南風
王人の剣は音を嫌うのだ。
この段階に至り、その鋭く滑らかな切っ先が、凪いだままに振るわれることを知った。
肌の紙一重を過ぎ去るその瞬間にだけ、幻のようにゾッとする音が鼓膜に響く。
戦いが始まった瞬間からどれ程経った? 避けるので精一杯だ。
振槍をねじ込む隙すら無い。
鬼灯先生の攻撃はシンプルに速い。至近距離で銃を撃たれるようなものなので、捉えるのは拳ではなく全体。銃口と引き金を引く瞬間を見極める必要がある。
対して王人の攻撃は決して速くない。
目で追える。目で追えているのに、反応が一歩遅らされているのだ。
目の前にしても本当に意味が分からん。
攻撃の起こりをとらえ切れていない。風がどこから吹いてくるのか、人は自分の身体を撫でた時その居所を知る。
このままじゃじり貧だ。
これまでの俺なら多少のダメージを覚悟して飛び込んだだろうが、教授との戦いで学んだ。再生があっても、不用意に攻撃を受けてはいけない。
電電蟲のように、ダメージとは別の方法で枷をかけてくる魔法がある。
もう王人の油断は誘えない。少しでもこちらが崩れれば、その瞬間風は暴風へと姿を変えるはずだ。
初めから技術で敵う相手じゃない。俺が王人に近付ける要素があるとすれば、それは間違いなく魔法、『火焔』だけだ。
王人の剣を避けた瞬間、上体を反らしたまま肘に溜めた炎を爆発させる。
カウンターだと悟られない姿勢から、右手で振槍を撃ち出した。
空気を焼き焦がす弾丸は一直線に王人の顔に突き進み、空を切った。
「――!」
避けられた。攻撃が来る。見えない。
見えないが、王人は下へ潜り込んだ。直前の動きを思い出せ。最適の判断をしろ。攻撃が来るのは下段。死角となる左からの突き。
ゴッ‼ と左拳を王人がいるであろう場所へと振り切った。
ほぼ勘での攻撃だったが、それが功を奏した。王人は攻撃を諦め、後ろへ退いた。
ここだ。
毀鬼伍剣流は対怪物を想定した格闘術だ。対人戦に特化したものではない。
だから受けに回ったら何も出来ない。攻撃を続けて圧をかける。
退いた分だけ、前へ。
俺は即座に爆縮で距離を詰め、拳を撃ち込んだ。
◇ ◇ ◇
指先に熱が通る。冷たい身体に走る奔流がありありと感じられる。
――あぁ、楽しい。
剣崎王人はこの夏休み、ひたすら実家で鍛錬に明け暮れていた。剣術と魔法をひたすらに磨き続けた。
それは彼にとってなんら特別なことではない。
物心ついたころから剣の型をなぞっていた王人には、むしろ学校生活は温く退屈だ。
実家に帰れば鍛錬をする相手には事欠かない。剣崎家の伝手があれば、本来なら許されない実戦すらも可能だった。
それでも尚、この日を待ちわびずにはいられなかった。
真堂護が目を真っ赤に光らせ、身体を燃やした。
お互いに武機はなし。シンプルな魔法と体術による戦いだ。
入学試験では好奇心が勝り、早く終わってしまった。
だから今回はちゃんとやる。
これまでの戦いを見てきたからこそ分かる。真堂護は窮地にこそ輝きを増すのだ。風の中で揺れる火種のように、燃え広がらんとする意志の光だ。
短拵、黒南風。
短刀を諸手に、王人はあえて接近した。肘が伸び切る前にぶつかる距離で、双剣を振るう。
『黒南風』は短刀を振るうには重く、粘りのある技だ。あえて間を延ばすことで、相手のリズムを崩しながら動きをコントロールする。
更に、黒南風は繋ぎ技だ。
護をこちらの拍子に乗せた状態から、転調。双剣は速度を増し、荒々しいうねりを見せた。
荒南風。
剣閃に剣閃を重ね、野趣に満ちた振りとは裏腹に、切っ先は美しい幾何学模様を描き出す。
本気で斬るつもりだった。
この転調に多くの人間はついてこれない。剣崎家の門下生さえ、ほとんどが初太刀を受けきれず、続く剣で地に伏す。
「――」
笑みがこぼれた。
笑わずにはいられない。この半年、溜めに溜めた鬱憤が、この数秒で昇華していくのを感じる。
新堂護は転調からの全ての攻撃を、紙一重で避け続けた。
これまでの護であれば多少のダメージは無視して攻撃をねじ込んできただろう。
一太刀でも受ければ、『白南風』で決着を着けるつもりだった。
高い再生能力故の悪癖と言うべきか、護は攻撃を不用意に受ける嫌いがあった。本物の魔法師たちとの戦いでは、その一手が致命傷に繋がる可能性がある。
なまじそれが戦果に繋がっていたので、そうそう直らないと思っていたが、余程の衝撃があったに違いない。
やはり合宿。事故として処理された百塚との前哨戦で何が起きたのか、王人の目は確かに捉えていた。百塚が何らかの道具を使って扉を開き、二人は消えた。
事故などではない。魔法による転移だ。
転移の魔法の存在は耳にしたことがあったが、それが見られるのは本来闇の奥深いところだ。
真堂護、いや彼の『火焔』を取り巻く状況は想像以上に重い。
驚くべきは、その重い鎖に縛られて尚立ち上がり、前を向く護の強さだ。
面白い。
爆発による加速で撃ち込んできた振槍をかいくぐり、追撃を避けて後ろに下がった。
下がれば来ますよね。
予想通り、護は『爆縮』によって詰めてきた。
だから王人は更に退いた。
これまで以上の速度で跳びすさる。それは撤退ではなく、間合いをはかるため。
跳躍しながら身体を回転させ、鍛え直した長剣を振るう。
長拵、高嶺颪。
間合いを化かした神速の奇襲。
しかし長剣は護に当たる瞬間に弾かれ、地面に2本の爪痕を残した。
圧縮した炎、いや、炎そのものが硬質化し、別のものに変質している。
おそらく化蜘蛛や百塚の魔法を斬ったものと同じものだ。
――たった一月かそこらであれをものにしたのですか。
百塚一誠との前哨戦で見せたそれよりも、遥かに練度が上がっている。
だが何より恐れるべきは、カウンターで決めたはずの高嶺颪を、速度を落とすことなく捌いたことだ。
身震いするほどの『見』の才覚。
黒南風、荒南風、高嶺颪。
どれも初見で対応できるものではない。
だというのに、護はそれら全てをいなしてみせた。
見て動くのでは間に合わない。
その目が見ているのは、一足先の未来だ。
たった一度王人が教えた一ミリの空隙、そこからここまで目を鍛えたのだから、驚くべき成長だ。
面白い。これほどまでに血沸き肉躍る瞬間が他にあるだろうか。
しかもこれでいまだ発展途上だ。
王人は自分自身のことを棚に上げて、口角を上げた。
願わくばこの戦いがいつまでも続いて欲しい。
旋風は炎を巻き取り、より高く舞い上がった。




