合わせ鏡(完結)
大爆発も宇宙的衝撃も無かった。
治安局で鶴妃達が直面した混沌の衝撃は、しかし、あっさりと収縮して消えた。
元通りに空間が収まると、一同の目の前には、帝国最大の統治者が人間の姿で立っていた。
玄武岩の如き威厳、堂々たる体躯、ものをぎりっと見据える目。
その両脇には、これも人間の姿であるところのワカヒコ、留実、鳩紫。そして元父こと下田会長、モヘージング、輝美、中内に味鋤。
「こ、皇帝陛下……」
「さよう。朕は皇帝なり。この騒ぎは何事か」
一目で混乱を見抜いた翔翼。ただ存在するだけで鳶彦の放った切り札は文字通り雲散霧消した。
あれほどの啖呵を切っておいて、鳶彦はなにを言う力も残っていなかった。
なにか言おうとした鶴妃は、結局口をつぐんだ。夫が帰ってきたのだ。それで良しとせねば。
「陛下、烏臣宰相が不穏な動きを示して……」
「静かにしておれ鳩紫。郭公、今すぐ鳩紫の宿舎におもむき徹底的に捜索せよ。手で持てる鏡が出てきたら持って参れ。それができれば、この件での失態は不問に付す」
「は、ははーっ」
「陛下? なぜ私の……」
「静かにしておれ、と申したはずだ」
だれも一言も口を開かなくなった。
重苦しい沈黙が、どれだけ続いたろう。
実際にはたいした時間ではなかったはずだが、とにかく郭公は何枚かの鏡を持参してもどってきた。少なくとも二枚は味鋤にも見覚えがあった。
「禁忌をもてあそんでいたのはお前だ、鳩紫……いや、アメノサグメ。いつからだ?」
「う……うふふふふ……おほほほほ! 見事な逆転劇ですこと! 感服しましたわ!」
「鳩紫さん! あ、あなたが……」
輝美は、それ以上続けられなかった。
「そうよ。あたしがワカヒコを裏切り、アヂスキを拷問にかけて死ぬまで放っておいたのよ! シモテルの子供の魂に、ワカヒコとアヂスキの魂をくっつけたアイデアはいかがだったかしら? いつかは陛下が動くはず、とふんでいたけれど」
「質問に答えよ」
びしっと翔翼が命ずると、鳩紫……否、サグメは肩をすくめて見せた。だが、衣がはたでわかるほど震えていた。
「皇妃陛下の輿入れからですよ」
「では、最初からこの機会を狙っておったのか。動機は?」
「皇帝になって見たかった……だけですよ」
さらっと答えたかったのだろうが、その声からは恐ろしい勢いで張りが失われていった。
「わかった。では、処分をこの場で発表する」
翔翼は、迅速であり、公正であり、徹底していた。
鳶彦は、魔力を剥奪され流刑、協力した手下も同罪とする。
烏臣は、単に鳶彦にだまされたものとして無罪となった。長年の手柄も考慮に入れねばならなかったし、雉美の件での借りもあった。
留美も約束通り無罪となった。また、留実が用いた禁忌の魔法は変装した鳩紫が教えていたのもはっきりした。
燕郎は、既に故人ながら死ぬ直前の行為をもって賞賛され、国葬とする。遺族にも高い年金を下賜する。ちなみに鳶彦の一族は、事件に関係がない限りにおいてはむしろ厚遇されることも決められた。
郭公はおとがめなし。
元父にして会長の妻、つまり輝美の母親は、殺されずに自宅の倉庫に軟禁されていただけだった。一時的に鳩紫ことサグメがすりかわっていたに過ぎない。
「そして、鳩紫よ。お前はいっさいの魔力と記憶を剥奪の上、人間の世界に追放だ。断っておくが、だれかの赤子として転生させる。鶴妃も異存はないな」
「ございません」
これで、全てが決まった。鳩紫は郭公の手勢に拘禁され、その場で牢獄へ送られた。
「さて。味鋤を始め一同。それから我が妃の鶴妃よ。もう一つ、重大な裁きが残っていた。朕の不始末を……許してはくれまいか?」
そう、全ては彼の過ちから始まった。
前世はとりあえず一発殴ったんだし、けじめをつけようとしてこちらの世界にやってきた勇気は称賛していいだろうと味鋤は考えた。
「はい。僕は許します」
味鋤を皮切りに、翔翼は全員の許しをその場で得た。
許しをえた翔翼は、深々と溜め息をついた。
「よかったですわね、陛下。でも、雉美さんにもきちんと説明するのですよ」
ちくりと釘を刺す鶴妃であった。
「わかっておる。さて、客人たちよ。その気になったらいつでもこちらの世界へきてくれ。好きなだけ留まってよいぞ。……とりあえず、今どうする?」
「母が心配しますから、僕はいったん帰ります。でも、本当にきていいんですか?」
「もちろんだとも」
「あ……私も帰ります」
「私も」
下田親子も同じ考えのようだ。
「私は少し~残りたいですな。学者としての~興味を~多いに~刺激されます。それと~古墳の前に残した車は~好きに使って下さい~。鍵もつけたままです~」
「わしもだ。千年以上古墳の中だった分、文句の一つも口にしなければ気が済まん」
学者馬鹿のモヘージングに対し、オモイカネはいかにも不満げな表情を述べた。しかし、すぐに声をたてずに笑いだし冗談だと無言で伝えた。
オモイカネとしては精霊界には残るのが最良だろう。どのみち現世の日本にいてもしようがない。
「おお、二人とも歓迎するぞ」
翔翼は心から嬉しい気持ちを隠さずに述べた。
「俺は帰る。人生をやり直さなくちゃならん」
中内の言葉ももっともだ。
「では、これで一回さようならだな。本当に、心から礼を申すぞ」
そこでビジョンは消えた。モヘージングとオモイカネを外した状態で、崩壊した古墳の前にもどった。
「長い……長い縁だったなぁ。これで一区切りか」
「会長。僕はまだ、現世のあなたに簡単には打ち解けられません。母のこともありますから」
「そうだな。それはそれで、別個の話になるし、今はそれぞれ家に帰ろう」
「俺があんたらに会うのはこれっきりにしたいんだな。だから、この場で挨拶はすませとく。どこかでばったり会ったら缶ジュースぐらいはおごってやるよ」
送っていこうとの会長の申し出を断り、中内はすたすたと歩み去った。
「帰りましょう。なんだか疲れたわ」
輝美の言葉で、自分がどれほどぐったりきているのか初めて悟った。
『で、いつ祝言なんだ?』
ワカヒコが突然語りかけた。
『はあっ!?』
素で味鋤は叫んだ。
『おいおい兄弟。前世の嫁とせっかく巡り会えたんだ。一肌脱いでくれよ』
『現世では腹違いの兄妹です! ていうか、精霊界に残ったんじゃないんですか!?』
『お前と魂も肉体も分かち合ってるのに俺だけ残れる訳ないだろ? 心配するな、昔から、腹違いなら兄妹でも結婚出来た』
『今は法律が違って無理です!』
『あ、お前精霊界の留実を狙ってるだろ。いひひひひひひ』
『ワカヒコ! 心を覗くのはルール違反です!』
『ただ聞いただけだよ~ん。分かりやすい奴だな!』
「兄さ……味鋤さん、さっきからなにをぶつぶつ言ってるんですか? まさか凶鳥の……」
「い、いや、違う。違うんだ! 僕はちゃんと倫理を守って君の身柄を……」
「なにが言いたいのかさっぱりわかりません」
素っ気なく輝美は言い捨てた。
「味鋤君、せめて家まで送ろう。それくらいはいいだろう?」
「あ……はい、お願いします」
それが和解の第一歩になるのかどうか。ともかく、味鋤は輝美と共にモヘージングの残した車に乗った。
それから一週間ほどたった。
前期が始まり次第、味鋤は神秘学部に移籍を申し出るつもりだ。母も良きに計らえですませてくれた。
精霊界の研究に一区切りつけたモヘージングとも会えるだろう。輝美も神秘学部にいるそうだし、再会が楽しみだ。いつかは、ワカヒコの為にも精霊界で雉美に会って話をするつもりでもある。
しかし、輝美とのややこしい関係についてはさすがの味鋤もすぐには結論が出せそうになかった。
終わり