乱入者たち
◇ ◇ ◇
高坂の戦いは絶望的だった。
戦えない新人を背負い、応援が来るまでの間耐えなければならない。
そもそもランク2なんて一人で戦う敵じゃない。
しかもただのランク2ではない、異常個体だ。
一分と経たず物言わぬ肉塊になっていてもおかしくない。その状況で、高坂はまだ生きていた。
「‥‥」
信じられない。
抜いた武機を手に、高坂は呆然と立っていた。
最悪だと思っていたランク2が二体。
彼らはバラバラに解体されて転がっていた。翼も、尾もゴミのように打ち捨てられ、砕けた外殻が辺りに散らばっている。
「ふーん、消えないってことは、やっぱり特別な怪物なんだねー」
そしてその中央で、一人の少女が気の抜けた声で喋っていた。
銀に染めた髪、改造されているのかやけに露出の多い服、キラキラ輝くいくつものピアス。
どこかの繁華街から迷い込んできた不良少女のような見た目だが、その制服は見覚えがあった。
桜花魔法学園のものだ。
「あ、そっちの人死んじゃうから早く病院連れてった方がいいですよ」
振り返った顔は、一度見れば忘れない。
見た者の記憶に鮮烈に焼き付く存在感。圧倒的な個としての強さ。
世界改革が産んだ麒麟児。
学生ながら特例でA級守衛魔法師としての資格を得たこの少女を、知らないはずがない。
桜花序列第一位 日向椿
入学以来、最強の座に君臨する少女。
「もう一個揉めてそうな気配あったけど、なくなったなー」
椿はそう独り言を呟くと、武機を収納する。
まるで棺桶のような身長ほどもある黒のアタッシュケースだ。
そしてそれに飛び乗ると、ふわりと浮かんだ。
「ごめんなさい。先輩たちが来ると私怒られる気がするんで、もう行きますね」
「あ、ああ。あの、ありがとう」
「いいですよー。来るのが遅くなってすみませんでした」
律儀にお辞儀をすると、椿はそのままアタッシュケースをスケボーがわりに、空に浮かび上がった。
『フロート』のように風の噴射で飛ぶ魔法は見たことがあるが椿のそれは明らか違う。
高坂は考えるのをやめ、倒れた中津を担ぎ上げる。いつの間にかその頭は包帯で止血されていた。
新人の村杉は腰を抜かしているし、これも椿がやったのだろう。
まさしく次元が違う。
「死ぬなよ」
とにかく今は仲間の命を救うのが最優先である。
異常な怪物も椿のことも頭の外に追いやり、高坂は歩き出した。
◇ ◇ ◇
「はぁっ、はっ──」
息ができない。
呼吸をしているのに酸素が回らない。
吸った分が全て燃えてるようだ。
雲仙先輩の角を叩き折ったところまでは覚えているが、その後はてんで分からなくなった。
今は空を見上げて呼吸をすることしか出来ない状態だ。
やばい、明らかなオーバーヒートだ。
炎駆に十煉振槍。
『火焔』の発動をやめても、身体が焼け続けている。
「はっ、っ」
これは、本格的にまずいかもしれない。
そう思った瞬間、冷たい風が吹いた。
全身を冷気が包み込み、肺の中にも流れ込んでくる。
徐々に身体がクールダウンし、呼吸も落ち着いてきた。
「大丈夫かしら?」
「あ、ああ。ありがとう」
この冷気は星宮がやってくれたのか。ありがたい。危うく戦いが終わった後に死ぬところだった。
それでもまだ身体は動かせそうになかった。
だめだ、こんなんで動けなくなるようじゃ、鬼灯先生に殺される。
先のことを考えてうんうん唸っていると、頭が勝手に持ち上がった。
「星宮、どうし──」
頭が柔らかい感触に包まれた。
すぐ上に星宮の顔と、その下にある膨らみが目に入った。
──え?
「ほし、ほほほ、星宮さん⁉︎ 何をしてるんですか⁉︎」
「何って、膝枕だけれど」
「なぜ⁉︎」
なぜ⁉︎
どうやら星宮が正座をして、俺の頭を乗せてくれているらしい。
子供の頃以来の感触に、喜びよりも驚きと緊張が勝つ。
彼女どころか女友達もいない俺には刺激が強すぎる。姉と妹? あれは女性というカテゴリにいないのでノーカンで。
「痙攣も起きているようだったから、頭を打ったら危ないでしょう」
「だったらバッグかなんか入れてもらえれば‥‥」
「行儀が悪いわ」
そうなの? 膝枕とバッグのどっちが行儀が悪いのか俺には分からない。明らかに育ちの良い星宮がそう言うってことはそうなのか。
ふぅ、落ち着け。
キーホルダーの時と同じだ。星宮レベルの人気者になると、膝枕程度で騒いだりはしないということだろう。
俺も見習わなければ。ここでうだうだ言ったら女性経験のない芋くさい男に見えてしまうからな。事実だけど。
それにしても‥‥でっかいなぁ。顔半分くらい見えないもん。
ホムラが同じことをしても、とっても景色がいいんだろうなぁ。このギャップを膝枕ディスパーティーと名付けよう。
「雲仙先輩、どうなった?」
「動かないわね。息はしているから、死んではいないみたいだけど」
「‥‥人に、戻ったのか?」
問うと、星宮の表情が曇った。
それだけで答えは分かってしまった。
「外殻も、ランク2の刻印もそのままよ」
「そっか。それでも星宮の読みは当たりだったな」
もし雲仙先輩が喋れる状態まで回復してくれれば、聞きたいことが山ほどある。
レオールへの手がかりだ。
「守衛魔法師への連絡もしているから、すぐに来てくれると思うわ」
さすが星宮、仕事が早い。
じゃあしばらくは休憩してても大丈夫か。こんな星宮有朱の膝枕なんて、人生で二度とないミラクルイベントである。
力を抜いて星宮の顔を見る。
気が抜けたのだろう。普段よりも表情が柔らかく、どことなく幼く見えた。
──あれ、なんか不思議だな。その顔、見覚えがある。
こんな星宮の表情、見たことあるはずがないのに。
その理由を探ろうと目を凝らすと、星宮が顔を上げた。
「どうした?」
「いえ、何か嫌な空気を感じて」
「嫌な空気?」
「ちょっと待って真堂君」
俺の頭が地面にカムバックされ、星宮は立ち上がった。ミラクルは長く続かないものである。
それにしても嫌な空気ってなんだ。
なんとか上半身を起こし、俺も星宮と同じように雲仙先輩を見た。
倒れた先輩が変わらずそこにいる。
そう、何も変わらず──。
「おお我が同胞よ、解放の戦士よ。嘆く必要はない。悲しむ必要はない。その魂は母の再誕と共に、救われる」
何かがいた。
異常な事態に、俺も星宮も動けなかった。
混乱して何をすべきか選べなかったのではない。
恐怖に、固まったのだ。
これまでの戦いでも恐怖はあった。身がすくみ、筋肉が硬直する。
しかし今回のこれは違う。
まるで石化でもしたかのように、指先どころか、呼吸さえも止まっていた。
動いたら、殺される。
そういう気配があった。圧とも違う。強いて言うのであれば、足元に突如として毒の沼が広がったような、そんな感覚だ。
何かは襤褸切で頭から足元までをすっぽり覆い隠していて、どんな姿形をしているのかは分からない。
ただ、でかい。
あからさまに人間のサイズを超えている。
怪物なのか? だとしたら干渉波はどうなっている。
俺たちの困惑を他所に、それは跪き、雲仙先輩へと身体を近づけた。
駄目だ。
何が起ころうとしているのかは分からない。
それでも駄目だ。
動け。魔法を発動しろ。
「さらば」
言葉と共に、雲仙先輩に刻まれた『2』の刻印が青い炎を発した。
それは瞬く間に広がり、雲仙先輩の体を覆い尽くす。
雲仙煙霞だったものが塵になるのに、数秒とかからなかった。
彼がいたという証拠は、人型に黒く焼けついた路面だけだ。
「──」
何かがこちらを向いた。
不思議なことに、正面を向いても何も見えない。
襤褸切と黒い影以外、何も見えないのだ。
何かは無言で佇んでいる。
影しか見えなくても、その視線が俺を見ているのは確かだった。
どれほどの時間が経っただろうか。酸欠で目が霞み、指先が震え出す。
「おいたわしい」
何かはただそれだけを言った。
悲しみに満ちた声だった。たった今雲仙先輩を焼き尽くしたとは思えない、心に染み入る声だった。
おいたわしい? 何がだ? 俺に向けて言ったんだよな?
「っはぁ!」
「はぁ、はぁ」
何かはいなくなっていた。
夢から覚めたような現実感への回帰に、頭がくらくらする。
「なんだったんだ、今の」
「怪物‥‥ではなかったわよね」
「いやそれすら分からなかったぞ。ランクの刻印は見えなかったけど」
二人で深呼吸をしながら会話を交わす。
そうして距離感を探っていると、星宮が核心に触れた。
「あれ、あなたに、その──何か言っていなかった?」
「‥‥分からない」
俺に言われたのかも、言葉の意味も。
怪物に刻まれたランクの数字。
位階によって変化する瞳の数字。
ホムラという異質な妖精。
『人型怪物』。
「違うっ! 俺は──」
言葉は最後まで続かなかった。
星宮が俺を抱きしめていた。
痛いほどに、力が込められる。
「大丈夫。大丈夫だから」
頭を撫でられた。
星宮の体温と鼓動を感じているだけで、不思議と不安だった心が凪いでいく。
「あなたが背負っているものは分からない。それでも、あなたがどんな人なのかは分かるつもりよ」
「星宮‥‥」
「あなたが私の味方をしてくれたように、今度は私があなたの味方をする」
すっと離れた星宮が真っ直ぐに俺の目を見た。
「だから教えて欲しいの。真堂くんが大切にしてきたものを」
キラキラ輝く瞳を前に、俺はただ頷くしかできなかった。




