動き出す者たち
◇ ◇ ◇
実況、解説の席はそれまでの興奮から打って変わり、静まり返っていた。
試合は既に終わり、画面は白い光に包まれている。
誰もが、今の数秒で起きた出来事を理解しようとしていた。
『け、決着、ですね‥‥』
『はい。紛れもない決着です』
『な、何が起きたんでしょう。私には雲仙選手が押しているように見えていたのですが‥‥』
『実際煙霞君が押していましたよ。あのまま行けば、煙霞君が削り切って勝利していたと思います』
雲仙雨霧は努めて淡々とした口調で言った。
未だにさっきの光景が脳裏に焼き付いている。
瞳が『×』へと変化した瞬間、人が変わった。
文字通り、魔力の質も、身体能力も、別人へと変貌したのだ。
煙霞はそれに気付かなかったのか、あるいは見て見ぬふりをしたのか。あの時点で勝敗は決していた。
だからその後の展開に驚きはなかった。
親族でありながら、煙霞に対して同情の気持ちは一切なかった。
喧嘩を売る相手を間違えた。ただそれだけの話だ。
──でも、煙霞君のおかげで面白いものが見れた。
雨霧がこれまで見てきたどんな魔法とも違う異質な力。
そしてそれをとてつもない速度で錬磨する真堂護。
できることならもっと近くで見たいものだが、実際にはそうはいかない。
『宣言はしなくていいんですか?』
『は! はい、そうですね』
白瀬は我に返ったように息を吸い込み、叫んだ。
『桜花序列戦、真堂チーム対雲仙チーム、勝者は──』
『真堂護──────‼︎』
その言葉を聞きながら、雨霧は耳に手を当てた。それは白瀬の言葉がうるさかったわけではない。
指令が下ったのだ。
◇ ◇ ◇
桜花序列戦一週目は、興奮の渦に吸い込まれるようにして終わった。
二年生でも屈指の実力者であり、御三家の雲仙煙霞が、一年生に敗北した。
剣崎王人のような、初めから実力の分かり切っている者に負けたのではない。
今年の四月から魔法を学び始めた外部生に敗北したのだ。
しかも三対一という圧倒的有利な状況でありながら、真正面から叩き潰された。
言い訳の余地が少しもない。
完全敗北の四文字が校内で飛び交うのは当然だった。
そんな状況だから、煙霞もすぐには動けなかった。
「‥‥‥‥」
あるいは動こうという気力もなかった。
怒りも悲しみのない。ただ虚無だけが広がっていった。
どの場面を思い出しても、敗北の理由はたった一つ、実力だ。
三対一だった有利など関係ない。
一対一でも勝てると踏んでいた。
そしてその戦いにおいて、煙霞は護を圧倒していた。ミスはなく、己の全力を出し切って叩き潰さんとした。
その結果がこの様だ。
自分がこれまで積み重ねてきた何もかもが崩れていく。
圧倒的な才能を前に、自分が努力だと信じてきたものの何と薄っぺらく、軽いものか。
その時、後ろに誰かが立つ気配がした。
それでも煙霞は振り返らなかった。
そこにいるのが誰かは分かっている。自分が目覚めてから数分と経たずに現れ、ずっとここにいるのだから。
早いところ消えてくれ。
それをそのまま言葉にしようとした時、
「──」
「ッ⁉︎」
煙霞は弾かれたように距離を取った。
狭い部屋の中で、目と目が合う。
その瞬間、理解した。
目の前にいるのがどういう存在で、今何が起きようとしているのか。
「まさ、か――」
エナジーメイルを発動しながら、煙霞は構えた。桜花戦のために手元に武機を持っているのが幸いした。
狭い部屋の中だが、構わず煙霞は槍を構えた。
「正気か」
――解放しろ。
ただ一言だけが聞こえた。
煙霞が覚えているのはそこまでだった。
短剣ともナイフとも呼ぶに相応しくない、長方形の刃。銀色のそれが煙霞の首筋に突き刺さる。
世界が塗り替わる。
現実が夢想に浸食される。
――ふざけるな。こんなことのために今までやってきたわけじゃない。
目を血走らせ、全身に血管を浮き上がらせながら煙霞は抗う。
「ふー、ふー‥‥!」
自分の人生を振り返れば、とても真っ当とはいえないものだ。生まれながらに期待されない将来、磨き上げようと理想に届かない実力。
いつからか、目的のためならば他者を蹴落とすことに罪悪感を抱くことも無くなった。
悔しい。憎い。才ある者が、恵まれた立場の人間が。歪まず真っ直ぐに前を向く連中が。
ただ幸運だっただけだ。俺と同じ立場になれば、同じように歪んだはずなのだ。
槍を地面に突き立て、よだれを垂らしながら思う。
それでも煙霞は守衛魔法師に縋った。
自分を悪辣で下劣な人間だと自認しながら、人を救う職に憧れた。
あるいは、それが大義名分であったのかもしれない。
正義の人間になるためならば、過程は問われないと、勝手に信じていたのかもしれない。
今まで積み重ねてきた負の感情が、この瞬間天秤に掛けられた。
「ぐっ‥‥ぅぅがぁああああああ‼」
なんと、なんと理性の軽いことか。
あるいは見過ごしてきた罪過の重きことか。
薄靄に塗りつぶされる視界の中で、蜂蜜色の髪が見えた。
――ああ。
思い出す。思い出してしまう。
地元で敗れに敗れ、少しばかりの野心と、諦めをもって上京したあの日。
『試験の方ですか? 頑張ってください』
煙霞は輝きを見た。
ボランティアで案内人をしていた星宮有朱が、眩しい笑顔を向けてくれていた。
二度と見ることの叶わないその笑顔に、煙霞は囚われたのだ。
何故自分はこうなのだろうか。
もっと別の関わり方が出来ていれば、結末は違ったのかもしれない。
そんなことを悔やんだところで、現実は変わらない。
「ぁぁああああああああああ‼‼」
甘い夢を叩き潰すように、天秤が一気に傾いた。
◇ ◇ ◇
護と煙霞の戦いが終わり、街並みが黒く染まる頃、それを待ちわびる者たちがいた。
地面に刻まれる影より黒い幾何学模様。光は拡散し、収束し、形を作る。
「――さァ、行くゾ。創造主の御言葉のままニ」
「楽しみだナ。きっとたくさん来る、正義面した連中ガ。鏖殺ダ。惨殺ダ。楽しい、楽しい駆除の時間ダ」
二人は黒き光を纏いながら、唸るような笑い声を上げた。
片方が両腕を広げた瞬間、それは空を覆う四対の翼となる。
片方が遠吠えを上げると同時、巨刃が地面を削った。
それぞれに刻まれた『2』の青い光が揺らめく。
響き渡る怪物警報の喝采を浴びながら、二人は地面を蹴った。
目的はただ一つ。
人間と守衛魔法師の殺戮である。




