使徒
結界の中は暗い。セフィロートで闇を司るディーヴァが手ずから作った結界はリーヴルが来たとき以外、黒く外を透かす。ディーヴァはそれが落ち着いたし、何も不満はなかった。
このセカイには人間も魔法が使えないなりに魔法理論というものを編み出して、魔力の適性を知り、自分に合った魔法を習得し、魔力を運用していくようになっていた。あんな神でも一応それくらいは考えられたようである。
魔法の基本属性は五属性。火、土、水、風、木である。魔力とはセカイの自然が生み出した膨大な混沌だ。自然の形に昇華するのが最も効率的な運用方法だろう。ディーヴァは無駄に長い時間、結界にいるので、大体を知っていた。
魔力とは混沌。破壊。死生観がごちゃごちゃと混ざったものだ。ただ、何故ごちゃごちゃになってしまったのかには理由がある。
このセカイは元々「生命の樹」という概念だった。概念を具体化するのはとても難しいことである。その上、「生命の樹」とは人間にとっての「真理」を表すとまで言われている。真理。そんなものがあるかはさておき、その体を成す上での情報量は多くなり、多すぎる情報はまとまりがなくなる。けれど一つであろうとする。このセカイは基礎となった概念の混乱の上に成り立っているわけだ。混乱し、まとまりきれなかった概念としての情報が、セカイをぐちゃぐちゃにかき混ぜる魔力となって、セカイを壊そうとしたり、成り立たせようとしたりしていた。それがセフィロートだ。
生命の神もディーヴァもその混沌の中から生まれたのだろうと見ている。あまりに正と邪が入り乱れすぎていたセカイを調律するために正の塊と邪の塊が大きく分けられて、あたかも神であるかのような体を成しているわけだ。
それでも生命の神とディーヴァが生まれたことによって、セカイが僅かに落ち着きを取り戻したのは確かだ。ディーヴァは今こそ自身を封印しているわけだが、ディーヴァが魔力の一旦の解消方法を見つけたことによって、主神たる生命の神に考える時間が生まれた。神を取り残し、生きている眷属たちの存在は無駄ではないのである。
始まりの十人を使徒とした生命の神は使徒を通じて、自らが考えた魔法理論をセカイに浸透させていく。人間は魔力を保有するのに向かないが、魔力を運用することはでき、生命の神も数だけは作れた。そのため、なんとか魔法を使用して魔力を運用していくことができるようになった。
人間と魔物、魔族は作った神こそ違えど、対立関係にないため、人間の技術は魔物や魔族にも伝わっていく。魔力を多く持つ魔物や魔族が魔法を使うようになれば、もっとセカイの余剰魔力が減っていって、良いサイクルに入るだろう。
ただ、問題は起こった。
リーヴルが難しい顔をしてディーヴァのところにやってくる。ディーヴァは悩み事があるのは見抜いていたが、そこには触れず、軽くあしらう。
「ふん、浮かない顔だな。けらけら笑うのがお前の特技のくせに」
「んー、笑って済ませたいんだけどね。ちょっと人間が最近死にすぎて」
「戦争か?」
血腥い気配に、ディーヴァの中の破壊の衝動が疼く。リーヴルは結界に手を当て、リィエと唱えた。黒い結界が光に包まれる。
く、とディーヴァが微かに苦鳴を漏らす。強めの魔法でリーヴルが結界を補強したようだ。
闇属性と光属性の魔法に関しては諸説あるが、対なるものという認識が一般的だ。実際、生命の神を光、ディーヴァを闇と見立てるならあながち間違ってもいない。そんな生命の神の使徒であるリーヴルの属性はもちろん光であった。対である魔力による拘束は闇が濃くなっていたディーヴァの体を痺れさせるほどの威力を持っていた。
リーヴルが強硬策に出るのも仕方ない。人間がたくさん死んでいるということはその死が着実にディーヴァの糧となり、結界を破ろうとしていることになるのだから。
人間が大量に死んだ状態で破滅をもたらす女神が復活なんてしてみろ。セカイが終わるかもしれないのだ。
「疫病だよ。治癒の魔法が効かないんだ。そもそも治癒の魔法を使える者は少ないし」
「まあ、人間は自然のままに死んでいくしかないからな。病に犯され死ぬのもまた摂理だ」
「ディーヴァちゃんの眷属はどうなの?」
「あれらもまた自然から生まれしもの。自然の異変で人が病んだなら、原因となった自然を司るものにも異変が起きているかもしれない。そいつが死ねば、否が応にも私の封印は解けるだろう」
ディーヴァは少し考え、地面に手を当てる。
「小僧、お前の魔力無効化は範囲があったな」
「うん。強力な能力だけど、あまり範囲を広げると人間のみんなも魔法が使えなくなるからね。ディーヴァちゃん何かするの?」
「魔力探知だ。マルクトから向こうには魔族が多く住む。魔族は構成要素のほとんどが魔力だ。異変があれば魔力に何らかの変化があると考えられる」
「魔力探知でそんなことまでわかるの?」
「魔力のことは生命の神より詳しいよ」
他にやることもないため、ディーヴァはディーヴァで魔力について調べていたのだ。リーヴル以外の邪魔の入らないこの環境は考え事に没頭することに適していた。生命の神と違って、ディーヴァは眷属を管理する必要はない。故に、自然に時が紡ぐままに生きているのだ。
眷属に異変があれば察知できるのは当然なのだが、一つ一つを感知するには魔物も魔族も数が多い。集中して、自然を介して様子を見るのが今のディーヴァにできることだ。
死や破壊を司るディーヴァが封印されているこの地に命が息づくことはできない。故に、地面を介するしかなかった。
リーヴルの魔力無効化はリーヴルの近くにある魔力を無効化し、操作できないようにするだけで、魔力自体がなくなるわけではない。地面を伝っての魔力探知くらいならできるのだ。
もちろんこれは森羅万象を把握するようなもので、人間などに成せる業ではない。ディーヴァが神だからこそ使えるのだ。
ディーヴァは地面に手を当て、目を瞑り、集中する。地面から魔力の流れを読み、あらゆる土地に流れる眷属の魔力を感じ取る。封印された状態でも近くから順に探れば、眷属の状態を把握することはできた。
あるところでディーヴァは違和感に気づき、目を開く。それに気づいたリーヴルが結界に寄り添った。
「何か見つかった?」
「見つかったというか、なくなっているな。フロンティエール大森林の中の眷属の数が異様に少なくなっている」
「フロンティエール大森林っていうと、森の中だね。森はてっきり生命の神様の管轄だと思ってたけど、ディーヴァちゃんの眷属もいるの?」
「ああ。あの森は自然豊かなため、豊潤な魔力があるからな。木に魔力を宿らせ、時折人型として顕現する木の民と、魔力と土を混合させて人型に固めた土の民がいる。この両方、特に木の民が減っているな。木の民が減っているというか、木そのものが減っているように感じる」
「依り代にする木がないと木の民は存在できないってこと?」
「その通りだ」
ここで考えられるのは二つ。木が伐採されたということ。もしくは植物が病にかかったということ。
提示された可能性にリーヴルはふむふむ、と頷くと、ぱっとディーヴァに微笑んだ。
「ディーヴァちゃん、ありがとう。土の民にも異変があるなら土壌に何かあって植物に影響が出たのかも。後者の可能性が高いとボクは見てるけど、アルブルとかに声をかけてみるよ。すぐ戻るから待っててね」
「ああ」
リーヴルがすぐ戻るのは、死が相次いでいるため、ディーヴァの封印が解ける可能性があるからだろう。調査は他の者に任せるのが最善だ。ディーヴァの力を抑えられる力を持つのはリーヴルだけなのだから。
リーヴルは魔力無効化の能力のため、魔力を使ったテレパシー能力が使えない。使徒であるのに、だ。故に、生命の神とのやりとりも、他の使徒を介さなければならないという不便な面を持つのだ。
それがよくなかったことは明白だった。
リーヴルの姿が見えなくなってからほどなく、ディーヴァはどくん、と鼓動が大きく脈打つような感覚がした。ぱりん、と結界の割れる音が遠く感じられるほどに、ディーヴァの意識は遠退き、いつの間にか天高くからセカイを睥睨していた。
空が赤く赤く染まる。赤い空から零れ落ちるのは、黒い雨。
解き放たれたディーヴァの魔力がセカイを駆け巡り、雨を降らせた。
何が起こったのか、ディーヴァはすぐには理解できなかった。理解しようとすればするほど、理性が崩れ落ちていく。力が漲って、ディーヴァの人格をも支配しようとするのだ。
ディーヴァは高らかに笑った。
「あはははははは! 私を支配しようというのか? 面白い。できるものならやってみろ。我こそは死を司るセカイの神……」
「ディーヴァちゃん!!」
何かがぶつかってきて、ディーヴァは宙から落ちていく。魔力が操作できない。黒い雨は止み、赤い空は徐々に青さを取り戻していった。
ディーヴァは自分を抱きしめる存在に気づいた。力の奔流、死の贄に溺れそうになっていた女神を止めたのは使徒だ。金色の髪を風に靡かせ、躊躇いもなくディーヴァにしがみつく。そんな存在なんて、一人しか知らなかった。
「……リーヴル」
「うん、そうだよ、ディーヴァちゃん」
彼は翼を広げて、ふわりと地面に着地した。リィエ、という呟きが簡易結界を築き上げる。
ごめんね、と空色の瞳がディーヴァを見上げた。
「もっと早くに相談すればよかった。ディーヴァちゃんの封印が解けるまでの死の量を留められなかった」
「良い。やつに報告はできたのか?」
やつとは生命の神である。リーヴルは小さく頷いた。
「イェソドのシエルに急いで伝えた。赤い空と黒い雨で、急を要するってわかってくれて、早く封印のところにって」
イェソドの使徒シエル。イェソドはマルクトの隣接都市だ。シエルは盲目の使徒で、その分、テレパシーに優れていたと記憶している。それに伝わったなら、生命の神側は大丈夫だろう。
「そうか。そうしたら、そうだな、リーヴル。こちら側の片付けをするから、魔力無効化の効果範囲外になるように離れてくれ」
「でも……」
「さっきの雨で我が眷属も死んだ。私はある程度の眷属を作ってからでないと、封印してもすぐ解ける。それでは意味がないだろう? また暴走するようなら、お前が止めに来てくれ」
「ディーヴァちゃん……」
ディーヴァの糧となった死は魔力としてディーヴァの中にある。それをある程度消費しないと、封印してもすぐに解けてしまう。人間は簡単に死ぬのだから。
ただ、眷属を作るには魔力を使う必要がある。リーヴルが傍にいてはできないのだ。
リーヴルは心配そうにディーヴァを見たものの、理解を示すように頷き、立ち去ろうとした。
かくん。
「リーヴル!?」
そこで不自然にリーヴルが崩れ落ちる。空色の目から光は消え失せ、呼吸もない。
まさか、自分の力に浸食されたのでは、と一瞬ディーヴァは思ったが、リーヴルは生命の神の使徒である。それだけはない。
それに抱き上げると、リーヴルの腕が抱きしめ返してきた。
そうしてリーヴルの声がディーヴァの耳元で囁く。姉さん、と。