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0000.王妃と悪女

 辺境の小国、アストニア。この国には、民の誰もが幼い頃、寝物語に聞く二人の女性の名前がある。

 一人は、平民でありながらその才を王子に見初められて王妃となったサーシャ・ヴァイオレット・アストニア。貴族第一主義に染まっていた当時の王国から貴族制度を撤廃、万民平等を実現した彼女は『救国の聖女』と呼ばれ、死後三百年余の今に至るまで、全ての国民に敬われ、崇め奉られている。

 そしてもう一人は、『稀代の悪女』エーデルワイス・サンドライト。王子の婚約者であった彼女は、身分の違いを理由にサーシャを虐げ続け、遂には王子にその非道を断罪され、婚約破棄と平民への没落を言い渡されたという。

 平民に落とされた彼女は悲しみと嘆きに満ちた人生を送り、その遺体は誰にも顧みられることなく、共同墓地に打ち捨てられたと伝えられる。

 ――だが、必ずしも歴史が真実を語るとは限らない。

 サーシャ・ヴァイオレット・アストニアとエーデルワイス・サンドライト。二人をめぐるこの物語は、まさに寝物語の佳境、王子により悪女が断罪されるところより始まる――


「エーデルワイス・サンドライト! サーシャ・イスールへの度重なる非道な行い、もはや見過ごす事は出来ぬ!」

 王宮の大広間に、凛とした声が響き渡る。長身な体躯、強い意志を秘めた淡青色の双眸、そして眉目秀麗な顔立ち――声の主は誰あろう、アストニア国王子、オルフェリオス・エドワード・アストニアその人であった。

 彼の傍らには、不安気に肩を寄せる少女の姿がある。

「見過ごす事は出来ぬ――ならば、いかがなさるおつもりですか?」

 そう問い掛けたのは、まさに今、王子と相対している金髪の少女――エーデルワイス・サンドライトだった。美しく整った、何処か冷たさを感じさせる容貌に赤く燃える瞳が、挑発的な視線を王子に向ける。怒声を浴びせられた彼女の声にも、そしてその視線にも、幾分の震えも見当たらない。むしろ、周りで事態の成り行きを見守っている貴族達の方が、狼狽しているようにさえ見えた。

 オルフェリオス王子は、エーデルワイスを指さし、改めて強い語気で告げた。

「エーデルワイス・サンドライト。貴族法第六条に照らし、お前から貴族の身分を剥奪する!」

 その言葉に、群衆から大きなどよめきが起こった。

 貴族法――正式には『アストニア王国貴族法規』というその法は、文字通り王国に住む貴族に適用される法である。その第六条に曰く、「貴族にあるまじき言動を繰り返し、且つそれを改めぬ者は、貴族の身分を剥奪し、その身を平民とする」。

 何とも曖昧な内容であり、制定より百年以上経過した現在に至るまで、適用を受けた貴族は一人もいないという、骨董品のような条文だった。

 そんな条文が初めて適用され、平民に落とされるのが、よりにもよって王子の婚約者、未来の王妃である。貴族達が動揺するのは、無理もなかった。

「……エーデルワイス。何か申し開きはあるか」

 冷徹な王子の声に、エーデルワイスは腰まである金の髪を軽く撫で、口を開いた。

「申し開きはございません。ですが、わたくしは貴方様の婚約者でございます。わたくしから貴族の身分を剥奪するのなら、我々の間にある婚約関係はいかがなさるおつもりですか?」

 その言葉は、どうにかして王子の裁きを撤回させようというエーデルワイスの足掻きに聞こえただろう。だが、王子は目を細め、彼女の問いを、ばさりと切り捨てた。

「お前との婚約は破棄させてもらう。そして私オルフェリオス・エドワード・アストニアは、このサーシャ・イスールと結婚する!」

 一瞬の静寂の後、王宮は、驚愕に包まれた。 

「何と……!」

「あの少女は平民ではないか……!」

「王族が平民と婚約など、前代未聞だぞ……」

「王子は何を考えておられるのか!」

 貴族達が口々に発する叫びの中、名を呼ばれた少女――サーシャ・イスールは、異常なまでの動揺と憤怒に、隣に立つ王子を怯えたように見上げた。エーデルワイスと対照的に穏やかな面立ちも、翡翠を嵌め込んだかのような瞳の輝きも、今は影を潜めている。

 それを察した王子が、今一歩踏み出し、彼女を背に庇う。


 二人から視線を離さず、エーデルワイスはただ、沈黙を守っていた。しかしその口元が微かに緩んでいた事に気付いたのは、サーシャ・イスールだけだった。

 喧噪冷めやらぬ中、オルフェリオスはエーデルワイスに告げる。

「たった今からお前は平民だ。よって平民法の適用を受けることとなる。良いな?」

 エーデルワイスは、こくりと頷いた。

 そこに、銀の鋏を持った兵士が近付いてくる。

「平民には、髪を肩より長く伸ばす事は認められておりません。この場で切らせて頂きます」

「……髪ぐらい、自分で切りますわ」

 そう言うと、エーデルワイスは兵士の手から鋏を取り、己の髪に当てた。そして思う。

 ――本当に、くだらない。

 平民法――『アストニア王国一般国民法規』。貴族法と対を成す、平民に適用される法律。平民は髪を肩より下に伸ばしてはならない、華美な服装をしてはならない、定められた文字数以上の名前を名乗ってはならない、魔法を使用してはならない……

「早く切るがいい、エーデルワイス。そのままでいても、裁きが覆ることは無いぞ」

 気付けば、先程までの喧噪が嘘のように、場は静まり返っている。王子の婚約者から平民へと落ちた少女に向けられる視線には、憐憫が、あるいは侮蔑が混じっていた。

 そんな貴族達に、そして王子に、エーデルワイスは微笑んで言った。

「髪は伸びるものです、殿下。そこに貴賤などありませんわ」

「何だと――」

 オルフェリオスが声を荒げようとした瞬間、エーデルワイスは一息に、その髪へ鋏を立てた。

 じょき、じょきと、乾いた音が王宮に響く。

 切り終わった髪束を一瞥すると、エーデルワイスは控えていた兵士に鋏と共に手渡した。

「捨てて下さるかしら」

「は、はあ……」

 絹糸の如き美しい金髪の束を受け取った兵士は、うろたえながら下がっていった。

「さて――次はどうすれば? この場で華美な服装を脱げばよろしいのですか?」

 豪奢なドレスの裾に手をかけて笑うエーデルワイスに、ヘリオルフェリオスが怒鳴り声を上げる。

「も、もうよい! 衛兵よ、この者を連れて行け!」

 寄って来た二人の兵に連れられ、エーデルワイスは歩き出す。そこでちらりと王子を――いや、その傍らの少女に視線をやった。

 サーシャ・イスール。自分に代わる未来の王妃。

 しかし、エーデルワイスの胸中にあったのは、約束されていた王妃の座や王子の寵愛を奪われた憎しみではなかった。

 その胸に滾るは、むしろ真逆の感情。

 ――――何としても、この少女を守らなくては。

 確固たる決意を誰にも悟られる事なく、エーデルワイスは不安そうな少女から視線を外す。

 それきり、彼女はもう振り返らず、兵士に促されるまま王宮を後にした。

 ――――そう、守らなくては。自分の、目的の為にも。

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