔法学園の最強が、楽しそうに俺を見下ろしていた。
「嬉しいなー、私のこと知ってくれてるんだ。そう、何を隠そう私こそ最強無敵、完全無欠、万夫不当の完璧美少女、日向椿!」
キラッとピースを決めながら、日向先輩はバチコンと銃撃のようなウィンクをかましてくる。
眩しっ!
なんというか、存在がキラキラし過ぎてて直視に耐えない。
こんなティーン雑誌の表紙を飾っていそうなギャルが栄えある国立桜花魔法学園の第一位とは、中々に信じられない事実だが、そこに疑いはない。
何せこの人は桜花序列戦で、王人と第二位を除く十傑をまとめて叩きのめしたのである。
『めんどいから全員まとめてかかっといでよ』
という一言で開催された、八人によるサバイバルマッチ。たった一人の勝者がポイントを総取りするという無茶苦茶な戦いだ。
その戦いで日向先輩は七人から総攻撃を仕掛けられた。作戦があったわけではないだろう。ただ全員が開戦と同時に日向先輩へと駆け出したのである。
そして壊滅した。
かかった時間は、たった三分。
最後にたった一人立つ日向先輩は、傷一つ負うことなく、光となって散っていく十傑を眺めていた。
その目が、今俺を見下ろしている。
聞き間違いじゃなけりゃ、俺の名を呼んだよな。
「日向先輩、俺に何か御用ですか?」
「え、ごめんなんて⁉」
聞こえないんかい。
日向先輩も距離が遠いことに気付いたらしく、壁を歩いて降りてくる。既にその光景が意味不明なわけだが、登場からしてあれなので驚くだけ損だ。
「よっと」
軽やかなジャンプで日向先輩が俺たちの前に着地した。
スカートがふわりと浮かび上がり、思わず視線が吸い寄せられる。しかし謎の物理法則によって一定より上がることはなく、そもまま元の位置に戻る。
健全なアニメの不自然な規制みたいだな。
「改めて初めまして真堂護君」
「初めまして日向先輩」
ぺこりと頭を下げると、日向先輩は人差し指を横に振る。
「日向先輩って呼び方嫌いだから、椿って呼んでもらってもいい?」
「わ、分かりました」
「よし、じゃあ君の名前は今日から『マモ君』だ!」
「えっ」
なんで? どっから話がジャンピングした? 普通に嫌なんだけど。マモ君は可愛い通りこして、もはや馬鹿っぽいだろ。
だが俺の反応など意に介した様子もなく、椿先輩は話し続けた。
「いやー、ずっとマモ君と話したかったんだけど、中々タイミングがなくてさー。桜花戦見たよ! どの戦いも面白かった!」
「は、はぁ」
「私以外に一対複数の戦いしてる人も初めて見たし。あ、それと使ってる魔法についても色々聞いてみたいんだよね」
や、やばい。あまりの会話スピードに頭が追い付いていかない。
喋っている本人はいたって楽しそうだが、その笑顔にこちらは目が痛い。
「――椿先輩」
「ん? ツッちゃんどうかした?」
見かねた紡が割って入ってくれた。
ツッちゃんって。孤高の一匹狼である紡があだ名で呼ぶことを許すなんて、一位は凄い。
というか、
「二人は知り合いなのか?」
「同じ千本松先生の専攻練」
「そうそう! 可愛い後輩なんだけど、ちょっと距離があって先輩はさーびしー」
抱き着こうとする椿先輩を紡が念動糸でがんじがらめにする。
なるほど、そういう関係か。
「そんなことより、護に何の用ですか。ただ話がしたいだけなら、放課後でいいでしょ」
おー、紡が丁寧語で喋ってるのがなんか新鮮だ。
大体誰に対しても塩対応だからな。
それよりも周囲からの視線が痛いから、とりあえず移動できるなら移動したい。椿先輩はいるだけで目立つ。それが悪目立ちしている俺と一緒にいたら、そりゃ視線も集まるだろう。
「あーそうだったそうだった。一応ちゃんと用件があって待ってたんだよね」
「それならそうと早く言ってください。というかなんで壁で待ってたんですか」
「見やすいから」
思考回路ぶっ飛びすぎだろ。
「それで、用件ってなんなんでしょう‥‥」
とにもかくにも、この場を離れたいんですけど。そろそろ視線で身体がズタズタになりそうだ。
椿先輩が俺を見てにんまりと笑った。
それが俺たちを地獄へといざなう閻魔の笑みだとはまるで気付かないまま、その一言を聞く。
「マモ君さ、私とミッション行こ」
学園最強からの招待状を前に、俺と紡は顔を見合わせた。




