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0042.小さな太陽

「はぁっ……はぁっ……!」

 エーデルは、荒い息を吐きながら地面に手を付いた。

「エーデル!」

 駆け寄ってきたサーシャに、エーデルは弱々しく笑いかける。

「どうにか、なりましたわ……痛っ……!」

 毒の作用による痛みに、エーデルはうめきを上げる。不安げなサーシャを見て彼女は言った。

「心配、いりませんわ……ただ死ぬほど痛いだけ、ですから……」

「そんな……! 早く殿下達と合流して、セレン様に治癒の魔術を使ってもらいましょう!」

「治癒の魔術で治るものか、分かりませんが……そうですわね」

 サーシャに手を借り、エーデルはどうにか立ち上がる。

 その時、白煙の中から声が聞こえた。

「……まだだ」

 ドラクロワが、再び姿を見せる。

「なっ……! まだ元気ですの!?」

 不死身か、この老人は――

 ぎりり、とエーデルは歯を噛み鳴らす。

「元気なものか。危うかったぞ……魔術を防御に切り替えるのが一瞬遅れていたら、やられていたかもしれん」

 ドラクロワは肩で息をしながら、こちらへ歩み寄って来る。それなりに負傷していると見え、その足取りはおぼつかない。

「……しかし」

 言葉を止め、彼はエーデルを指差した。

「その力、何度も使えるものではなかろう」

「……っ!」

 たった一度の戦闘で、そこまで見抜かれるとは。宮廷魔術師第一席は伊達ではないと、エーデルは舌を巻いた。

「自らの魔力量を爆発的に肥大化させる――それはつまり、『見えざる手』を無理矢理巨大化させるという事だ。目には見えぬが、この『手』も我々の身体の一部……そんな無理が、何度も出来るはずが無い」

 エーデルは、サーシャから手を放し、再びその前に立った。

「だから、言いましたでしょう……命を賭けると」

 身体のどこもかしこも、激しい痛みに悲鳴を上げている。毒によって無理を強いた『手』も、目には見えないがひどく損傷している感覚があった。

 しかし、それが何だというのか。何もしなければ二人とも殺される。それに今のドラクロワは、万全の状態では無い。自分が命を捨てれば、あるいはサーシャだけは助かるかもしれない。

 ならば、迷う事など無い。

 エーデルは、再び右手をドラクロワに向ける。

 だが――

「……エーデル」

 その腕を、サーシャが掴んだ。

「……離してくださいませ。わたくしは、命に代えても貴女を――」

「その『毒』……私に飲ませてください」

 思いも寄らぬ発言に、エーデルはその目を見開いた。

「……いけません。これはわたくし自身にしか試した事がありませんの。貴女が服用して、同様の効果が出る保証は無いのです」

「……飲ませてください」

 頑として譲らないサーシャに、エーデルは首を振った。

「飲んだ途端、気が遠くなる程の激痛が身体中を走りますわ。今もわたくし、気を抜くと倒れそうですのよ」

「……それでも、飲ませてください」

 ぐっ、と、エーデルは言葉を詰まらせた。

 確かにこの毒は、貧弱なエーデルの魔力量をドラクロワと拮抗するまでに跳ね上げる。サーシャにも同じ効果を発揮すれば、彼を遥かに凌ぐ魔術を行使できるだろう。しかしそれは、『発揮すれば』の話だ。

 エーデルが躊躇している間にも、ドラクロワの魔力が高まっていく。こちらより先に、何か仕掛けてくるつもりだろうか。

「エーデル……私は貴女の大切な友達です。だから、貴女だけ死なせるつもりはありません。お願いです、私に、」

 サーシャの声色に、焦りが滲んでくる。エーデルは覚悟を決めた。

「……めっっちゃくちゃ痛いですわよ!」

 流れる血を握り締め、魔力を集中させる。

 その時。

 エーデルの両手を、激痛が襲った。

「ぐっ……!」

 毒の痛みではない。ドラクロワの魔術によるものだった。

「……やらせんよ。それだけはな」

 眉を吊り上げ、ドラクロワが呟く。

「手が使えなければ、魔術は使用できまい」

 魔術師は皆、『見えざる手』を自らの手と同一に扱えるよう、訓練を重ねる。だから誰しも、魔術をその手から発動させるのだ。

 翻せばそれは、手が使えなくなれば、『見えざる手』も使えなくなるという事である。

 痛みと衝撃によろめきながらも、エーデルは歯を食いしばって踏みとどまった。

 そして、サーシャに呼びかける。

「サーシャ! こっちを向いて!」

 言われるまま、サーシャは声の方を向いた。

 眼前に、エーデルの顔があった。そして彼女の口元には、確かな魔術の輝きがあった。

「――――っ!」

 その勢いのまま、エーデルはサーシャと唇を重ねる。

 サーシャの口内に、冷たい液体が流れ込んできた。

「まさか……手ではなく自らの口で、魔術を使用したのか……!?」

 ドラクロワは、エーデルの技術に驚嘆を隠せなかった。誰もが肉体の手と『見えざる手』を同期させるべく修練を積むというのに、まさか『見えざる手』を単独で動かすなどという事を考える者がいようとは――

「……っはぁ」

 サーシャから唇を離したエーデルは、その足元にどさりと倒れ込んだ。

「後は……貴女次第、ですわ……」

 サーシャの身体が、びくんと跳ねる。

「あ、あ、あ……」

 虚ろに開いた口から、震える声が、

「あああああああああああっ!」

 耳をつんざくような悲鳴が上がった。毒の痛みに、サーシャは身をよじらせる。

 毒は効いた。問題は、『副作用』が出るかどうか――

「…………そうはさせん! 二人まとめて、骨まで焼き尽くしてくれるわっ!」

 ドラクロワが、またもその手に炎を呼ぶ。己が全魔力を以て、二人の少女を確実に殺す為に。

「今度こそ、死ねいっ!」

 しかし、その炎がこちらに届く事は無かった。

 それどころか、まるで初めから存在しなかったかの如く、彼の手に燃え盛っていたはずの炎は、かき消えてしまった。

「な、に……?」

 何が起こったのか見当もつかず、ドラクロワは己の手に視線を落とした。だが、どれだけ魔力を込めても、その手には僅かな火さえ灯りはしなかった。

 そこで、はたと気付く。

「……寒い、だと?」

 倒れ込んでいたエーデルも、地面が異様に冷たくなっている事に気付いた。

 まるで真冬の――いや、それどころではない寒さだった。

 訳も分からず、エーデルは空を見上げる。

 サーシャの真上、空高く――『それ』は存在していた。

 火球と呼ぶのも憚られる。業火と言ってもまだ足りない。『それ』はもはや――小さな太陽だった。

「降参……してください」

 全身を走る激痛のせいだろう、サーシャはきつく目を吊り上げ、ドラクロワに降伏を迫った。

「は……ははは……」

 ドラクロワは、笑っていた。しかしどうして笑いが起こるのか、自分でも分からなかった。

 突然、びきびきと何かがひび割れる音が辺りに響いた。

「この音は……!」

 空を見上げたままのエーデルは、あっと息を呑んだ。

「空が、割れて――いいえ、違う。あれは……」

 割れているのは、ドラクロワの結界だった。

「ま、まさか……」

 今まさに破られようとしている己が結界を見つめたまま、ドラクロワは叫んだ。

「あれだけの炎を生み出しながら、まだ足りんと……まだ熱が足りんと言うのか……お前の『手』は!」

 そう、ドラクロワの結界を破っているのは、サーシャの『見えざる手』だった。魔力を通さぬ結界によって遮られていた『手』は、より多くの熱量を求め、結界の外へ向かおうとした。それを邪魔する『障害』を破壊して、より遠くから熱を集めようとした。

 ばきん、ばきんという鳴動と共に、結界は砕け、やがて霧散した。

 遮るもののなくなった『手』は、更なる熱を集め、頭上の太陽は肥大化していく。

「まったく、今日は何という日だ……魔術に人生を捧げたこの儂が、いまだ至らぬ境地に……お前達が、お前達のような小娘が……!」

「降参、してください……っ!」

 苦悶の表情を浮かべ、サーシャは再度、ドラクロワに告げた。

「これ以上の、制御は……不可能です……! だから……早く降参してくださいっ!」

「――降参だと? この儂に、宮廷魔術師第一席に! ドラクロワ・ルーエンハイムに! 降参しろと! 思い上がるなっ!」

 両手を突き出し、魔術を発動させる。

 氷の魔術。サーシャが周辺一帯の熱を根こそぎ奪ったのなら、逆に冷気は十分に存在している。

 瞬く間に、ドラクロワの前に分厚い氷の壁が築かれた。

「……勝負だ、小娘」

「……っ!」

 もはや、言葉で止める事はできない。

 サーシャは、その右手を掲げ、一息に振り下ろした。

 極小の太陽は、ドラクロワへと一直線に下降する。

「ぐっ、ぐううう……!」

 あっと言う間に溶けていく氷を、ドラクロワは絶えず魔力によって補強し、サーシャの炎を防ごうとする。

 だが、炎は止まらなかった。

「ならば……っ!」

 魔術を氷から土に切り替え、地面を掘り起こして土の壁とする。

 が、その土も一瞬で食い破り、炎は尚も勢いを止めずに突き進む。

「――――っ!」

 そして、ドラクロワを呑み込み、轟音と共に爆ぜた。

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