黒き影を穿て
◇ ◇ ◇
短期決戦だ。
花剣を構えながら、改めて意識する。
どういう心の様変わりか、百塚が俺に加勢してくれるらしい。本気の一撃を教授に叩き込んだのだ。嘘ではないだろう。
そこにどんな思惑があるのか、正直いちいち考えていられない。
しかし百塚が加わったところで、戦況がひっくり返ることはない。
百塚のショックウェーブを受けてもよろけすらしないのだ、あの男は。
教授が酸欠で倒れない以上、もはやぶっ飛ばす以外にここから出る道はない。
もう立っているだけでも限界だ。
短時間に全力を注ぎこみ、斬り伏せる。
「百塚、牽制しろ。間合いに入れれば、俺の剣なら斬れる――気がする」
「その剣か。たしかに火力は高そうだが‥‥」
「あまり長くはもたねー。俺は一直線に詰める」
「了解した」
短く言葉を交わし、俺は膝に力を溜めた。
今もなお痛みは続いている。左腕だけでなく、左半身そのものが痺れて動きが悪い。
だから動かすのは俺ではなく、『火焔』だ。
体内に流し込んだ血潮替わりの炎が、痛みを無視して全身を駆動させる。
行くぞ。
走り出した瞬間、教授から幾線もの雷撃が放たれた。
「っらぁあああ‼」
横から吹き荒れるショックウェーブが、雷撃の軌道を逸らす。
すぐ近くを焼き焦がす白熱にひるまず、前へ進む。
間合いに入ろうかというその瞬間、教授に虫が纏わりついた。
「『電電蟲』」
鎌首をもたげた電電蟲に対し、俺は花剣を構えた。
電電蟲は痛みを与える魔法だ。既に一匹噛みついている左側には来ない。
機動が予測できれば、捌ける。
大顎に剣を当て、滑らせる。同時に自分の身体は捻りながら体勢を変える。
そして、爆縮。
刃の向きを変えながら、腕を強引に加速させることで、甲殻の隙間に刃を滑り込ませる。
斬ッ‼
回転しながら、電電蟲の首を落とした。
爆ぜる火花を無視して踏み込む。ここまで来れば、あと一歩で届く。
「『解体薄刃』」
バランスが崩れた。
攻撃を受けた。薄くて鋭いメスのような斬撃が、全身を斬り裂き、肉体が安定を失ったのだ。
ずれる。
神経と力が接続を失い、肉体がばらけたピースのように崩れていく感覚。
――いい加減にしろよ!
炎で斬られたと思う部分を繋ぎ止める。何か所斬られたんだ。遅れて鋭い痛みが肉に焼き付いてくる。
「真堂ぉ‼」
ゴウと俺の眼前で風が破裂し、身体が後ろに吹き飛んだ。
「っ、今度は何なんだ!」
「あれは教授の二つ目の進化だ。生物の肉体に対してのみ影響する斬撃の虫を召喚する」
「生物の肉体にだけ?」
「ようは魔法や武機による防御は不可能ってことだ。すり抜けてくるぞ」
なんだその無茶苦茶な魔法は。電電蟲に続いて、いかれた性能すぎるだろ。というか、進化二つ目。
魔法師の中でも一部の人間だけが持てる進化魔法を複数持っているのか。
教授の周囲には、透明な羽を羽ばたかせる虫が何匹も浮いていた。
あれが俺の身体を刻んだのか。炎による強化もほとんど無視された。防御不可は反則だろ。
ただあまりの鋭さ故か、傷口が整っているおかげで、再生はしやすい。
「とりあえず、助かった。もう一回行くぞ」
「勝算はあるのか?」
「んなもん、やってみないと分からねーよ。死にはしないのなら、再生で切り抜ける」
「首を斬られても再生できるものなのか?」
「知らん」
教授は俺を殺そうとはしないだろうが、仮死状態にする方法くらいは持っていそうだ。
呼吸を整え、花剣を構え直す。
『解体薄刃』の動きは羽虫のそれと同じだ。単純にスピードがイカれているだけで。
動きの予測はできる。
距離を離されたままでは勝負にならない。再度距離を詰める。
「行くぞ」
爆縮で初速から最高速に乗り、教授へと一直線に向かう。
ステッキが鳴り、光のアイコンが弾けた。サンダーウィスプと解体薄刃が、密集陣形となって迎え撃ってきた。
津波のように迫りくる数多の魔法に、飛び込む。
怯むな。スピードを落とすな。
「百塚ぁあぁああああ‼」
「走れ真堂‼」
背後から嵐が吹き荒れ、雷撃を捻じ曲げる。完全に魔法を相殺しているわけではない。攻撃のベクトルをずらしているだけだ。
それでいい。その一瞬があれば、俺はその隙間を抜けられる。
問題は解体薄刃。奴らは百塚の言葉通り魔法をすり抜けて俺へと突進してきた。
なら、避けるだけだ。
解体薄刃の攻撃は薄いメスのような羽による斬撃だ。それさえ躱せばいい。
一ミリの空隙を縫って、何度だって避ける。
脚で、腕で、炎で慣性を制御しながら前進する。
羽は何度も身体を撫で、その度に見えない切り傷を作っていく。それでいい。死にさえしなければ、動けさえすればそんなものは無視できる。
背後で一気に魔力が膨れ上がる気配がした。
それは飛んできた解体薄刃に全身を斬り刻まれながら、なおも荒神をかざす百塚一誠のものだ。
さながらオーロラの如き虹色の光を立ち昇らせ、百分の一の奇跡を引き当てる。
血煙を噴出しながら、百塚は真っ直ぐに世界を両断する。
『百分率』――ショックウェーブ。
巨大な斬撃は俺を追い越し、教授までの道を拓く。
――爆縮。
ここだ。このタイミングで、攻撃を畳みかける。
ショックウェーブの後を追うように突風が吹き抜け、俺はそれに乗って更に加速した。
このまま貫いてやる。
いくら教授といえど、百分率によって威力が底上げされたショックウェーブは無視できないはずだ。
それを防ぐか躱した瞬間、花剣をねじ込む。
「――まったく、度し難い」
万華鏡が、開いた。
虹の斬撃を迎え入れるように、教授の前に何枚もの花弁が重なる、まさしく万華鏡としか形容できない光が乱舞した。
その美しい威容。込められた魔力の圧力。それが表すもの。
――三つ目、だと。
「『万華鏡』」
展開された万華鏡の中で、魔法が跳ねた。
虹色を纏うショックウェーブは、複数の光線となって乱反射し、暴風の巣となった。
まずい。どう考えたってやばい。
あれがどうなるのか、嫌な予感がバチバチと脳で爆ぜる。
それを裏付けるように、虹色の狂乱は臨界を迎え――放たれた。
目前に広がる、反射されたショックウェーブ。
ふざけんな! やっていいことと悪いことがあるだろうがよ!
開かれた道が今度はショックウェーブによってふさがれた。教授が、見えなくなる。
避けるか。駄目だ、範囲が広すぎる。これを避けようと思ったら、爆縮を全力で噴かせて後ろに跳ぶ以外にない。
――待て。
このショックウェーブは斬撃の形から崩れ、拡散している。
圧は凄まじいが、密度、厚みはそこまでじゃない。
それならやるべきことは一つだ。
「爆縮‼」
背中で爆炎を放ち、か細い道筋へと飛び込む。
こうなれば、命と右腕以外は些事。
何もかもを捨てて、奴に辿り着く。
「はぁああああああああああ‼」
振る。とにかく花剣で風を振り払う。
ただがむしゃらに、障害になる何もかもを斬り刻み、虹の嵐殻を貫く。
「ぶち、抜く‼」
背後で雄叫びが上がり、再度ショックウェーブが俺を追い越した。ただのショックウェーブではない。螺旋を描きながら前進するドリルのような風。
それが俺の道を押し開き、後押しする。
――教授が、見えた。
『万華鏡』は進化魔法のはず。連続発動は難しい。
奴が次のアクションに移るよりも早く、攻撃を叩き込む!
「爆縮ぉぉおおおおおおお‼‼」
火炎は螺旋に巻き込まれ、最後の加速で俺は一条の閃光となった。
もはやしなやかさは必要ない。
切っ先の一点に全ての炎を圧縮し、万難を貫く矛とする。
「ぁぁあああああああああああああああああ‼‼」
虹を抜け、遥か遠き道のりを踏破し、朱の大槍は、黒き影を撃ち抜いた。




