真実と覚悟
◇ ◇ ◇
怪物警報が解除され、桜花魔法学園に避難してきた人々も自分たちの家に帰っていった。
それを見送り、自分の仕事場に戻る。
怪物が出現すると、レッドライン外の人々も避難をする場合が多い。
実際怪物は高速で移動する個体も多いので、近場に怪物が出現したら避難するのは正しい。
桜花魔法学園はその性質上、避難先としての信頼度が高いため、こういう時は結構な人数が集まる。
基本的には行政の人間が対応に来るが、当然教員にも多くの仕事が割り振られる。
特に自分のような立場では、常に気を張り続けなければならない。
本当は見たいものがあったのだが、仕方のないことだ。
それにこれから余計帰れなくなるだろう。
今のうちに身体を休めよう。
そう思い、廊下を歩く。
「どこに行くんですか?」
呼び止められ振り返ると、軽薄な笑みを浮かべる男が立っていた。
雲仙雨霧。
「一度部屋に戻って書類の整理をしようかと」
「そうでしたか。てっきり連絡に行こうとしたのかと思いました」
「連絡、ですか?」
「ええ」
雨霧は頷く。
「煙霞君に細工をした件について」
沈黙で返した。
とぼけることも、弁明も出来た。
しかしこの男は鎌かけでこのようなことをする人間ではない。動き出したということは、明確な根拠がある。
既に自分が犯人であると確信をしてここにいる。
そして、それは事実である。
「流石に気付きませんでした。この学校の教員になるのって、相当厳しい審査があるでしょう。俺もあなたの経歴全部見直しましたけど、どこにもおかしな要素はなかったし、直近でも怪しい様子はなかった」
雨霧は心底残念そうに言った。
「なぜこんなことをしたんですか、雪柳先生」
桜花魔法学園『守衛科』の養護教諭、雪柳若葉。
雪柳は首を傾げた。
「むしろ聞きたいんですけど、どうして分かったんですか?」
「前にエディさんに攻撃を仕掛けた時、わずかながら干渉波を観測していたんです。今回はその小さな干渉波から、出所を探ったんです」
「へぇ、気付かなかったです。役所の観測器じゃ、絶対に感知できないレベルになっていたはずなんですけど」
雪柳の気の抜けた声に、雨霧はため息を吐いた。
「もう一度聞きます。何故こんなことを?」
「それを聞いてどうするんですか?」
「単純な好奇心ですよ。黒魔法師に与するというのなら分かります。そこに、優先すべきものがあるんでしょう」
「‥‥」
「しかし今回の件は違う。明確に人類の敵を選んだのはどうしてかと思ったんです」
妖精への攻撃、雲仙煙霞の細工。桜花魔法学園の評判を落とすことが目的かとも考えられたが、それにしては他の動きがなさすぎる。
雪柳は口元を手で押さえ、おかしそうに笑った。
「意外としょうもない理由ですね」
「答えてもらえますか?」
「別に特別な理由なんてありませんよ。女が信じられない行動をする時なんて決まっているじゃないですか」
雪柳の目が光を帯びた。
狂気に魅入られた者の目だ。
「大切な方のためですよ」
◇ ◇ ◇
それを聞いた瞬間、雨霧は駄目だなと即座に判断した。
陶酔に脳まで溶かされた人間の目をしている。
彼女は世界と大切な方を天秤に掛けた時、なんの迷いもなく世界を捨てる。
できれば大人しく捕まってほしかったが、そう簡単にはいかなさそうだ。
「残りの話はしかるべき場所で聞きましょう」
「雲仙家の天才、雲仙雨霧を相手にするのはご遠慮したいですね」
「安心してください、相手をするつもりはありませんから」
雨霧がそう言った瞬間、ばたんと雪柳がその場に倒れた。
「ッ――!」
雪柳は起き上がろうとするが、全身が鉛のように重く動けない。
雨霧による攻撃だ。
いつ魔法を発動したのかさえ悟られず、気付いた時には起き上がることさえできない。
「魔法の発動ならやめた方がいい。その瞬間に五体満足は保証できなくなる」
淡々と伝える言葉は、全て事実だ。
経歴を見る限り、彼女に抵抗できるような魔法はないはずだが、あの雲仙煙霞を出し抜くだけの力は持っている。
雨霧は一切油断をしなかった。だからこそ彼が選ばれたとも言える。
「‥‥一つだけ、聞いてもいいですか」
苦しそうな声で雪柳が言った。
「なんですか?」
「私の動きに気付いたのなら、煙霞君がどうなったのか、知っているはずですよね? どうして彼を助けようとしなかったんですか?」
「‥‥」
雨霧は答えに窮した。
雪柳の言っていることは事実だ。たしかに煙霞が何か攻撃を受けたことに、学校側は気付いていた。
その上で、その後の行動を監視するにとどめた。
雨霧は詳しい理由を知らない。知らされていない。
それでも想像はつく。なら、あとは自分を納得させる他ない。
何故ならその決定は、自分よりもはるか上位存在が決めたことなのだから。
「さあ、分かりません」
「嘘つきですね」
雨霧は魔法を発動し、雪柳は笑顔のまま意識を失った。
あとは専門の引き取り業者が来るまで、ここで待機していればいい。
雲仙煙霞がどうなったのか、情報が入ってくるのは全てが終わった後だろう。
特別悲しみはない。
ただ少しだけ、そう少しだけ。
「残念、でしたね」
生まれた瞬間からがんじがらめになっている鎖を外そうともがき、傷つきながら、苦しんでいた。その状態で彼がどんな人生を辿るのだろうと楽しみにしていた。
自分と同じ道に進むのか、あるいは自分では気付けなかった未来を開拓するのか。
結局、重さに耐えきれず沈んだところを、引きずり込まれてしまった。
雨霧は軽く目を伏せた。
雲仙煙霞が亡くなったことを聞くのは、雪柳を引き渡した後のことだった。
◇ ◇ ◇
雲仙先輩は自主退学という体で学校からいなくなった。
「なんだか釈然としない終わり方ね」
学校近くの喫茶店で、星宮は凛とした姿勢のまま不満を口にした。
机の上に置かれたティーカップがあまりにも似合い過ぎている。
「‥‥仕方ないんじゃないか。まさか人間が怪物になったなんて言えないし、亡くなったことを公開すれば、世間の注目が集まる」
ただでさえ先輩は桜花戦で周囲の注目を集めていた。
そんな人間が俺と戦った後に亡くなったとなれば、メディアはこぞって情報を集めようとするだろう。
そうなれば不都合な真実が明るみに出る。
「私も怪物化について公開すべきとは思わないわ。けれどこんな幕引きは、雲仙先輩があまりに‥‥不憫だわ」
「‥‥そうだな」
生徒たちから見れば、雲仙先輩は後輩に負けたせいで面目が潰れ、学校を退学したことになる。
ある意味じゃ自然な流れだ。誰もそこに違和感は抱かないだろう。
紅茶で唇を濡らしながら、星宮の言葉は止まらない。
「それに、真堂君もあらぬ誤解をされるわ」
「それは仕方ないだろ」
「仕方なくない」
俺の言葉は即座に斬り捨てられた。俺の話だよね。
あの戦いの後、俺と星宮は守衛魔法師に保護され、長時間の取り調べを受けた。
なんだかすごいお偉いさんも出てきたが、正直疲れすぎててあまり覚えていない。
人間が怪物になったこと、最後に現れた異形の者。
話すべきことはいくらでもあった。
レオールについて何か分かるかと思ったけど、結局収穫はなかったな。
それからも星宮の愚痴は続き、話が変わったのは紅茶のおかわりが届いてからだった。
「それじゃあ、約束通り聞かせてもらえるかしら」
「あの、本当に話すのか?」
ホムラと火焔の話は紡以外にしていない。
レオールのこともある。伝えることが星宮の負担になるんじゃないか。
そう思って星宮の方を見ると、あからさまに不機嫌な顔になっていた。
星宮さん、頬膨らんでますよ。
「約束」
「はい」
「約束したわよね」
「はい」
「話して」
「はい‥‥」
怖い。不機嫌な感じはちょっと可愛いけど、声の圧がナイフのように突き刺さってくる。
そういえば、紡にホムラの話をしたのもこの喫茶店だった。
ホムラは自分のことを人に話されるのがあまり好きじゃなかった。茶髪みたいに、興味本位で寄ってくる人間もいた。
今俺が星宮に話したら、ホムラはなんと言うだろうか。
『護に女友達が⁉ 騙されてますよ、それ』
――言いそう。
過去を言葉にすることは、追体験に等しい。強く焼き付いている思い出ほど、鮮明によみがえる。
残念なことに、俺が最も鮮明に思い出せるのは、楽しい思い出じゃない。
だから覚悟を決めて、口を開いた。
『今度は私があなたの味方をする』
そう言ってくれた星宮の覚悟に応えるために。




