痛電の虫
「――はぁッ」
溜まった息を吐き出し、それでも見ることは止めない。
次が来る。
二撃、三撃。
教授の攻撃は止まらない。軽々と必死の魔法を撃ち込んでくる。
赤の花弁を散らしながら、俺はそれを避け続けた。
それを何度続けただろうか。教授はステッキを下ろした。
「素晴らしい。私の『サンダーウィスプ』は魔力に反応して対象を追うようになっている。エナジーメイルで回避を主体に戦う者にはよく効くのだが、炎のデコイをばら撒くとは、良い機転だ」
「そりゃ、どうも」
そうか、あれは魔力に反応していたのか。実際の雷とかと同じように物質に反応しているのか、魔力に反応しているのか分からなかったんだ。
雷と火の物理的反応とか知らんし、『象炎』なら物質的特徴を持つだろうと思ったが、結果オーライだ。
というか待て。
今、なんて言った?
「‥‥‥‥サンダー‥‥ウィスプ‥‥?」
「これでは時間がかかるばかりで非効率的だ。やり方を変えよう」
教授は答えない。
無茶苦茶すぎる。あの雷撃は、サンダーウィスプだったのか。たしかに識さんもサンダーウィスプで怪物を倒していたが、教授のそれはそんな次元ではなかった。
『火焔』の強化を紙くずのように引き裂く雷撃だ。しかも、魔力を追う追尾性能付き。
てっきり別の魔法だと思っていた。
「真堂護」
「‥‥なんだ」
突然話しかけられて、正直驚いた。
百塚の言う通り、教授が他者と対話をする気がないというのは出会ってからの数分でよく分かった。
だからこれは気まぐれだ。ペットに思わず話しかけてしまうような、何の意味もないたわむれ。
「君は己の魔法以外、あまりに無知だ。それなりの実力者であれば、私の魔法がサンダーウィスプであることなど一目で分かる。何故か分かるかね」
「‥‥知らねーよ」
「経験があるからだ。様々な魔法を見、受け、あるいは己が物とした経験を重ねている。敵が使う魔法の分析は、魔法戦闘の基本だ」
‥‥なんで俺は敵から説教を受けているんだ。
そういえば百塚からも同じ指摘を受けたな。煉瓦の塔ってのは、お節介どもの集まりか。教育者になりたいなら学園に来い、マッスル教育の理念でその性根を真っ直ぐに叩き直してもらえ。物理的に。
「魔法には様々な種類がある。魔法の特徴を局所的に強化させた『派生』」。生まれながらに発現する『|固有』。そして、『進化』だ」
進化魔法のことは知っている。魔法師が鍛錬を重ねた魔法は、時として一段階高い次元に上がる。それが『進化魔法』だ。
プロの守衛魔法師でも、所有している者は少ないという。
王人に『進化』を使えないのかと聞いたことがあるが、
『あれは天賦の才を持つ者が魔法を磨き上げ、ある気付きを得た時、手にするものです。ただ訓練するだけではなく、特殊な経験値を必要とするのです。僕たちの世代で持つ者はいないと思いますよ。もちろん、僕を含めて』
どこか含みを持たせた言い方だった覚えがある。
とにかく進化というものはそれだけ特別なのだ。
「進化はそれまでの魔法とは一線を画す。出力だけではなく、新たな特性を得たそれは、別種の魔法と言っていい」
教授から放たれる魔力の圧が、変わった。
これまでのものとは明らかに違う。
濃さや大きさではない。しいて言うのであれば――色。
青から紺に、あるいは紫に。
ヤバい。あれは、ヤバい。
発動する前に止めなければならないと分かっているのに、身体が動かない。
「魔法に対する造詣を深めたまえ。それがより『火焔』を輝かせる」
炎を燃やせ。固めて牙を作れ。
どんな魔法が来ようと、『火焔』なら喰える。牙を突き立て、噛み砕く準備をしろ。
教授が杖を鳴らす。光のアイコンが弾けると同時に、紫電が黒い袖を這った。
「『電電蟲』」
それは紫の電光だった。
同時に、虫でもあった。
バチバチと輪郭を火花と散らしているが、その姿は巨大なムカデだ。大顎が舌なめずりをするように動いた。
「――」
間違いなく『サンダーウィスプ』から進化した魔法だ。だとすれば、動き方はそれに近いはずだ。
あれを受けるのは駄目だ。
決着は一瞬だった。
虫が放たれた瞬間、俺は横に跳びながら『捕食』で迎え撃った。
攻撃を避けながら、魔力を喰って威力を削ぐ。
しかし、歯が立たなかった。
炎の牙は虫の甲殻を滑り、逆に紫電の大顎は容易く炎を噛み切った。
虫は止まることなく進み、左腕に食らいついた。
筋肉が硬直し、俺はごとんと糸の切れた人形のように白い床に転がった。出血はない。代わりに傷口から溢れたのは、鮮烈な痛みだった。
「ぁああ! ぁあああああああああああああ‼‼」
喉から獣のような声が出た。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い‼
手首、違う、指、腕。とにかく左腕のありとあらゆる場所に痛みが走る。
なんだ、なんなんだよこれは⁉
「ぐっ――うぅうううぁああああああ‼」
傷を押さえようと右手で左手首に触れた瞬間、更なる痛みが弾けた。
熱した何千本もの針で突き刺されているような激痛だ。
「は――ぁぁあ――」
痛い。動けない。呼吸さえもままならない。
火焔で傷を再生しようとしたが、それすらも不可能。コントロールができないのではなく、腕が途中で縛り上げられているかのように、炎が流れて行かないのだ。
赤子のように背を丸めた俺は、怖気の走る光景を見た。
袖が焼けて露わになった前腕、そこに傷らしい傷はなかった。ただ蚯蚓腫れのように、何かが肌を盛り上げて蠢いていた。
それが動く度に、痛みが脳天を突き上げる。
『電電蟲』。あの紫電の虫が、腕に入り込んだのだ。
「眼球が裏返るほどの痛みだろう。『電電蟲』は他者の痛覚に干渉して、激しい痛みを与える。普通の怪我であれば痛みに慣れるか、あるいは痛覚そのものが麻痺する。しかし『電電蟲』は常に新鮮な刺激を与え続ける」
声が掠れて聞こえる。
「もちろん、サンダーウィスプとしての特性も引き継いでいる。筋肉が痙攣して、動くことも難しいはずだ。これは使い方を工夫すれば、こういうことも可能だ」
左腕に潜り込んだ虫が、尾を人差し指に巻き付けた。血管にしては歪な形で皮膚が膨む。
直後、信じられないことが起こった。
俺の意志とは関係なく指が開かれ、そのまま後ろに曲がっていく。
ぱきっ、と内側で音が響いた。
「ぅぐっ――⁉」
噛み締めた歯の隙間から、声が漏れた。
人差し指が、折られた。
「筋肉の急激な収縮によって剥離骨折が起こることがある。それの応用で、小さな関節程度なら、こうして折ることも可能だ。さほどの意味はないがね」
言っている意味が分からない。
何が起こっているのか分からない。
ただこの痛みの中でも分かることがある。
これは、怪物にはほとんど意味のない魔法だ。
奴らは痛みに疎い。多少の効果はあれど、直接攻撃した方が効率的だ。
つまりこいつは、怪物ではない相手を想定し、特別な経験を経て、『進化』に辿り着いたのだ。
ただ敵を痛めつけるというだけの魔法に。
「――狂っ、てる」
「君は狂っていないのかね?」
だから弱いのだと言われた気がした。
教授が近付いてくる気配がする。
彼がここに来たら終わりだ。そう感じるのに、身体が動かない。ただみっともなく小さくなって、痛みに耐えるしかできない。
『花剣』を習得して、少しは強くなったつもりだった。
甘かった。
俺よりも強い者など、いくらでもいるのだ。だからホムラを失った。
また繰り返すのか。
今度はどうなる。教授に捕えられたら、煉瓦の塔に連れて行かれたら、俺はどうなる。
いや、俺のことなんてどうだっていい。
あいつは火焔に執着している。捕まれば、教授は徹底的に火焔を研究するだろう。その存在の全てをつまびらかにするために、ありとあらゆる手段を取るはずだ。
「ぅうう――」
思い出すのは、踏みつけにされた緋色の髪。苦痛に歪む彼女の顔。
‥‥っざけんなよ。
もう二度とあんな目に合わせない。
痛いからなんだ。ただ痛いだけだ。死んだわけでも、身体が動かなくなったわけでもない。
『火焔』は俺のものだ。ホムラが俺にくれたものだ。
お前たちに、その一片すらくれてやるものか。
「ぐ――ぅぁぁああああああああああ‼」
膝と頭を床に付けたまま、右こぶしを床に叩きつける。
部屋が揺れ、炎が荒れ狂った。
歯ぁ食いしばれ。顔を上げろ。血の一滴に至るまで燃やし尽くせ。
今度こそ、大切な人を守るんだろう。
「‥‥驚嘆だ。熟練の戦士でも、悲鳴を上げて助けを乞うものだが」
俺は立ち上がり、教授を見据えた。
口を開けた瞬間、血反吐と吐瀉物が零れそうだと思った。
それでも、言う。
実験動物を見るような、なめくさったそのモザイク顔に、宣戦布告を叩きつける。
「ホムラは、渡さない」




