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 リーヴルの頭の中が真っ白になる。

 自分は今何をした? リーを、突き飛ばした? 何故?

 リーの顔で喋る生命の神が不気味だったからだ。

「あ、ぁ、あ……」

 ずり、とリーヴルはリーから遠退こうとする。そこにすがってくるものがあった。

 リーがリーヴルを力いっぱい抱きしめている。

「大丈夫。大丈夫だから」

 リーの声が震えていた。リーヴルが絶望するにはそれで充分だった。リーを傷つけてしまったのだ。

 それが間違いだったとしても、リーを突き飛ばしてしまった事実はもう取り消せない。生命の神が百パーセント悪いとしても、突き飛ばされたのはリーだ。それで倒れたのはリーなのだ。

 リーヴルは動揺して抱きしめ返すことができない。だって怖い。一瞬でも油断すれば、またリーが乗っ取られるかもしれない。また突き飛ばしてしまう。リーが自分を嫌いになってしまったら、リーヴルはもうすがる先がなくなってしまう。

 ああ、とリーヴルは得心する。だからディーヴァは自分に会いたがらないのだ。

 振り返れば何度か、ディーヴァに突き飛ばされたり、突き放されたり、打たれたりしたことがあった。罵詈雑言を叩きつけられたあのときも、生命の神がリーヴルの体で喋っていたと説明してくれた。……こんなことを繰り返し、繰り返し、生命の神の気紛れで。

 どんな思いで大切かもしれない人の頬を打つのだろう。突き飛ばして、突き放して、もう嫌だ、嫌いだ、お前のせいで、と責め立てること、それが本当に叩きつけたい相手ではなく、大切にしたい相手にだけ届いてしまうこの現象が、ディーヴァにとってどれだけつらかっただろう。

 生命の神を殺すことは破壊の女神であり、死の女神であるディーヴァには容易いことだろう。だが、そこにセカイと共にリーヴルの存在が天秤にかけられていたのだ。生命の神は実体を持たないから使徒を介する。生命の神が取りついた使徒を殺せば、生命の神も殺せるかもしれないが、媒介となった使徒も死ぬ。

 それをわかって、あの神はやっているんだ。他の使徒ならディーヴァはばっさり切り捨てただろうに、リーヴルとは付き合いがあり、長く共にいたから、情がある、と。

 こんな最悪な気分のことをディーヴァはずっとされていたのか、と実感すれば、リーヴルの口から深い溜め息も出る。混乱していたからって、誰かを傷つけていい理由にはならないのだ。それが大切な相手なら、尚更、そうやって逃げてはいけない。

 弱く、リーを抱きしめ返す。

「ごめん、リー」

「リーヴル……」

 すると、リーが強く抱きしめてきて……そこで違和感に気づく。

 リーはこんなに弱々しい声を出す人だっただろうか。それに、この声の震え方はまるで泣いているみたい……

「り、リー? 大丈夫? どこか怪我した?」

 突き飛ばしたときにどこかにぶつけたのが痛むのだろうか。泣くほど痛いのだろうか、とリーヴルは混乱する。純粋に罪悪感が湧いてきた。

 不安になってリーの顔を覗き込み、愕然とする。本当にリーが泣いていたのだ。

「リー、ごめん、ごめんね」

「ち、がう。ちがうの、リーヴル」

 たぶんね、とリーは続けた。

「生命の神が影響しているんでしょうね……感情が抑えられない。いや、書き換えられているのかな」

「リー? 何言ってるの?」

「リーヴル、落ち着いて聞いて」

 そういうリーが一番動揺しているようだった。


「リーヴルのこと、好きなの」


「え……」

 掠れた疑問符がリーヴルの唇から零れる。理解が及ばなかった。

 すき、スキ、好き。それは、一体どういう感情だろう。親愛なら、今まで通りだ。何も後ろめたく思う必要はない。友愛なら、リーヴルは嬉しいくらいだ。けれど、きっと違う。

 好きが書き換えられた。リーはそう言った。

「待って、リー、そんなのって」

「わからない。わかりたくもない。どうして、なんて考えたくない。こんなの、私じゃない」

 リーヴルもそう思う。こんなに口調の乱れたリーを見るのは初めてだ。

 もし、生命の神に感情を書き換える能力、もしくは感情を上書きする能力があるのだとしたら。

 ぞわ、と首筋に冷たいものをあてがわれたような悪寒がする。想定したくない。けれど、誰よりリーヴルにとって、他人事ではなかった。

「……リー、慈悲のナイフはある?」

「どうして?」

「どうしてだろう……」

 リーヴルは嗤った。何を嗤ったのかは、自分でもわからないけれど。

「すごく、死にたい気分なんだ」

 リーの顔がさっと青ざめる。

「駄目です」

 いつもの冷静さがリーに戻った。けれど、リーヴルは凶刃を求め続ける。

「苦しまずに死のうなんて虫のいい話かもしれない。でも、嫌だ、嫌だ。ボクが偽物みたいじゃないか」

 リーはリーヴルの手をひとまとめにして捕まえた。リーヴルの錯乱した瞳を静かに覗く。

 まずい、と思った。早くに平静を取り戻せたリーだが、それは「慈悲のナイフ」という危険物の名が出たからだ。リーは元々理性が強い方である。ただ自然に身を任せているため、精神にかかる負荷が少ない。だから戻るのが早かったのだと思う。

 もし、生命の神が今リーにしたのと同じような精神操作を長期間に渡り、リーヴルに施していたとしたら。感受性が豊かなのに、人間関係が希薄で、心がからからとしているその隙にあらゆる感情を埋め込んだのだとしたら……果たしてリーヴルはその感情から抜け出せるだろうか。

「やだよ……」

「リーヴル」

 リーは魔力を多めに纏わせた指で、リーヴルのこめかみを叩いた。リーヴルは呻き声一つ上げず、どさりとその場に倒れる。

「今は何も考えなくていい。ゆっくり眠ってください」

 真実を知る必要はないはずだ。まだ。

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