表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

滅びの呪文

作者: かつエッグ


 ぼくは、滅びの呪文を知っている。

 もう何度も唱えようとした。

 でも、うまくいかなかった。


 あれは、幼稚園の頃だったと思う。

 仲間はずれにされ、ウサギ小屋の後ろで泣いていたぼくの前に、そいつは現れた。

 黒い男。

 そうとしか言いようがない。

 暗闇がそのまま人の形をとったような、そのものは、いつの間にか、ぼくの前に立っていた。

「滅びの呪文を授けよう」

 と、そいつは厳かに言った。

「この呪文を唱えれば、世界は滅ぶ」

 世界が滅ぶと言うことばの意味は、その時の自分には難しかったが、つまり、何もかもがなくなるということだと、ぼくは理解した。

「呪文は、こうだ——」

 黒い男が、ぼくの頭の中に、呪文を押しこんだ。ぼくの頭の中に、その呪文が鳴り響き、そして脳には呪文が深く刻みこまれたのだ。けして忘れてしまうことなく、永久に。

 いつでもぼくは、脳内にその呪文を再現できる。

 その時、ぼくは、頭の中で再生される呪文を、思わず口に出していた。そっくりそのまま。

 そして、戦慄した。

 今、滅びの呪文を唱えてしまった! と。


 ——何も起きなかった。

 砂場では、ぼくを除け者にした連中が、笑い声を立てて遊んでいた。

 ウサギ小屋の隅では、ウサギたちがおびえたように、かたまって、こちらを見ている。その耳が、ぴくりと動いた。

「なあんだ」

 ぼくは、半分はほっとしながら、つぶやいた。

「何も起きないじゃん」


 ぼくは、それから滅びの呪文を抱えながら、生きてきた。

 ぼくは何度も、滅びの呪文を唱えてしまった。

 とんでもないやつだと思われるかもしれない。

 ただ、実のところ、いくら唱えても滅びの呪文が発動しないだろうという確信が、ぼくにはあったのだ。

滅びの呪文の一部に、どうやっても人間には発音できそうにない音があって、それが再現できない限り、呪文は完成しないのだ。なんて形容したらいいのだろう、舌が痙攣するような巻き舌音と、喉の奥で血が溢れるようなゴボゴボ言う音を組み合わせた、その音。ぼくは一度だって、それに近い音でさえ、出せた覚えがなかった。

 だからぼくは、滅びの呪文がその力をふるわないことを分かっていて、呪文をとなえていたのだ。

 でも、それが、弱いぼくを支えてくれていたのかもしれない。

 ぼくは(発動しないけれど)滅びの呪文を知っている。

 その気持ちが、ぼくを生き延びさせてきた。

 ぼくは、なにかあるたびに、呪文を唱えた。

 自分が味わう理不尽。

 ぼくの周りの人が味わう理不尽。

 ニュースで目にする、他国の人びとの苦難。

 そんなものを目にするたび、もういっそのこと、こんな世界など、もろともに滅びてしまえ、そんな気持ちで(しかし、それがけして実現しないことに安心しつつ)滅びの呪文を唱えるのが、ぼくの日常だった。

 今日も、ニュースで、戦火のもと、家族を、家を奪われて、逃げまどう人びとを見た。

 クリスマスが近いというのに、その土地に安心はなかった。

 真冬の極寒の中、瓦礫と化した街。

 灰に塗れ、服もぼろぼろで泣き叫ぶ少女が映る。

 ぼくは、滅びの呪文を唱える。

 それは、もう、ほとんど無意識のうちにぼくの口から滑り出してくる。

 呪文を唱えているうちに、ニュースのシーンが切り替わる。

 そこに映っているのは、先ほどの少女だ。

 少女になんとか救援の手が伸び、毛布をかけられた少女は、その懐に犬を抱いていた。

 少女は、自分の悲惨にもかかわらず、おそらくこれも戦火を逃れたのだろうその犬を、慈愛の目でみつめ、やさしく撫でている。その気高さ。

 ああ、良かった。

 と、そのとき。

 ()()()

 呪文を唱え続けたぼくの舌が、するっと滑り、

 ()()()

 喉が鳴って。

 およそ考えられないような低い確率が成就し、人間にはできないはずの発音がぼくの口からこぼれた。

 ()()()()()()()()()()()()()

 やめて!

 そんなつもりでは!

 頭の中でぼくは叫んだ。

 しかし、ぼくの口は、滅びの呪文を唱え続けることを、けっしてやめてはくれなかった。


 

 何かが砕ける甲高い音が、世界のあらゆる場所で鳴りひびいた。


 あなたは、その音を聞く。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 企画から参りました。はじめまして。 文章が上手いですね。非現実的な内容ですが、すらすら頭に入ってきました。 それから最後の文もドキッとしました。 [気になる点] 最後、どうして主人公の口が…
[良い点] はじめまして。 企画から参りました。 本編。 オチが明確でショートショートのようでした。 私はショートショートが大好きな者ですが、結末はこれがベストのような気がします。 ラスト。 上手に…
[良い点] 中国語の発音は難しく、ネイティブの人と会話していて、自分ではふつうに話せたつもりでも伝わらず、「哈(は)?」とよく言われます(*^^*) 滅びの呪文もそんな感じなのでしょうね。 私もたまた…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ