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0008.平民としての暮らし

 オルガの言葉通り、やるべき仕事はいくらでもあった。

 バルカスとオルガの店は、昼から営業を始める。それまでに料理の仕込みと店の掃除、衣服の洗濯、そして市場への買い出しも行う必要があった。

 買い出し担当のバルカスは、エーデルが起きた頃にはもう身支度を終えていた。

「市場は早く行かないと、いいものが全部取られちまうからね」

 朝食の塩漬け肉を焼きながら、オルガが説明してくれる。

「じゃあ、行ってくる」

 そう言って扉を開けるバルカスの背に、エーデルは声をかけた。

「行ってらっしゃいませ」

 バルカスは一瞬だけこちらを振り向くと、何も言わずに店を出ていった。

「……まったく、挨拶ぐらいちゃんとしろっての。強情なんだから」

「いいえ、お気になさらないで下さいませ。わたくしの事を信用できないという、バルカスさんのお気持ちも分かりますから」

「ごめんね、あたしからも良く言っとくからさ」

 焼き上がった塩漬け肉とチーズ、それに大きなパンの載った皿をエーデルと自分の前に置いて、オルガも席に着く。

「それと、オルガさん、ってのはやめとくれよ。何だか気恥ずかしくってさ」

「では、何とお呼びすれば?」

「おかみでいいよ、そっちの方が呼ばれ慣れてるから」

「分かりましたわ、おかみさん」

「ちなみにあんた、料理は出来るかい?」

 問われたエーデルは、顔を強張らせてかぶりを振った。

「申し訳ございません、料理は全然……」

「いいんだよ、そりゃ貴族様だったんだもんね。料理なんてした事ないだろうさ」

 予想以上に縮こまってしまったエーデルに、オルガは慌てて手を振ってみせる。

「それじゃ、掃除を任せてもいいかい?」

「ええ。掃除でしたら、メイドがやっているのをいつも見ていましたから。やり方は存じておりますわ」

 心底安堵したように微笑むエーデルを見たオルガは、この少女の内に潜む暗い何かを感じたが、敢えて踏み込む事でもないと流した。

「ははは。じゃあ、よろしく頼むよ」

「ええ、朝食が終わりましたら、早速取りかかりますわ」

「頼むよ。あ、あたしはもう少し食べるけど、あんたもおかわりいるかい?」

「もう食べ終わりましたの? こ――いえ、わたくしはこの量で十分ですわ。ありがとうございます」

 こんなに食べてまだ入るんですの――そんな驚きを慌てて飲み込み、エーデルはオルガの背をまじまじと見つめた。

 朝食としてはかなりのボリュームで、エーデルはまだ半分も食べられていない。オルガは瘦身というほどではないが、食事量と体型が見合っていないのは明らかだった。

 彼女の視線に気付いたらしく、

「店が忙しくってさ、食べなきゃぶっ倒れちまうんだよ。あんたもその内もっと食うようになるかもね!」

 オルガは言って、あははと笑った。

「あ、す、済みません、少し驚いてしまいまして」

 エーデルの周りで健啖な人間は、概ね肥っていた。無論、貴族が平民より動かないのが一因であろう。

「そうそう、あともう一つ、やってもらいたい事があるんだよ」

 パンの載った皿をを持ってきたオルガは、テーブルの端に立ててあったメニュー表を開いて、エーデルに見せた。

「店が開いてる間、あんたには接客をお願いしたい。メニューと値段、出来る限りでいいから覚えてくれないかね。あ、昼は酒を出さないから、酒のメニューは夜だけだよ、気を付けておくれ。たまに平気で真っ昼間から吞みたがる馬鹿がいるからね」

 ぱらぱらとメニューをめくるエーデル。その顔は、文字を追うごとに緩んでいった。

「鱒の香草焼き、塩漬け肉の胡椒炒め、七面鳥の赤ワイン煮――どれも美味しそうですわ……!」

「お、そうかい? まかないで好きなもの作ってやるから、何がいいか選んどきなよ」

「本当ですか!?」

「ああ。ま、客の入りが落ち着いてからになるから、正午ちょうどって訳にはいかないけどね。それよりどうだい? メニュー、覚えられそうかい?」

 すると、エーデルはメニューをぱたりと閉じ、頷いた。

「心配ご無用ですわ。もう全て暗記致しました」

 エーデルの言葉に、オルガは目を見開く。

「この数分で全部覚えたってのかい! こりゃ、大したお嬢さんだよ」

 食事を再開しながら、エーデルは高鳴る鼓動を抑えられなかった。

 望み続けた平民としての暮らし、何者にも縛らないない自由な日々が、今日から始まるのだから。

 エーデルは期待に胸を膨らませながら、チーズを載せたパンにかぶりついた。


 昼時。食堂イスールは、客が店に入り切らない程の繁盛ぶりだった。

 最初はバルカスが調理、オルガとエーデルが接客を行っていたが、それでは客をさばけない為、オルガも調理に回る。必然、エーデルが一人で接客を担う事となった。

「はあ、はあ……この店、いつもこんなにお客様が入るんですの……?」

 荒く息を吐くエーデルに、オルガも汗を拭いながら答えた。

「いや、普段の三倍は来てるよ。きっと皆、あんた目当てだろうね」

 確かに、客からやけに視線を感じるとは思っていた。見た事の無い女が給仕をしているから、物珍しいのだろうと考えていたが、そうではないらしい。

「ここらじゃ噂はすぐに広まるからね。貴族から平民になった女の子がうちに来るって聞きつけて、どんな娘か見に来たんだろうさ。すまないね、初日からこんなに働かせちまって……はい、子羊の骨付き、上がったよ!」

「いえ、この程度、どうともありませんわ……!」

 まだまだ客は途絶えそうにない。ここでへばってはいられなかった。

「はい、お待たせ致しました。こちら、子羊骨付き肉のソテーですわ!」

 目が回る忙しさにもへこたれず働くエーデルを調理場から眺め、オルガは隣のバルカスに言った。

「とってもいい娘じゃないか。サーシャを苛めてたってのも、あたしゃ何かの勘違いだと思うけどねえ」

「……ふん」

 バルカスは何も答えず、ただ鼻を鳴らすだけだった。

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