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新学期、始まるよ

    ◇   ◇   ◇




 この夏は濃密で、暑く、熱い日々だった。


 そもそもの始まりからして想定外の合宿だ。桜花前哨戦に、煉瓦の塔(バベル)教授(プロフェッサー)と、単行本第一巻なら許されない単語の羅列。


 レオール以来、本気で命の危機を感じた瞬間だった。


 そこからようやく夏休みが始まるかと思いきや、始まったのはカオルズブートキャンプ。またの名を鬼の専攻練(せんこうれん)だ。


 教授(プロフェッサー)による襲撃を経て、鬼灯先生の指導は明らかに変わった。


 というか、合宿後に言われた。


「私が思っている以上にあなたを取り巻く環境は複雑なようです。少し訓練を前倒しで進めましょう」


「前倒し? 訓練の内容が変わるってことですか?」


「これまでのものは継続して行いますよ」


「じゃあ前倒しってどういうことですか?」


「だから、今までの基礎訓練に加えて、実践訓練も行うということです」


「はい?」


 いや無理だろ。言いたいことは分かるけど、これまでの訓練で時間いっぱい使ってきたのに、そこに更なる訓練を追加するのは不可能だ。


 筋トレのしすぎで、ついに計算すらできなくなっちゃったのかな。


 ゴッ! と脳天に拳が振り下ろされた。


「ぬぉぉおおお⁉」


「むかつく顔をしているとぶん殴りますよ」


「だから! そういうのは! 殴る前に言うんですよ!」


 教授(プロフェッサー)によって受けた痛みもとんでもなかったが、鬼灯先生の一発は痛みの方向性が違う。何というか、頭全部がシェイクされているかのようだ。


「幸いにも夏休みで時間があります。訓練時間を増やすことは可能です」


「あの、時間があれば無限に訓練できるわけじゃないと思うんですけど」


「再生があるでしょう。二学期までに、訓練の内容を圧縮させます」


 何言ってんだ?


 学校が始まれば、当然訓練の時間は夏休みより短くなる。二学期までに基礎訓練、追加訓練を二倍の速度で終わらせろと? 死ぬだろ。


「やらなければ死ぬだけです。どうしますか?」


 その瞬間、レオールと教授(プロフェッサー)の顔が浮かんだ。死は思いもよらぬところからやってくる。


 理不尽に屈しないためには、力が必要だ。


「よろしくお願いします!」


「良い返事です」


 その瞬間、一月(ひとつき)に渡る地獄のカオルズブートキャンプが始まることになったのだ。


 そこで知ることになる。


 本当に今までの訓練は基礎的なものでしかなかったのだと。




    ◇   ◇   ◇




 九月一日。


 ついに夏休みが終わった。


 長期休みが明けた時、人はどう思うだろう。これまでの俺ならば怠惰な生活に後ろ髪を引かれたまま、欠伸と悪態を噛み殺していた。


 しかし今日はどうだ。



「学校だぁあああ‼」



 清々しい。なんて爽快で清々しい気持ちなんだ。


 校門が、校舎が、輝いて見える。


 生まれ変わるって、きっとこういうことなんだ。


「‥‥なんだ、何か落ちているものでも食べたのか。気持ち悪いぞ」


 たまたま通学路で出会った村正が、(おぞ)ましいものを見る目で見てきた。


 お前もカオルズブートキャンプを受けてみればいい。訓練場に足を踏み入れるだけで吐き気と目まいがするんだぞ。


「学校が、学校が始まれば訓練時間が短くなる――!」


 これがどれだけ凄いことか分かるか。朝から晩まで血反吐に塗れて訓練をする必要がない。少なくとも午前中は椅子に座って授業を受けることができるんだぞ。


 最高。


「でも、訓練の内容は変わらないんだから、時間が短くなった分きつくなるんじゃない?」


 ひょっこりと顔を出した紡が言った。


 今日も今日とてウルフカットにばっちりと決められた化粧がキラキラと瞬いている。


 いやまあ、それはその通りではあるんだが。


「夏休みの終わり際くらいには、既定の時間に訓練が収まるようになったんだ」


「それなら新学期になっても変わらないでしょ」


「いや、そしたら鬼灯先生が『ボーナスステージですね』とか言い始めて、追加訓練を‥‥」


 駄目だ。思い出しただけで吐き気がこみあげてきた。


 だから実際には学校が始まると訓練の時間が多少短くなるわけである。


「なんというか‥‥無茶苦茶だな、お前も鬼灯先生も」


「鬼灯先生はその通りだが、そこに俺を並べるな」


 おかしいのはあの人だけだから。


「というか二人とも遅くないか? もう始業式ぎりぎりだろ」


「俺は徹夜でゲームをしていたらこうなった。そういうお前は何故遅いんだ?」


「昨日気絶するまで訓練してたから」


「最終日までやっていたのか‥‥」


「毎日だ」


「毎日か‥‥」


 やめろ、可哀そうなものを見る目を向けるな。泣きそうになるだろ。


 これ以上は俺にとってもよくないので、さっさと話題を変えよう。隣を見ると、幼馴染が眠そうな顔で歩いていた。


「紡はどうしたんだ。いつもはもっと早いだろ」


「別に」


 そうですか。あんまり短い言葉はナイフみたいに鋭いから気を付けてほしいな。


 そっぽを向いてしまった紡は、人差し指同士を合わせようとして、はっとして引き離す。そして手持ち無沙汰になった指で髪を巻き始めた。


 なんだかよく分からんが、化粧に時間がかかったのかもしれない。それならこれ以上聞くのは野暮ってものだろう。


「初日早々遅刻したら殺されるし、急ぐか」


 桜花マッスル学園で遅刻なんて考えたくもない。一体どんな罰則が待っているやら。


 慌てて三人で校舎に滑り込むと、そこで思いがけない顔に会った。



「よお、久しぶりだな」



 明らかに俺たち、というよりも俺だろう、を待っていたのは、百塚一誠だった。


 最後に見た百塚は傷だらけだったが、それは全て治ったらしい。しかし顔に刻まれた傷跡が、あの時の戦いを現実だと物語っている。


 非合法組織である煉瓦の塔(バベル)の一員だったこいつは、合宿の時に俺を教授(プロフェッサー)の前に(さら)った。


 あの日以来会うことはなかったが、鬼灯先生から状況は聞いていた。


「戻れたんだな」


「たくさんの幸運と、厚意のおかげだよ」


「その頭、それで丸めたのか?」


 元々短めだった百塚の金髪は、綺麗な坊主頭になっていた。スプレーで染め上げた芝生みたいだ。


「おう、似合うか」


「余計に厳つくなっただけだろ」


「それならそれで悪くないな」


 短くなった髪を大きな撫でながら、百塚が俺を見た。何かを言いたげな、深い色の目をしていた。


「すまなかった、真堂」


「何言ってんだよ。あれは事故だろ」


 何を言われるか分かっていたから。俺の答えも分かり切っていた。百塚は目を閉じて首を縦に振る。


 鬼灯先生とは打ち合わせ済みだ。あの合宿の件は事故として公表されている。煉瓦の塔(バベル)の存在は生徒たちには知らされていない。


 俺は慰謝料と口止め料を重ね合わせた『見舞金』を学校から渡され、今後の捜査は全て学校と政府が主導で行うらしい。


 そして百塚は二学期から学校に戻れることになった。


 生まれた時から煉瓦の塔(バベル)に育てられた百塚に、まともな選択肢は存在しなかったこと。放逐したとて、殺されるか煉瓦の塔(バベル)に戻されるしかないだろうことなどが考慮され、学校で身柄を預かる形に落ち着いたらしい。


「ま、よかったんじゃねーの」


 横で百塚を睨みつけている紡を後ろに隠す。こら、威嚇するな。下がりなさい。めっ!


「おい二人とも、積もる話は後だ。とにかく急ぐぞ」


 村正の声に押し出され、俺たちは一緒に歩き始めた。


 これであの時の何もかもがなかったことになるわけじゃない。過去は消えず、傷は互いに刻まれたまま残り続ける。


 それでも傷口をなぞり、歩き続けるのだ。積み重ねた足跡がかさぶたになるまで。


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