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0003.やりたい事

 看守と共にマリアが去っていったのを見届けると、エーデルは先程までとは違う不穏な笑いを浮かべた。

「ふふ、ふふふふ」

 口からこぼれる声を押し殺しつつ、エーデルは床に用意された藁床の上へぼすんと寝転がった。

 そして、感極まったように叫ぶ。

「リストNo.018、『就寝時間でない時に寝床で横になる』、完了ですわ!」

 エーデルは、にやにやしたまま、藁床で何度も寝返りを打った。

 そう、彼女は「平民になったらやりたい事」を心中で密かにリスト化し、その数々の所業を実現出来る日を待ち望んでいた。

 そのリストは500項目に渡っていたが、エーデルは全てを暗記し、No順、名前順、優先度順による並べ替えさえ瞬時に脳内で可能だった。

 それ程までに、彼女は平民の暮らしに憧れていた。

「! わたくしとした事が、うっかりしていましたわ」

 藁まみれになったエーデルはがばと起き上がると、今度はいそいそと靴、そして靴下まで脱ぎ始めた。

「靴下なしで寝床に寝そべれるなんて……夢のようですわね」

 呟くと再度寝転がり、今度は鼻歌交じりに大きく伸びをした。

 No.025、『寝床で靴下を脱ぐ』、No.009、『鼻歌を歌う』、No.042、『思い切り伸びをする』――他者が見れば、取るに足らない行為。

 けれど、両親に一挙手一投足までかくあるべしと求められたエーデルにとっては、どれも試すのさえ不可能だった事だ。一度にリストを三つも完了したエーデルは、自由である喜びを、改めて噛みしめたのだった。


 さて、マリアが残していった言葉通り、翌日からは大変だった。

「エーデルに面会を希望します」

「面会を。エーデル様に」

「エーデルという少女と面会がしたい」

 エーデルとの面会を希望する使用人達が、日々何十人も監獄に押し寄せたのだ。

 面会時間は一人十分だけだが、それが何十人も集まれば数時間だ。しかも、面会には必ず看守が付き添う決まりになっている。看守の男は、勤務時間のほとんどを面会の立ち合いに割かねばならなくなっていた。

 守衛室と牢の往復を繰り返しながら、男は最初、エーデルを呪った。

 しかし――

「お嬢様ぁ、さみしくなりますぅ……」

「泣かないの、ベル。別に今生の別れという訳ではないのだから。それより、以前言っていた彫金師の彼とはどうなったの? 上手くいっている?」

 立ち合いとして、エーデルと使用人の会話を聞いているうち、彼の心は少しずつ変わっていった。

「私の料理を、もう召し上がって頂けないのは残念ですな」

「ならゴードン、平民の食材で作れる美味しいレシピを教えて貰えないかしら? そうすれば、いつでも貴方の味が楽しめるわ」

 日中のほぼ全ての時間を面会に費やしているのは、エーデルも同じだった。今も、昼食を挟んで休みなく五時間は使用人と話している。だが彼女に、疲れた様子は見られなかった。

「しかしなぁ。お嬢がいなくなると、庭仕事にも張り合いが出ませんぜ」

「またそんな事を言って。トーマスの仕事ぶりの誠実さはちゃんと知っているわ。しっかり庭のお手入れ、お願いね」

「はは、やっぱりお嬢には敵わねえ! ……じゃ、そろそろ時間だ。お元気で」

「ええ、貴方もね。それでは」

 面会を終えた庭師は、看守に続いて歩き出す。

 筋肉質の、いかにも剛直といった風体の男。しかしその表情は、まるで初孫を抱いた祖父のように柔らかかった。

 守衛室に着いたところで、看守の男は庭師と別れた。監獄を去っていく庭師の背を見ながら、男は嫉妬にも近い感情を覚えた。

 男は、他の大方の平民と同様、貴族を嫌っていた。同じ人間、同じアストニア王国の民であるにも関わらず、彼等は平民を虫か何かとしか思っていない。少なくとも、これまでに男が出会った貴族は皆、そうだった。

 だから、囚人に落とされた貴族の醜態を見る事が、男にとって、何の面白味もないこの仕事における唯一の愉しみだった。

 だが、あの少女は、エーデルは違った。

 彼女は、面会に訪れた使用人全員の名前を完全に記憶していた。いや、名前だけではない。おそらく屋敷の中で過去に彼等と話した内容までも。それは、彼等の間に主人と使用人という立場を超えた繋がりがある事の証明だった。

 来る日も来る日も、使用人達は面会に訪れ、エーデルはその一人ひとりと、楽しげに十分間だけの会話を繰り返す。

 そして、面会時間が終わり看守も姿を消すと、来る夜も来る夜もエーデルは一人、監獄の中で出来得る『やりたい事リスト』の実行に勤しむのだった。

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