桜は散る、梅は零れる、雪柳は吹雪く、アネモネの花便りは空に舞う
2月6日に、〈花ちゃんは可愛い〉を追記しました。後から付け加えて申し訳ないと思ったのですが、どうぞお許し下さい。
花首がポトリと落ちる椿のように、項垂れたアネモネの華奢な首は前へ垂れていた。
ポトリ、ポトリと花が終わる清らかな梅のように涙が零れる。
室内は薄暗く、閉ざされたカーテンの外側の陽光を感じさせず、ほんのりと曇った水晶のように底深く沈んでいた。部屋の隅は暗闇が凝結したみたいにどろんとして、壁へ染み込むようだった。
アネモネは婚約を破棄された。
それを悲しんでいるのではない。婚約者は最低の人間だったから、破棄されたことはむしろ喜ばしいと思っていた。
しかし、貴族の娘としての未来は終わってしまった。家のお荷物にしかならない将来に涙が出るのだ。
アネモネは11歳。男爵家の末子として生まれ、妖精のように愛らしい容姿をしていた。
その可愛らしさが、権力も財力もある侯爵家の嫡子の目にとまってしまった。この侯爵家の子息は素行が悪く、婚約者を手折っては捨てる放蕩者として有名であった。アネモネは6番目の婚約者だったが、10日間で破棄された。
年齢を盾に両親と兄姉がアネモネをがちがちにガードしたので、手を出すことが出来ない子息はすぐに他へ目移りしたのだ。
たった10日間の婚約とはいえ相手が悪過ぎた。
アネモネは純潔であったが、貴族の娘としては致命的な傷もののレッテルをはられ、11歳にしてマトモな婚姻先がなくなってしまったのだった。
しかも他人の不幸は蜜の味とばかりに、昨日はアネモネを嘲笑う茶会に強制的に出席させられ、せめて泣くまいと涙の蕾のままずっと唇を噛み締めていた。
わざわざ迎えの馬車までまわされ、夫人たちや令嬢たちの優越感たっぷりの嘲笑のもとに晒し者の公開処刑もどきに合い、耐えに耐えて、やっと屋敷に帰れた時には心はボロボロになっていた。
主催者の伯爵令嬢は、花のように可憐なアネモネを以前から妬み僻み嫉妬していた為、アネモネを見下すチャンスと貶め虐げたのだ。
暗い部屋を幽けく照らす、闇の中の蛍のような蝋燭の火の穂がゆらりと揺れた。
それは、風のない部屋に風の訪れを教える揺らめきだった。
「アネモネ」
扉を開けて入ってきたのは10歳年上の従兄ハモンであった。ハモンの後ろには、アネモネの両親と兄姉がいた。
「アネモネ、私と結婚してくれないか? 今すぐに」
びっくりするアネモネにハモンは言葉を続ける。乞い願うように、恋う願うように。相手は11歳といえど正式に求婚しているのだ。
誠実なハモンは、真摯な態度で宝物の如くアネモネの手を取り跪いた。
「辺境の砦へ行くことになった。とても危険な場所だ。毎年、幾人もの騎士が命を落とす砦だ。しかし、私に万一があっても私には騎士爵があるから、アネモネには騎士爵夫人の称号と私の財産が残り、生涯を何不自由なく暮らせる」
ハモンは旅装束に身をつつんでいた。長い脚に編み上げのブーツが似合っている。
「アネモネ、大丈夫だ。このハモン・フィールドの妻を粗略にできる者などまずいない。昨日のような酷い目には、もう合わせない」
ハモンは、三年に一度開催される名誉ある王国武闘大会にて、王国史上最年少での優勝者であった。そして三年前に続き今年度の武闘大会においても優勝を果たし、大会二連続の制覇者となっていた。
生きた伝説の如きハモンの、その妻をぞんざいに扱おうものならば周りが許さないだけの名声をハモンは持っているのだ。
「でも……」
「知っての通り私は異母兄と仲がとても悪い。私が死んだ時、私の財産を異母兄に渡してもよいが、だが私としてはアネモネに残したい、ダメかな?」
ハモンは、アネモネの父の姉が富裕な伯爵家の後妻として入って生まれた、伯爵家の第二子であった。先妻の子である異母兄は、男爵家出身の後妻もその子であるハモンも身分が卑しいと蔑み虐げた。
故に父である伯爵は、ハモンが武闘大会で優勝して騎士爵を得ると、遺産の先渡しとして生涯安楽に暮らせる財産を分与していた。さらには武闘大会の優勝賞金や二連続優勝に感激した国王からの下賜品と貴族たちからの贈答品、亡き母の遺品である宝石類など諸々を合わせるとハモンの資産はかなりの額であった。
貴族の娘として先行きの暗いアネモネにとって、ハモンの求婚はこれ以上のない縁談である。両親も兄姉も大きく頷いて明るい表情をしていた。
「でも、未来のあるハモンお兄様を縛ってしまうような結婚なんて……。ハモンお兄様ならば高位のご令嬢でも誰とでも……」
「そう、それが問題なのだ。異母兄が私を政略に使おうとしていてね、父が止めてくれているが。異母兄の道具となるよりは、私は可愛いアネモネと結婚したい。アネモネも、大きくなったらハモンお兄様の花嫁さんになる、と言ってくれていただろう?」
小さな子どもの夢のような約束だ。
そんなたわいない約束や不仲な異母兄のことまで引き合いに出して、ハモンはアネモネに手を差し伸べてくれている。ハモンは若く美しく将来の洋々とした身であるというのに。
もともとハモンが大好きだったアネモネは、胸がせつなくなって、ハモンの優しさに再び涙を沈丁花が香りを溢れさすように流した。
「アネモネ、辛かったな。よく頑張った。私の妻となれば伯爵家の小娘風情が、アネモネを害することはできない。このハモン・フィールドの名前はそんなに安いものではない」
ひっくひっくと細い身体を震わせて泣くアネモネを、赤子をあやすようにハモンは優しく撫でた。
「すまないが結婚式は砦から帰ってからになる、すぐに王都を出立なのだ。任期は2年、もしかしたら伸びる可能性もある」
ハモンがアネモネの兄から、アネモネの婚約と破棄を知らされたのは今朝のことなのだ。
ばさり、とハモンは書類の束を取り出しアネモネに説明しつつ、アネモネの両親に視線を送る。アネモネの両親も視線で頷いた。
アネモネは11歳である上、泣いている状態だ。両親がしっかりと後見として、手続きを助ける必要がある。
「これが私の遺言書だ。こっちが結婚誓約書。財産目録に給料やら諸々の書類がこれら。全部に私の署名済みだ。後はアネモネが署名して各書類を神殿やら役所へ提出してくれれば完了だ」
とハモンは言いながら胸のポケットから青い宝石を取り出す。
「私がいない間、アネモネの身を護れるように結界付きの宝石だ。身に着けてくれるかい?」
この世界は魔力の巡る世界だ。
生き物はみな魔力を持って生まれる。ハモンは王国有数の魔力を所有する魔法騎士であった。
「アネモネ、遠くにいても君の幸せを願っているよ」
「ハモンお兄様、私も、私も、毎日ハモンお兄様のご無事をお祈りします」
アネモネは一生懸命に涙をおさえ、ハモンの見送りに声を絞り出す。
そうして集合時間のせまっていたハモンはあわただしく男爵家から旅立ち、アネモネは11歳にして花嫁となったのだった。
真上に昇った丸い月が、大きな焚き火を囲んだ筋骨隆々の男たちをほんのり照らしている。
側には巨体な魔物の背骨のような朽ちた巨木が、のたりと横たわり土へ回帰すべく、その巨大な骸を森への養分としていた。
王都を出発して20日、明日には砦に到着する予定の森でハモンたちの部隊は野営をしていた。この森は魔素が濃霧のように濃く多く、魔素耐性のある者にしか生存を許さない無慈悲な森であった。
「え!? ハモン、結婚したのか?」
「しかも幼妻だと!?」
「うらやましい、ねたましい。男の夢じゃん!」
その時、仲間たちから囃し立てられていたハモンへ向かって、夜空へ火の粉とともに昇っていく焚き火の煙の中から、小さな塊が飛び出してきた。
5センチあるかないかの黄色いひよこだった。
ちびちゃい羽根をパタパタ動かし、頭にはちびこい花を咲かしている。そして、ちんまい脚にちんまい5センチほどの風呂敷を持っていた。
「「「「はァ!?」」」」
ハモンも仲間たちも瞬時にとった迎撃態勢のまま、目を見開く。
パタパタ
パタパタ
儚いたんぽぽの綿毛のようにふわふわで小さなひよこは、ハモンの前で小指ほどの小さな風呂敷包みを左右に揺らす。
「ーー私に?」
ハモンの手に風呂敷を乗せると、ふわふわ飛んでハモンの頭の上へ移動しようとしたひよこを、ぱし、とハモンが残る片手で捕まえる。
5センチのひよこは小さ過ぎて、ほんの少しの力できゅっと握り潰してしまいそうで、ハモンは力加減に細心の注意を払った。
頭にアホ毛はないが花は咲いているので、とても愛嬌があって愛らしく、ひよこを調べるハモンの手もスリスリと撫でる為に動きがちになっていた。
ぴー、抗議の声を上げるひよこを観察すると、お尻に羽毛が生えていなかった。ちっこいお尻のちっこいペケ印が無防備でかわいい。
「生まれて数日か?」
ぴー、威嚇の声でナンテトコロを、と言っている風に怒り心頭のひよこは、身をよじってハモンの手から抜け出し、ポテンとハモンの頭の上に乗っかった。
警戒心をゆるめた仲間たちがハモンの周りに集まる。
「ひよこだよな、小さいけど」
「ひよこだな、頭部に花が咲いているけど」
「もしかして魔法生物か? ひよこは空を飛べないだろう?」
ハモンがちまっと小指サイズの風呂敷の結び目を苦労してほどくと、折り畳まれた紙が一枚入っていた。
「アネモネからの手紙だ。どうやらアネモネは私に手紙を送りたくて恩恵で魔法生物、そのひよこを創ったようだ」
「幼妻ちゃん、恩恵持ちだったんだ?」
「ああ、一生に一度だけ魔法生物を創造できる恩恵をアネモネは持っていた。ただ魔力量が少なくて、ひよこしか創れなかったようだ」
「一生に一度が、ひよこ……」
「二度と創れない魔法生物が、ひよこ……」
「千人に一人の貴重な恩恵で、ひよこ……」
「かわいいけど、かわいいけど、ひよこ……」
残念なものを見るような仲間たちの視線が、初仕事完了えっへんなのです、という顔をしてハモンの頭の上にテンと座るひよこへ集中する。
恩恵とは、およそ千人に一人の割合で現れる生まれつき保有する個人魔法で、役に立つものから役に立たないものまで幅広く種類があった。
「それで何故、自分の巣のような態度でハモンの頭の上に乗っているんだ?」
「手紙によると魔力の充電らしい」
ぴっ、ゴハンとでも言いたげにクリクリのまあるい目をひよこが輝かせる。
仲間たちは微妙な顔をして、コホンとわざとらしく咳払いをすると、
「ハモンは魔力量がとんでもなく多いしな。ちびちゃいひよこに吸われたくらいで干からびることもないだろう」
と身も蓋もなく言った。
翌朝、巨大な門扉が重々しく開かれ、ハモンたちの部隊は整列して砦に入った。
地平線まで続く樹の海の中、孤島の如く築かれた堅牢な石の砦は、魔物の領域と人間の住む人里との境界ともなる苛酷な最前線である。
砦内の広場には、新たに赴任してきた騎士たちを歓迎すべく待ち構えていた筋肉鎧の騎士たちが多数いたが、誰もが無意識に口をポカンと開けて馬上のハモンを見ていた。
ハモンの頭の上に花が咲いていたからだ。
正確には、金髪のハモンの髪に黄色いひよこが同化して埋もれてしまって、ちまこい花だけがハモンの頭上で咲いているように見えているのだが。
風のようなスピードで馬を走らせても平然と頭の上にちょこんと座り、今もくーぴくーぴぴと、視線の集中砲火を浴びても図太く寝ている5センチのひよこに苦笑をもらしながら下馬をすると、ハモンは自分の部隊の隊長とともに砦の司令官のもとへ向かった。
昨夜のうちに隊長には許可をもらったが、ひよこについては司令官の認可が絶対に必要だった。
「ううむ、かわゆい」
てててててて、司令官の机の上を短い脚で走り回るひよこは、ふりふりぷりぷりするお尻が凶悪に可愛かった。
「触っても良いか?」
力を入れると壊してしまいそうな5センチの小ささなので恐る恐る指先を伸ばすと、ふわぁ、と綿の実がはじけたようなふわふわの触り心地。極上の感触に、思わずひれ伏したくなるような威厳と鋭い眼光を持つ司令官の頬がデレレと緩む。
「やわらかいのぉ、かわゆいのぉ」
ぴっ、ひよこも媚びを売っても損のない相手と値踏みしたのか、可愛さぶっちぎりで司令官の手にふわりふわりと愛らしく小さな体をくっ付ける。全力でオトスべしと判断したような擦り寄りぶりに、ハモンは半眼になった。
「よしよし、許可を出そう。ただし、無害とは思うが有効性と危険性を考慮して、試しとして1ヶ月ほど様子を見てみよう」
と司令官は言ったが、その日王都へ帰って行ったひよこが、翌日砦に戻ってきたのを見て大興奮して、
「素晴らしい! 馬で20日かかる距離をたったの1日で! このひよこは連絡手段として非常に有用だぞ!!」
即実用的に役立つことが証明されると、大喜びでひよこに名前をつけて正式な役職まで与えたのであった。
辺境第二砦直属連絡員。
命名 メガスケバスマエリトロクラミスバリア
「まあ、ひよこちゃん。お名前をいただいたの?」
男爵家に帰って来たひよこから手紙を受け取ったアネモネは、ふわふわの綿埃のようなひよこを優しく撫でる。アネモネは、結婚はしたがハモンが長期不在となる任務故に、ハモンが戻るまで実家の男爵家で暮らすことが決定していた。
「メガスケバスマエリトロクラミスバリア? え、何かの呪文? 辺境の花の名前なの? ひよこちゃんの頭の花が、この花によく似ているからと司令官様が直々に?」
……メガスケバスマ、メガ、どうしましょう、難しくて言えないわ。
アネモネはポンと手を叩いた。にっこり微笑んで、
「お花ちゃん。ひよこちゃんには生まれた時に〈花ちゃん〉と名付けていたことにしましょう。メガなんたらかんたらはセカンドネームにします、とハモンお兄様に報告しましょう」
ね? 花ちゃん、とイエス・マムの返事しか赦されないようなアネモネの微笑に、賢い5センチのひよこは、ピコっとちまこい羽根を元気よく立ち上げたのだった。
こうして花ちゃんの大人気お便り郵便が始まったのであるが。
何しろ早い。馬の20日と比べれば、花ちゃんの価値を理解できない者はいない。
問題は花ちゃんがちんまいことだ。必然的に運ぶ風呂敷もちんまい。砦の誰もが家族に手紙を希望しても、運べる量が少ないのだ。
だが、お尻にふかふかの毛がふっくら生えて、ふわふわの雪玉のようになった頃、花ちゃんの体重が1グラム増えた。
この増えた1グラムは、5センチのひよこに大きな力を授けたようで、今まではちっこい脚に5センチの風呂敷が精一杯であったのが、30センチの風呂敷を持ち上げれるようになったのだ。
花が吐息をもらしたような甘い薫りの風の中を。
鳥の囀ずりのような息吹きの風の中を。
ぬかるみのような水蒸す風の中を。
飛沫のような雨を纏う風の中を。
氷を閉じ込めたような冷やき風の中を。
真夏真昼も、真冬も、降るる雪も照るる月も、嵐の夜も、アネモネからハモンへ、ハモンからアネモネへ。毎日、毎日、5センチのひよこの花ちゃんはぴよぴよ飛んだ。
そしてアネモネは2日に1回、砦の司令官からの報告書を軍本部へ提出することと、砦の騎士たちの王都に残る家族へ手紙を届けることが仕事となった。
「こんにちは」
軍本部の大門の門衛の騎士に挨拶をするアネモネは、本人は気付いていないがとても有名人だった。
建物に入っていくアネモネをにこやかに見送った騎士たちは、アネモネの姿が扉のなかに消えるとドッと声を上げる。
「かーーーっ、かわいい! マジ天使!」
「いやいやいやいや、アネモネちゃんは妖精たんで決まりでしょ!」
「ああ゛!? 究極の幼妻ちゃんだっ!」
と騎士による三大溺愛過激派閥ができていて、日夜激しい論争が繰り広げられていた。
それぞれの派閥のトップが公爵家あるいは王族であるが故に、怖いもの無しの権力で、趣味イコール見守りとばかりに陰に日向にアネモネをガードして、王女よりも堅固な警備体制となっていた。
三大派閥はアネモネの警護に関してはガッチリ協力していて、アネモネに再び近付こうとした元婚約者が戒律の厳しい生存率50パーセントの男子修道院へ消えたり、手を出そうとした者がどこかへ直行となって消えたり、色々あったり消えたりするのだが、アネモネはまったく知る由もないことであった。
何しろ三大派閥のバックは王国軍なのだから。
この世界は魔法のある世界だが、魔法とて万能ではない。
馬で20日の距離を1日で飛ぶ花ちゃんのような、連絡手段も運搬手段もないのだ。ましてやたった1日しか時間差がない、ほぼ最新情報といって良い伝達は、軍事面でも政治面でも優位性が高かった。
故にアネモネを囲い込もうと王宮の外務部や商業部などの各部、高位貴族たちが動いたのだが、王国軍が権利を主張した。すでに花ちゃんは軍籍である、辺境第二砦の役職にある、と。
しかも花ちゃんは、アネモネとハモンの間しか飛ばない。ハモンは王国軍属の騎士である。高笑いで勝負に勝った王国軍だが、今度は軍内部で花ちゃんの争奪戦が起こった。
他の辺境の砦や国境の城が、王都との伝達の必要性が自分たちの方が上だと主張しているのだ。ハモンを自分たちの砦や城に移動させれば必然的に花ちゃん郵便も付随してくる。第二砦の司令官は頭を悩ましているが、それもアネモネは知らないこと。
「ああ、また負けた!」
砦の司令官からの報告書の提出先が、王国軍の将軍の執務室になっているのだが、機密扱い文書ゆえにと言われアネモネはそれを信じていた。
花ちゃんの主として会うだけが、たまたま時間があってチェスをしたところ、アネモネの多彩なチェスの手を気に入り、その可愛らしく儚く庇護欲をそそる容姿も、なのに婚約破棄の荒波に揉まれて清いのに強く気丈夫になった性格も、将軍には好ましかった。孫のように愛でられ、チェスとお茶のために機密文書の口実のもと、アネモネは執務室に呼ばれているのだった。
老将軍の楽しみのために。
もちろんハモンも承知のことである。
ハモンは花ちゃんの価値を理解していた。それ故に、アネモネを危険から守る保護が大事であるということも。
建前や本音がどうであれ、軍の保護下が一番安全性が高かった。自分が側でアネモネを守れない以上、ハモンは軍であろうが将軍であろうがガッツリ利用する気まんまんであった。
「負けたからには約束を果たさないと。第二砦に新しい冬用のコートを人数分だったの」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「よしよし。近々、替える時期でもあったからの」
アネモネのおかげで今年は物資が豊富な第二砦であった。
アネモネとて、我が儘なおねだりをしているわけではない。ハモンからの手紙で知った必要なものを願っているだけなのだが、下から要望を上げるのと、上からの命令により品物が送配されるのでは、やはり差が出るのだ。
「次は負けぬぞ。次は茶会の菓子を賭けようかの」
「はい。では私が負ければ、焼き菓子を百個作ってきて騎士様方にお配りする、でよろしいですか?」
「そうだの。皆、アネモネちゃんの菓子を喜ぶだろうからの。是非とも勝たねばの」
執務室の将軍配下の騎士たちは、表情を崩さなかったが頭の中では将軍に大声援をおくっていた。天使の! 妖精たんの! 幼妻ちゃんの! 手作り!! 騎士たちの無言の眼力が火花をバチバチ燃やして、将軍は威厳を保とうと胸を張るが背中が焦げるようであった。
「ただいま帰りました」
挨拶もそこそこにアネモネはまっすぐに調理場へ向かう。チェスで3連敗もしてしまったので、焼き菓子を300個も作ることになってしまったのだ。
男爵家なので使用人もいるが、兄姉が多いためアネモネは家事が得意で、特に菓子作りと刺繍は専門家並みであった。
「あ、ここにいたのか、アネモネ。帰ってくるのを待っていたんだ」
とことこ砂糖の壺を抱えて歩いているアネモネに、薬師をしている兄が駆け寄ってくる。兄の手には、昨日ハモンから送られてきた白い野花が握られていた。
「アネモネ、この花はハモンから花ちゃん郵便で送られてきたものか?」
「はい。休日だったので、砦の近くの森で摘んだ花だそうです」
「これをもっと送ってくれるように頼んでもらえないか? これは辺境など魔素の多い場所でしか育たない薬草なのだ。冬のトナス風邪の特効薬なのだ。本当は、このように新鮮な状態のものの方が良いのだが、いつもは30日以上かけて商隊が持ち帰るものだから、乾燥してしまって効能がイマイチになってしまうのだ」
「ふむ、なるほど」
送られてきた手紙を読んで、ハモンは仲間たちに声をかけた。頭の上では花ちゃんが、ころん、と丸くなって平和に寝ている。
「休日に薬草を採取しないか? 薬草だから安いが臨時収入になるぞ」
勤務中はもちろん禁止だが、休日に騎士が狩りをして収入を得ることは違法ではない。冒険者ギルドまたは商業ギルドに加入して、休日に獲物を売る騎士も多いのだ。
事情を説明すると、かなりの人数の騎士が協力してくれて、その冬の王都では価格が値下がりしたのに効能が高くなった風邪薬が売れに売れ、トナス風邪による死者を一人も出すことはなかった。
この後、他の薬草も花ちゃん郵便で運ばれるようになり、多くの良薬が低価格で販売されることとなる。
ぴー
綿毛のようなふわふわもふもふのお尻を振り振り、花ちゃんがぴよぴよ愛らしく鳴きながら、ちまっ、とハモンの頭の上に座る。
「ヤバい。可愛すぎて死にそう」
「し、心臓がきゅうぅんってなる」
「ハートを鷲掴みされるっ」
ハモンが砦に赴任してもうじき2年、すっかり花ちゃんは騎士たちの癒しと和みのアイドルとなっていた。騒がしい昼の食堂でも花ちゃんは注目の的で、食べながら花ちゃんに目尻を下げて騎士達はによによしていた。
「そーそー、この間は面白かったよな。花ちゃんが間違えて、ハモンと似たような背格好の金髪の別人の頭に乗った時」
「花ちゃん、びゃあって聞いたことのない鳴き声を上げて、びょんって飛び上がって。花ちゃん、撫でさせてくれるけど、魔力の充電だけはハモンでないと駄目だもんな」
「花ちゃんの顔、大好きなケーキをバクリと食べて、実は大嫌いな人参のキャロットケーキを食べたと気付いてゲロッた息子と同じ顔だった」
「黄色いひよこなのに、ショックで白くなっていたもんな。よほどマズかったんだよ」
「キャロットケーキは美味しいですよ。あーあ、花ちゃんが頭に乗ってくれたと感激していたのに……」
「ハモン以外、俺たちの魔力は激ゲロマズなんだよ、花ちゃんには」
ギャハハハッ、野太い声で笑い声を上げていた騎士たちは、ハモンの一言でピタッと停止した。
「楽しい2年でした。来年には王都へ帰るなんて月日は早いですね」
「え!? 帰る? ハモンが?」
「え!? 花ちゃん郵便はどうなるの? 俺のウキウキ薬草ライフお小遣い倍増計画は?」
「え!? ハモン以外、花ちゃんは魔力の充電を拒否するのに。花ちゃん、砦に来なくなるってこと?」
「家族に手紙を出せなくなる!?」
「家族から手紙をもらえなくなる!?」
辺境第二砦の場合、王都から30日以上かけて砦に訪れる商隊に手紙を託すしか方法はなく、値段も高額となる。しかも商隊は年に数回、砦へ来るだけだ。
花ちゃん郵便のように頻繁にーー例えば、子どもに熱が出たと手紙をもらい、その日のうちに効果たっぷり魔素たっぷりの薬草を森で採取して、翌日には花ちゃん郵便によって自宅へ届けられ、パパありがとう大好きと返事をもらうような、は極端にしても普通に手紙のやり取りをすることは難しいのだ。
顔色をかえた騎士たちが一斉に立ち上がり、ドドドドドドッと地響きをたてて司令官室へハモンを引き摺って駆け込む。話を伝え聞いた他の騎士たちも駆けつけた。
「実はハモンを巡って、他の辺境砦や国境砦などと争奪戦になっていたのだが。薬草の実績が大きかった。今や、花ちゃん郵便による王都への薬草の供給は欠かせない。ハモン、おまえの部隊は王都へ帰るが、おまえは残留だ。喜べ、ハモン、給料が来年から特別に2倍だぞ」
ハモン争奪戦において一人勝ちした司令官は上機嫌である。ぐぬぬ、と悔しげに歯噛みする上級将校たちを踏みつけての勝利の美酒は格別だったらしい。
やはりな、とハモンは諦めのため息を深々とついた。花ちゃん郵便の価値の高まりとともに、ハモンも理解していたのだ。自身の王都への帰還は容易ではないと。
周囲で喜びの雄叫びを上げる騎士たちの姿に、苦笑いをもらすハモンであった。
しかし誰も気付いていなかった、ハモンのもらす苦笑いの本当の意味を。
ハモンは、王国武闘大会の優勝者である。過去に成し得た者はいないが、ハモンは前人未到の三連続大会覇者になるつもりであった。底無しの如き魔力と体力、戦神に寵愛されるか如くの武力と智力、幾多の経験も重ねた。不可能ではない。
大会で優勝すれば、国王より褒賞を賜れる。つまり王都への帰還を願えるのだ。
ハモンは、アネモネをいつまでも他人に守らせ委ねるつもりも、仮初めの夫婦のままでいるつもりもないのだから。
『アネモネと会えると楽しみにしていたのだが……とても残念だ。私を可哀想と思ってくれるかい? 哀れと思ってくれるならば、そろそろ〈ハモンお兄様〉を卒業して〈ハモン〉と呼んでくれないかい?』
届いたハモンからの手紙を胸に抱き、アネモネは頬を赤らめる。
「……ハモンお兄様……ハモン、様」
ハモン様、口の中で繰り返して、きゃあとアネモネは両手で顔を覆う。隠されなかった耳が、熟れたサクランボのように赤く染まっていた。
結婚した時、ハモンはアネモネにとって優しい従兄のお兄様だった。けれども13歳になったアネモネは、ハモンを自分の夫として意識するようになっていた。
会えない時間が、アネモネを大人に近付け恋心を育てていたのだ。
婚約を破棄された時、上から目線の憐憫やら嘲笑やら好奇やらの視線にさらされ、アネモネは外に出るのが怖かった。痛くて苦しくて辛くて、まるで泥に沈んでいくような自分を、自身の身の中で殺し続ける日々だった。
しかしハモンの名前が守ってくれた。
騎士爵夫人の地位とハモンの武闘大会の優勝者としての高い名声が、アネモネを粗略に扱うことを許さなかった。ハモンは側にいなくても、人々の軽視を防ぎ常にアネモネを助けてくれた。
くわえて花ちゃん郵便の存在が、アネモネを疎かにできないものにしていた。
「花ちゃん、花ちゃん、お願いがあるの」
ポポポと頬を染め、アネモネが綿の実が弾けたようなふかふかのひよこに手を合わせる。
「く、口づけを、ハ、ハモン様におくって欲しいの」
ちびちゃいひよこが首をかしげる姿は、幼気で可愛らしい。一方アネモネは、白い肌の内が炙られているかのように真っ赤になっている。指先まで赤い。
「だ、だからね、つ、つまりね、あ、あのね、は、花ちゃんのくちばしに私が口づけするから、と、砦に行ったらハモン様と口づけして欲しいの」
んちゅ。
「わぁっ!? ハモンが乱心だっ! 花ちゃんを食べようとしている!!」
酒を飲もうぜ、とノック無しに部屋に入ってきた騎士のひとりに指差され、
「ちがう! 妻との間接キスをしているんだっ!」
と、ハモンが咄嗟に言い返したものだから、砦は入り乱れての上を下への大騒ぎとなった。
「妖精のような幼妻ちゃんとの間接キスッッ!!!」
我も我もと騎士たちが戦場へ向かう戦士のような凄まじい気迫で押し掛けてきたものだから、ハモンが砦をびりびり震わすほどの魔力を開放して怒り狂った。
「私だけのアネモネだ! 花ちゃんは渡さんっ!」
「ずるい! 花ちゃんは皆のアイドルだぞ!」
「俺たちは、かわいい幼妻ちゃんと間接キスをしたいなんて、これっぽっちも考えていないぞ! 花ちゃんとキスをしたいだけだぞ!」
両者から膨大な戦意とヤる気が溢れだし、火の粉が散るような睨み合いの中、ピッ、と花ちゃんが短く鳴いた。
ゴオォォォオ!!!
火炎が大気を燃やす。花ちゃんが炎を竜のブレスみたいに吐いたのだ。ちみっこい嘴からの、信じられないような大きな火柱の炎だった。
バツグンのコントロールで、火傷をした者はいなかったが、大部分の騎士たちの頭髪がこんがり美味しく焼けました状態となった。特に先頭にいた複数の騎士たちの、頭のてっぺん部分がツルリンハゲとなり、仲間の騎士たちからゲラゲラ笑われることとなったのだった。
「あいつさー、修道士になるんだって。頭頂部だけツルツルじゃん。かっぱハゲじゃん。神殿には伝統的な髪型が幾つもあるけど、てっぺんハゲは剃髪におけるシンボル的な格式があるから」
「前々から修道士になるか迷っていたもんな。花ちゃんのおかげで踏ん切りがついたみたいだ。これぞ、ひよこちゃんのお告げって笑っていたぞ」
「そこは神のお告げだろーーで、おまえはどうする?」
「髪が生えるまで砦に残る。こんな円形ハゲで王都へ帰ったら、妻に爆笑される……」
「俺も。幼妻ちゃんの間接キス目的でハゲたなんて知られたら、息子に軽蔑される……」
「先輩方は円形ハゲでいいじゃないですか! 俺なんて、俺なんて、ハート型のハゲですよっ!」
「俺は、ちょうちょう……」
「俺は、おほしさま……」
「ははははは、器用だよな花ちゃん……。まさか花ちゃんが火を吹けるなんて……」
しょんぼり、を体現する様で肩を落として日向ぼっこをする騎士たちは、水分を失った野菜のように萎びた姿で訓練後の休憩をしていた。チリチリとてっぺんハゲの部分に太陽があたる。
そのピカリと光る姿は他の騎士たちの笑いと涙を誘い、二度と花ちゃんにキスを迫る者はいなくなったのだった。
草花に露が宿るようになり、次に霜が降り始め、雪が少し降り多く降り、やがて雪は雨に変わり、雨が穀物を育てる春になり、それはハモンが砦へ行って三年目の春であった。
花ちゃんの体重が、また1グラム増えたのだ。
「すごいわ。花ちゃん!」
1メートルほどの風呂敷をちびちゃい脚に持って、ぴよぴよ飛ぶ花ちゃんをアネモネは拍手喝采をして褒める。
1グラム増えたところで、雪玉のようにふわふわの5センチサイズのひよこに変わりないのだが、持ち上げられるもののサイズが違う。
「花ちゃん、花ちゃん、あのね、ハモン様に私が縫った服を届けて欲しいの。他の騎士の奥様方もお願いしたいって。頑張ってもらってもいいかしら?」
一縫い一縫い毎に危険な砦での任務の無事を祈り、刺繍の名手であるアネモネが魔除けの刺繍を刺した服は、どの服も肌触りの良い布地が選ばれ品よく上質だった。
ぴっ、まかせて! と、飛び立った花ちゃんが翌日に大きくなった風呂敷に包んで持ち帰ったものはーー血の滴るような魔獣肉のドドンとした塊であった。
「おおおおおっっ!!!」
薬師の兄と商人の兄が、手を取り合って歓声を上げる。
「アネモネ! ハモンに魔獣肉をねだってくれっ! 辺境の魔獣は体内に魔素を大量に持っているから、胎内の赤子に魔力を吸いとられ魔素不足になる妊婦の栄養食になるんだっ! 時間の経過とともに魔素は抜けてしまうから、こんなにも魔素の多い新鮮な魔獣肉は超貴重なのだっ!」
「アネモネ! 新鮮で魔素の多い魔獣肉は素晴らしく旨いんだぞ! 滅多に食べることのできない超高級品だが、定期的に入手できるルートがあれば高級品レベルとなって販路が広がるっ!」
「ふむ、なるほど」
送られてきた手紙を読んで、ハモンは薬草の時のように仲間たちに声をかけた。
「売るのもいいが、俺も家族に食べさせてやりたい」
「俺も妻と息子に」
「俺も妻と娘たちに食わせたい」
「パパすごい! て言ってもらう為にも大物を狩ってやる」
「よし! 狩るぞーっ!!」
こうして薬草に続き魔獣肉も王都で流通するようになったのだった。
梅は零れ、桜は散り、雪柳は吹雪き、朝顔は萎み、紫陽花はしがみつき、菊は舞い、椿は落ち、牡丹は崩れ、枯れる花のようだった11歳のアネモネはもういない。
朝も、昼も、夜も、曇った日も晴れた日も、ただ闇の中に身を埋めていたアネモネを、ハモンと5センチのちまこいひよこが手を引いて光の中へ連れ出してくれた。
ハモンは遠い場所にいても常にアネモネを守ってくれて、ちびちゃいひよこの花ちゃんは、外は明るく空は美しく太陽は目に見える時も目に見えない時も、いつも輝いているのだとアネモネに教えてくれた。
そして、小さく小さく折り畳まれた手紙一枚から始まった花ちゃん郵便は、数多の手紙を運び薬草や魔獣肉や物資など多種多様なものを運んで、重要性と価値がますます高まり、アネモネの待遇も急激な勢いでもって上がった。もはやアネモネは、ハモンの妻だからではなくアネモネ自身の存在が重要視されるようになっていたのだ。
それは同時にハモンが、辺境の砦から帰れる可能性が低くなる一方であることを意味するのだった。
「花ちゃん、花ちゃん、ハモン様にいただいた結界の宝石があるから風も寒さも防げるわ。だからね、花ちゃんの体重がもう少し増えたら、私をハモン様の砦へ運んでくれる?」
ハモンが帰れないのならば自分が行けばいい、とアネモネはちびちゃいひよこに手を組んでお願いをする。
「ナイショだから日帰りで。会うのではなく、お姿を見るだけでいいの。だってハモン様はお仕事中だもの」
普通ならばハモンによる魔力充電が必要な花ちゃんであるが、花ちゃんの頭部の花は予備の魔力倉庫なのだ。花ちゃんはお弁当持ちなのである。
『必ず会いに行きます』
ハモンへと何百もの手紙を書いたアネモネだが、この手紙だけは出さずに胸にしまった。
そうして密かに計画するアネモネと、ハモンが武闘大会で優勝するのと。
どちらが先に願いを叶えることになるかは、花ちゃんの増える体重次第となったのであった。
窓から踊るように入ってきた風が、レースのカーテンをドレスみたいに揺らした。
部屋には、ハモンの服を縫うために色とりどりの布地が広がり、色鮮やかな刺繍糸がアネモネの手によって鳥を写すように花を描くように刺されていく。
一針一針、幸せそうに微笑むアネモネに花ちゃんは満足げに、ぴっ、と鳴いた。
花ちゃんはアネモネに創られたひよこなので、アネモネの記憶が少しだけあるのだ。あの、暗い部屋の記憶も。
そして明るい日差しの部屋から、ひとひらの花びらのように花ちゃんはぴよぴよ空へと飛び立った。
アネモネからハモンへ、今日も恋文が。
ハモンからアネモネへ、明日も恋文が。
これからも、ずっと。
〈花ちゃんは可愛い〉
アネモネが創ったちびちゃいひよこ、花ちゃんはただいま5センチ9グラムである。
ぴよぴよ空を飛ぶ姿も、てててててと走る姿も、ふわあぁぁんな花の冠毛が寄り集まったみたいでふわふわ可愛い。特に走る姿は脚が短いので遅くて可愛い。本人はてててててのつもりなのに、てとてと遅いところが堪らないとアネモネは思っている。
寝姿も可愛い。
ピスピス甘えたような寝息を鳴らしているのも、ちんまり真ん丸くなって寝ている姿も。特にヘソ天の寝こひよこ姿は格別だとアネモネは思う。呼吸するたびに上下するまあるいお腹は、ふわんふわんに柔らかく小さく。鼻提灯をぷーぷーする時など、ちまこい顔よりも大きなものをププゥーと膨らませることもあって、アネモネはくすくす笑ってしまうのだ。
スン、と匂いを嗅げば暖かなお日さまのようで、だからアネモネは世界で一番可愛いと思うひよこの花ちゃんの姿を図案にして得意の刺繍で刺してーーその、ひよこハンカチをハモンへ贈ったのだが。
勇ましく凛々しい騎士であるハモンが、ちびこいひよこで縁取りされた花ちゃんハンカチで汗をふく姿は、他の騎士たちの垂涎の的となってしまったのだ。自分も花ちゃんのひよこハンカチが欲しいと。
ついでにハモンの部屋にはアネモネが作ったふかふかのひよこぬいぐるみが、花ちゃん等身大5センチサイズから50センチサイズまでコロコロ転がっているのだが、それも騎士たちが自分の子どものために欲しがった。
「だって今までこんなに可愛いぬいぐるみなんてなかった」
しかもアネモネのぬいぐるみは、これまでのぬいぐるみには求められていなかった、ふんわり感を追求していたため手触り肌触りが究極にいい。そして可愛い。最強である。
そのことが王都の貴婦人たちの間にも伝わり、今まで上流階級といえば豪華だったり綺麗だったりしたものが主流であったのだが、雅やかでもなく華やかでもなく、可愛いというジャンルの加入を花ちゃんぬいぐるみは確立させることとなったのであった。
もちろん商魂たくましいアネモネの兄が、この好機を逃すはずもなく。
花ちゃんをモデルにして巨万の富を築き、アネモネを茶会で晒し者にした伯爵令嬢とその派閥をちょこっと没落させたりするのだが、それはアネモネが知らないこと。
今日もアネモネは、
「花ちゃん、可愛い」
と刺繍をして、小さな花のような5センチのひよこを優しく撫でるのであった。
〈花ちゃんは可愛い〉は、ぷーぷー花ちゃんやふわんぁん花ちゃんを絵で描いているうちに、字でも書きたくなりまして。
短い追記になりましたが、楽しんでいただけたならば嬉しいです。
読んで下さりありがとうございました。