前哨戦の終わり
『火焔』の炎は自身の魔力を糧に増幅させることができる。三煉振槍や捕食などは、それらを活用した技だ。
では他者から魔力を奪い取った場合どうなるか。
これまではアドレナリンに満ちていて気付かなかった。
『火焔』と向き合った数日間が、俺に新たな感覚を与えた。
他者の魔力を喰って燃える炎は、まるで別物。
まさしく跳ね回るじゃじゃ馬だ。
これを『花剣』として振るうのは、容易じゃない。
その難易度に、自然と笑みが浮かぶ。
「――行くぞ」
百塚の態勢が整うよりも先に、駆け出す。
意表を突いて崩した今が、距離を詰めるチャンスだ。
「しんどぉぉぉおおおおおおおお‼」
前方に展開される刃の嵐。壁の如き圧で迫りくるそれらには、しかし網目がある。
そこに身体をねじ込めば、進める。
必要なのは、道を見極める力だ。
百塚の攻撃は粗野に見えて精緻。間違いなく、網目の向こうに本命の斬撃を置いているはずだ。
だが、全てじゃない。
奴の振る剣の軌跡、そこから予想される曲線も含めた攻撃の軌道を、頭の中で弾き出す。
跳び、かがみ、それでもスピードを落とさず地面を蹴る。
炎を爆縮に使う余地はない。
目と体捌きだけで、切り抜ける。
何発目のショックウェーブか、火の粉を払って通り過ぎるのを感じながら、俺は間合いの一歩外に百塚を捉えた。
――抜けた。
イメージしろ。
炎が揺らめき包む姿を。その中から取り出される、白光の輝きを放つ鋼を。
形を与える。
ただ力の赴くままに暴れ回る火焔に、『象炎』の権能をもって、剣としての意義を与える。
『黒鉄』のディスクが開き、紫電と共に現れた炎が伸びる。その形は、紛れもなく両刃の剣だった。
ただ炎を圧縮し、形を似せた紛い物ではない。
正真正銘、斬るためだけの存在。
バチバチと右目の奥で火花が散り、『×』の刻印が見え隠れした気がした。
しかしそんなことに気を取られてはいられない。
何故なら、百塚もまた渾身の一撃を繰り出そうとしているのだから。
天に向けて真っ直ぐ掲げられた荒神が、そのまま振り下ろされる。
屹立した力がそのまま土砂崩れのように、いっぺんに斬撃に乗せられる。
舞い散る虹色の光が見えるまでもなく、分かった。
トップレアだ。
この土壇場で、百塚一誠という男は、百回に一回の奇跡を引いてくるのだと、直感した。
「吹き飛べぇぇえええええええええ‼」
放たれるは絶大な威力を宿した一陣の突風。それは真横から落ちてくるギロチンに等しい。
あれを正面からは受けられない。たとえ防ぎきったとしても、その次が続かない。
ここで仕留める。
昂揚に押されて間違えるな。
花剣の真骨頂は、火力ではない。
柔らかく、硬く、しなやかに、鋭く。風に吹かれて舞う花びらのように、優雅に踊れ。
「ぁぁあああああああああ‼」
左手で爆縮。それは推進力を求めたものではなく、ベクトルを変えるためのものだ。
前に進む勢いはそのままに、横方向の爆発を加えることで、螺旋を描きながら進行方向をずらす。
迫りくるショックウェーブに花剣を合わせ、滑る。
前に。
吹っ飛びそうになる身体を、脚と炎で強引に前に飛ばす。
花剣が魔力を斬り裂きながら、高らかに鳴き、風に煽られた火花が流星のようにいくつもの線を描いた。
交錯は刹那。
――間合いに、入った。
剣を振り下ろした姿勢の百塚に向けて、花剣を振るう。
狙うはエナジーメイル。もはや防御も回避も不可能。一閃でバラバラに砕くつもりで、俺は最後の一歩を踏み込んだ。
その瞬間だった。
うつむいたままの百塚が、剣の柄から手を離していることに気付いた。
離れた手に握っているのは、場違いなクリスタル。
なんだ――。
「――悪いな」
どこか自嘲を含んだような、これまでとは違う百塚の声が聞こえた時、手の中のクリスタルが砕けた。
中に封じ込められた何かが、透明な楔から解き放たれる。
そして俺は。
あらゆる方向感覚を失い、虚空に放り出された。
◇ ◇ ◇
真堂護と、百塚一誠が消えた。
それは不可思議としか言えない現象だった。
火と風の入り混じる嵐の目で、二人が衝突したその瞬間、本来起こるべき衝撃が一切起きなかった。
皆が何が起こったのかと目を細めた先、二人の姿は忽然と消えていたのだ。
誰もが事態を飲み込めない中、真っ先に動いたのは審判としてコート内にいた木蓮ではなく、外から見ていた鬼灯薫だった。
「――」
薫はあらゆる段取りをすっ飛ばし、コートに向かって走る。
未だ状況を掴み切れず、周囲の教員たちが張りっぱなしにしているクリエイトシールド。そこへ躊躇なく跳び込んだ。
衝突。
そして粉砕。
まるで障子紙を破るように、跳び蹴り一発でシールドをぶち抜いた薫は、シールドの破片が地面に落ちるよりも早く二人が消えた場所に到達した。
いくら確認しても、そこに二人はいない。ミラージュの可能性も考えたが、気配そのものが存在しないのだ。
ここにあるのは、仄かな熱と魔法の残滓だけだ。
注意深くあたりを見回した薫は、まだ残されている物があることに気付いた。
「これは‥‥クリスタルの破片ですか」
薫がその場から拾い上げたのは、透明なクリスタルの欠片だった。それもすぐに指の中で、幻想であったかのように粉々になって散っていく。
儚さよりも、証拠を消し去るような狡猾さを感じた。
あの一瞬の攻防。薫には全てが見えていた。
百塚の攻撃を受け流しながら肉薄した護は、試合前の宣言通り、『花剣』を振るわんとしていた。
あれが当たっていれば、勝負は決していただろう。
しかしそうはならなかった。
百塚がポケットから取り出したクリスタルを砕いた瞬間、二人の姿が消えた。
突如として足元に現れた『扉』に落ちたのだ。
一瞬の出来事だ。攻撃に全意識を振っていた護は避けることも出来ず、暗黒へと吸い込まれた。
百塚が使用した魔法ではない。あの魔法は『固有』だ。
クリスタルに封じられていた扉の魔法が、クリスタルの破壊と同時に発動したのだ。
物体を転移させる魔法。そして魔法を封じ込めたクリスタル。
両方とも、薫には見覚えがあった。
まだ薫が現役の守衛魔法師をしていた時代だ。当時彼女が戦っていたのは怪物だけではない。
魔法を使用し、社会に悪影響を与えるとされる『黒魔法師』たち。
彼ら魔法犯罪者たちは、世界的に使用される手配書が黒いことからそう呼ばれている。
黒魔法師を捕縛する仕事の中で、薫はこのクリスタルと、扉の魔法を目撃したのだ。
あのクリスタルは闇マーケットでも相当な高値で取引される希少品だ。そこらのごろつきが入手できる代物ではない。
「‥‥なるほど。あなたたちですか」
百塚一誠の異常な戦闘力。魔法に対する深い造詣。その理由に合点がいった。
考えるだけで毛が逆立つ、くそみたいな理由だ。
いつもの笑顔を貼り付けたまま、薫は一つの名を呟いた。
「『煉瓦の塔』」




