煙霞戦 四
◇ ◇ ◇
真堂護の両眼が『×』へと変貌した。
これが人型怪物と呼ばれる所以。
――本当に変わるんだな。
噂には聞いていたが、ここまで明確な変化があるとは思わなかった。
しかし煙霞の興味を大きく引いたのは、そこではなかった。
炎が引いていく。
真堂護の周囲で荒れ狂っていた炎が、身体の中に吸い込まれていったのだ。
おそらく『火焔』は敵の魔力を奪い、それを燃料として燃える魔法だ。
八知と近郷を倒してから明確に炎が大きくなり、制御に苦労しているように見えた。
その炎が完全に消え去り、後に残された護が深くゆっくりと呼吸をしていた。
――『×』へ変わったことで、何が起きる?
操作できる炎の量が増えるのか、あるいは花剣のような武器を作り出せるようになるのか。
静かな不気味さは感じるものの、煙霞はそれを強靭な精神力でねじ伏せた。
この煙の中では煙霞が圧倒的に有利だ。
どうやら護は目がいいようだが、ここでは何の意味もないどころか、不利にすら働く。
煙霞が己の戦術を明かしたのには、その真実を隠すためだ。
煙を追い風として加速できるのは本当。同様に護の動きを阻害することも本当だ。
だが、こと対人戦において、最も重要な力はそこではない。
煙の流れによる攪乱こそが、『スモークロウ』の真骨頂。
人の目はどうしても動きを追う。そして目がいい者ほど、その動きから煙霞の動きを予測してしまう。
護は気付いていないが、その予測とのズレに判断がワンテンポ遅れているのだ。
何をしてくるか分からないから、次の一手で殺す。
護が『スモークロウ』に適応する暇もなく、一撃で決着を着ける。
煙霞は静かに、素早く煙に乗った。
そして護の周囲を回りながら滑らかに加速する。
『エナジーメイル』と『スモークロウ』の重ね技により、その速度は八知の矢をも超えた。
それ程の速度で動きながら、同時に攪乱の煙も動かす。
――そのムカつく目ごと、顔面ぶち抜く。
最後の一歩は、雷鳴のごとく重く轟いた。
ただの攻撃ではない。煙霞はこの瞬間、身体の動作を完全に『エナジーメイル』に託した。
基本的にエナジーメイルは身体の動きを補助する魔法だ。そのエナジーメイルで身体を動かすというのは、無意識で動かしている肉体の全てを、思考で操作するということに他ならない。
だから煙霞は、踏み込みからの刺突という一連のアクションだけを、徹底して鍛え上げ、自動化した。
まるでコントローラ―でキャラクターを操作するように、煙霞は人間の限界を突破する。
『パイルストライク』。
槍は爆発的な推進力を得て、右斜め後ろから護の顔へと刺突を放った。
煙霞が雲仙家を超えるために積み重ねてきた最強の一撃だ。戦ったことがないだけで、ランク2の外殻すら貫けるだろう。
避けることは不可能。
「――死ね」
赤い光が爆ぜた。
それは護の頭が弾けたわけではない。
ただ、槍の穂先が炎の残滓を揺らめかせていた。
「ッ――⁉」
煙霞は反射的に後ろを振り返った。
自分でもなぜそうしたのか分からなかった。
そこにいるはずがない。いていいはずがない。
だから、振り返ったのだ。
「速さで負けるとは思いませんでしたか?」
あり得ないことが起きていた。
最高速度で繰り出した閃光の一撃は空を切り、貫かれるはずだった真堂護が後ろに立っていた。
何らかの魔法による移動。
その甘い希望を煙霞は否定する。
護は『火焔』しか使っていない。いくら攻撃に集中していたとはいえ、魔法の発動を見落とすはずがなかった。
数秒考え、結論を出した。
「速さ? さっきみたいに炎吹かして加速したんだろ。タイミングが合ったのは認めるけど、速さで俺に勝ったわけじゃない」
そう、今の回避はタイミングが良かっただけだ。
新幹線の景色が高速で吹き飛ぶように、煙霞が速度に乗っていた分、護の動きを見落とした。
なら話は簡単だ。
「今度は串刺しにしてやるよ」
再び煙の中に紛れ、煙霞は走り始めた。
今度はより集中する。全ての魔力を絞り上げ、全身全霊をもった一撃を叩き込む。
後先など考えない。
幸運に恵まれただけのこの男に、現実を知らしめてやるのだ。
深く沈み込んだ状態から、『パイルストライク』を発動。大地を揺らす踏み込みは煙霞の身体を弾丸に変えた。
護の背へと伸びる槍は音速を超え、衝撃波を生み出しながら突き進む。
「――シィ‼」
勝利を確信した瞬間、煙霞は再び赤い光を見た。
目にそれが焼き付いた瞬間、視界が吹っ飛んだ。
ゴッ‼
遅れて頭の中で鈍い音が炸裂し、目の奥で星が散る。
殴られた。
それを理解したのは、空中に投げ出された時だった。
パイルストライクに合わせ、下から顎を殴り飛ばされたのだ。
その事実を噛み砕く暇もなく、煙霞は地面に叩きつけられる。エナジーメイルの発動が続いていたことだけが救いだった。
そうでなければ、もはや立ち上がることも出来なかっただろう。
頭が揺れ、顎が熱い。
まだ槍が手の中にあることを確認し、煙霞は顔を上げた。
「ぉ、ま――」
顎が砕けたせいで、うまく喋れなかった。
お前、なんだ今のは。
何が起きた。
どうやって俺の最速を破った。
×の目が、煙霞を見下ろしていた。
「ここ最近、エナジーメイルの性能の高さってやつを目の当たりにしたんです。俺はもっと根本的に変わらなきゃいけない」
そこで気付いた。
護の首筋や手首、槍で斬り裂かれた部分が、赤く染まっている。それは傷によるエフェクトではない。身体の内側で燃える炎が透けているのだ。
まるで、火焔の刻印。
「魔法で身体を動かす。基礎の基礎として教わってきましたけど、ようやくそれが理解できた気がします」
位階×になったことで得られたスキル、『象炎』は炎に意味を与える力だ。
護は全身の筋肉を、象炎で燃やしたのである。
筋肉を直接魔法で強化する荒業。
今護の体内では、圧縮され、形を与えられた炎が伸縮を繰り返している。
煙霞は長い時間を鍛錬に費やし、ようやく『パイルストライク』を習得したのだ。
それをこの男は、たった数か月で、より高いレベルで完成させた。
――ふざけるな。
――そんなことが許されてたまるか。
――偶然、偶然強力な魔法を手に入れただけのくせに。
「ふっざけんなぁあああああ‼」
それはもはや得体の知れない力だった。腹の底から湧き上がる怒りとも憎しみともつかない何かが魔力となり、煙霞を突き動かした。
パイルストライクどころか、技術の技の字もない破れかぶれな攻撃。力任せであっても、怪物の外殻を砕かん威力を秘めた一撃は、放たれることさえなかった。
「──」
槍を持ち上げた瞬間、目前に護が踏み込んでいた。
赤い刻印を纏った黒鉄が、矢のように引き絞られている。
「位階×――『炎駆』」
顔面に叩きつけられた拳は、熱かった。
鍛え上げられたエナジーメイルはあっけなく砕け、煙霞の頭は後ろに吹っ飛んだ。
その日、桜花序列が大きく動いた。たった一人の男によって、二年生たちの牙城は崩れ、虚栄心とプライドは雪崩を起こす。
桜花序列戦
真堂護 対 雲仙煙霞
近郷拳正
笹川八知
勝者 真堂護 第二十五位
少し期間が空いてしまい申し訳ありませんでした。
夏休み特別企画 毎日更新(目標)頑張ります




