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明けない夜を抜けて

    ◇   ◇   ◇




「俺にはなぁ、譲れない物があるんだよ! それがある限り、この炎は消えない!」


 真堂護の言葉を聞いた瞬間、百塚は殴られた時以上の衝撃を感じた。


 少し戦っただけでも、教授(プロフェッサ―)が異次元な存在であることは分かっただろう。何をしても、勝てるわけがない。


 魔法(マギ)の探求のためなら、何をしてもよいと信じているイカれた連中の中でも、『監督者』という上澄み、あるいは(おり)だ。


 そんな事実を知る必要もなく、相対した者たちは否応なく彼の異常性を理解する。


 ただ同じ部屋にいるだけで背中の震えが止まらない。


 実際に戦い、『電電蟲(センティペイン)』を受けた護の恐怖は計り知れない。


 しかし彼は折れなかった。



 どれ程痛めつけられ、策を見破られ、叩き潰されようと、何度でも立ち上がる。


 正直なところを言えば、百塚が教授(プロフェッサー)を止めたのは、護の身を(おもんばか)ったばかりではなかった。


 見ていたくなかったのだ。


 自分が初めから勝てないと悟った相手に、何度でも挑み続ける彼の姿を。


 あまりにも眩しい。


 そしてその眩しさには覚えがあった。だから衝撃を感じたのだ。



『一誠、私には夢がある。それがある限り、どんな理不尽や不条理にも決して屈しない』



 朝焼けと共に輝く漆黒の長い髪。


 彼女はいつも凛と背筋を伸ばし、他の誰も持たぬ光を羽織っていた。


 この世の外道を集めた肥溜めのような煉瓦の塔(バベル)において、彼女だけは宝石よりも輝いていたのだ。




 物心ついた時、既に百塚一誠は煉瓦の塔(バベル)の一員だった。


 生まれがここであったのか、あるいは親に売られたのか、どちらにせよ血のつながった肉親というものにあったことがない百塚にとっては、始まりなどどうでもいい話であった。


 重要なのは、人生の始まりからして地獄だったという事実だ。


 蟲毒(こどく)に落ちた小さな命、生き残る術は、隅に隠れて小さく息をするだけだ。


 百塚には何人かの同期がいた。


 同じ年齢ではなかっただろうが、ほとんど同じ立場で、身を寄せ合って生きてきた仲間たちだ。


 数年で半分が死ぬか行方不明になり、百塚が十歳を迎えるころには、一人しか残らなかった。


 浅葱夜明(あさぎよあけ)という少女は、同期の中でも突出した存在だった。


 強力な固有魔法(ユニークマギ)を持ち、他の魔法(マギ)も誰よりも高いレベルで習得していた。


 百塚は常に彼女の背を追ってきた。彼女の揺れる黒髪が、どんな絶望に会っても生きる道標だった。


 夜通しの訓練を終えた時、まだ立ち上がれない百塚の横で、彼女はゆっくりと伸びをしながら言った。


「知っているか一誠? 監督者たちは私たちを桜花魔法学園に入れるつもりらしい」


「桜花魔法学園って、あの国立の学校か?」


「そうだ。桜花魔法学園出身には優秀な魔法師が数多くいるらしい。おそらく煉瓦の塔(バベル)にない情報もあるのだろう」


「‥‥俺たちはスパイってことか」


「そうなるだろうな。何をさせられるのかまでは、行ってみないことには分からんが」


 その時百塚も夜明(よあけ)も十歳。入学が本当だったとしても、まだ先の話だ。監督者の気分次第で状況は簡単に変わるだろう。


 そんなことは分かっているだろうに、夜明はひどく嬉しそうだった。


「一誠は学校に行ったら何がしたい?」


「何がしたいって、そりゃ学校なんだから勉強と訓練じゃないのか?」


「‥‥お前は社会に出る前に、もう少し社会勉強をした方がいいな」


「何か間違っているのか?」


 夜明はため息交じりに答える。


「学校は小さな社会だ。そこで人とのコミュニケーションを学び、社会での生き方を学ぶ。友達とおしゃべりをしたり、遊びに行ったり、スポーツをしたりする。煉瓦の塔(バベル)は特殊だからな、浮かないように事前に勉強した方がいい」


「そうなのか‥‥。夜明は、何かしたいことがあるのか?」


「私か」


 彼女は眩しそうに目を細め、上がり始めた陽を見た。


「したいことは山ほどある。友達と遊ぶことも、スポーツをすることも、映画を見ることも。クレープとやらも食べてみたいな」


「‥‥なんだか、普通だな」


 百塚には分からなかった。言葉の意味は分かるが、それらが彼女を喜ばせられるとは到底思えなかった。


 夜明は煉瓦の塔(バベル)でも注目される魔法師だ。順当にいけば、監督者の立場も夢ではないだろう。


 しかし彼女は苦笑いを浮かべた。


「私は特別になりたいわけじゃない。普通の学校生活にだって憧れるさ」


「分かった。それなら俺も夜明の夢のために協力する」


「そういうことは私より強くなってから言え」


 朝日に照らされて笑う彼女の顔は、いつもよりもずっと柔らかく、そして魅力的だった。


 ずっと見ていたいと、隣で見続けられるのだと、そう思っていた。


 自分たちが生きている場所が、毒蟲(どくむし)(うごめ)く地獄なのだということを忘れて。




「‥‥」


 その日は朝から分厚い暗雲に覆いかぶさられ、息苦しかった。


 約束から一年後。桜花魔法学園に入学するために、二人にはある試験が課せられた。


 とある組織の壊滅。元々は煉瓦の塔(バベル)に属していた組織だが、裏切りが発覚したのだ。


 煉瓦の塔(バベル)は一枚岩ではない。そもそも所属する者たちのほとんどが究極の個人主義者たちばかり。裏切りなど日常茶飯事、報復に来るならかかってこいという連中ばかりだ。


 今回も同様。百塚たちに命令した監督者に対し、裏切った組織にも監督者がついている。


 当然二人に監督者と戦えるような力はないため、今回は主戦力の一人に、二人が同行する形での仕事だった。


 監督者が寄越した主戦力の男は、(いわお)のようだった。高さも、分厚さも、顔も、何もかもが硬く、重かった。


 ぶら下げた野太刀は、おおよそ現代人に似つかわしくない古めかしい代物だ。


「――お前たちは設備を壊せ。どうせ情報は消されている。何人か雑魚は残してやるから、死ぬなよ」


 男はそう言うと、店に入るような軽い足取りで組織へと向かっていった。


 そして作戦は驚くほど順調に進んだ。


 理由は単純明快。男が強すぎた。


 組織にいた魔法師たちは百塚からすれば遥か格上の怪物ばかり。


 まるで野に咲く花を蹴散らすように、男は悠然と歩いて行った。あとに残るのは、血だまりと肉のかたまりばかりだ。


 男が意図的に見逃した、いわゆる『雑魚』も百塚からすれば強敵。少しでも気を抜けば殺される。前を歩く獅子に置いて行かれても死ぬ。


 そんな状況で、男が唐突に言った。


「おい小僧。お前は残った設備の破壊に行け。娘、お前は付いてこい」


「待っ――、俺も一緒に行きます!」


「邪魔だ。死んでもいいのなら好きにしろ。娘、お前の魔法(マギ)には興味がある」


 男は一瞥(いちべつ)すらくれなかった。


 本当にどちらでもいいし、どうでもいいのだろう。さっきの一言も、最低限のお()りという仕事を果たしただけだ。


「夜明‥‥」


「行け一誠。私は大丈夫だ」


「‥‥分かった」


 彼女の言葉に押され、百塚は走り出した。とにかく一刻も早く設備を破壊し、それから夜明のもとに行く。


 そう思い、百塚は全力で設備の破壊を遂行した。


 かかった時間はニ十分程度だっただろうか。三十分は経っていない。


 息を切らせながら最奥の間に辿り着いた百塚が見たのは、静かな光景だった。


 戦いは既に終わっていた。


 上下に分かれて転がっている男が、この組織の監督者だろう。


 そして床に座っている(いわお)の男。


 傷ついている様子も、疲労している様子もなく、ただ座っているだけだ。


 しかし重要なのはそこではない。


 彼の足元に、見覚えのある人が横たわっていた。


 彼女は虚ろな目で暗い天井を眺めていた。




「夜明ぇぇええええ――――――‼」



 

 慌てて駆け寄ったところで、現実は非情だった。


 浅葱夜明(あさぎよあけ)はもう二度と何も語ることはなく、百塚を見ることもなかった。


「なんで、どうして――⁉」


 男の様子から、戦闘が激化したようには見えない。


 どうして死んだ?


 あの夜明が。誰よりも強く、遥か先を歩いていた君が――。




「俺が殺した」




 答えは思わぬところからもたらされた。


「なん――」


「その娘は俺が殺した」


 振り返った先にいたのは、鬼だった。


 もう既に人の身に戻ることはない、鬼道(きどう)に落ちた者の(よど)んだ目が百塚を見ていた。


「娘は強かった。(たぐい)まれな才と、それを絶え間なく錬磨(れんま)する精神力。ここの監督者程度なら、娘だけでも勝てたかもしれんな」


 淡々とした声が二人だけの空間に響く。


「だから我慢できなくなった」


 言っている意味が、分からなかった。


「分かってはいたんだ。止めようとした。しかしあれほどの比類なき輝きを見てしまったら、止まれるはずもなかった」


 そんな、そんな理由で、夜明は死んだのか。


 言い返そうとして男の顔を見た時、百塚は情けなくも震えあがった。


 顔を覆う手。その隙間から覗く男の口は、裂けたような笑みを浮かべていた。


 まるで思いがけぬ美味の余韻(よいん)を味わうように。


「――‼」


 奥歯を噛み締め、武機(マキナ)の柄を握る。


 今ここで戦うべきだ。怒りに身を任せながらも冷静に、うつむく男の頭に武機(マキナ)を振り下ろす。


 夜明の(かたき)を取れ。


 この外道を世にのさばらせるな。


「ッ」


 百塚は、動けなかった。


 (うろ)のような目でこちらを見上げる夜明に申し訳なくて、百塚は目を閉じた。


 怖かった。


 鬼の目が今も瞼の裏に焼き付いている。


「――行け。今はまだ、こうしていたい」


「‥‥」


 かかってこないなら消えろ、と言われた気がした。


 事実そうなのだろう。


 百塚は大切だった女の仇討ちすらできない、腑抜けだ。


 百塚は夜明の亡骸を抱き上げる。


 力を失った肉体は水の入った革袋のように重く、本当にこれがあの夜明なのかと何度も自問自答した。


 結局事実は揺るがず、返ってくる答えは一つだけだ。


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん!」


 廃墟となった設備を走り抜けながら、百塚は何度もその言葉を口にした。


 ただただ情けなくて、申し訳なくて、涙が流れた。彼女はもう泣くこともできないのに。




     ◇   ◇   ◇




 それから百塚は煉瓦の塔(バベル)から逃げる力も無く、日々を過ごした。


 桜花魔法学園に入学しても、何の感慨もわかない。


 だってここに夢を見たのは自分ではないから。


 鬱憤(うっぷん)を晴らすように力を振るった。ここでなら、百塚は強かった。何の意味もない虚飾の栄光。それを浴びなければ生きていけなかった。


 そしてある時、テレビのCMで驚くべきものを見た。


 夜明(よあけ)が笑っていたのだ。


 それが水上和花(みずかみのどか)という名前で、ゲームのキャラクターだということを知った。


 あまりにも馬鹿な話だ。ただ容姿が似ているというだけでゲームをはじめ、ものの見事にはまったのだ。


 特にガチャは良かった。これまで何も得られなかった自分が、何かを手にする。煌びやかな演出の向こうで和花が現れた時、たしかに救われた気がしたのだ。


 そんな折だ、奴が現れたのは。


 真堂護は百塚の何もかもを否定した。


 適性試験の時、百塚は化蜘蛛(アラクネ)に挑んだが、勝てないと分かっていた。


 それでも挑んだのは死なないという確証があったこと。そしてあの男に比べれば、大したことがないと判断したからだ。


 しかし護は違った。


 どれだけの戦力差があっても、化蜘蛛(アラクネ)を倒すという覚悟を決め、それを達成してみせた。


 自分が諦めたことを成し遂げたのだ。


 今もそうだ。


 教授(プロフェッサー)という監督者の中でも上位の存在を前に、折れない。


 どれ程の痛みと絶望を前にしても、決して屈しない。



 

 ――俺は、何をしているんだ?




 大切な人を守れず、蟲毒から脱出する気力もなく、ずぶずぶと汚泥の底に沈んでいく。


 もしも夜明が今の百塚を見たらなんと言うだろう。


 何も言うことなく、張り倒されるだろうか。


 もしもこの先死んだとして、あの世ってものがあるとして、奇跡的に夜明と同じ場所に行けたとして。


 ――俺は、どんな顔で会えばいい。


 なあ真堂。俺は楽しかったんだ。あの桜花前哨戦、俺はワクワクしていたんだ。お互いの魔法(マギ)を撃ち合い、しのぎを削るあの感覚。


 久しく忘れていた、夜明と朝まで戦い続けたあの時のようだった。


 きっと夜明は仇を取らなかったことなど怒りはしないだろう。逃げたことを責めはしないだろう。


 ただ誇りも夢も忘れ、ぐずぐずと腐っていく様は見ていられないと、吐き捨てるはずだ。


 その悲しい顔が容易に想像できて、百塚は目が覚めた。


 長い長い悪夢を見ていた気分だった。


 荒神(アラガミ)を握り直し、心臓の奥底から溢れ出す魔力(マナ)をありったけ流し込む。


 そして今まさに魔法(マギ)を放とうとする教授(プロフェッサー)に向けて、渾身の一撃を叩き込んだ。


「ショック――ウェェエエエエエエブ‼」


 嵐の断剣は火炎を一割(いっかつ)し、教授(プロフェッサー)へと襲い掛かった。


 凄まじい音が響き、部屋そのものが崩壊せんばかりに揺れた。『百分率(クリティカル)』こそ発動しなかったものの、その威力は破格。


 それを不意打ちで、ほとんど無防備な横っ面に撃ち込んだのだ。


 当然無傷では――、


「‥‥何の真似か。ああいい。答える必要はない。実験に使う素体が一つ増えるというだけだ」


 教授(プロフェッサー)は何事もなかったかのようにそこに立っていた。


 そうか。そうだ。


 これだから監督者なるものは嫌いなのだ。


 百塚は圧倒的絶望を前にしたことを改めて理解し、笑った。そして腹の底から声を張り上げる。


「真堂! すまなかった‼」


 これは自分の弱さが招いてしまった。だから、自分でけじめをつける。


 たとえこの命に替えてでも、真堂護をここから逃がす。


「‥‥」


 護は百塚を一瞥(いちべつ)し、すぐに視線を教授(プロフェッサー)に戻した。


「根性見せろよ百塚」


「ああ、任せろ。二度と失望はさせんさ」


 炎と風が渦を巻き、旋風が唸った。


 教授(プロフェッサー)は動じない。懐から取り出した懐中時計を開き、淡々と呟いた。


「予定の時間まであと三分。実験の続きは移動した後だ」


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