信仰
新しい都市を作る。その話をしてから、リーヴルはめっきり来なくなってしまった。ディーヴァは退屈ではあったが、まあ、予測できていたことだ。
新しい都市を作るということは既存の都市のどこかを削るということだ。セフィロートには十の都市の分しか土地が存在していないのだから。セカイは広いが森を潰すよりは都市の土地を潰す方向になるであろうことは容易に想像できた。
何せ、フロンティエール大森林は生命の神の化身である樹木神アルブルのいる場所なのである。アルブルはディーヴァのように人の姿を持つわけではなく、ただただ大きい樹だ。寡黙な性格らしく、テレパシーを使ってもあまり喋ることはないらしい。森には命が豊富だ。木を依り代とする木の民はもちろん、森を守護する土の民、人間の糧となる動植物が存在する。命溢れるセカイで命の源である森を蔑ろにしたなら、どうなるかわからない。
となると都市同士で潰し合うことになるわけだが、ディーヴァの封印があるため、むやみやたらと殺し合いをするわけにはいかない。そこで十の都市それぞれを司る使徒たちが話し合いをしているのだろう。
使徒たちは住民と交流があるし、信仰も得ている。信頼のある使徒たちが都市の意見をまとめることに住民は反発する理由もないだろう。
ただ、土地の争いはかつてもあった。それこそ、使徒の彼らが始まりの十人だった時代に。リーヴルは戦争をしたくない……というか、戦争に興味がないようなので、上手くかわせるといいが。
しかし、そう上手くいくなら苦労はしないのだ。
「ディーヴァ、聞こえますか?」
頭の中に直接響いてくる女声。少し上擦ったそれは緊張感を伴うものだった。テレパシー──ダートが生まれる前より存在する、魔法ではない力だ。
魔法に近しいといえばそうなのだが、テレパシーには詠唱がない。というか、テレパシーを使用して声をかけてきたこの女性は詠唱ができない。
シエル。マルクトの隣のイェソドを管理する使徒にして始まりの十人、異端の者。彼女は盲目だという話はしたが、声を発することができない。それは生まれつきのもので、治る見込みはないのだという。何人も治癒の魔法を試したが、シエルが声を得ることはなかった。
生命の神も原因がわからない、と言っていたが、ディーヴァは一目でわかった。始まりの十人というのはセフィロートの原初の人間だ。まだ生命の神が魔力を人間に込めるのを諦めていなかった頃。その歪さは時折こうして表に出る。否、始まりの十人はある意味全員異様と言えるのだが、それを日常的に不便な形で顕現したのがシエルだ。
生命の神が自分の生み出す人間に魔力を込められないのは生命の神の特性と魔力の特性の相性が悪いからだ。それでも操ろうとした結果、歪な形に反映されて生まれたのが盲目で喋れない代わりにテレパシーという特殊能力を使えるシエルという存在だ。
ディーヴァ視点で言ってしまうと、生命の神の魔力の込め方が下手くそで偏りが出た結果とも言える。
魔力が体全体に均等に行き渡っている状態を正常とすると、シエルは目と喉の部分の魔力が欠けており、頭に蓄えられている魔力が全体に均等に行き渡らず、妙な魔力溜まりを持っている。その魔力溜まりが声の代用として魔力を架空の声に変換し、他の人々に届けるという作業を行う。それがシエルのテレパシーだ。
魔力を使って行使している能力のため、リーヴルが近くにいると上手く使えなくなるが、シエルのその能力のため、イェソドに住む人々は魔法ではない力について研究をしている者が多い。よく唱えられる可能性というやつだ。
使徒になったことにより、シエルのテレパシーはセカイの隅から隅まで届くようになった。隣とはいえ、イェソドからしたらマルクトの果てであるディーヴァ封印の地はかなり遠い。それでも届くほどだ。
「聞こえている。なんだ、イェソドの使徒よ」
「よかった……でも、これが届くということは、リーヴルはそちらにいないんですね」
「……小僧に何かあったのか?」
ディーヴァの声に険が混じる。今のところ、封印が解けたディーヴァを止められる者はリーヴルしかいない。セカイを滅ぼしたいわけではないディーヴァからすれば、リーヴルがいるかいないかは死活問題とも言えよう。
シエルが不安そうな声で告げる。
「わたくしたち使徒で話し合いを行っていたのですが、結論が出る前に、痺れを切らした人間たちが争いを始めてしまって……マルクトの不毛の地を開拓すれば良い、と」
マルクトの不毛の地。それにディーヴァは心当たりしかない。
「……命知らずがいたものだな。我が封印の地の意味も知らず、我欲のために……」
「お怒りを鎮めてくださいませ。あなたが解き放たれてしまえばそれこそ一巻の終わり。それを防ぐために、リーヴルが立ち回っているのです。
なんでも、魔族の方々が、マルクトの不毛の地にあなたが封印されていることを人間に忠告し、止めに入ったのだとか。ただ、人間は生命の神様の対神であるディーヴァを快く思っておらず、その眷属である魔族とぶつかってしまい……」
シエルの説明にディーヴァは押し黙る。
この場合、正しい対処は魔族の方だ。触らぬ神というやつである。ディーヴァが自らを封印し、結界を張り、それでも尚、有り余るディーヴァの破壊の力が漏れ出ることを抑えられないため、この地には草木一つ生えていないのだ。それがこの地が不毛の地である所以である。
ただ、伝聞で正しく伝わらないのは仕方のないことだ。実際に見たことがなければ、ディーヴァが存在していることを信じられないのも然りと言えるだろう。ディーヴァは死を司る故、そもそも会ってはいけないのだが。
少し考え、ディーヴァは端的に述べた。
「まずいな」
「良くないのですか?」
「ああ。お前も知っておろう。我が眷属の死は人間の死よりも遥かに大きな私の糧となる」
「けれど、彼らは長命で魔法の技術も人間より遥かに……」
「リーヴルが行っているのなら、いくら魔法が使えても無駄だ」
「あ……!」
しかしながら、仲裁に向かわないのも悪手。リーヴル以外を行かせればよかったものを、と思うが、マルクトを管理する使徒はリーヴルだ。他の都市の使徒が行ったのでは、説得力に欠けてしまう。
眷属が死ななければいいのだが……
「小娘、しばらく話しかけるなよ」
「何をするんです?」
「状況把握だ。私の魔力探知能力であれば、リーヴルの魔力無効化能力があっても不可能ではない。ただ、集中力が必要ではあるがな」
そうしてディーヴァは地面に手をつく。争いがマルクト内で起こっているのなら、全セカイを探索するより遥かに容易だ。
すぐに魔力探知はできた。使徒であるリーヴルの魔力は特徴的なため、すぐにわかった。
人間の数が多い。五十は下らないだろう。対する魔族は少人数だ。魔族の中でも魔法に長けた風の民が一人、魔力を潤沢に持つ竜人が一人、大きさによる威圧であろう、大柄の土の民が一人いる。リーヴルによって魔力を無効化されている今、竜人と風の民は人間とそう変わりない。土の民も体を保つ魔力を使うことしかできない。唯一の救いは武力に優れた鬼人が一人いることだろうか。だが、多勢に無勢であることに変わりない。魔族は一騎当千ではないのだから。
現場の様子まではわからない。人間が問答無用で襲いかかってきたら魔族はひとたまりもないだろう。リーヴルの能力は魔力を無効化する能力以外特筆すべきところはない。弁舌で人間をどうにかできればいいのだが。
弁舌……と、そこでディーヴァは一つ思いついた。シエルに叫ぶ。
「小娘、テレパシーの力を貸せ!」
「えっ、貸すってどういう」
そんな説明をしている暇はない。シエルと思考を繋いでいる今なら、シエルのテレパシーを流用、もとい、奪うことは容易い。
「我が領域に立ち入らんとする不届きな輩よ」
「声!? どこから!?」
「頭に直接……」
相互にテレパシーが通用したようだ。人間たちのどよめく声が聞こえる。シエルがどうして、と小さく呟いたのは聞こえていないようで助かる。
リーヴルがいる現場に、どうして魔力を使うテレパシーが届くか。答えは単純、ディーヴァが力業でごり押したからである。シエルは生まれたときから無意識的にテレパシーを操っていたため、テレパシーのために効率の良い魔力消費をしてしまう。これはかなり意識しないと流す魔力量を変えることはできないだろう。しかし、その点ディーヴァは魔力の扱いに長ける上、たくさんの死を魔力に変換し、ほぼ無尽蔵に魔力を持つ。つまり、必要以上の魔力を込めてテレパシーを使ったのだ。
リーヴルには魔力を無効化する能力があるが、それが範囲外から放たれた魔力なら、近場の魔力より抑えにくい。それに、ディーヴァの魔力をリーヴルが完全に抑えるには、体と体が触れ合うほどの近さである必要がある。それくらいの膨大な魔力によるごり押しだ。
通常なら頭に声が響きすぎるところだろうが、そこは近づくにつれ、リーヴルの能力が効いてくるため抑えられている、という具合だ。
「我が封印の地を侵すならば、死を覚悟せよ。死を思え。覚悟がなくとも死ぬがな」
脅しのつもりで嘲笑うように告げると、人間の一人が吠える。
「貴様が闇の女神ディーヴァだな!? おのれ、人に仇成す悪神め! そのようなことをほざいていられるのも今の内だ。我らには生命の神様から遣わされたダートを持つ使徒様がいるのだ!!」
そのダートの力を生み出したのは一体誰だと思うのか。ディーヴァは憤りと人間の無知を哀れむ感情を覚えた。
「頭に乗るなよ、小童」
地を這うような低い声が、人間たちの頭に流れて、何人かがひいっと悲鳴を上げた。そこでリーヴルがはっとする。
「ディーヴァちゃん!」
その声に応じて、ディーヴァは一つ深呼吸をした。
「来るならば来れば良い。歓迎はせぬが拒絶もせぬ。私が自ら招くのだ。無益な争いは必要あるまい」
ディーヴァが暗に、魔族たちと戦うのをやめろと言っているのだと悟った人間が、そうかそうか、と頷くのが聞こえた。その声色に蔑みの色が感じられて、ディーヴァは嫌な予感に身を固くする。
嫌な予感ほど、よく当たるものだ。
「結局眷属の命が惜しいだけなわけだ。ははっ、最凶の神と恐れられている女神が、大して人間と変わらないとは驚きだ」
「は、何を……」
「ダメ!!」
リーヴルと一人の人間の魔力が動く。リーヴルは人間の行く手を阻もうとしたが、遅かった。
眷属の気配が、一つ消える。同時に、ディーヴァの中に夥しい死の力が入り込んできた。
眷属が死んだと気づくより早く、封印の結界が解けていた。
「っ! ディーヴァちゃん、今行くから!」
リーヴルがディーヴァの魔力を感知してその場から飛び立つ。
──それは、最悪手だった。
「セカイの神は生命の神様お一人で充分! 眷属もろとも死ね! 闇の女神!!」
「死ぬのは貴様だ。愚か者よ」
死んだ眷属の肉体を依り代にその場に転移するのは、封印もなく、リーヴルもいなくなったこの場では、息をするより簡単なことだった。
「ぇ」
眼前でナイフを両手で握りしめ、得意げに笑う人間が何が起きたか理解するより速く、ディーヴァは魔力で呼び寄せた鉄扇を振るう。
綺麗に一文字に薙がれ、人間の首がぼとりと地面に落ちた。
ディーヴァの唇が弧を描く。その場を恐怖で支配する嘲笑が瞬いた。
「言ったろう? 死を思え、と。貴様らの死がやってきたぞ。愚かで哀れな生命の神の子らよ」