伯爵夫人、夫が仕事で忙しいので、ホストクラブに入り浸る
王都中心部にあるルドゥス家邸宅。
屋敷の主であるメルヴィン・ルドゥスが帰ってきた。
メルヴィンは30手前の若さながら、既に国王の政治を補佐する任についている。
黒髪の凛々しい風貌も手伝って、彼の未来を嘱望する声も強い。
妻であるエメリアがそんな夫を出迎える。
エメリアもまた、肩にかかるほどの金髪と、気品溢れる美貌を持つ夫人である。
彼女も夫を支えるため、社交界では貴婦人として存在感をアピールしている。
夫に報告したいことは山ほどあるのだ。
「あのね、お昼に貴婦人が集まるサロンに行ったのだけれど……」
「悪い。今日はそういう話はやめてくれるかな」
メルヴィンの返事は冷たかった。
「今は“王直下十臣”になれるかどうかの大事な時期だからね。なるべく余計な情報は入れず、政務に専念したいんだ」
しかし、言ってから「余計な情報」は失言だったと思ったのか――
「あ、いや、すまない。とにかく、今は政務に集中させてくれ。僕も父と同じく“十臣”に選ばれなければ、父の名を汚してしまう」
「はい……」
エメリアも従順にうなずく。
“王直下十臣”とは、王の周囲を固める重臣の中で、特に優れた十名に与えられる地位である。
この十名に入ることができれば、政治的な発言力が増すことはもちろん、ルドゥス家の家名もさらに高まる。
この十臣が近々一新されることが決まっており、メルヴィンも重臣の一人としてなんとしても十名の中に滑り込みたいと考えている。
国王によって直々に選ばれるので、今は君主に自分の能力をアピールする最も大事な時期といえる。
ただし露骨な点数稼ぎなどをしようとすれば、選ばれなくなるのは必定。
王に媚びへつらったりせず、なおかつ自分の能力を過不足なく発揮する。こういった繊細な心構えが必要となる。
今やメルヴィンに当主の座を譲り隠居した父モーゼルも、“王直下十臣”に選ばれたことがあり、その実力をいかんなく発揮した。
メルヴィンがピリピリしてしまうのも無理のないことではあった。
とはいえ、こうも夫からあしらわれては、エメリアとしても不満は募る。
例えば首尾よくメルヴィンが“十臣”に選ばれたとして、それで生活が好転するとは限らない。
“十臣”の地位を維持するために、“十臣”の中での発言力を高めるために、“十臣”の筆頭になるために――夫は神経を尖らせ続けるのではないか。
だとすると、自分はそんな夫とずっと一緒に暮らすことになるのだろうか。こんな不安も抱いてしまうのである。
***
二日後、ある邸宅で貴婦人の集まるサロンが開催される。
優雅に会話を交わしつつ、エメリアは特に心を許せる友である伯爵夫人ルシンダ・ルークに悩みを打ち明ける。
「……というわけなの。この先あの人とやっていけるのか不安で……」
「“王直下十臣”になれるかどうかの時なんてそりゃピリピリしちゃうわよ。のんびり領地経営やってるウチの旦那様にも少しは見習って欲しいぐらいだわ」
ルシンダはけらけらと笑う。
彼女のこういったところは、エメリアにとっても救いとなる。
「でも、“十臣”になったら、私を見てくれるようになるとは限らないし……」
「……」
ルシンダ持ち前の明るさも、今度ばかりはエメリアの不安を払拭するには至らない。
しばらく考えてからルシンダは――
「だったら……“ホストクラブ”でも行ってみる?」
「ホストクラブ?」
エメリアが首を傾げる。
「ホストっていうのは“接客する男性”って意味なんだけどね。今、街で流行ってるのよ。女性が行くと、男の人とお酒やトークを楽しめるの。実は私も一回行ったことあるんだけど、いい気晴らしになったわ」
「それは私も聞いたことあるわ。でも、私には夫がいるのに……」
「別におしゃべりするだけのクラブよ。それに、気が咎めるなら、旦那様に許可を取ればいいじゃない。今の旦那様なら“十臣”のことで頭がいっぱいで、きっと許可をくれるはずよ」
エメリアの不安材料はまだあった。
「それと、そういうクラブっていわゆる裏社会の人が仕切ってるんでしょ? 高いお酒を注文させられて、破産した女性もいるって聞いたことあるわ」
「そういう悪質なクラブも多いみたいね。だけど、私が勧めてるのはそんなクラブじゃないわ。なんでもオーナーが道楽でやってるクラブみたいで、料金は安いし、女性客に危険があるようなこともないし、ただ楽しく気晴らしができるってクラブよ」
「いくらなんでも女性に都合がよすぎるような……」
そんな夢みたいなホストクラブが本当にあるのだろうか。
話が上手すぎて、エメリアはどうしても疑ってしまう。
「もちろん、無理強いはしないわ。でも、今抱えている悩みは放っておいて解決するものでもないし、一度そういうところに飛び込んでみるのもアリなんじゃない?」
「……」
ルシンダが付け加える。
「ああ、そうそう。そのお店の名前は……『ホワイトダンディ』よ」
「ホワイト……ダンディ……」
エメリアは行くつもりはなかった。
しかし、ルシンダから教えてもらったホストクラブの店名と住所はしっかり記憶してしまった。
***
それから三日経ち、メルヴィンは相変わらず神経を尖らせた顔で邸宅に帰ってきた。
家に戻っても、その顔は険しいままだ。城内での政争がいよいよクライマックスに入っているのだろう。
そんなメルヴィンに、エメリアは思い切って打ち明ける。
「あのね……あなた?」
「ん?」
メルヴィンが眉間にしわの寄った顔で振り返る。
「今、街で『ホワイトダンディ』っていうホストクラブが流行ってるらしいの」
メルヴィンは黙って聞いている。
「ルシンダからそこが安くて楽しいって聞いたら、私も一度行ってみたいなー……って思っちゃって」
「……」
メルヴィンはさほど表情も変えず、こう言った。
「好きにすればいい」
「え……」
「君もその店が危険な店でないことぐらいは調査済みなんだろう? だったら行ってくればいいさ。何事も経験だし、楽しんでくるといいよ」
「ええ……ありがとう」
許可は取れた。
だが、エメリアは寂しくもあった。
心のどこかで「ホストクラブだと!? ふざけるな、君は僕の妻だろう!」と叱って欲しい部分もあった。
しかし、そうはならなかった。
エメリアが退室した後、壮年の執事がメルヴィンに話しかける。
「旦那様、よろしいのですか。奥様にホストクラブなど行かせて……」
「僕だってバカじゃない。彼女が寂しがってることぐらい気づいていたさ。だが、今は本当に彼女に心を向けてやれる余裕がないんだ。だったら……せめて僕が“十臣”になるまでの間ぐらい、彼女に好きにさせてあげなくては……」
メルヴィンは自身の不甲斐なさを恥じるようにうつむいた。
***
次の日の夕方、エメリアは御者に馬車を出させ、ホストクラブ『ホワイトダンディ』に向かった。
ただし、店の前まで乗りつけるような真似はしない。
少し離れた場所に馬車を止め、そこからは徒歩で向かった。
「これが……ホストクラブ……」
『ホワイトダンディ』の外装は、意外に質素だった。
白塗りの建物に、堂々とした書体で掲げられた看板があるのみ。
もっと派手な店を想像していたエメリアは拍子抜けしてしまう。
しかし、建物全体に気品は溢れており、「ここは女性に危険はない店」と思わせるものがあった。
もちろん、それが巧みな罠という可能性もあるのだが。
怖いもの見たさもあり、どんな店なのか入ってみたい。
許可も取ったし、夫を裏切ることにもならない。
しかし、ためらってしまう。
エメリアが店の前で右往左往していると――
「おやおや、ウチの店に興味がおありかな?」
スーツを着た白髪の老紳士が声をかけてきた。
エメリアは驚く。
「あなたは……!」
「私はこのホストクラブ『ホワイトダンディ』のオーナーをやっておる者です。ご覧の通り、白髪で白髭、この店の名前の由来はもちろん私でしてな」
「……!」
「ささ、精一杯サービスさせて頂きます。どうぞ」
「はい……」
エメリアは警戒心をあっさり解いた。
オーナーにエスコートされ、そのまま店内に案内される。
***
店内の雰囲気は、外からの印象と変わらないものだった。
ランプの穏やかな明かりの中、テーブル席がいくつも並び、女性客と接客を務めるホストが楽しく談笑している。
女性が過剰に褒められたり、高級な酒が派手にどんどん注文されたり、などということはなかった。
「私らは一番奥の席に座りましょうか」
エメリアはオーナーと共に、奥の席に座る。
「何か飲まれますかな?」とオーナー。
「じゃあ、ワインを少しだけ……」
「それじゃ私もそうしましょう」
出てきたワインで乾杯をする。
ワインの味は上質で、舌の肥えたエメリアも満足いくものだった。
エメリアは店を見渡し、率直な感想を述べる。
「とてもいいお店ですね」
「こりゃどうも」
「私、ホストクラブってもっと怖いお店だと思ってたもので」
「今、街で悪質なホストクラブが問題になっておるでしょう。女性を楽しませるはずの店が、女性を食い物にしている、と。私はあれが許せませんでな。つい、こんな店を作ってしまったわけですよ」
オーナーが肩を揺らしてかっかっかと笑う。
「この店の従業員は全員、しっかり身辺調査をやっとりますからね。女性を食い物にするような輩は一人もおりません。楽しく健全なホストクラブ、それが私のモットーです」
豪快に笑うオーナーに、エメリアも微笑みを浮かべる。
「ああ、もちろん、この店を開いたのはそれだけの理由ではありません」
オーナーの声と同時に、出入り口の扉が乱暴に開かれた。
外から凶悪な人相の男たちが何人も押し寄せてくる。
その中のリーダー格が言った。
「おうおうおう! こんなホストクラブ作りやがって! おかげでウチに来てた女どもはみーんなこっち来ちまった! せっかく骨の髄までしゃぶり尽くそうとしてたのによォ!」
いわゆる悪質なホストたちである。エメリアが言及したように、元は裏社会の住人である。
客を全て『ホワイトダンディ』に取られてしまい、殴り込みをかけてきたのだ。
突然の荒事にエメリアの顔も強張る。
「なぁに、心配しなさんな。ウチには強いのが一杯いますから」
オーナーの言葉通り、まもなく店の奥から屈強な男たちが現れた。腕は太く、胸板は厚く、スーツの上からでも鍛え抜かれているのが分かる。
悪質ホストたちは全員立ちすくんでしまう。
が、このままでは収まりがつかない。
用意していた棍棒や刃物を持って、ガムシャラにかかっていく。
こんな無謀な暴力が、当然成果を出せるはずもなく――
「あ、がが……」
「いでえ……」
「ひいい……」
全員あっけなく叩きのめされた。
そんな彼らの元に、オーナーが自ら向かう。
「私の言葉をよぉく聞け、悪漢ども」
「う、うう……」
「レディの扱い方も知らぬゴロツキが、ホストを名乗るなどおこがましいにも程があるわ。お前たちにはお前たちのような輩に相応しい道を用意してやろう。せいぜい覚悟しておくのだな」
威厳と迫力を兼ね備えた言葉に、ホスト改めゴロツキたちはうなだれる。
エメリアは合点がいった。
このホストクラブはああいった悪人たちを呼び寄せる“罠”の役割もあるんだ、と。
後日、彼らは揃って厳しい環境である北の鉱山に送られることになる。
帰り際、オーナーはエメリアに言った。
「また来て下さいますかな?」
「ええ、もちろんですわ」
帰りの馬車に揺られながら、エメリアは「素晴らしいホストクラブを見つけた」と思った。
***
それからというもの、エメリアは毎日のようにホストクラブ『ホワイトダンディ』に通った。
店が開く夕方頃になると、馬車を出して、街に向かう。
家のことは信頼できる執事やメイドに任せてある。
エメリアは『ホワイトダンディ』でオーナーとお酒と談笑を楽しみ、少々のお金を使い、夜中に邸宅に帰るという日々が続いた。
ある夜、帰宅したメルヴィンが執事に尋ねる。
「エメリアは?」
「ホストクラブに行く、とおっしゃっていました」
「またか……」
許可を出したのは自分とはいえ、少し不満を抱いている。
「かなりの大金を使ってるんじゃないのか?」
「それが……奥様のポケットマネーで十分賄えているようで」
「酒で体を壊したりは……」
「いつも、さほど酔ってはおられません。クラブではお酒より会話を楽しんでいるようです」
世間に愛嬌を振りまくのも、貴族夫人の嗜みの一つである。散財や過度な飲酒があれば、それを材料に妻をたしなめることもできるが、どうやらそういう事態にはなっていないらしい。
主人の心を察した執事が言う。
「私から『旦那様が心配なされてた』と申しましょうか? そうすれば奥様も聡明な方なので、ホストクラブ通いをやめるかと……」
だが、メルヴィンは首を振る。
「いや、許可を出したのは僕だし、そういうことはしたくない。なに、“王直下十臣”に選ばれたら、僕が直々に彼女に言うさ」
「かしこまりました」
執事も出過ぎた真似はしない。
エメリアのホストクラブ通いはしばらく静観するという方向に決まった。
一方エメリアは『ホワイトダンディ』で、オーナーと酒と会話を楽しむ。
「それじゃ、また明日来ますね」
「楽しみに待っていますよ」
馬車に乗って優雅に自宅へ戻る。
夫の複雑な胸中を彼女が知っているのかどうか――
***
エメリアがホストクラブに通い始めてからひと月が経った。
城の玉座の間にて、ついに“王直下十臣”の発表が行われる。
老年の国王が玉座に座り、その横に立つ宰相が発表を行う。
「それでは、次期“王直下十臣”を発表する」
名前が読み上げられる。
まずは、いわゆる“本命”といえる古株の重臣たちの名前が読み上げられていく。
メルヴィンは生きた心地がしない。
そして、六人目――
「第六席、メルヴィン・ルドゥス!」
「……!」
読み上げられた。
メルヴィンは晴れて“十臣”の一人に選ばれた。
周囲からの反応は、驚きと納得が半々といったところ。
しかし、メルヴィンの能力に疑問を抱く人間はなく、彼の就任は温かな祝福で迎えられた。
メルヴィンも思わず安堵の笑みをこぼす。
むろん、これはゴールではなく新たな出発点に過ぎない。
だが、ようやく一息つくことができる。
エメリアにも胸を張って報告できる。
十臣になれたよ、君にも苦労をかけたね、と言いたかった。
脇目も振らず、彼が邸宅にたどり着くと――
「奥様はホストクラブに向かわれました」
報告すべき妻はいなかった。
愕然とするメルヴィンに、執事が尋ねる。
「奥様をお待ちになりますか?」
「いや……」
メルヴィンは首を振った。
「連れていってくれ。僕をホストクラブに連れていってくれ!」
「かしこまりました」
メルヴィンが珍しく声を荒げる。
執事は直ちに馬車を手配した。
着替えることもせず、メルヴィンは馬車に乗り込む。
メルヴィンはようやく気づいた。
なぜ自分があれほど“王直下十臣”にこだわったのか。
それは、他ならぬ妻のためだった。
エメリアに苦労をさせたくなくて、エメリアが誇れるような夫になりたくて、エメリアに褒めて欲しくて、彼は“十臣”の座に執念を燃やした。
なのに、自分はそのために妻を蔑ろにした。
“十臣”になれても、彼女がいなければ意味がない。彼女に嫌われては意味がない――
もう遅いかもしれない。
彼女の心はホストクラブにいるであろう顔も知らない男に奪われてるかもしれない。
しかし、きっと間に合う。
“王直下十臣”という手土産を持って、彼女に謝ろう。
僕にはそうすることしかできない。
メルヴィンは馬車の中で祈るような気持ちだった。
やがて、馬車は『ホワイトダンディ』に到着する。
予想に反して質素な建物に多少驚いたものの、今はそんな場合ではない。
悪党に捕らわれた姫を助けに行く騎士にも似た気持ちで、メルヴィンは『ホワイトダンディ』に突入した。
***
『ホワイトダンディ』内では、大勢のホストと女性客が和やかに酒や会話を楽しんでいた。
健全な雰囲気に面食らいつつ、メルヴィンは血眼でエメリアを探す。
従業員が話しかける。
「お客様、どうなさいました?」
「ここに、僕の妻が来ているはずなんだ! エメリアというんだが……どこにいる!?」
「ああ、エメリア様なら、あちらに……」
「ありがとう! ……エメリアッ!」
早歩きどころか、メルヴィンは走る。
最も奥の席に、白いドレスを着たエメリアがいた。
毎日顔は合わせていたのに、ずいぶん久しぶりに彼女の姿を見る気がする。
まず、なんといえばいいか。
“王直下十臣”になったことを報告するか?
いや、ひとまず謝ろう。
謝って、自分の元に帰ってきてくれと言おう。全てはそれからだ。
「エメリアーッ!」
メルヴィンが大声を上げる。
すると、ソファに座るエメリアが明るい顔で出迎える。
「あら、あなた! 来てくれたのね!」
またも面食らうメルヴィン。
もっと冷酷な、「今更何しにきたの」というようなリアクションを覚悟していた。
「僕は君に謝らなくてはいけない!」
「謝るって……何を?」
エメリアはきょとんとしている。
「あ、いや、冷たくしたこととか……」
「そのことなら、もう気にしてないわ。あなたは大事な時期だったんだし、こうしてクラブに来る許可もくれたわけだし」
問題はそれだ。
エメリアが気にしてなかろうと、彼女の心が自分になければ意味がない。
エメリアをこうも夢中にさせるホストは一体どんな奴だと、メルヴィンは一緒にいる男に目を向けた。目を向けるどころか、睨みつけていたかもしれない。
そして、その顔は凍り付いた。
「よぉ、久しぶりだな。メルヴィン」
「……!? ち、父上……!?」
エメリアの相手をしていたホストは自分の父だった。
モーゼル・ルドゥス。ルドゥス家前当主。かつて“王直下十臣”を務めたこともある、メルヴィンが最も尊敬する人物の一人である。
なんで尊敬する父が、ホストクラブにいて、妻と一緒に、酒を。
混乱しているメルヴィンに、エメリアが説明する。
「お義父様ね、このホストクラブのオーナーをやってらっしゃるのよ」
「なんだってぇ!? 父上が……オーナー!?」
ますます混乱してしまう。
そんな息子をたしなめるように、モーゼルが言う。
「少しは落ち着かんか。愛する妻の前でみっともないぞ」
「あ、う、うん……」
普段は王も頼りにする重臣であるメルヴィンも、父の前では叱られた子供のようになってしまう。
「しかし、なんでホストクラブのオーナーに?」
「お前に当主を任せた後、暇になってしまってな。幾人かの商人や職人に私財を投資したら、彼らはみな成功してしまって、何倍にもなって返ってきてしまった」
先見の明に優れた父らしい、とメルヴィンはうなずく。
“十臣”を務めていた頃も、モーゼルは未来を読むことに長けていた。
「この金で何かできないかと思っていたら、どうやら巷では女性を食い物にする悪質なホストクラブが蔓延ってるらしいと聞いてな。いっそ私がそういう連中を駆逐するホストクラブを作ってしまおうと思い立ったのだ。そうしてオーナーをやっていたら、店の前にエメリアさんがいるのを見かけてな。せっかくだから店を楽しんでくれ、ということになったのだ」
「なるほど……」
エメリアが補足説明をする。
「お義父様に救われた人は大勢いるのよ。借金漬けにされてた女性や、暴力が怖くて逆らえなくなってた女性……みんな助けてあげたんだって」
「ま、こういう道楽もアリだろ?」
「父上らしいや……」
若い頃の父はモテたと聞く。父らしさを感じるエピソードである。
「しかし、母上はなんと?」
「『あなたのお好きなように』だとさ」
それもまた母上らしい、とメルヴィンは思う。
そして、妻が誰とも知れぬ男に惚れたわけではないと知ってほっとする。
「それよりメルヴィン、お前はエメリアさんに伝えねばならんことがあるだろう? めでたい知らせをな」
「あ、そうだ……! エメリア、僕“王直下十臣”に選ばれたよ!」
「まあ、おめでとう!」
エメリアがメルヴィンの両手を握り、喜びを示す。
メルヴィンはこの笑顔を見たかったんだ、と感慨にふける。
しかし、引っかかることもあった。
「……ん? なんで父上が、僕が“王直下十臣”に選ばれたことを知ってるんだ?」
これにモーゼルはこう答える。
「私はすでに陛下から、お前を“十臣”にすることは聞いていたからな」
「ええっ!?」
まだ父と国王にそんな繋がりがあったとは、とメルヴィンは驚く。
「陛下は十人のうち三人はすんなり決まったとおっしゃっていた。そのうちの一人がお前だそうだ」
「うん……」
メルヴィンは顔をほころばせる。
父はこの手のお世辞を言うタイプではないし、国王からの自分の評価が高かったことが素直に嬉しい。
「しかし、だ。もう一つ、陛下からの苦言も伝えておく」
「え……」
雲行きが変わった。
「メルヴィンは若く優秀だが、肩肘が張りすぎている。あれではすぐ潰れてしまう。政治とは、どっしりと構えてやるものなのだ、とおっしゃってたぞ」
自分が必要以上にピリピリしていたことも見抜かれていた。
メルヴィンは自分が恥ずかしくなる。
その上で国王は、自分に期待をかけて“十臣”に選んでくれた。この期待を裏切ることはできない。
「ここからは私の言葉だが、お前はいい奥さんを持ったな」
突然父は何を言い出すんだ、と思うメルヴィン。
「私はここでのことはお前には絶対漏らさぬつもりでいたし、エメリアさんには思う存分日頃の不満を吐き出してもらおうと思っておった。しかし、エメリアさんはお前への不満など欠片ほどもこぼさなかった」
「え……」
「それどころか、『ルドゥス家当主の妻としての心得を教えて下さい』と私に教えを請うてきたのだ。なので、このクラブでは私の昔話をずっとしていたよ。何かの参考になるだろうと思ってな」
「そうだったのか……」
メルヴィンが目を向けると、エメリアは照れ臭そうに目を背ける。
「少しでもあなたの力になりたかったから……」
「ありがとう……!」
「エメリアさんを大切にせにゃならんぞ」
「もちろんだよ、父上」
「じゃあ、エメリアさん、今日はもう息子と帰るといい。私はもう少し仕事があるのでな」
「そうさせて頂きます」
エメリアが席を立ち、メルヴィンに並ぶ。
「父上こそ、女性を助けるのもいいけど、母上を大切にね。母上を怒らせると怖いんだから」
「うぐ……分かっておるわ」
最後の最後に息子から手痛い反撃を喰らってしまったモーゼルだった。
***
帰りの馬車の中で、エメリアが謝る。
「ごめんなさい、あなた。心配かけちゃって……」
メルヴィンは首を横に振る。
「いや、謝るのは僕の方だ。ここしばらくの僕の君への態度は、あまりにも酷かった」
「ううん、いいのよ。あなたがどれだけ“十臣”になりたいか、私も分かっていたから」
「……」
「それにね、お義父様もあなたと同じような道を歩んだらしいわ。“十臣”になれるかって時には神経を尖らせて、お義母様に冷たくしたこともあるんだって」
「父上が……知らなかった」
メルヴィンは幼少の頃から“母に優しい父”しか見たことがなかった。
あの父に自分と同じような時期もあったなんて、信じがたいことだった。
「だけど、お義母様のおかげで、当主を引退する時まで“十臣”でいられることができたらしいわ」
エメリアがメルヴィンの膝にそっと手を乗せる。
「だからね、私もお義母様のようにあなたを支えてみせるわ」
「うん、僕も“十臣”としてしっかりやっていくよ。父上のように……いや、父を越えてみせる!」
「あら、陛下から“肩肘を張りすぎないように”って伝言を受けたばかりじゃない」
「そうだった……」
二人はけらけらと笑い合う。
「ところで、ホストクラブって楽しかったかい?」
「ええ、楽しかったわ」
エメリアはうなずく。
モーゼルとの会話が楽しかったのはもちろんだが、『ホワイトダンディ』は雰囲気がよく、居心地がよかった。
「そうか……。だったら今度、僕も家で君のホストをやらせてくれないかな? 君をお客だと思って、もてなしてみたいんだ」
「まあ、面白そう」
「父上のようにはいかないかもしれないけどね」
「お義父様はお義父様、あなたはあなたよ」
二人は仲睦まじく邸宅に戻る。
そして、後日この約束は果たされた。
「いらっしゃいませ、エメリア様。今宵はこの私があなたのホストを務めます」
「よろしくお願いします」
ぎこちない接客ではあったが、エメリアにとってメルヴィンは最高のホストだった。
城では“王直下十臣”をも務め、誰もが認める若き伯爵であるメルヴィンが、今この時だけは自分のために尽くしてくれる。
こんなホストを独り占めできるなんて、私はなんて幸せ者だろう、と感じた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。