ライン
◇ ◇ ◇
昨日のカラオケで村正の勝負に乗ったのは間違いだった。
あいつはチャラい。チャラいが故に、ああいう女子受けのするものは妙にスキルが高いのだ。流行のラブソングで余裕の九十点台。
紡は俺と同じ側だろうと藁をもすがる思いで聞いてみれば、綺麗なハイトーンボイスで名曲を歌いあげてみせた。得点は当然のごとく九十点オーバー。
そして俺。カラオケの採点機能が配慮に配慮を重ねた七十五点。その空気を読む機能が逆に人を傷つけるのだとプログラマーは知った方がいい。
そして今、罰ゲームとして食堂の購買までデザートのお使いに来ているのである。
村正はシュークリーム、紡は無糖の紅茶だ。
自分じゃ歌の上手い下手が分からないって、本当だったんだな‥‥。風呂で歌う分には上手く歌えてたと思うのに‥‥。
というかあの二人はどこで練習したんだよ。
そんなことを考えながら購買に入ると、そこで初めて異様な空気に気付いた。
――何だ?
皆それぞれ喋っているのに、何かに配慮している。そういう静かな喧騒の中心に居たのは、何人かの男女だった。
その内の一人が星宮なことには、目立つ髪色ですぐに分かった。
隣にいるのは同級生だろう、やけに色っぽい女子が立っている。
そしてそんな二人に話しかけている優男風の男子生徒。あれは先輩か? 見たことのない顔だ。
いやそんなことより、星宮はなんであんな顔をしているんだ。
冷たい顔だった。
金属の仮面を被ったような、触れたら思わず手を引っ込めてしまいそうな冷たさ。
星宮があんな顔をしているのは見たことがない。王人に負けそうになっていた時も、黒鬼と戦った時も、俺を心配してくれた時も、そこにはいつも熱があった。
彼女はあんな顔はしない。
星宮有朱にあんな顔をさせてはいけない。だって、そう昔――。
「星宮! 先生呼んでるぞ!」
状況も理解できていないのに、声を掛けてしまった。
瞬間、有朱たちを取り囲んでいた先輩たちが一斉に俺の方を向いた。
うぉ。
知らないたくさんの顔に見つめられると、流石に圧が凄い。とてつもなく悪いことをしてしまった気分になる。
しかしその向こうで俺を見る星宮の目が、いつものそれに戻っているのが見えた。
なら間違いじゃなかった。
星宮と友達らしい女子がこちらに歩いてくる。
その時、嫌な視線を感じた。目玉を舐められるような粘つく感触に、強制的にそちらを向かされる。
「‥‥」
優男風の先輩が、目を弓のように細めて俺を見ていた。
なんだあれは?
今まで嫌な視線というものは嫌になるほど浴びせられてきた。だからそういうものには慣れているつもりだった。
奴らの悪意は浅い。自分より下の人間を虐げたい。気持ちよくなりたい。仲間意識を高めたい。自分から手を伸ばせば簡単に底をさらえてしまう程だ。
しかしこいつは違う。濁った瞳の奥で渦巻く悪意は、触れることも躊躇われる。
「真堂君、行きましょう」
「あ、ああ」
俺は星宮に手を引かれ、食堂を出た。後ろにあの視線をずっと感じながら。
俺たちは食堂から中庭へと場所を移した。
まだ残暑の厳しい季節だから、わざわざ中庭に出る人は少ない。燦燦と降り注ぐ日差しがあまりにも眩しくて、手で影を作った。
「『フリーズブレス』」
星宮が光のアイコンを砕き、魔法を発動した。途端に俺たちの周囲に涼しい風が渦を巻き、一気に気温が下がる。
「ありがと~」
「ありがとう」
「どういたしまして」
フリーズブレスって、指先から冷たい風を出す魔法じゃなかったっけ。こんな循環させられるものなのか。
俺たちは冷たい空気に守られながら木陰のベンチに座った。
なぜか真ん中に俺で、左右に星宮と女子生徒が座る。
紡や村正と一緒にご飯を食べるようになってから、わざわざ出ることもなかったが、少し前まではここが俺の定位置だった。
妙に落ち着く。
すると星宮が改まった顔で俺を見た。
「ありがとう真堂君。正直とっても助かったわ」
ああ、やっぱり嘘だってのはバレてたのか。
「そうか、邪魔したら申し訳なかったなあと思ったんだが」
「あいつが一番の邪魔者だから平気平気」
お友達さんがひらひらと手を振りながら言った。
というかこの人同級生だよな? 本当に? チョコレート色の肌といい、つやのある大きなたれ目といい、とても同じ年齢とは思えない色香を纏っている。
何よりも特筆すべきは胸だ。正直同級生の胸についてあれやこれや考えを巡らせるなんてゲスの極みだと思うが、それでも考えずにはいられない。もはや暴力だ。
サーティワンのアイスを食べたことがあるだろうが。あれのトリプルの迫力は凄まじく、初めて目にした時はその威容に圧倒されて口を近づけることも出来なかった。
まさしくそれと同じ迫力。
だが女性は自分の胸元に寄せられる視線に敏感だ。これは姉も妹も口を揃えて言っていたから事実なんだろう。男も髪の生え際に対する視線には敏感だというしね。
「あの、君は‥‥」
「ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私は龍ヶ崎綾芽。B組よ」
「俺は真堂護だ。よろしく」
「知っているわ、有名だもの」
マジ? と思ったけど悪名ですよね。不適合者やら卑怯者やら、人型怪物やら。悪口のバーゲンセールじゃん。
「そんな顔しなくても、嫌な噂じゃないわ。有朱がよく教えてくれるから」
「綾芽!」
「本当のことじゃない」
そこまで言うと、龍ヶ崎さんは小悪魔めいた笑みを浮かべた。
「適性試験の時なんて、しばらくは君の話題しか出なかったんだから。聞かせてあげたかったわ~」
「綾芽‼」
星宮が手を伸ばして龍ヶ崎さんの口を押さえようとし、くんずほぐれつする。
そ、そうなのか。それはなんというか、照れるな。
「ずっと話してみたかったのよね。私、強い人って大好きだから」
「だい――⁉」
龍ヶ崎さんがすっと身体を寄せてきて、声が上ずる。冷たい風の中でたしかな熱をもった柔らかい何かが押し付けられて、頭の中がショートする。
落ち着け。ホムラを思い出せ。あのうっすい胸なんだか胸板なんだか分からない身体。夏を地獄と化すバカ高体温。目に焼き付く暑苦しい炎の髪。
――ふぅ、心頭滅却だ。
「やめなさい」
星宮の冷たい声が浴びせかけられた。心頭滅却どころか、心臓まで震えあがりそうな声だ。
「あら、怒られちゃったわ」
「真堂君をからかって遊ぶのはやめなさい。それに真堂君にはその、心に決めた人が‥‥」
星宮の言葉はどんどん尻すぼみになって聞こえなくなった。
星宮のおかげで助かったが、この空気は変えた方がいいな。なんだか居心地が悪い。
「それより、さっきの人は誰だったんだ? 先輩だよな」
「彼は雲仙煙霞先輩よ。雲仙家については知っているかしら」
「どっかで聞いた覚えはあるな」
「‥‥君、外部生ってことは知っていたけど、本当に何も知らないのね」
龍ヶ崎さんに呆れられてしまった。
星宮がそれをたしなめ、俺に向き直る。
「日本には御三家と呼ばれる魔法師の家があるの。星宮、日向、雲仙の三つよ」
「ああ! それは紡に教えてもらった」
そうだそうだ。星宮がその御三家の一つだって話だった。ついでに桜花序列の第一位、『日向椿』に覚えがあったのも腑に落ちた。
あの人も御三家の一人なんだ。
そして星宮が言った雲仙煙霞先輩も、御三家の一人ってことだろう。
「じゃあ今ここには御三家が全員揃ってるってことなのか」
「そうなるわね。とは言っても雲仙や日向の家は分家も多いし、血が入っているだけなら他にも何人かいると思うわ」
「雲仙家に関しては先生にもいるしね~」
そうなんだっけ。記憶の引き出しを引っ張り出すと、たしか雲仙雨霧というチャラい先生がいた気がする。
あの人も御三家なのか。
「なんというか」
「たくさんいるわよね。あまり良いとも思えないけれど、そうやって今の魔法師社会が生まれたのも事実だから」
「そうなんだな。俺には良いも悪いも言えないよ」
魔法は妖精によって与えられる。そこに血筋は関係ないと思っていた。
事実俺の親父はそういった血筋とは無縁のはずだ。
しかし実際にはそうではないらしい。鬼灯先生も言っていたはずだ、毀鬼伍剣流は古来の怪異殺しによって作られた流派だと。
守衛魔法師にも魔法にも、俺の知らない歴史があるのかもしれない。
それも桜花序列戦で高い順位を取ることが出来れば、知れるのだろうか。
「でも同じ御三家だからって仲が良いってわけじゃないのな」
さっきの雲仙先輩と星宮のやり取りは、はた目に見ても仲良しって感じじゃなかった。星宮が一方的にシャッター下ろしている感じではあったけど、あの嫌な視線を思い出すとそれも頷ける。
星宮は苦笑いを浮かべた。
「別段御三家同士仲が悪いわけではないけれど、様々なしがらみが絡んでくるのは事実ね」
「しがらみ?」
「家同士の話よ」
それ以上は聞かないで欲しいと、星宮はラインを引いた。
ここが俺たちの間にある距離なのだと、言われなくても分かる。
まあ仕方のない話だ。俺は星宮のことを何も知らない。知ろうとしないから、知らせてはもらえない。当たり前の話だ。
星宮はふっと相好を崩した。
「そういえば真堂君、桜花戦の参加おめでとう」
「星宮もな。流石の序列だよ」
「こう言いたくはないけれど、中等部からの貯金もあると思うの。高等部からの入学で参加出来ることの方が余程凄いわ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「お互いに頑張りましょうね」
星宮はそう言ってほほ笑んだ。
記事の内容を思い出す。
星宮の真価はチーム戦によって発揮される。
今の彼女の発言は、さっき引いたラインを更に深く掘り直すものだった。




