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ディーヴァの眼光が鋭くなる。それは決してリーヴルには向けない、嫌悪の眼差しだ。
「貴様……!」
リーヴルの姿なら、振り払えないだろうというのをいいことに、のうのうと現れたのは生命の神である。
何故かは知らないが、生命の神はディーヴァに異様な執着を見せる。知りたくもない、とディーヴァは思っていた。
ディーヴァからすれば、このセカイの主神であるはずなのに、ディーヴァと二人でいるためにセカイを捨てようとする生命の神の思考回路が理解できなかった。自分が育て、栄えさせたものに愛着がないのか。そういった感情が持てないのか。理解しがたい。
それに、この神はディーヴァのことを「姉さん」と呼ぶ。神であるディーヴァを人のように扱ってくるところは好きになれなかった。
ディーヴァも、生命の神も、神である以上、人にはなれない。しかも人々が願いを託すような存在でもない。
「理解しようとしないお前に教えることなどない」
ディーヴァは冷たくそう言い放った。
リーヴル……の姿をした生命の神は目に見えてしゅんとする。ディーヴァの中に冷たいものが置かれた気がした。四角い氷の塊のような。
ディーヴァと生命の神はこのセカイの概念であり、いつかセカイが一つの世界として独立するときに、世界の外郭となる存在だ。ディーヴァはその役割を理解しているが、生命の神は理解していない。納得もしていない。
神が絶対的な存在として信仰される世界と繋がっているからだろうか。生命の神は全てが自分の思い通りになると思っている節がある。故に、ディーヴァだけが思い通りにならず、気に食わないと思っているのだろうか。
「僕は姉さんと一緒にいたいだけなのに、それじゃ駄目なの?」
「それでよかったら、私もお前も、何もしていないだろう。我々は人ではない。神なのだ」
「それは……わかってるよ」
わかっていない、とディーヴァは眉を寄せる。わかっていたら、リーヴルを依り代に、ディーヴァへ駄々を捏ねに来るはずがないのだ。
やるべきことなら、山のようにある。ディーヴァが魔力で潤したフロンティエール大森林も、ディーヴァというよりは生命の神の領分だ。森には神木として生命の神に連なる樹木神アルブルを置いているのだから。
リーヴルという使徒を通して、ディーヴァがどうしているのかも見ていたはずだ。視覚を共有するくらい、体を乗っ取ることに比べたら、遥かに容易なのだから。
だから、ディーヴァは許せなかった。
「お前は何をしている?」
「姉さんに会いに来た」
無垢な笑顔で告げる生命の神。ディーヴァの苛立ちが、リーヴルの能力に制限されていても尚、黒く立ち上る魔力を可視化するほどに表れていた。
「私に会いに来て、何だというのだ」
「だって、リーヴルはずっと姉さんと手を繋いでいたでしょう? ずるいと思ったんだ。姉さんの手を握って、姉さんの命を握って、姉さんに心を許されて。リーヴルなんてぽっと出の使徒が僕よりずっと姉さんと親しくしているなんて、ずるいじゃないか。僕は姉さんと一緒にいたいだけなのに、このセカイに存在するための器がない。ずるい、ずるいよ」
要するに、妬みだ。みっともない、とディーヴァは生命の神を見下す。不完全だからこそ、不完全なセカイの主たり得るのだろう。
ディーヴァは溜め息を吐きたいのをこらえ、生命の神に向かって、両腕を広げてみせた。
「お前も、孤独だったのだな。ほら、おいで」
その目が、リーヴルのものを借りた空色が宝石のように輝く。生命の神は喜び勇んでディーヴァに抱き着いた。
いや、抱き着こうとした。
ぱしん、と乾いた音が鳴る。生命の神は何が起きたのか理解できなかった。ただ、頬に熱が集い、痛みがじくじくと苛んでいくことがわかる。
ディーヴァは大きく平手を打ったのだ。不意討ちに崩れるリーヴルの体を見下ろす。その目には怒りや憎しみといった人間の言語程度では表せないような、黒くどろどろした感情が渦巻いていた。それは絶望を司る者たる威厳を存分に孕んだものだ。当然だろう。ディーヴァは生命の神を絶望に陥れるためにそう振る舞ったのだから。
だが、生命の神はディーヴァの予測の範疇を越えていた。
「……ディーヴァちゃん……?」
打たれた頬を押さえて、ディーヴァを見上げた空色は無垢でいたいけな光を宿していた。ディーヴァは言葉を失う。このセカイでディーヴァを「姉さん」と呼ぶ存在が一つしかないように、ディーヴァを「ディーヴァちゃん」と呼ぶのも、一人しか存在しないのだ。
理解できない状況と、悲しみと、痛みに潤んだ空色は今にも雨を一筋垂らそうとしていた。
ただ、状況に追いつけていないのは、ディーヴァも同じだった。何が起きたか、判断が遅れた。それが一瞬のことでも、遅れた事実は覆らず、致命的であった。
「ごめ、なさ……」
リーヴルの口から、吐息のように掠れた言葉が零れる。それは壊れた人形のように、その言葉しか組み込まれていないからくりのように、ひたすらに繰り返された。
「ごめ、なさ、ごめん、なさい、ご、め、さ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん、ほんとうに、ごめん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんごめんなさ、っく、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさっぅ、あ、ご、め」
「もうやめろ!!」
耐えきれず、ディーヴァが叫ぶ。リーヴルが自分の顔を見なくて済むように、ディーヴァは抱きすくめた。
ディーヴァはまだ冷静ではなかったが、何が起きたのか理解した。ディーヴァが平手打ちをした瞬間、生命の神は依り代としたリーヴルから離れ、リーヴルに意識が戻った。それによって、生命の神に打ち付けるはずだった痛みと絶望をリーヴルが引き受けることになってしまったのだ。
臓物を引きずり出して、焼いても煮ても足りないくらいの熱が、激情がディーヴァの中を駆け巡る。それを今、表に出さないように、リーヴルを力強く抱きしめるのが精一杯だった。その怨嗟を吐き出そうとすれば、またリーヴルに手を上げてしまうかもしれない。憎悪をも糧とするディーヴァはセカイを壊してしまうかもしれない。それだけは、それだけはしてはいけない。奴の存在を許すことになるが、この子どもが生きるセカイを奪うのはディーヴァの望みではないのだ。
……どうしたら、いいのだろうか。
きっと今のディーヴァの心は混沌を吸い出す前のあの湖と変わらない。黒、黒、黒。そればかりで塗り潰されている。
あれだけ魔力を森に譲渡したのに、力がちりちりと燻るのを感じる。許せない、という思いが広がるごとにディーヴァの魔力の器が満たされていく。
ああ、ああ、ああ。
混沌に支配されそうな頭で、微かに残った情が、リーヴルの懐をまさぐり、あるものを探し当てた。
「リーヴル」
それを手にしたディーヴァは夢現のような朦朧とした頭で、リーヴルに語りかける。
「もう、私たちは各々の道を……別々の道を歩んだ方がいい。お前が幸せであるために」
私が己を見失わないために。
「ディーヴァちゃん!!」
そう紡ぐと、ディーヴァは。
躊躇なく、慈悲のナイフで自らの胸を突き刺した。




