破滅から生命へ
ディーヴァと勇者の戦いは痛み分けだった。
封印を施されながら、ディーヴァは次なる目的を見据えていた。勇者に倒されることはまだ予測の範疇。封印されることもそうなるしか自分を収める方法がないため、甘んじて受け入れていた。
問題は高みの見物を決め込んでいる生命の神だ。もちろん、使っているのはリーヴルの体である。
リーヴルの振りをしているのかもしれないが、それでもリーヴルの能力を使えることに変わりはない。つまり、生命の神を相手にするなら、リーヴルの魔力無効化能力が前提としてあるものだと思って対処しなくてはならない。
このセカイで魔力を最も多く持つ存在であるディーヴァの天敵と言えよう。魔法を使うことは望めない。戦い方はほとんど物理的なものとなる。
愛用していた鉄扇は勇者との戦いでかなり損傷している。魔力を注げば騙し騙しで使えるが、完全にあてにはできないだろう。それにリーヴルが使っていないだけで、物に込めた魔力を無効化する能力があるかもしれない。魔力頼りはできない。
ディーヴァ最大の武器が封じられているようなものだ。
更にはフロンティエール大森林を覆ったリーヴルの能力。あれはダートの使い手の願いを媒介に広げられたリーヴルの能力だ。ああいうことが生命の神はできるのだろう。能力の付与。当然といえば当然か。
ノワールと魔王軍のおかげでこのセカイのセカイを保つための力は大きく揺らいでいる。生命の神を今殺せば、セカイは崩壊する。
ディーヴァは封印の中、土に手を触れる。封印は幾重にも結界を張り巡らせて、簡単にディーヴァを脱出させることはない。が、そんなもの、やろうと思えばいくらでも破壊できる。ディーヴァは破壊の女神なのだから。
封印に生命の神が一枚も噛まない辺り、とことん舐めてくれている。ディーヴァは結界の構造を把握すると、把握した通りに自らの魔力を進ませていく。
幾度も繰り返した座標移動。それは召喚を果たしたことでより練り上げられたものとなった。
「生命の神よ」
移動した先にはリーヴルの姿……をした生命の神がいる。
ディーヴァは鉄扇を一閃させた。リーヴルの腱を断ち、ばらばらと黒い鉄扇はその命を終えた。崩れた鉄扇が塵となり、ディーヴァの胸の中へと吸い込まれていく。
「さっすが姉さん。無機物からまで力を吸収できるようになったんだね」
生命の神はしりもちをついた状態のまま笑う。それはそれは嬉しそうに。どこか誇らしげでもあった。
ここはフロンティエール大森林。先日、ダートの使い手によって大規模な結界が張られた。結界内外を自由に行き来できる代わり、結界が白い靄として可視化されている。白い靄はダートとリーヴルの魔力が織り交ぜられて成された魔力無効化能力の具現でもある。
ここでは魔法は誰であれ、回復魔法しか使えない。ディーヴァは回復魔法が使えない。即ちディーヴァはここでは魔法を使えないことになる。
「この体を殺しても、僕は死なないよ」
「知っている。リーヴルの体を徒に傷つけるつもりはない」
「やっぱり姉さんは、この使徒のことが大事なんだね。妬いちゃうな」
妬いているからわざわざリーヴルの体を選んでいるのだろうに、何を今更、とディーヴァは冷めた目で見つめていた。
生命の神はうっそりと笑んでディーヴァに告げる。
「この体でいる限り、姉さんは僕を殺せない。だって体の持ち主が死んじゃうからね。リーヴルは賢い子だし、このセカイの歯車として生かすのは全然ありだと思うよ」
「確かに」
ディーヴァはじっと見つめていた。
リーヴルの体から凶刃が突き出してくるその瞬間を。
「なっ……」
「その姿のお前を殺せないよ。私は、な。背後にももう少し気を配ることだ」
生命の神が振り向くと、地面から腕が突き出ていた。座標移動は構築する媒介があれば、体の一部でも実体化できる。その腕に握られていたのはナイフだ。本当なら、人を殺すに足らないであろうナイフ。
持ち主が土を介して出てくる。このセカイで土の民以外に座標移動を使えるのはディーヴァ、リーヴル、そしてもう一人。
「っ、リー……」
「今更リーヴルと変わっても遅いですよ、生命の神よ。あなたが私に授けた慈悲のナイフは少しの傷でも傷つけた対象を殺す、あなたがそう定めました」
ケセド、慈愛を司る使徒、名をリー。リーヴルの体から垂れた血に手を染めた天使は、労しげにリーヴルか神かを見下ろした。
「生命の神の魂に傷をつけました。あなたは私に何も与えなかったから、私が何の力も持たないとお思いだったことでしょう。ただ、私には見えるのですよ。人の心の形が」
見えないものを傷つける力を異能というのなら、見えるものを傷つける力は何と呼ぶのだろう?
通常、特殊な能力は神からの授かり物だ。魔力でさえ、神がこのセカイの混沌から生み出し、人々に与えたものである。
しかし、リーは何の力も持たなかった。持つことを望まなかった。リーが望んだのは平穏だけだ。故にリーにリーヴルや他の使徒のような特殊な力は神から与えられることはなかった。
リーは安穏とした永い時の中で人々の感情の行き交う様を見るうちに、自然とそれらが見えるようになったのだ。
「ね、え、さん……」
「もう私を求めるな。それに、そこの使徒にそのナイフを与えたのはお前だろう」
こうなるとは思わなかったのか、と静かに問う。
答えはなかった。
リーがリーヴルから慈悲のナイフを抜く。
「生命の神の魂は消えました。じきにセカイが終わるでしょう」
「念のためにアルブルの根の一つを切っておけ。本来はアルブルがあやつの化身になるはずだった。蘇りの可能性は減らしておきたい」
「女神よ、リーヴルは……」
「最後に少し話をさせてくれ」
「わかりました」
リーはアルブルの方へと行き、ディーヴァは血塗れのリーヴルを抱き上げる。
空色は金の睫毛が閉ざしていた。作り物のように美しい少年だ。
「お前を救えなくて、悪かった」
「……いいよ、ディーヴァちゃん」
じきに息絶えるというのに、リーヴルは血を吐きながらディーヴァに答えた。
「これが、ね……もうボクの気持ちなのか、生命の神様の気持ちなのか、わからないんだ。わからなくなっちゃっ……た。だからね、せめてまだ、ボクがボクでいられるうちに、殺してほしかった。
ああ、やっと言えるね。
──大好きだよ、ディーヴァちゃん」
本物かどうかわからない好意を、けれど捨てられずに、リーヴルはディーヴァを待っていたのだ。ディーヴァが自分から生命の神を引き剥がしてくれる瞬間を。
ディーヴァも、もう開かないその瞼に軽く口づけて返す。
「ああ、私もだ」
子どものようにはしゃぐ声も、笑顔も、もう戻っては来ない。
ディーヴァは全てを失い、全てを得た。
「罰を受けよ」
ディーヴァがふと気づくと、目の前には黒いローブを纏った何者かがいた。どこかの世界で語り継がれる死神のように大きな鎌を携えて。
不完全な世界とはいえ、セカイを一つ壊したのだ。何もないはずがない。それに禁術に手を染めていることもバレているはずだ。
「世界の死神とやらか。お初にお目にかかる」
「左様。罪の自覚があるお前に相応の罰を用意した。そこの扉を開けてみろ」
死神の背後に暗くてわかりづらいが、黒い扉があった。ディーヴァは特に訝しく思うこともなく、開く。
「っ……」
その先の光景にディーヴァは息を飲んだ。
見慣れた湖、セカイを縦断する森。そこは、崩壊したはずのセフィロートだ。
「主神は滅した。が、それでも命は巡る。そのセカイの元となった世界は逞しいのだよ。神が見放しても、勝手に命を巡らすのだ。そこから派生したセカイに、それができぬわけではない。
だが、主神が滅びたことにより、不安定なのは確か。主神はこのセカイの運営を半ば放棄しており、主神たる資格なしなのも確か。
その状況でお前に与えられる最大の罰は、お前が憎んだ主神の残したこのセカイを終わりの時まで見守ること」
生命の神が神としての役目を放棄していてもセカイが巡り続けていたのはディーヴァがセカイを運営していたからだ。それなら、ディーヴァが担い手になるのも頷ける。
忌々しいこのセカイを、ディーヴァは自らの手で永らえさせてしまった。それだけでディーヴァの罰としては充分すぎるほどだ。
「何一つとして、なかったことになどならないのだよ、破壊の女神、ディーヴァよ」
「ふっ……」
ディーヴァは死神を鼻で笑った。……或いは、自分を嗤ったのかもしれない。
そうして、扉の向こうへ一歩踏み出した。




