良い愛
どうすればいいのか、リーヴルにはわからなかった。
生命の神はリーヴルの敵ではない。むしろリーヴルの主たる存在だ。だから、武器を向けることはできない。……けれど。
ディーヴァから聞いていた通り、使徒の体を乗っ取ることで会話を可能としている。本来、リーヴルは生命の神の眷属で使徒なのだから、わざわざそんなことをしなくとも、リーヴルに直接語りかけることができる。テレパシーのようなものが使えるのだ。普段、生命の神はケテルの神殿で声を届けている。それは使徒であるロワに直接語りかけているのだ。
生命の神にはリーヴルの魔力無効化能力は効かない。それを超越した存在だからだ。
それでいいはずなのに……何故だか、リーヴルは胸がぞわぞわとした。おそらく、これがリーヴルに取りついた生命の神と対面したときのディーヴァの感覚なのだろう。リーヴルは忌々しく噛みしめた。
「……神様、ボクに何か用ですか?」
嫌悪感を滲ませないように努めて静かに言ったつもりだ。だが、冷たく響く。それでも生命の神は空っぽの笑みを絶やさなかった。
生命の神にとって、リーヴルはどうでもいい存在なのだ。リーヴルだけじゃない。今体を使っているリーも、毎日敬虔な祈りを捧げるロワも、寡黙な眷属のアルブルも、生命の神にとっては一ミクロンの価値だってない。
生命の神にとって価値のあるものはこのセカイでただ一柱。対の神たるディーヴァのみだ。それがひしひしと伝わってくる感情の宿らない笑みは空っぽでどうしたって好きにはなれなかった。
ロワ、キミがどれだけ生命の神様を慕っても、生命の神様はキミを好きになってくれない。きっと何千年生きても。
絶対零度の不変性。それが生命の神の笑みにはあった。
「用というほどのことはないよ。ただ、君のことが知りたい。だから、お喋りをするためにリーの体を借りたんだ。リー相手なら君も話しやすいだろう?」
生命の神にとって、使徒は器でしかないらしい。外見をよくすれば、相手の心がほどけるとこの神は勘違いしている。だからリーの体を乗っ取ってリーヴルに話しかけたり、リーヴルの体を乗っ取ってディーヴァに話しかけたりできるのだろう。
現に、リーヴルはリーの顔でなかったら、生命の神を無視したと確信できる。リーヴルは他の使徒には関心がないから。
人間らしい心は持たないくせに、生命の神はこちらの心を分析して、実行するのだ。きっとディーヴァもリーヴルでなかったら、生命の神にかまうことはなかっただろうこの神のそういうところが腹立たしく、嫌悪感を引っ掻いていくのだ。
「ボクの何が知りたいんですか。ボクはアナタの使徒です。それ以上に何か必要ですか?」
「釣れないなあ。使徒の心を知ろうと思うから来たんだよ。キミが一番わからない」
そのまま、生命の神はつらつらと続ける。
「ロワはいいよね、わかりやすくて。僕のことを崇拝しているんだ。僕には形がないのに。形のない存在を信じて愛して崇め立てて、少し愚かでかわいいよ。さすが第一使徒だ。
形がわからないシエルもかわいいよね。見えないから声だけを信じるんだ。みんな自分のことが好きだって信じてる。愛されたいって思ってる。誰一人として、彼女は顔も知らないままで終わるのにね。
他の使徒も、目的や好きなものがはっきりしていて、愛おしいよ。でも、君とリーだけはわからないんだ。
リーは何もいらないという。彼女は何も欲しなかった。僕があげた慈悲のナイフも使わずに仕舞い込むだけだ。魔法だって使わない。リーの魔力は使徒の中でもかなり膨大な方だよ。やろうと思えばフロンティエール大森林を覆うほどの炎をもたらせるし、同時にフロンティエール大森林を覆うほどの結界も張れる。それだけの技量もあるはずなのに、彼女がするのはこんな空間を作ってセカイを眺めることだけだ。
欲しいものが何もないというのは元が人間だったとは思えなくて実に興味深いよ。人は全てを手に入れると何もいらなくなるのかな。
君も、不思議だよ、リーヴル。何故人に期待しないんだい? 自分を好きになってもらおうとしないんだい?」
リーの声で紡がれるそれらに、リーヴルはぞっとする。リーはこんな知的好奇心だけを露にしたような話し方をしない。誰かに意見を迫ったりしない。これはリーじゃなくて、生命の神なのだ。
親しい人の顔をしているのに、別人のような応対をされると心が落ち着かないというか、大事な何かを引っくり返されてしまいそうで、そわそわする。この感覚をディーヴァは味わっていたのだろうか。耐えられなくなるのも無理はない。現にリーヴルも余裕がなくなってきていた。
「他人が、ボクに期待をしていない、から……求められていないものを生み出す必要は、ボクにはないです」
「表情が固いなあ。別に取って食ったりしないよ。確かに君に取りつくことはあるけど、それは姉さんに会うためだもの」
姉さん、と口にして、うっとりとした表情を浮かべる生命の神。顔はリーなので、リーヴルからするとリーはそんな顔をしない、と混乱して叫んでしまいそうなほどに解釈違いだった。
だが、この言葉で確信した。生命の神にとってリーヴルはディーヴァに会うための媒介に過ぎないということを。
使徒や眷属にそんなに価値は感じていないのかもしれない。興味はあっても関わろとはしない。生命の神にとってはディーヴァに好かれることの方が重要で重大なのだ。セカイを正常に運営することよりも。
けれど、それを責める資格がリーヴルにあるだろうか。ディーヴァのことが好きだから、ディーヴァの思うままに、セカイを崩壊させようとしている、リーヴルに。
「生命の神様は、ボクたち使徒のことをどう思っていますか?」
「どうもこうもないよ。僕が僕のやりたいようにやってもセカイが回るようにするための大切な歯車たちだ。もちろん、君もね」
「歯車、ですか」
セカイの仕組み、使徒の役目からして、その表現は間違ってはいない。
間違ってはいないが、気に入らない。
「歯車が一つ狂ったら、どうなると思いますか?」
「うん?」
「もしくは、歯車が一つでもなくなったら」
このセカイの均衡はダートと使徒が存在することでぎりぎり保たれている。大きさは違えど、きちんと噛み合うように組み立てられた歯車たちだ。
繊細で緻密なそれの、歯車が一つでも機能しなくなったら。
「僕と姉さんでまたセカイを作り直すさ」
当たり前のように生命の神は言った。
作り直されたセカイに、きっとリーヴルはいない。
「もちろん、体のない僕のために君は必要だ。だって姉さんと触れ合いたいもの」
どくん、と鼓動が一つ体の中を巡る。
死ぬことは許さない、と言われた気がした。
「いや、だ……」
「うん?」
「やめて、やめて! 来ないで! 近寄らないで!!」
「リーヴ」
「来ないで!!」
底知れない神の瞳が恐ろしくて、リーヴルはその体を突き飛ばした。抵抗なく飛んだ体は本棚にぶつかり、重たげな音を立てて、本が落ちていく。
「リーヴル……?」
その呆然とした声ではっとした。
生命の神はもういない。
リーヴルが突き飛ばしたのは、リーだ。




