官吏
ばっとディーヴァの鉄扇が空を薙ぐ。それに呼応するように、ディーヴァの周りに黒い光を纏った魔力が集ってくる。
ディーヴァは唱えた。
「ディセ」
歌うように、舞うように。
艶美な姿のディーヴァの鉄扇を振るう姿は恐ろしいほどに美しく、その先に存在する死を忘れてしまうほどの魅了の力を持っていた。
「ソー」
ざん、とディーヴァが横薙ぎに一閃すると、扇に集まった黒い光が刃となって人間たちの首を次々と飛ばしていく。
人間たちはあっという間に人数が減り、阿鼻叫喚となる。魔族たちが死んでいないことから、闇の女神がやってきたのは理解しているようだが、叫ぼうが喚こうが、有無を言わせず、首が飛んでいく。
リーヴルが急いで戻ってくるも、ほとんどの人間が死んでいた。リーヴルの能力でディーヴァの魔力は封じられるが、ディーヴァの鉄扇が封じられるわけではない。ディーヴァは躊躇いなく、リーヴルを切ろうとした。
そのとき。
空間が凍りつく。びりびりと激しい死の気配が辺りを色濃く彩った。
「かはっ」
「ディーヴァちゃん!!」
そう、死に直面したのはディーヴァだった。風の民に胸を刺されている。人間なら急所だ。そして、ディーヴァの体は人間の体と同じ仕組みをしていた。
リーヴルが刃を抜き、返り血を浴びた風の民を見て、絶望した顔をする。あるいは、失望だったかもしれない。
「キミは……なんてことを……」
「……神殺しの謗りは、甘んじて受けましょう」
風の民の青年の顔には翳りがあった。それもそうだろう。自分を作った、自分の崇める神を自ら手にかけたのだから。同族たちはもちろん、人間からも後ろ指を指されたっておかしくない。
しかし、翳った表情の中にも、決然としたものが感じられた。リーヴルは知っている。このセカイを保つ柱たる女神の眷属が安直な愚行に出るとは考えにくいのだ。
ディーヴァは人間たちに悪神とされているのが信じられないくらい賢い女神だった。セカイのために封印されている間も、一秒たりとも無駄にしたことはない。
風の民が口を開く。
「女神様に関する知識として、『死が女神様の糧となり、一定以上溜まると自動的に封印を破ってしまう』というものがございます。
我々魔族は長命ゆえ、それについて議論を重ねてきました。女神様が自ら封印の中にあるということは、女神様は自身が復活し、セカイを死で溢れさすことをお望みでない、という結論に至りました。
では、その女神様のご意志を尊重するために、我々眷属に何ができるか考えたのです。人間や生命の神の作った動植物は短命です。我々とて永遠の命ではない。いずれ死ぬのは世の理です。理通りに進んでいけば、女神様は容易に復活してしまう。けれど、永遠の命など得られません。このセカイに蘇生魔法があったとしても、『蘇る』という概念が、一度死を経るものと捉えられ、女神様の糧となるなら、意味はないのです。
そこで風の民の中から出た意見が『女神様の器を大きくする』というものでした」
「器……?」
疑問符を浮かべるリーヴルの前に、巨体を持つ土の民が出た。
「わがりやすい話をすっと、おらみでえなもんだな。
土の民は土に魔力を循環させて固めているだ。だがらおらのごど刺しても切っても人間みでえに血は出ねえだ。
おらがこんなにでっけえのは、たくさん魔力を使って、おらの体が保たれでるからだな」
風の民が続ける。
「女神様の糧となった死が結局どうなっているのか。それはリーヴル、あなたがその能力を与えられたことに意味があります」
リーヴルは振り返る。ディーヴァ封印の地であるマルクトを治めることになったリーヴルに与えられたのは、ディーヴァが暴走しても、それを無力化できるように、「魔力無効化」できる能力だ。
つまり、ディーヴァの魔力さえ封じてしまえば、暴走しても大した被害にはならないということ。
「つまり、女神様は死を魔力に変換して取り込んでいるのだと我々は考えました。それならば、魔力を受け入れる器を大きくすれば、もっとたくさんの死を受け入れて尚、封印を破らずに済む、と」
「それで……どうしてディーヴァちゃんを刺すの?」
リーヴルの問いに風の民は苦悩に満ちた表情で答える。
「女神様は自らの死をも糧とする、と聞きました。神の死が魔力に変換されて、女神様に戻るのです。膨大な魔力になるでしょう。眷属一人の死で封印が破れるような器のままでは到底受け入れられないはずです」
「まさか」
「女神様は死ぬことによって魔力許容量が増す──この他の答えを我々は導き出せませんでした」
神殺しと謗られようと、風の民が躊躇いなくディーヴァを突き刺した理由がわかった。セカイのためだったのだ。
リーヴルは絶句する。それがわかったとして、本人から不敬とまで言われそうな行いを、誰が進んでやりたいだろうか。一歩間違えば、返り討ちに遭う可能性だってある。崇める神のために死ねるのは、一種至高であるのかもしれないが……
否。ディーヴァの眷属にとって、死は当たり前のことなのだ。神の性質上、生命の神が生み出した人間は生きるために生きる。ディーヴァの眷属は死ぬために生きるのだ。それが神の力となるのだから。
より良い形で神のために死ぬにはどうしたら良いか。それを考えた結果でもあるのだ。
「ふふふ……やはり我が眷属は聡明である」
「ディーヴァちゃん!!」
刺されてから倒れ伏していたディーヴァが、むくりと起き上がる。リーヴルが駆け寄り、体を起こすのを手伝った。
ディーヴァは口内に溜まっていた血をぷっと吹き出すと、痛々しい傷痕もそのままに、魔族たちの前に立つ。
「全て推論、憶測でありながらも、実行に移したその力を讃えよう」
「勿体なきお言葉でございます」
風の民、土の民、鬼人がディーヴァの前に跪く。その場にはもう人間の姿はなかった。あれこれと話しているうちに逃げたようだ。
人間が逃げていったであろう彼方を見据え、ディーヴァは目を細めた。そこに宿る怒気は目を合わせていなくとも存分に伝わってきており、魔族たちは身を固くする。
それに気づいたディーヴァが怒気を仕舞い、苦みを帯びた笑みを浮かべた。
「固くならずとも良い。神殺しと罰するつもりはない。殺すつもりなら、とうの昔に首を飛ばしておるわ」
ははは、と声高に笑うディーヴァ。冗談のつもりなのかもしれないが、ディーヴァならば不可能ではないので、誰も笑えなかった。
「結果、合っていたから良しとしよう。それに、私が灸を据えねばならぬ相手は他にいる。
さて、此度の功績を称え、風の民、土の民、鬼人、竜人には褒美をやらねばな」
「そんな……」
「おらだづ何もしてねえだ」
「風の民と竜人には何かあってもいいだろうとは思うけど、俺は本当、何もしてねえからな……」
「今回、たまたま風の民が私の隙を狙えただけで、本来なら土の民と鬼人でどうにかするつもりだったのだろう? 竜人は魔力が多いが使徒の小僧がいたらあまり意味はない。だが、射手のようだから、最悪束でかかればどうにかなるという推測だ。
それに、人間どもの足止めをしていたというそもそもの功績がある。無闇に力を振るわず、死者を出さなかったのも」
確かに、とリーヴルは頷いた。ディーヴァが復活してしまったのは人間が竜人を殺したからだ。結果、数多の人間がディーヴァによって屠られたわけだが、眷属たちは暴力を使わず、対話で収めようとした。それは無闇に死者を出さないための最良策だったことに違いはない。
ディーヴァが復活するのはむしろ想定外だった可能性もある。それでもこの四人の代表者で覚悟をもってきていたのだ。充分賞賛に値するだろう。
「まず、風の民よ。そなたには『賢者』の称号をやろう。そなたの策は見事であり、セカイへの貢献そのもの。たゆまぬ努力とセカイへの造詣を深める姿勢を讃えるものである。これからもそれらを怠らぬよう、この名を背負え」
「はい。謹んで承ります」
「次いで、土の民。そなたは賢者の考えを理解し、寄り添ってきた。話し合いのために威圧として扱われたその巨躯を誇ると良い。そなたには人間と魔族の間を取る友好の壁として存在してもらおう。『土の友』これがこれからのそなたの名だ」
「はい。ありがとうございます」
「それから鬼人よ、そなたには私の封印の最後の守り手『騎士』となってもらう」
「そのような重要な役割を、俺に?」
「今回『何もしていない』分、重責を負え」
「ははっ、かしこまりました」
最後に、ディーヴァは竜人の遺体を撫でた。
「竜人には、『射手』であることを望む。それは殺戮のための矢ではない。勝手に帰った人間どもはあることないこと言い触らすだろうが、矢文のように遠くまで、真実を届けるように」
応える声はないが、その言葉は他三人が預かった。
ディーヴァから称号と役割を授かり、竜人の遺体を抱えて、魔族たちは去った。彼らの姿が見えなくなると、ディーヴァは振り向きもせずに言う。
「聞いていただろう、生命の神よ」
「はは、姉さん、気づいていたんだ」
リーヴルの姿をした何かが喋り出す。このセカイでディーヴァを姉と呼ぶ存在など一つしかない。
生命の神はリーヴルの姿でディーヴァの前に躍り出る。睨み付けるディーヴァの顔を覗き込み、にこりと笑った。
「姉さん、かっこよかったよ! 人間を説得する言葉も、顕現して力を振るう姿も、眷属を労る眼差しも、全部素敵だった。さすが姉さんだ」
ディーヴァを讃え続ける生命の神。
ぱぁん──そこにディーヴァの平手打ちが炸裂する。リーヴルの頬が真っ赤に腫れた。
「いい加減にしろよ、貴様。セカイの主たるお前が、怠慢にも程がある。ダートに土地を与える必要はない。人間の中に馴染ませ、官吏として、セカイを管理させろ。あれはセカイの秩序と調和のための力だ、戯けが」
生命の神がそれを聞いていたか、わからない。
その場にはリーヴルが倒れ伏すのみだった。