ハナムギ同盟、結成
◇ ◇ ◇
最近護と一緒にいる時間が減っていた。
夕焼けに顔を赤くしながら、黒曜紡は学校を出た。
元々専攻練で忙しくはしていたが、今は休み時間や専攻練の後も図書室に通い詰めているようだった。
前に聞いたホムラという妖精について調べに行っているのだろう。
一緒に調べることも考えたが、それは断念した。別の女のために真剣な顔をする護を、どんな表情で見守ればいいか分からなかったからだ。
「はぁ――」
ため息を吐いても、胸がまるで軽くならない。
正解は分かっている。
本当に護のそばにいたいと思うのなら、自分から行かない限りは実現しない。彼には今何物よりも優先すべき目的がある。
待っていても来てくれないことは、この半年で嫌になるほど分かった。
――そもそも七年近く待たせておいて、別の女に夢中ってなに。
「はぁ、馬鹿みたい」
客観的に見れば、自分の方がおかしいのだ。小さな頃の約束なんて、玩具の指輪と同じだ。その時煌びやかな宝物に見えても、時間が過ぎると共に、それが玩具でしかなかったことを知る。
その玩具を大事に宝箱にしまっていた自分が馬鹿なのだ。
久しぶりに会う護が、もっと変わっていてくれたら、こんなに悩みはしなかったのに。
『俺はチーム戦も苦手だし、作戦を立てることもできない。それでも、紡の前に立ち続けることだけは、約束する』
適性試験の時の言葉をまた、宝箱にしまってしまった。
「本当、何やってるんだか」
家に帰って念動糸で刺繍をしよう。
魔法の訓練に没頭している間は、余計なことを忘れていられる。
「あの、すみません」
初め、それが自分に掛けられた声だと気付かなかった。
「黒曜紡さん、ですよね」
通り過ぎようとした脚を止めて振り返ると、そこには小柄な女子生徒が立っていた。
ふわふわした髪に、首にかけられたヘッドフォンが特徴的な子だ。どことなく兎を思わせる出で立ちは、孤高の狼である紡とは正反対。
――この子はたしか‥‥。
「何」
意図せず言葉が硬くなる。
護や村正とは普通に話せるが、まだ他の生徒たちと話すのは苦手だ。
女子生徒は頭を下げ、真剣な眼差しで紡を見た。
「改めて私、開発科の音無律花です。真堂護君の専属エンジニアです」
――知ってる。この間一緒に祝勝会をした時に話したから。
「‥‥」
「あの、少しだけお時間よろしいですか?」
か、可愛い。
アーチ形の眉に、真ん丸な目、小さくて厚めな唇と、男性が思わず守ってしまいたくなるような顔立ちをしている。
しかも小柄な身体は、自分よりも遥かに女性らしいラインを描いている。
「あの、黒曜さん?」
――しかも待って、専属エンジニア? 武機を作っただけじゃないの?
「黒曜さーん」
顔の前で手を振られ、紡は我に返った。
「護のエンジニアが私に何の用」
「あ、良かったです。無視されているのかと思っちゃいました」
「無視なんてしない」
ただ少し混乱しただけだ。
「良かったです。こんなところではなんですし、場所を変えてお話しませんか」
本来、紡が律花と話すようなことはない。
しかし彼女の瞳には焦りがあった。わざわざ護の専属エンジニアを名乗ったことからも、護関係の話だということくらいは察せられる。
「‥‥分かった」
紡は律花に連れられ、いつぞやの喫茶店に足を運んだ。
◇ ◇ ◇
「黒曜さんは真堂君と幼馴染なんですよね?」
頼んだ飲み物が届くのを待たず、律花が口火を切った。
その勢いに、紡は思わずのけぞる。
「そう、だけど。なんで知ってるの」
「そんなことはどうだっていいんです!」
「どうでもよくはないけど‥‥」
机をぺしぺしと叩きながら、律花は続けた。
「真堂君が大変なんです。でもこんな話を相談できる人もいなくて、紡さんならお話しできると思って」
「護が大変って」
出会ってからの様子を思い出す。
「ずっと大変そうだけど」
むしろ落ち着いて何かに取り組んでいる状態を見た覚えがない。たいてい専攻練で死んでいるし、何か始めたと思ったら開いた口がふさがらないようなことばかりである。
律花が首を横に振った。
「それはそうですけど、そうじゃなくて」
「どういうこと‥‥」
「星宮有朱さんです」
ダンッ、と銃で撃たれたような衝撃に紡はたじろいだ。
なんでここで星宮さんが――なんて言えない。気付きながら、見て見ぬふりをしていた事実を律花は突きつけてくる。
「最近星宮さんと真堂君の中が急激に深まったのを知っていますか?」
「さあ。ただの友達でしょ」
「今日もまだ学校で一緒にいますよ」
ダァアアン! と今度は落雷に打たれた気がした。
「なんで、そんなこと知って」
「それはもちろん盗ちょ――ではなく! よく二人でいるところを見るんです! 黒曜さんも心当たりがあるのでは?」
ある。
あえて気付かないようにしてきたが、思い返せば視界の端で捉えている護の周りに、チラチラと蜂蜜色の輝きがあった。
「ま、護が悪評だらけだから、気を遣ってくれてるんでしょ」
「それ、本気で言ってますか?」
「‥‥」
「星宮さんは賢い方です。自分が周りからどう見られているか、異性と不用意に関われば何が起きるか理解しています。これまで自分から特定の異性に関わることはなかったはずです」
「‥‥詳しいわね」
「‥‥噂が聞こえてきますから」
律花は別にゴシップが好きなわけではない。何もしていなくても、第六感クラスの聴覚によって、聞こえてしまうのである。
今はあえてその力をフル活用し、有朱周りの噂を集めている。他の生徒から見ても、最近の有朱は護との距離が近い。というより近づけようとしている節がある。
律花が有朱を警戒しているのは、もっと決定的な理由があるが、それは流石にここでは言えなかった。
未だ『黒鉄』に仕込まれたままのGPSと、もう一つの機器に触れなければならないからだ。
「これは大変な状況です。星宮さんは才色兼備でありながら性格もいい。そんな人が本格的にライバルになったら勝ち目が‥‥」
「待って。待って」
「なんですか? 黒曜さんも真剣に考えないと」
紡は額に手を当てた。
さっきからショート動画もびっくりのスピードで話が流れているが、そんなことよりも確認しなくてはいけないことがあった。
呼吸を整え、問いかける言葉を心の中で反芻する。
「あなたは、その、護のことが好きなの?」
「はい、好きです」
迷いなど微塵もない、即答。
「こちら、アイスコーヒーとフルーツオレになります」
カチャカチャと頼んでいたものが運ばれてきた。
その間に言葉の意味を理解し、問い直し、やっぱり間違いないことを確認してから、紡は悪あがきのように聞いた。
「それは、異性として?」
「もちろん、異性として」
全身から力が抜けるのを感じた。
ソファと一体になって、中身が溶け出していく気分だ。
護のことを、好きな女の子がいる。しかも、人間の女の子。
その可能性を考えないようにしていた。
護からホムラという妖精の話を聞いた時、大切な人が自分ではないという落胆と共に、どこか安心もしていた。
妖精なら、それは本当の恋じゃない。手の届かない星に憧れるようなものだから。いずれ身近な存在の大切さに気付くと思ったから。
そこに突如として現れた音無律花という存在は、紡のメンタルを砕くには十分すぎた。
「あー、それで、何?」
「あの、聞いてきたのは黒曜さんの方ですけど‥‥」
「だからー、あなたが護を好きだとして、星宮さんがライバルになるかもしれないって懸念は分かったけど、なんでそれを私に話したの」
運ばれてきたアイスコーヒーに口を付ける気にもならない。
そういえば初めて護とこの喫茶店に入った時は、ブラックコーヒーなんて引かれるかと思って紅茶を飲んだなぁと益体もないことを思い出した。
それに対して、フルーツオレって。そんなの喫茶店で頼もうとしたことないし、そもそもメニューにあることさえ初めて知った。狙いすぎじゃない、そのチョイスは。
そう思う反面、いざ律花の前にフルーツオレが置かれると、ぴったりマッチするから嫌になる。
律花はきょとんとした顔で紡を見ていた。
「何?」
「いえ。だって黒曜さんも真堂君が好きなんですよね?」
「はぁ⁉」
溶けていた身体が一気に沸騰し、ソファの上で一回ジャンプを決めた。
「なんで? なんでそういう話になってんの? 全然そういうんじゃないから」
「あの、それは流石に無理があると思いますけど‥‥」
律花は呆れたような目でフルーツオレを一口飲んだ。
両手でグラスを掴むな。上目遣いでこっちを見るな。いろいろと言いたいことを我慢して、紡は座り直した。
「違う。そんなことない。護と私はただの幼馴染だから」
「それならなんでずっと真堂君と一緒にいるんですか?」
「幼馴染だから」
「よく真堂君の周りに念動糸伸ばして女子生徒の警戒してますよね」
「してない。ただの魔法の訓練」
というか、何故そんなことまで知っているんだと紡は目を細める。
どうやらただのエンジニアというわけではなさそうだ。
律花はそこからか‥‥と言わんばかりのため息を吐いた。
「黒曜さん――いえ紡さん」
「なんで名前呼びしてんの?」
「まずは認めましょう。真堂君が好きですよね」
「幼馴染としてはね」
「真堂君が星宮さんと付き合ってしまってもいいんですか? このままだと、一緒にいられなくなってしまいますよ」
「‥‥別に」
平気だし、と言おうとして紡は口を噤んだ。
桜花戦で星宮有朱のために戦う護は、格好良かったけど、見ていて苦しかった。
あれが毎日目の前に突きつけられる。
耐えられる気がしない。
「強情ですね」
ストローをくわえながら律花が鼻を鳴らす。
「分かりました。それでは紡さんは真堂君に好意がないとしましょう」
「好意がないわけじゃないけど‥‥」
「面倒くさいので、そういう細かいのはいいです」
「あなた、さっきから大分失礼よね?」
どうしてあまり喋ったこともない人間にずけずけとそこまで言われなければならないのか。
そりゃたしかに、再会してから紡と護の仲は一切進展していない。どころか紡から何かアプローチをかけられたわけでもない。
なんならこの間ようやく放課後に遊びに行けて(村正同伴)、家のベッドでコロコロ喜んでいたくらいだ。
まさか目の前の相手が既に告白を済ませ、そこから鮮やかに転身、専属エンジニアの座にするりと収まっているとは思いもしない。
「それで、もう一回聞くけど、星宮さんの話を私にしてどうしたいの?」
「星宮さんは今ぐいぐい真堂君に近付いています。それを二人でブロックするんです」
律花は小さな身体を揺らしてブロックする素振りを見せたが、小学生にも押し負けそうだ。
「嫌なんだけど、そんな陰湿なやり方」
「完全に星宮さんと真堂君が話すのを妨害したら陰湿ですが、あくまで一緒にいるだけです。二人きりの状況を作らないことが大切だと思います」
「一人でやればいいでしょ」
紡がすげなく言うと、律花はしょんぼりとうつむいた。
「‥‥私一人だと、絶対に星宮さんには勝てません」
まあ、それはそうだなと紡は頷いた。
星宮は例えるなら獅子である。兎が勝てる相手ではない。
「私なら相手になるって?」
わざと意地悪な言い方をすると、律花は首を横に振った。
「いえ、お二人とも私では相手になりません」
それでも、と律花は拳を握った。
「諦めたくないんです。あんな真っ直ぐな人、二度と会えないと思うから」
『――待っててくれ。俺も中学生になったらつむちゃんと同じ場所に行く。そうしたら、また一緒に遊ぼう』
宝箱にしまっていた言葉が、律花の熱に当てられて飛び出してきた。
「たしかに、真っ直ぐかもね」
約束は忘れられてたけど。
「それに、星宮さんと紡さんでやり合ってくれれば、その隙にチャンスがあるじゃないですか!」
「あなた、いい性格してるわね」
「ありがとうございます!」
「誉めてないから」
そんなこんなで、二人の少女による『ハナムギ同盟』が結成されたのである。




