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夢の通ひ路

伯彦の旅日記 ~孤独の旅路~

作者: 斎木伯彦

§序章

 蔵開き。

 それは江戸時代、新年に大名が米蔵を初めて開く儀式を執行したり、商家が蔵を開く時に祝ったりする風習であった。

 そして現在、お祝いに客を招いて行われる蔵開き。

 伯彦が贔屓にしているのは酒造会社の『山梨銘醸』である。

 山梨銘醸の蔵開きはかつて、二月に行われていた。恐らくは旧暦の正月に合わせて行われていたと類推する。

 しかし、山梨県を襲った豪雪被害、死者まで出したあの豪雪以来、三月の暖かい時期にずらして開催されるようになった。

 多くの人が訪れ、賑わう蔵開き。今年もその時期が近付いていた。


§胎動

 二月上旬。

「来たぞ、ついに来た」

 私はスマホの画面を見ながら、ニヤリと笑う。

「何、笑っとるん?」

 机の向こうから同僚が声を掛けた。

「蔵開き開催のお知らせだ」

「ふ~ん」

 興味がないといった風情で、同僚は手元へ視線を落とす。同僚の手元のスマホ画面では、アグネスデジタルが走っていた。

「お土産は何がいい?」

「鴨肉」

 私に問われた同僚は即答だった。興味がない風情でも、彼は私がどこへ行くのかは理解していたのだ。

「お主も好きよのう」

 時代劇の悪代官のようにおどけて見せるが、同僚の反応はない。

「金精軒も寄るけど、カステラは?」

「スイポテお願いします」

 これまた即答である。同僚への土産物は、目に付いたアニメグッズを追加購入しておけば問題ないだろう。


 数日後、私は愕然としていた。

「何……だと……?」

 スマホ画面には、蔵開きの情報が表示されている。

『酒蔵開放、3年ぶりの開催』

 コロナの影響で中止していた酒蔵開放が、今年は開催される。

「マズイ、マズイぞ、これは……」

 酒蔵開放が実施されていた頃に思いを馳せる。

 自家用車で満たされる駐車場、観光バスからゾロゾロと降りて来る団体客、近隣の道路に溢れる歩行者と身動きできない自家用車、当然ながら醸造所の構内もお客さんでごった返す盛況ぶり。

 遅い時間帯に行っては目当ての商品が売り切れている可能性すら否定できず、実際に昨年は油断して遅い時間帯に訪れたため、目当ての商品が売り切れていて入手できなかった苦い経験をしている。今年の限定酒でも発売直後に完売している種類が幾つかある。

 昨年は完売で完敗。私は乾杯できなかった。

「少し早めに出るか、いやそれとも別の目的地を外すか」

 悩ましい問題である。

 片道400キロメートル近い行程なので、できれば一度の訪問で可能な限り多くの目的を達成したい。しかしそれで目当ての商品購入ができないとなれば本末転倒だ。

「ぐぬぬ……」

 開催中日(なかび)の土曜日に訪問予定で、所長にはそれを伝えていたが休暇申請は未達だ。予定を変更するかどうか、業務との兼ね合いもある。

 計画を練らなければならないのだが、業務の多忙に押されて余裕がない。何なら、執筆活動の時間すら取れない。そうこうする内に二月も半ばが過ぎた。

「本日は視察に向かって下さい」

 新しい顧客との仮契約が取り交わされ、職長である私に下見に行くよう令が下った。同行するのは職長補の同僚と、実際に業務に当たる二人を加えた四人である。

 最も若い職長補の運転で現地に向かう。下見を終え、昼食の時間になった。

「蕎麦と中華と大盛り、どれがいい?」

 私の問い掛けに同僚たちは当惑している。営業時間の確認をしていると、一軒だけ定休日だった。

「大盛りの店は休みだから、蕎麦か中華だな」

「どっちが近いんですか?」

「蕎麦屋が近いけど、早く行かないと混雑する」

「じゃあ蕎麦屋にしましょう」

 E市I町の蕎麦屋、D福さんは他の二軒と併せて『黄金の三角地帯ゴールデントライアングル』と私が勝手に呼んでいる店舗の一角だ。

 私の案内で蕎麦屋D福さんに到着。開店十分前、最適な時間だが、既に駐車場では一台の車が開店を待っていた。平日の昼間に開店待ちとは、驚くより他ない。

 店舗が営業を開始し、我々は店内へと足を進めた。この店の恐ろしさは初見を不安にさせる客の注文にある。私も初めて訪れた時に蕎麦を注文して待つ間、目の前をオムライスや中華そば、焼き飯が通過し、蕎麦がなかった時には本当に大丈夫なのかと不安になったものだ。

 席に着いて注文し、蕎麦を待つ間にほぼ満席になる。

 私はおろし蕎麦と卵とじカツ丼のセットを注文した。私の居住地域ではソースカツ丼が主流ではあるが、私はこの店に限っては卵とじカツ丼を注文する。カツの上に出汁の効いた卵のみを掛けて提供されるカツ丼は、簡素ではあっても他にない美味を味わえる。

 相変わらずの美味に舌鼓を打って、我々は会社へと戻った。

 翌日は新規事業の事前教育。連日の教育を想定していたにもかかわらず、他の営業所でインフルエンザの集団感染が発生し、トコロテン方式で本社へ応援に赴いた。

 週末は職長会を終えてからの事前教育の二回目。この時点で蔵開きを二週間後に控えていたが、休暇申請はまだ提出していなかった。

 翌週は資格者が必要な特殊業務。日程も厳しく、連日の残業となる。いよいよ月が代わり、私は所長に電話した。

「来週末、休んでも大丈夫ですか?」

「例のあれやったっけ? 予定は空けてあるで、早めに休暇申請を提出して欲しい」

「分かりました」

 事前に話しておいて正解だった。その日は少し早めに終わったので、会社に戻ってすぐに休暇申請を提出。これで一安心である。

 翌週、新規事業の本契約を交わしたので、業務の細かい詰めの協議に向かう。今回、所長がお子さんのインフルエンザの影響で休みになったため、職長二人で打ち合わせに向かった。

 午後からの打ち合わせなので、腹ごしらえをしようと蕎麦屋に足を運ぶ。

 前回のD福さんは定休日なので、S市内にあるJ坊さんへ。

「このドラッグストアの脇道を入って、しばらく行くと見えて来る。もう道は憶えたやろ?」

「いや、分からん」

「分からんじゃなくて、憶える気がないな?」

 車内で漫才を繰り広げつつJ坊さんに到着。11時30分、既に駐車場は半分ほど埋まっているが、この後は入ることもできなくなる。

 暖簾を潜り、席に着く。

「ここって、ソースカツ丼は美味しい?」

 同僚に問われて、私は黙考した。

「普通かな。特に美味しいという記憶もない」

「ふむ」

 私の返答に思案を重ねているようだ。そして我々が出した結論は……。

「ご注文、伺います」

「ソースカツ丼とあげおろし蕎麦のセットを二つ」

 このお店の人気セットだ。待つこと暫し、すぐに提供された。

 あげおろし蕎麦は、おろし蕎麦の上に焼いた薄揚げを乗せている。この薄揚げのパリパリ食感が良いのだ。

 同僚は蕎麦に出汁を一気にぶっかけたが、私はソースカツ丼に箸を付ける。

 ソースカツ丼を半分ほど食べたところで、薄揚げを一切れ食べる。それから出汁を麺の横から注ぎ、薄揚げに掛からないよう注意を払う。

 二切れ目には大根おろしを乗せ、その後は出汁を含ませたりと、複数の味を楽しめるのだ。

 蕎麦とカツ丼を平らげる頃には、店の入り口付近で待っている人が現れるぐらいには繁盛している。

「そろそろ出よう」

 店内でノンビリしている時間はない。これからお客さんが更に押し寄せて来るのだから。

 取引先にて打ち合わせを順調に終えた我々は、帰社して報告書を作成するのであった。


§始動

 いよいよ蔵開き当日ではあるが、私は出勤していた。

「日付が変わったら、すぐに出発したいのに、どうして残業の可能性がある業務に……」

 私は愚痴をこぼしながらも業務は誠実に遂行する。

 なんやかんや、午前中で業務は終了した。

「このまま帰るんですか?」

 取引先の責任者さんが、帰り支度をしていた私に声をかけて来る。

「ええ、帰りますけど、お気に入りのパン屋があるので、そこへ寄ってからですね」

「パン屋さん、近所にあるんですか?」

 私が道順と店名を伝えるも、責任者さんは首を傾げた。口頭で伝わらないならば、手段は一つ。

「では、ついて来て下さい」

 私の提案に責任者さんは快諾する。車二台で目当てのパン屋さんへ。

 M岡町の頭文字(イニシャル)Mのパン屋さんは、店主が神戸の有名店で修業して、数年前にこちらで開店したばかりの新しい店舗だ。口コミで人気は出ているが、まだまだ知らない人も多い。

 駐車場に到着すると、暴力的なカレー臭。昼食前の胃袋にこの馥郁たる香りが直撃した。

「カレーパンの誘惑に勝てない」

 呟きつつ、カレーパン、クリームパン、ベーコンエピ、フランクフルトとチーズの惣菜パンをお盆に乗せて会計へ。

 同行した責任者さんは何を買うか迷っている様子。

「どれを選んでも美味しいですよ」

「クロワッサンが二種類ありますけど、どちらが美味しいですか?」

 天然酵母を使ったちょっとお高いクロワッサンと、通常生地にバターしっかり目のお手頃価格のクロワッサン。

「私は天然酵母のクロワッサンが好きですけど、バターが利いていてこっちが好きと言う人もいます。正解は、二つとも購入して食べ比べです」

 小さな店舗なので、私の声はレジで待つ店員さんにも丸聞こえのはずである。会計を済ませた私は、先に店外へ出た。追って責任者さんも出て来るが、とても一人では食べ切れないほどのパンが詰まった袋を提げている。

「これから会社に戻って、みんなで分けて食べます」

「それはいいですね。冬になるとシュトーレンというドイツの菓子パンも売ってますから、お客さんが増えてお店が長続きすると助かります」

 偽らざる本心を述べ、後は本日の業務を労って解散した。

 少しでも時間が惜しい私は高速道路を利用して帰宅。昼食前にカレーパンを頬張り、入浴してから就寝。

 夕方に起床すると、電話の呼び出し音が鳴った。会社からの電話で週明けの勤務内容が伝達される。

 夕飯を摂り、洗濯機を稼動させている間に、ウマ娘のデイリークエストをこなす。

 最近は時間がないので、途中で終わるようにメジロマックEンを量産するばかりだ。

 洗濯物を干して、再度就寝。真夜中の出発に備える必要がある。


§作戦開始

 午前零時過ぎ、私は目を覚ました。

 出発予定時刻は午前一時なので、程良い時間だ。

 オイルヒーターの上で温めていた缶コーヒーを開栓し、一口含む。それから昼に購入したパンを袋から取り出した。

 最初はフランクフルトとチーズのパン。黒胡椒がしっかり効いていてチーズと相性がいい。フランクフルトも小気味良い音を立てる歯ごたえが堪らない。

 たちまち食べ切り、次はクリームパンだ。

 昼間に購入したパンとは思えないほど舌触りは滑らかで、クリームもしっかりしている。余計な水分がないので、パン生地の食感も損なわれていない。瞬く間に平らげ、ベーコンエピに手を伸ばす。

 ベーコンエピは、焼き立てフカフカの状態から、時間を追うほどに水分を吸って徐々に固くなる。だが、それがいい。

 よく噛むことで脳が刺激され、コーヒーに含まれるカフェインと相俟って覚醒状態に早く到達する。

 夜食を終えた私は、勢いを削がないよう素早く着替えた。

 後は時間との勝負だ。

 トイレを済ませて、洗浄剤を放り込む。泡洗浄のこの薬剤は放置しておくだけで良いので楽チンである。水槽には洗浄後の便器を清潔に保つ薬剤を入れる。

 購入する日本酒やお菓子等のため、小さめの保冷バッグに保冷剤を詰めて、その小さめの保冷バッグを大きな保冷バッグに入れ、タオルを数本入れる。これで準備万端だ。

 深夜一時前、ご近所様の迷惑にならないよう、静かに出発した。


§経路(ルート)

 福井市内から目的地の山梨県までは、幾つかの経路(ルート)がある。

 ナビアプリでは北陸道を米原方面に向かい、名神高速道路を名古屋経由で東名高速道路、静岡県内の新清水ジャンクションで中部横断自動車道を北上して道の駅なんぶに至る経路(ルート)が時間的に早いようだ。大体五時間ほど。

 しかし、私の愛車は軽自動車で、しかも冬タイヤなので長時間の高速移動は避けたい。

 他の経路(ルート)も北陸道の砺波ジャンクションから飛騨高山経由であったり、上越ジャンクションから長野経由であったりと、高速道路の利用が推奨されてしまう。

 仕方なくナビアプリの設定に経由地を二つ追加した。

 これで最短距離、必要時間が約六時間だ。

 朝の八時到着予定で私は深夜一時前に出発した。

 今年は暖冬で暖かいとは言え、それでも気温は四度。例年は氷点下なのでかなり暖かいが、暖房は使わずに行きたいので膝掛け毛布を使用する。

 深夜帯の交通量は少ない上、国道158線は信号も少ない。

 二時半、道の駅九頭竜に到着した。

 トイレ休憩と、眠気覚ましのコーヒーを購入してから、県境へ向かう。

 三時過ぎ、岐阜県の白鳥インターに到達。東海北陸自動車道を北上して、飛騨に向かった。

 飛騨清見ジャンクションで高山市内へ向かい、四時前には道の駅ななもり清見に到着。再びトイレ休憩を行う。

 夜道の運転は気を遣って疲れやすいので、小まめな休憩が必須であるのと、このぐらいの時間帯は私自身がトイレに行かざるを得ない生理現象に見舞われるので仕方ない。以前もコンビニすらない山道で便意が襲来し生きた心地さえしなかった経験がある。あのような思いは二度としたくないので、慎重の上にも慎重を期したい。

 道の駅から高山市の市街地に向かう。未明の交通量であれば、さほど時間を要しないだろうとの判断だ。

 だがしかし、行く先々でほぼ全ての信号で待たされる。点滅信号がない高山市内というのも誤算だった。せめてもの救いは私以外に車両がいないので運転そのものは円滑だったこと。

 高山市内の最終信号を通過すれば、安房峠の入り口までは峠道区間。岐阜県内では最後の公衆トイレを通過して、安房トンネルへ。

 有料道路のトンネルは進入と同時に車体が上下へと大きく揺れる。最初は車両側の故障かと焦るが、どうやら路面が波打っている様子。それが数百メートルも続く。

 車酔いしそうな波打ち区間を抜けて、いよいよ長野県へ。

 ここからは下り坂に変わる。夜明け前の暗い道なので、速度は控えめに進む。単独行なので焦りも苛立ちもない快適な行程だ。

 沢渡(さわんど)を過ぎて、トンネルを抜けると、対向車線に車列が出来ていた。恐らくは乗鞍岳に向かうのだろうが、狭いトンネル内に出来た車列は危ない。特に天井部分が狭く、大型の箱トラは中央線をはみ出して走行して来る可能性が高いのだ。そう思いつつ次のトンネルへ入ると屈曲部(カーブ)の死角から大型トラックが中央線(センターライン)を跨いで対向して来た。

 私は軽自動車なのでギリギリですれ違ったが、普通乗用車では正面衝突の可能性も否定できない。速度を控えめにしていたので回避行動も焦ることなく行えたのも、事故に至らなかった要因の一つだ。

 荷物を早く運びたい気持ちは理解できるが、対向車の存在を無視するような運転は危険極まりない。仮に事故を起こしてしまえば荷物は届かないのだから、安全に走行可能な経路(ルート)を選択するのも重要だ。

 峠道を下り、ダム橋を渡ったところで前方に他の車両が見えて来た。夜明け前の時間帯にどこへ向かっているのか不明だが、私は速度を落とした。曲がりくねった山道は視界不良の区間が続くので、無理して追い越そうとすれば事故の元だ。ほぼ予定通りの時間で進行しているので追い越しする必要は全くない。ノンビリと追走しながら松本市内へ。

 時間的に早く行くならば、このまま国道158号線を直進して、長野自動車道へ松本インターチェンジから入るのだが、時間的に余裕があり最短距離を移動したい私は、山形村方面へ右折する。上り坂を登り踏み切りに停止したところで、不意に便意が襲いかかって来る。

 五時十五分。

 私の灰色の脳細胞が全力で記憶を呼び覚まし、行く先に道の駅らしき施設があったと思い起こさせる。狭い道なので焦りは禁物だ。しばらくして広い道路に出て、道の駅らしき施設が見えて来るが、全く照明がないので利用できるのか不明だった。万事休すかと思った私の視界に、コンビニの明かりが飛び込んで来る。地獄に仏とばかりに、私はそのコンビニへと車を滑り込ませた。

 店員が一人いるきりの店内で、私はトイレに直行はせず、ひとまず飲み物を選ぶフリをする。それから急にもよおした体でトイレに向かった。ここで用を足せば、後は何ともないはずである。ホッと安堵の溜息をついて、私は店内へと戻った。

 お茶を手にして、小腹に詰められそうなものを物色する。ドーナツを一つと、ウマ娘とコラボしたカップ麺を手にして会計へ。そこではたと気付いた。袋を持参していない。購入した商品を両手に抱えて店を出る。車内に置いてあった袋へカップ麺を入れて、お茶を飲みながらドーナツを頬張った。

 スマホのナビアプリを起動して、この先の経路(ルート)を確認する。この辺りは道を間違えると大きく迂回するような道路の接続になっているので、念には念を入れるぐらいの対応が妥当である。最後にナビアプリで現在地を表示すると「通常より混雑しています」となっていた。いや、駐車場には店員さんの車と、私の車しかないのだが。

 五時三十分、私は休憩を終えて出発した。目標は塩尻インターチェンジである。コンビニから南へ下ると信号があり、そこを左折すればイオンタウンの前を通過して、ひたすら道なりに直進すれば国道19号線に至る。念の為、車載ナビの画面を確認すると、通行止めの表示が。

 どういうことなのかとおっかなびっくり近付くと、通りたい道路がバリケードで封鎖されていた。瞬時に私は経路(ルート)の変更を決断し、直進して農道へ車を突入させる。土地勘もなければ暗い夜道で遠くまでは窺えないが、田畑で見通しが良いので学校らしき建物を目標に走った。地図でも中学校の表示があり、大抵は学校を半周するように道路が接続している可能性が高いので迷わず中学校前を目指す。予想通り、迂回路の看板を発見して広い道路へ出た。

 そこから車載ナビの画面をチラ見しつつ国道19号線を目指す。結果的に塩尻署の近くへ到達し、無事に19号線へと至った。後は直進して塩尻インターチェンジから長野自動車道に入れば山梨県は目と鼻の先だ。

 周囲が明るくなって来た。いよいよ夜明けである。白黒の世界から、色彩が戻る夜明けの時間帯、長野自動車道はそれなりの交通量があった。塩尻インターチェンジから東京方面へ向かうと、しばらく上り坂が続く。軽自動車には過酷な道路である。岡谷ジャンクションから中央道、東京方面へ合流するとトンネルを抜けて諏訪湖が見えて来た。別の経路(ルート)、美濃ジャンクションから東海環状を経由して中央道を走行して来れば諏訪サービスエリアは休憩場所になるのだが、今回は素通りである。時計は六時を回っていた。

 このまま最終目的地へ直行しても、山梨銘醸が開店するまで三時間近く待機していなければならない。少し迷ったが、私は当初の予定通りに道の駅なんぶを目指すべく中央道を直進し、八ヶ岳パーキングエリアへ進入した。

 休憩とまではいかないが、経路(ルート)の確認を行う。ここから道の駅なんぶまでは一時間程度。道の駅なんぶの営業時間は午前九時からなので、少し早めに到着して仮眠を取るのが最善と判断して私は出発した。時刻は七時前。

 双葉ジャンクションから中部横断自動車道へ、後は一本道である。ほぼ正面に富士山が見えた。片側一車線の道路を前の車に追走して進む。先頭はプリウス、小型のダンプカーがやや離れて追走し、私の目の前にはSUVがいる。しばらくして数台が追いついて来たが、ダンプカーの速度に合わせて走行するしかない。南アルプスインターチェンジで追い越し車線が出現するが、距離が短い。私の前にいた車は一気に加速して先頭のプリウスを追い抜いて行った。私は小型のダンプカーの前に出るのがやっとで、プリウスの後ろへ合流。すると後方から物凄い勢いで私を追い抜く車が。

「頑張るの~」

 その三秒後、私もプリウスを追い越せば良かったと思い知らされるのであった。

 改めて、先頭はプリウス、速度の上下が激しく、追走するのに疲れる。私の後方は大きく車間距離が開いて小型のダンプカー。その後ろには南アルプスインターチェンジ以前に私の後ろを追走していた車両が続いているようだ。

 しばらく進むと、増穂でプリウスの前に三台の車両が合流。その先で二車線に増えたのだがプリウスは右車線を進行継続。先行する三台に続いて私が左車線に入り、前方の車両へ追走しようと横に並んだ途端、急にプリウスが加速。謎の行動である。何故なら、この先は料金所で減速の必要があるのだから。

 私は前走する三台に続いて料金所の左側ゲートを通過、プリウスは右側のゲートをほぼ同時に通過。

「またプリウスの後ろか、仕方ないな」

と思いつつチラリとプリウスを見ると、これまた何故か加速が遅い。私はすかさずアクセルを踏んでプリウスの前方へ出た。

「よし」

 前走の三台からドンドンと引き離される私ではあるが、プリウスも私からドンドンと離れてゆく。数キロメートルも行かない内に、プリウスは私の視界から消えた。

 合流車線を過ぎて、しばらくして追いついて来た車両が二台。私は進路を譲りたいのだが、片側一車線の道路で路肩も狭く、交わせない状況が続く。やがて前方にインターチェンジが見えたので、私は合流車線に何も存在しないことを確認してハザードランプを点灯させながら、進路を譲るべく合流車線へと車を退避させる。後方の二台は速度を上げて私を追い抜いて行った。道路交通法の定めでは「後方から追いつかれた時、そのままの速度で走行するならば進路を譲れ|(道路交通法第二十七条)」となっているので、道路行政も法令を遵守できるように譲り車線をキチンと設けて欲しいと思った一連の出来事である。

 その後は誰も追いついて来ないままに南部インターチェンジに無事到達し、目的地の一つである道の駅なんぶへと到着した。道の駅の駐車場は早朝のためか、ガラガラである。車を駐車して、営業時間を確認すると、土産物屋の営業開始は九時、食事をするには十時まで待つ必要があるのが判明した。

 現在時刻は八時前、ほぼ予定通りの到着である。私は会社へ「現地に到着しました」と連絡の電話を入れようかと思ったが、流石に遊びで電話を掛けるほどでもないとその考えを振り払う。

 真夜中からの運転で疲れていた私は、そのまま仮眠することとした。


§道の駅なんぶ

 目が覚めると、駐車場の状況は一変していた。既に満車に近い台数の車両が駐車している。

 私はまずはトイレを済ませようと車を出た。土産物屋へ歩く人々が見える。野菜なども販売しているようだ。トイレを済ませて車に戻って来た私の胸に去来した思いは一つ。

「それにしても、腹が減った」

 自宅を出てから口にしたのはドーナツが一つ。私の胃袋は空腹を訴えている。

 道の駅なんぶの売店前には、『唐揚げは飲み物』と記された立て看板がある。その立て看板を横目に見つつ、店内へと足を踏み入れた。まず最初に目に付くのは茶葉である。南部茶として特産品らしい。

 店内のお客さんの数はまあまあといった感じで、立地条件を考慮すれば多い印象すらある。

 後で購入する商品に目星を付けて、今回の目的の一つである食堂へ足を運んだ。開店直後のはずなのに既にお一方、麺類を召し上がっておられる。

 ここの注文は食券購入式のようだ。目当ての品を購入して、席の確保に移る。肩掛け袋を椅子に置いて給茶機へ。サッと目を走らせて、特産品の南部茶を選択。いつ止まるのかと見ていると、停止ボタンを押す必要があると気付く。だが時既に遅し、紙コップから溢れさせてしまった。皆さんも気をつけて欲しい。

 確保した席に戻りお茶を啜る。これは旨い。土産物として購入することに決定だ。

 そうこうする内に、注文した料理が出来上がった。

 トロとろとろ丼、それは中トロ、ビントロ、ネギトロが乗せられた丼である。

 小ぶりの丼が載せられたお盆には、食べ方を解説した紙までご丁寧に用意されている。

 その紙によれば、

1、わさびを醤油に溶かして、掛けて食べる

2、ごまダレを掛けて食べる

3、少し残しておいて、店員に声を掛けて、出汁茶漬けにして食べる

の三段階。

 いやが上にも期待で胸が躍る。

 赤身から食す。

 おお、これは、わさびも良いものを利用しているのだろう、美味い!

 お次は中トロ、こちらも口の中でとろけるような食感だ。美味い!

 更に、ネギトロも美味い!

 よしよし、では続けてごまダレを掛けよう。

 味の変化がとても良い。美味い!

 店内にお客さんは私を含めて三人、今ならカウンターで出汁を掛けてもらえるだろう。素早く私は出汁を掛けてもらった。

「スプーンもありますよ」

「ありがとう」

 食べ易さから言えば匙を使うのが良いのだろうが、私は日本人として箸のみを使うことを選択した。一応は中華料理等で匙と箸の双方を使って食べる作法も心得ているが、丼茶漬けは箸のみで一気に掻っ食らうのが醍醐味とも言えよう。

 席に戻って、出汁の底に沈むご飯粒を箸先で掬い上げる。これまた美味い!

 マグロの風味が利いた出汁は私の胃袋を満たし、食後のお茶もまた満足感を充足させる。

 全ての献立を制覇したく思いつつ、私は食器を返却して土産物屋へと歩みを進めた。

 十時半、土産物屋はお客さんで混雑していた。

 日本酒やワインが並ぶ陳列棚に、私は気になる日本酒を発見した。それは先月発売の山梨銘醸の期間限定酒である。私の記憶が定かならば、この限定酒は本店では即座に完売御礼となっていたはずだ。私はその場でスマホを取り出し検索する。間違いない。山梨銘醸の本店にこの限定酒はない。すかさず買い物籠へ限定酒を入れた。

 他にも様々な土産物が販売されている。燻製や煮貝、スープの素、ふりかけなど。

 私は別の出入り口付近にアニメコーナーがあるのを発見した。山梨県内を主要舞台としたキャンプアニメだ。そのアニメグッズは別の店で物色する予定なので、ここでは敢えて品揃えだけを確認するに留める。

 それから茶葉を求めて、最初に入って来た出入り口付近へ向かう。まずは所長への土産物として緑茶を選んだ。その途中、例のキャンプアニメのキャラクターが描かれた茶葉に目が行く。私が好きなキャラは、これまた私が好きな種類の茶葉だったので、迷わず籠へ入れた。同僚が好きなキャラと、好きなはずのお茶は別々になっている。私はそこでキャラを優先するか、お茶の種類を優先するか迷い、何なら電話して確認しようとも考えたが、仕事中に私用電話を掛けるほどでもないと思い直し、私はお茶の種類を優先して焙じ茶を手にした。なお、同僚が好きなキャラのお茶の種類は玄米茶だった。

 館内放送で南部茶プリンが入荷されたと流れる。

「何、喜劇王だと?」

 お茶プリンをチャップリンと脳内変換して

「ならば購入するしかあるまい」

と謎の使命感で南部茶プリンを購入する。緑茶と焙じ茶の二種類があり、私は自分用に双方、会社へのお土産に緑茶のプリンを購入した。

 全くの想定外の買い物だったが、私は大満足で道の駅を後にする。

「また来よう」

 そう決意して私は車を発進させた。


§ゆるファン

 ここから国道52号線を北上して、次の目的地であるセルバ身延店までは二十分ほどだ。

 セルバ身延店、それは山梨県を舞台としたキャンプアニメで、主人公グループの一人がレジバイトをしている店舗のモデルとなった店である。アニメではその隣に別のバイト先としてお酒の量販店が登場するのだが、それは実在しない店舗である。

 セルバ身延店の駐車場はお昼前なので混雑している様子だった。

 私は多少の距離なら歩いても平気なので、駐車場が店舗入り口から遠くても構わない。むしろ早く駐車したいので入り口近くの駐車場を争奪するような行為には全く賛同できない。私が駐車してマスクの着用などの準備をゆっくり行ってから店舗入口に差し掛かると、私の前にいて入口付近の駐車場を争奪していた人とほぼ同時に店内に入った。

 例のアニメのグッズ売り場は入口のすぐ横にある。

「ほとんど聖地と化しているな」

 私が苦笑しつつグッズ売り場に踏み入れて商品を物色し始めると、後から五人ほどが続けて入って来た。

 アニメの第二期が放映されていたのはちょうど一年前であるが、未だに人気は衰えていない。実用的なキャンプ用品や、定番の衣服に、クリアファイルなどが並んでいる。異色なのは作中で大酒飲みとして描かれる顧問の人物がパッケージキャラになっている、お酒が扱われていることぐらいだろう。

 何を購入しようか迷っていると、続々とお客さんが入って来たので、私は店内の別の場所へ移動した。事前の調査によれば、お団子アイスがあるはずなのだ。

 だがしかし、そのような商品は発見できない。

 再びグッズ売り場に戻り、私は実用的な扇子を手にしたが、その値段を見て棚へ戻した。流石に扇子に千五百円は無理。

 無難にエプロンを選んで、次のバーベキューにでも着用しようと考えつつ購入した。

 セルバ身延店を出て、再び国道52号線を北上する。途中で給油して、最終目的地である山梨銘醸までは約一時間。

 給油時点で十二時前なので、山梨銘醸到着は十三時頃だ。余裕があれば南アルプス市にある、ロールケーキが有名な店舗にも寄りたかったが、私は山梨銘醸での限定酒購入を優先した。

 県道42号線を北上して、北杜市に向かう。

 ロールケーキが有名な店舗は県道42号線から一本入ればすぐなのであるが、人気店の待ち時間は読めないので、山梨銘醸を優先した。次に来る時は時間的に余裕がある時にしたい。


§台ヶ原

 山梨銘醸の駐車場に十三時過ぎに到着。以前は構内の駐車場に入れたが、今年は構内ではなく第二駐車場のみを開放しているようだ。警備員の誘導に従って砂利の駐車場に入る。

 構内に向けて歩いていると県外ナンバーの車で来たお客さんに警備員が駐車できる奥の駐車場を案内しているが、その車両は満車になっている手前の駐車場へ入ろうとしている。日本語が通じない人物への説明は物理的にも骨が折れそうだ。公安委員会がこのような日本語が通じない人物への運転免許証の発行を控えれば、交通事故も減ると思うのが。

 私は足早に山梨銘醸の構内へと向かった。正面右手の醸造所前には大型のテントが立ち並び、その横に移動販売車も並んでいる。左手の売店に続く道には椅子と卓が並べられて、飲食に興じているお客さんがにこやかな表情をしている。売店手前では限定酒のみを販売している天幕(テント)があり、大盛況の様相を呈していた。

 天幕(テント)を過ぎて、売店に入る。売店ではレジが四つ並び、その前に蛇行規制で列を為していた。コロナ禍で外出が制限されていた頃を思い返すと、今年の盛況ぶりは隔世の感すらある。私は購入する商品を再確認しつつ列の後ろに並んだ。店員さんもマスクの下に笑顔が浮かんでいるであろうことは、その目尻の下がり具合から想像できる。途中で商品一覧に購入予定のお酒の数を記入して貰い、更に冷蔵されている鴨肉とモッツァレラチーズを手にして、レジへと向かった。レジにて限定酒と鮭の糀漬けを頼む。

「こちらの糀漬けは冷凍になっていますが、持ち運びは大丈夫ですか?」

「はい、保冷剤とクーラーバッグを用意して来ましたので大丈夫です」

 財布から支払い金額を出しつつ応答し、顔を上げると店員さんは驚いた様子だった。

「あれ?」

「お久しぶりでございます」

 山梨銘醸の社長さんに挨拶する。というか社長さん自ら陣頭指揮を執るぐらいの大盛況。

「遠路遙々、ありがとうございます」

「午前中は、道の駅なんぶにいました」

「そうなんですね」

「ええ、ところで例の限定酒は、もう売り切れですよね?」

「はい、御陰様で完売致しました」

「そうですよね。道の駅なんぶで見掛けて、購入して来ましたよ」

「まだありました?」

「ええ、まだ十本ぐらいありました。やはりああいう大口のお客さんが優先になるんでしょう?」

 私の質問に社長さんは苦笑して言葉を濁した。うん。一般客に内情は明かせないよね。私は話題を変えた。

「今年は凄いお客さんですよね」

「はい、三年ぶりの酒蔵開放を実施しておりますので」

「お酒を車に置いて、後でゆっくりと見学します」

「ゆっくりしていって下さい」

 雑談を交わしている間に商品が揃う。これ以上は営業の邪魔にしかならないので、速やかに退出した。車に戻って、用意して来たクーラーバッグへ購入した商品を小分けして入れる。更に保温性能を高める為に膝掛け毛布と上着を掛けて直射日光を遮った。

 次の目的地は金精軒である。

 金精軒は山梨銘醸の斜め前にある。初めてここを訪れた時は人っ子一人いない状況だったが、今年も多くの人々が店先に(たむろ)していた。転機は水信玄餅を或るアイドルグループのメンバーがSNSで発信したこと。それ以来、この界隈は人気急上昇となってしまったのだ。

 金精軒の名物は信玄餅と大吟醸酒粕てらである。私の土産物候補の第一も、ここの酒粕てら。通販もできるが、それでも店舗購入でしか味わえないどら焼きがあるので、私は機会を設けて足を運ぶのだ。

 保冷庫からどら焼きとスイートポテトを取り出してレジに提出。

「それと、かすてらのサクラと、普通のかすてらを願います」

 サクラ風味のかすてらはこの時期限定の商品だ。必要な数量を伝えて、会計を済ませる。後は買い込んだ商品を手に、山梨銘醸構内を見学する。山梨銘醸には明治天皇が御座所とした部屋が保存され、一般見学も可能になっている。

 酒蔵開放では地元のクラフトワーカーも自作の品々を展示販売している。焼き物やガラス工芸品などが並んでいるが、正直言って私の地元でも購入可能な水準の品物しかない。構内を抜けて売店の前に差し掛かると、再び人混みである。

 大盛況なのは良いが、私は人酔いするので足早に人混みを抜けた。

 滞在時間は小一時間。時刻は十四時近くになっている。今から帰路に就けば二十時までには帰宅できるだろう。

 私は買い忘れがないか確認しつつ保冷バッグへ小分けして収めて、台ヶ原を後にした。


§帰路

 帰路はいつもであれば給油の関係で諏訪インターチェンジまで国道20号線を進むのだが、今回は身延町で給油していたので小淵沢インターチェンジから中央道へ入った。岡谷ジャンクションで長野自動車道に乗り換え、松本インターチェンジで降りる。

 後は国道158号線を福井に向けて走るだけである。往路とは違い行き交う車両が多いので、適切な車両間隔を保って走行する。しかし遅い車両はいるもので、直線では車両感覚を保てるものの、屈曲部(カーブ)では詰まってしまう。何度かそのような状況が続き、更に前を走っていた車両と大きく離れると前走の車両が道路脇に避けて進路を譲ってくれた。

 私は感謝しつつ、制限速度までアクセルを踏み込む。峠道に差し掛かると後続車両とは徐々に車間距離が開き、やがて前の車両に追いついた。

 峠道を走る時のコツは制限速度を守りつつ、大きな減速をしないことである。

 よくある運転でイライラするのは直線部分で制限速度を超過して走行し、屈曲部(カーブ)で大きな減速をして再び直線部分で加速する運転だ。全く速くない上に燃費も悪い、環境に優しくない運転だ。

 それよりも一定速度を保ち、加減速を最小限にして走行する方が燃費もよく、環境に優しい。

 追走している間は前の車両の技量に合わせて早めの減速も必要だし、適切な車間距離も変化する。下手な運転の後ろでは車間距離を詰める運転は事故を誘発するので控えたい。

 むしろゆっくり走りたいなら後続車両が追いついて来た時点で進路を譲るのも安全運転の一つである。

 帰路は明るい時間帯なので国道沿いの絶景を愉しみつつ走行できる。何ならそのぐらいの脇見運転をしている方が速度も抑制できるから車間距離も適切になり、安全運転に近くなる。安房トンネルを抜け、料金所脇のトイレへ私は向かった。ここで休憩しておかないと、後が大変なのである。時刻は十六時過ぎ。

 三十分ほどの休憩を終えて、私は出発した。往路の実績を考慮すれば、三時間もあれば帰宅可能だ。

 ここから高山市内へ降りて、国道41号線に向かうのだが、観光バスなども走行する道路なので速度は控えめが最適である。

 登坂車線を進むと前走する車両に追い付いた。一車線に戻る頃合いなので追走しようと車線変更したら、急に前走の車両が加速する。トンネルの直線であっと言う間に車間距離が開くが、続く下り坂区間で追い付くだろうから焦る必要は全くない。

 案の定、一分も経過しない内に追い付いた。先頭は大型観光バスだ。数分間、観光バスの後ろをノンビリと追走していると、広めの路肩へ観光バスが入った。進路を譲ってもらい、やはり前走の車両が急加速で下り坂を進む。

 私は制限速度を守りながら進んだ。前走車両は屈曲部(カーブ)の入口で大きく減速して出口で加速する「スロー・イン・ファスト・アウト」の運転だが、私は制限速度を守ったままの等速運転なので車間距離は平均して一定のままである。

 しばらくして、ゆっくり走行している車両に追い付いた。この先は自動速度取締機もあるので焦って速度超過は禁物である。

 往路では高山の市街地を通ったが、帰路は最短距離で国道41号線に向かう。国道41号線はここ数年で大きく変化した。かつての国道41号線は県道に変わり、新しく敷設された国道472号線との重複区間が山沿いに走る。私はこの新しい区間を走行したことはないが、かつての国道41号線は何度となく通っているので、経路(ルート)に迷いはない。幹線道路からJRの高山本線に沿って敷設されている県道を通り、高山インターチェンジを経由して国道158号線に入った。

 この道路に入ってしまえば往路を遡る経路(ルート)になるので、後は余計な事柄を考えずに運転できる。飛騨清見ジャンクションから東海北陸自動車道に入り、岐阜県の白鳥インターチェンジまでは単調な行程だ。制限速度で走行する私を多くの車両が追い抜いて行った。

 白鳥インターチェンジを降りて、中部縦貫道路の一部を通行する。白鳥西からは登り坂なのだが、後方から凄い勢いで一台の車両が迫って来た。私は登坂車線へ入り、迫って来ていた車両、プリウスをやり過ごす。国道158号線の峠道区間は、どんなに速度を出して行っても道の駅九頭竜へ到達するまでに必ず追いつかれてしまう道なのだ。あっと言う間に視界から消えたプリウスであったが、私は慌てることなく通常の速度で走行を続ける。

 穴馬総社。競馬好きならば一度は参拝を考える神社が道中に鎮座している。その穴馬総社の前を通過したぐらいで、私を抜き去ったプリウスに追いついた。案の定、ゆっくり走る車両の後ろに三台ほど連なっていて、その最後尾に私が追いついたようだ。

 前走のプリウスの様子を観察していると、とても燃費の悪い走行をしている。屈曲部(カーブ)の入口手前で大きく減速し、その前を走る車両と距離が開くと、直線部分で加速して車間距離を詰めて行く。ところが再び屈曲部(カーブ)が近付くと大きく減速して前走車両から離れ、再び直線部分で加速している。私は速度をほぼ一定に保ったまま、直線部分では離されるが、屈曲部(カーブ)では近付くを繰り返して車列から大きく遅れることなく連なって走行していた。

 道の駅九頭竜を通過する。ここから先は大型車両同士がすれ違い時にミラーを接触させる事故が多い、やや狭い区間がある。屈曲部(カーブ)も鋭角に近い場所があって、更に速度が落ちる道路だ。私はつかず離れずで走行していたが、不意にプリウスが路肩へ停車した。追い抜き時に確認した感じでは電話をしていたようなので、安全最優先の行動だったようだ。

 その後も先頭のゆっくりした速度に合わせて山間部を抜け、帰宅した。


§後日譚

 帰宅してホッとしながら、購入した品々を冷蔵庫と冷凍庫へ振り分けた。全てを片付け終えてから道の駅なんぶ以来、何も食べていないことを思い出し、夕飯を何にしようか思案する。

「そうだ、こんな時こそ殿下だ」

 早朝のコンビニで購入したカップ麺の存在を思い出し、私はウマ娘とコラボしたカップ麺を袋から取り出した。

 殿下、ファインモーションが描かれた蓋をそっとめくる。

「ぎゃあ」

 蓋をめくる途中で殿下の絵が破れてしまった。

「まだだ、まだ終わらんよ。もう一つの方でもっと慎重にめくれば大丈夫だ」

 自らに言い聞かせながらかやくを入れてお湯を注ぐ。まろやか味噌ラーメンは普通に美味しかった。

 翌朝、旅の疲れを癒やそうと昼近くまでノンビリとする予定だった私は、トイレに向かった。便器の蓋を開けて驚く。

 便器の中は泡だらけだった。そう、土曜日の深夜に投入した洗浄剤が日曜日の朝まで、約30時間も放置されていたのだ。一度流してから用を足す。これでまた暫くはトイレ掃除と無縁でいられる。

 台所に向かい、冷凍庫からどら焼きを取り出した。

 このどら焼きは餡の部分にホイップクリームが挟まっていて、そのホイップクリームに合わせてモカクリームも挟んである。凍らせることでホイップクリームに適度な歯ごたえが与えられ、柔らかなどら焼きの生地と絶妙な食感を生み出すのだ。通販では夏季しか扱っていない上、季節が変わると栗や小倉などに中身も変化するので全ての味を制覇するには季節毎に通うしかない。

 朝食代わりにそのどら焼きを一つ食べて、私は教育で使う資料作成に勤しんだ。

 昼過ぎ、空腹に耐えかねた私は残るカップ麺を食べようと慎重に蓋をめくる。

「んぎゃあ」

 めくった途端に破れてしまう蓋。何故に私はここまで不器用なのか。カップ麺を食べてから、再び冷凍庫を開く。次のどら焼きはホイップクリームと苺だ。

 傷心の私をどら焼きの甘さで癒やした。しかし伯彦よ、項垂れている暇はない。教育資料の作成はまだまだ山積みなのだ。


 月曜日。出社して、土産物を小分けにし、給湯室の冷蔵庫と冷凍庫へ。

 事務所は常時三人しかいないので、茶プリンを三つ。後は所長と同僚への個人的な土産物である。

「焙じ茶にしたけど、貴方が好きなキャラ的には玄米茶だった。迷ったけどね」

「ああ、そうなんや。実は、焙じ茶より玄米茶が好きなんですけどね」

「何……だと……?」

 愕然とする私ではあったが、すぐに気持ちを切り替える。

「報連相、大事だね。電話して確認しようか迷ったんだけど、やはり電話すべきだったか」

「ドンマイ」

 頼まれていたスイートポテトと鴨肉を渡しているので彼はすこぶる上機嫌だ。よし、次は玄米茶を買って来よう。所長が出社する前に私は後事を託して事務所を後にした。

「よし、今回もミッションコンプリートだ」

 こうして私の小旅行は幕を降ろした。

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