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0036.アンドリアナの申し出

 迷宮探索を二日後に控えた午後。

「エーデルさん。少し……お話をよろしいですか?」

 エーデルは、アンドリアナに話しかけられた。

 アンドリアナとエーデルは、今ではたまに立ち話をする程度の間柄になっていた。しかし、彼女から声をかけられたのは、これが初めてだった。

「……可能でしたら、二人だけで」

 エーデルは、隣のサーシャに意向を問う。サーシャは一も二も無く頷いた。

「私は構いませんよ。どうぞ、行ってらっしゃい」

「……では、失礼致します」

 サーシャに一礼し、エーデルはアンドリアナについて歩き出す。

「それで、お話とは?」

 アンドリアナはこちらを振り向くと、

「……すみません。それは、着いてからで」

 そう言って、足早に進んでいく。

 首を傾げながら歩いていると、アンドリアナは古めかしい扉の前で足を止めた。

「ここで、お話を」

 そこは、普段は滅多に使われない書庫だった。当然ながら、中には誰もいない。

 わざわざこんな場所を選ぶとは、余程、他人に聞かせられない話なのか――エーデルの胸中に不安がよぎる。万一、サーシャの身に危険が及ぶような内容であったら……

 部屋の扉が閉まる音に、エーデルの思考が遮られる。

 顔を上げたエーデルに、アンドリアナは身体ごと向き直ると、

「あ、あの……」

 その手を震わせながら、か細い声で言った。

「せっ、セレン様とのペア、辞退して頂けませんか!?」

「……はぁ?」

 思わず、間の抜けた声が漏れる。

 しかしアンドリアナは真剣な面持ちで、瞳を潤ませさえしてエーデルを見つめてくる。

「エーデルさんには以前、私の気持ちをお伝えしましたよね。どうかお願いです……私に、セレン様とペアを組ませてください!」

「ええと、その……」

 エーデルは、困り果てた。

 アンドリアナの、セレンに対する思慕は承知している。セレンへの憧れから、騎士物の小説を読み漁る程だ。セレンを慕う気持ちは、かなり強いものなのだろう。

 だが、エーデルとセレンがペアを組んだ理由は、サーシャを守る為。万一の場合に備えておくには、どうにかアンドリアナを諦めさせねばならない。

 理由が色恋沙汰では、アンドリアナも大人しく引き下がってはくれないだろう。それに――他人の恋愛話に首を突っ込むのは好きだが、自身の恋愛経験はゼロのエーデルには、こういう場合の上手い収め方がさっぱり分からなかった。

 女同士は結婚出来ないと正論を――絶対駄目だ。むしろ怒りを買う。

 セレンの本当の姿を暴露――もっと駄目だ。そもそも信じてもらえるはずが無い。

 セレンの外面の良さを恨みながら、エーデルは脳内で思考を巡らせる。

 ――そうか、いっそ二人を取り持てば……

 これだとばかりに、エーデルはまくし立てた。

「ね、ねえアンドリアナ様。それならばわたくしが、貴女とセレン様がお近付きになれるよう協力致しますわ。それでいかがです?」

「……では、ペアを辞退して頂けますか?」

「そ、それだけはちょっと……出来ない事情がありまして……」

「……ならば、仕方ありません」

 アンドリアナの目が、鋭く尖る。と同時に、その手に光が灯った。

 まずい――そう思った瞬間、エーデルは四肢の自由を失い、その場に倒れ伏した。

「神経に少し刺激を与えて、麻痺させただけです。後遺症の残るものではありませんので、ご心配なく。迷宮探索が終わるまで、大人しくして頂ければ十分ですから」

 完全に、アンドリアナを見誤っていた――エーデルは歯噛みした。

まさか、こんな強硬手段に訴えてくるとは。

「……わたくしが姿を消せば、サーシャ様――ひいてはオルフェリオス王子も動くはず。大事になる前に、止めた方がよろしいですわよ?」

 床に這いつくばったままアンドリアナを見上げ、エーデルはそう言った。

 しかし、彼女は怯む様子も無く、静かに言葉を返す。

「その点も、ご心配なく。どうとでもなりますから」

 そして、懐から液体の入った小瓶を取り出し、エーデルの脇に置いた。

「ルーエンハイム家秘伝の栄養剤です。三日は飲まず食わずでいられますので、どうぞお使い下さい。三時間もすれば、麻痺は解けますから」

 それだけ言うと、倒れたままのエーデルを置いて、アンドリアナは部屋を後にした。


「お帰りなさい、アンドリアナ様。……あれ、エーデルは?」

 教室に戻ったアンドリアナに、サーシャは首を傾げながら話しかけた。

 アンドリアナは、サーシャの耳元に口を近付け、そっと囁いた。

「……放課後、他の方々がいなくなったらお話致します。出来れば、セレン様とオルフェリオス殿下も一緒に」

 その言葉に、サーシャの表情がこわばる。

「……では、放課後に」

 それだけ言うと、アンドリアナはさっさと自分の席に戻ってしまった。

 予鈴が鳴り、教師が入ってくる。

 サーシャは言い知れぬ不安を抱えたまま、教本を開いた。

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