表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/29

 リーヴルが目を開けると、傍らにはディーヴァが座っていた。それと、頬にやけに冷たいものが当たっている。

「ディーヴァちゃん……?」

「目が覚めたか」

 ディーヴァはどこかほっとしたような表情をする。珍しいものだ、と思った。

 闇の女神ディーヴァは冷酷無慈悲な死を司る女神。その力故に、自ら封印されることを望んだ神だ。リーヴルはよく話すが、話していて感情が表に出ることは少ない。まあ、嘲りや不快感など、負の感情は隠すことはないが。こういう、安堵の表情を目にするのは初めての気がした。

 お母さんみたいだな、とぼんやり思う。まあ、リーヴルは母親などいないのだが。

 始まりの十人はこのセカイの在り方を決めた最初の人間だ。人間である以上、生命の神の繁栄のために働かなければならない。そんな十人の中で、最も幼かったのがリーヴルである。

 リーヴルは本を読み、セカイ中を旅することで、知識を蓄えるのが好きだった。伝聞で知った上で、事実かどうかを体験するというのは文字通り「身につく」実感があって楽しい。リーヴルはセフィロートの全てを知るわけではないが、セフィロートがどのような場所か、ある程度体感している。子ども故に自由があったあの時代がリーヴルは好きだった。

 そんな旅の最後にディーヴァと出会ったのだ。

 好奇心旺盛なリーヴルが生命の神の対神であるディーヴァに興味を持たないわけがなかった。何より、神に会うのが初めてだったのだ。

 初めて会ったときは冷たい人物だと思った。素っ気なかったから。けれど、リーヴルは素っ気なくされることには慣れていた。リーヴルは元々異端の存在だったから。

 きっと今も、都市の繁栄より別なことに心血を注ぐ使徒はリーヴルだけだろう。

 ディーヴァと出会ったときのことを懐かしく思いながら、起き上がろうとして、頬がじんじんと熱いことに気づいた。

「いたっ」

「あ、こら」

 ディーヴァがリーヴルを抱き起こし、リーヴルの頬に触れる。ディーヴァの指先はひんやりとしていて、気持ちいい。見ると、ディーヴァは指先に氷魔法と水魔法の混合魔法を纏わせていた。

「……えーと」

「わけあってお前の頬を打った」

「どんなわけ!?」

 それでリーヴルは意識を失っていたらしい。記憶を辿ると、ディーヴァが魔族三人と話している辺りからぼんやりとしている。きちんと聞いて生命の神に報告しようと思ったのだが。

「っていうか、ディーヴァちゃん、氷魔法使えたんだね」

「当たり前だろう。魔力は私の領分だ。そんじょそこらの人間より使えるわ。……治癒魔法以外はな」

 治癒。それは傷を癒す魔法だ。時には病を治したりもする。しかしそれは生命を栄えさすための魔法。ディーヴァとは相性が悪いのだ。

 そのために、ディーヴァはリーヴルの頬の腫れを冷やすことで少しでもよくなるようにしていた。

 リーヴルは無性に悲しくなる。ディーヴァはこんなにも優しいのに、人間からは悪神と謗られ続けるのだ。これから先もずっと。リーヴルのそんな考えすら、使徒の中でも異端なのだ。

「氷と水の混合魔法って聞いたら人間がびっくりしちゃうよ」

「そうだろうな。人間はそもそもあまり魔法を使えないし。魔力の保有量が違うからな」

「前も言ってたね。生命の神様が作ったものたちは魔力を多く持てないって」

「ああ。元々あれは魔力と相性の悪い性質を担っている。そこから生み出せるものが魔力と相性が悪いのも道理だろうよ」

「でも、魔法の原理は生命の神様が考えたって聞いたよ」

「私は随分働いたからな。理を整えるのはあれに任せた。それに、人間に使える術はあれにしかわからんだろう」

 生命を生むまで、このセカイは混沌に満ちていて大変だったという。その混沌の力を魔力に置き換え、生命に宿せる形にしたのがディーヴァだという。壮大すぎて咀嚼しきれないが。

 魔力を作ったのがディーヴァで、魔法を作ったのが生命の神、ということらしい。

「あれ? でもボクたち使徒は魔力がたくさんあるし、魔法も自由自在に使えるよ?」

「それは神の眷属になったからだ。眷属の証として翼をもらっただろう? そこに魔力が含まれている」

 ほえー、とリーヴルは自分の翼を出してちょいちょいとつつく。確かにそれは人間だったときにはなかったものだ。

「人間には魔力が必要なかったんだ。魔法が使えなくても彼奴らは生活できる。使えた方が便利というだけだ。

 それでも魔力を持たせねばならなかったのは、このセカイの混沌を全て魔力に変換して保有するのは、神だけでは難しかったからだ」

 さて、とディーヴァが立ち上がる。

「実は私はまだ封印されていない。封印の前にやることがあってな」

「やること?」

「ああ。森と湖に行く。来るか?」

 手を差し伸べられ、リーヴルは目を丸くする。その手を取って、満面の笑みを浮かべた。

「うん!」


 このセカイには十の都市と大きな森がある。これはセカイの常識だ。ケテル、コクマ、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクト。四都市と六都市を隔てるように広がるのがフロンティエール大森林だ。

 しかし、湖というのは初めて聞いた。リーヴルはあらゆる書物を読んだが、どこにも載っていなかった。

「リーヴルは水がどこかろ来ているか知っているか?」

「え? ……どこだろう?」

 当たり前のように生活で使う水はあるし、水魔法も氷魔法もあるのに、それがどこから来たものなのかなんて、考えたこともなかった。

 水というと、ビナーにある知識の泉が思い浮かぶが、セフィロート全土を賄う量の水があれで足りるわけがない。

「マルクトの、私が封印されていたもっと向こう。私と共に封印されていたのが湖──このセカイの水を湛えた場所だ」

「なんで封印されてるの?」

「行けばわかるよ」

 話しながら、二人はマルクトの奥へ奥へと進んでいく。ディーヴァの封印より向こうに行ったことのないリーヴルは未知への恐怖と興奮を覚えていた。何年生きても、まだ知らないことがあるというのは実に興味深いものである。セカイの全部など、知ることはできないのだ。

 辺りが暗くなってくる。建物や洞穴に入ったわけではない。先程まで青かった空が黒い。雲が光を遮っているとか、そういう問題ではない。正真正銘、空が黒いのだ。青くないのだ。

 辺りが暗いというか、黒い。そのため黒い髪と黒いドレスを着たディーヴァの姿は半ば空間に溶け込んでいた。繋いだ手がなければ、ディーヴァを見失ってしまうだろう。

「手を離すなよ。ここは境界が曖昧なんだ」

「境界が曖昧?」

「フラムルミエ」

 ディーヴァが唱えると、小さな炎たちがたくさん現れる。それらが整列して、一本の道を象った。

「フロンティエール大森林のフロンティエールとは境界という意味だ。あちらは混沌が整頓されて、一つ一つのものが分かれて見える。それがセフィロートのあるべき姿。生命の神が司るセカイだ。

 一方、こちら側はまだ混沌に満ちている。空も大地も境目がない。本当は境目はあるのだが、全て真っ黒なせいで境界として認識できない。そんな中に湛えられた水源の湖がここ、アビーメ大湖だ」

 道を抜けた先、ゆらゆらと揺れる水面が灯火に照らされて辛うじて見えた。そこから先は真っ黒だ。

「これが、湖?」

「ああ。混沌を溜めている。この辺りが真っ黒なのは混沌の影響だな」

「ん? あれ、そういえば、手を繋いでるのにボクの能力発動してない!?」

 リーヴルの使徒としての特殊能力、魔力無効化。それは魔力の効果を無効にする、実質魔法を使えなくする能力なのだが、ディーヴァはあっさりと魔法を使っていた。

 気づいたようだな、とディーヴァが告げる。

「ここは混沌……魔力の源が無作為に漂う場所。この場所を知らない生命の神が作った能力では簡単には打ち消せない」

「その強い混沌をディーヴァちゃんは魔力に変換して魔法使ってるの?」

「混沌は私の領分だ。セカイに還元されやすいように魔法を使っているだけで、混沌をいちいち魔力に変換する必要はない。手間だからな。

 というか手を放すなよ? お前は呑まれる可能性がある」

 この湖がディーヴァと共に封印されてきたのは、魔力に変換しきれない混沌が、秩序の整ってきたセカイを呑み込むのを防ぐためである。生命の神の秩序の象徴であるリーヴルがディーヴァから手を放してしまえば、リーヴルは瞬く間に混沌の餌になるだろう。

「なんでそんなところにボクを連れてきたの?」

「これからここの混沌を私の魔力に変換する。そうしたら、莫大な魔力が私のものになるだろう。そうして私が暴走したとき、私を殺せるのはお前だけだ」

「……ぇ」

 リーヴルが凍りつくが、ディーヴァは続けた。

「何度か殺し合いをしなければならない。果てが見えないからな。ただ、生命の神がここを浄化するよりは遥かに早い」

「そんな、ディーヴァちゃん、ボク……」

 陽光を紡いだような髪がさらさらと揺れるが、ディーヴァはそんなリーヴルの頭を撫でた。

「お前にしか頼めないんだ。私の眷属は、眷属といっても、生命の神の秩序の中で普通に暮らしているだけ。私を殺して、私の魔力保有上限を解放できるのは、私を殺せる者だけだ。それにはどうしたって、お前の魔力無効化能力が必要だ」

「でも、ディーヴァちゃんを殺したくないよ……」

 ぽろりとリーヴルの口から素直に出た本音にディーヴァは微笑む。柔らかい笑みなのに、何を考えているのか、リーヴルにはわからなかった。

「悪いな。見せしめのためだ」

「……見せしめ?」

「このセカイの膿を出すために、お前を通じて私を見ているであろう生命の神に見せしめるのだ。……私を殺すことはやつにはできないからな」

「どうして? ディーヴァちゃん、生命の神様を憎んでるの?」

 ディーヴァはにやりと艶然とした笑みを湛える。

「ああ。憎しみも嫌悪も、私の司る感情だ……それに、お前は知らなくていいが、彼奴はろくでなしだからな」

「えっ」

「始めるぞ」

 リーヴルの了解を得ず、ディーヴァは水にす、と手を入れた。

 それでも、手を放さないでいてくれるから、ディーヴァはリーヴルを信じられるのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ