会人流来 二
凶鳥が、四枚の翼も禍々しく、一気に間合いを縮めてきた。
『留実、鳩紫、輝美と共に塔に入れ!』
そう叫び凶鳥に真っ向から突っ込んだ翔翼の鉤爪が、凶鳥の脚を二本まとめてへし折った。しかし、残る二本が深々と翔翼の胸に刺さる。
それに構わず嘴を凶鳥の首根に突き立て、食いちぎった。凶鳥は脚をひねり、翔翼の胸の肉がほとんどこそげ落ちた。それらがあっという間に進んだ。味鋤はしがみつくのがやっとだ。
『親父! 味鋤!』
ワカヒコが凶鳥に爪を向けて猛進した。凶鳥は身体をひねってかわそうとしたものの、首の負傷がたたって動きが鈍った。
ワカヒコの爪が凶鳥の脚を更に一本ちぎり飛ばした。凶鳥の身体を蹴って一度高度を上げようとしたワカヒコの身体が突然空中で止まった。
凶鳥の身体からちぎれたはずの三本の脚が、あたかもそれぞれ個別の生き物のように自立して動きワカヒコの背中に爪を突き立てている。さすがのワカヒコもたまらず悲鳴を上げ、失速して墜落し始めた。
『ワカヒコさん!』
塔に入りかけた留実が回れ右してワカヒコへ飛んだ。地面に激突する寸前、留実は自分の身体でワカヒコを受け止めた。地面とワカヒコに挟まれ、留実のあちこちの骨が折れる音がする。
『留実……クソッ。背中の爪さえ取れれば……』
『留実! ワカヒコーっ!』
高度を保てなくなった翔翼が地面すれすれまで降りた時、味鋤は飛び降りてワカヒコと留実の元へ走った。その背後を頭上から凶鳥が急降下しながら嘴を開けた。
『味鋤! 後ろだ!』
翔翼は、せめて凶鳥を自らの身体で食い止めようと力を振り絞って味鋤の背後につこうとした。しかし、胸に受けた打撃が酷くスピードが出ない。
『ワカヒコ、私の脚を食いちぎって味鋤に渡して!』
留実がワカヒコの下から叫んだ。
『なに!?』
『時間がない! 早く!』
留実に促され、ワカヒコはまず留実から降りた。そうしてすぐ、留実の右脚を食いちぎった。気丈にも留実は悲鳴一つ上げなかった。
ワカヒコがそのまま首を振って留実の脚を投げると、味鋤はタイミングを捉えてそれを掴んだ。即座に振り返り、留実の脚を棍棒代わりに振り下ろした。脚についた爪は間近に迫った凶鳥の顔に深々と突き刺さった。
『ぐわぁーっ!』
勢いを失い地面に横倒しになった凶鳥の首を味鋤は踏みつけ、今一度留実の脚を振りかぶった。
『ま、待て! 俺を殺すとオモイカネも死ぬぞ!』
『なんだと!?』
『ええっ!?』
ワカヒコと味鋤は同時に叫んだ。
『オモイカネは古墳に封じてある! 俺の言うことを聞かなかったんでな、いざというときの人質だ! 俺が死ねばオモイカネも道連れになるようにしてある! ワカヒコ、お前は育ての親を見捨てないよなあ!』
味鋤に踏みつけられたまま凶鳥は喚いた。
『この外道が!』
凶鳥まで脚を引きずってでも近づこうとしたワカヒコだが、背中に打ち込まれたままの凶鳥の脚に仰向けにひっくり返された。
危機はそれだけではなかった。モヘージング達が古墳を爆破したらオモイカネも木っ端微塵だ。
『ワカヒコ、オモイカネを殺されたくなければこやつら全員に手を引かせろ!』
凶鳥に急かされ、ワカヒコは今一度起き上がった。
『やれよ』
ワカヒコは静かに口にした。
『ああ!?』
凶鳥は顔を歪めた。
『お前じゃねえよ、クソド外道。味鋤、構わねえ。とどめを刺せ!』
『でも、オモイカネが!』
『甘ったれんな、馬鹿野郎! そいつを野放しにするわけにいかねえだろうが!』
『や、やめろ! オモイカネはお前の養父なばかりか、古代から続いた叡知の持ち主なんだぞ!』
『てめえの汚らわしい嘴で親父の名前を口にするな。味鋤、もう迷っている暇はねえぞ!』
そう。今頃は爆薬が準備されているはずだ。時間がくればどのみちオモイカネは助からない。
目をつぶり、味鋤は留実の脚を……。
『そうだ! 味鋤、やるのだ!』
翔翼の声に味鋤達はそろって息を飲んだ。負傷した翔翼が、一人の老人に支えられながら目の前に現れた。
『親父!』
ワカヒコの叫びは翔翼と、そしてもう一人……オモイカネに寄せられたものだった。
『お前達が時間を稼いでくれたお陰で、少しの間抜け出せた。もう心配はいらぬ』
そうと決まればやるべき事は一つ。
『やめろ、やめろー!』
『もう二度と……二度と喚くな! この世から消え去れ!』
味鋤は叫び、渾身の力をもって得物を凶鳥の額に打ち込んだ。
『ぎゃあああぁぁぁ!』
断末魔を上げ、凶鳥は身体を跳ね上げて痙攣した。
末期の異常な力が味鋤を放り投げ、輝美と鳩紫が避難している塔へ文字通り飛ばされた。留実の脚が手から離れ、自分自身は塔の壁をぶち破った。そこでようやく身体が止まり、味鋤は輝美と鳩紫の目の前でぐったりと倒れた。
その時、最後の記憶が蘇った。そうだ。あのとき、自分はオオクニヌシの館の地下にいた。ワカヒコも目にした、あの木に縛りつけられて。目の前にいたのはサグメだった。
『もう強情は終わりにしたら? あなたのお父上もあたしの手の中。シモテルは高天原に軟禁されたし、クエヒコはオモイカネと一緒に追放処分よ。謀反の疑いでね。さ、残る鏡のありかを言いなさい』
『だれが……』
サグメはぱちっと指を鳴らした。大きさこそ手の平ぐらいだが、無数の凶鳥が湧いて、体中をついばんだ。
『ワカヒコを裏切り……父上も……シモテルも……。許さない……ぞ……』
『あはははは。陳腐な言葉ね。オオクニヌシもつまらない男だったわ。せっかく黄泉と高天原に中つ国、そして精霊界まで手に入れられる機会を見逃し続けてたなんて』
残りの鏡をこんな亡者に渡してなるものか。あれはオオクニヌシと相談の末に託したのだ……シモテルの腹にいた赤子に。ワカヒコの魂がもどってくるよう、黄泉に願をかけて。
『どうしても喋りたくないならそのままでいなさい。どうせ、今までに集めた鏡だけでもかなりな力があるのだし』
そこで、だれかが自分を呼んでいるのに気づいた。
『味鋤君! いやっ。お願い、死なないで!』
『輝美さん、泣かないで!』
一羽の小さな烏が、壁に空いた空洞から飛んできた。脚は元通りになっている。少し遅れてやってきた翔翼とワカヒコも彼女が既に治していた。烏は輝美の目の前で人間の姿に変身した。
『留美さん?』
『そうです。手を貸して下さい』
留美が手の平を差し伸べた。輝美はおずおずと握った。
輝美の手を握ったまま、留美はもう一方の手で味鋤の額に触れた。身体中の傷が塞がり、ねじれていた手足が元通りになった。輝美も、心になにか暖かくふわふわしたものがあてられた気分がした。
『ふーっ。終わりました。ありがとうございます』
留美はそっと輝美の手を離した。
『あ、あたし、ただ手を握ってただけよ……でもね、でもね、思い出したの。あたし……あたし、前世はシモテルだったのよ!』
『えええっ?』
と、そこで、塔がゆれ始めた。始めはかすかなものだったが、すぐに大きな音がうなり始める。
『大変! 古墳が爆破されたんだわ! 味鋤さん! 早く目を覚まして下さい!』
『聞こえてるよ、留美』
『中内が仕事を焦ったか!』
翔翼が顔をしかめた。まだ頭がうずいたが、味鋤としてはこだわっている場合ではない。
『ここから飛びたとう。味鋤』
翔翼が膝を折った。
『凶鳥は?』
味鋤は翔翼に尋ねた。
『死んで、そのまま消えた』
翔翼の回答に小さくうなずいて背中に乗ると、輝美も鳩紫に乗った。
一同は塔をあとにした。そこでビジョンは消えた。
その途端、耳が潰れそうなほど派手な音が轟いた。そこかしこに石つぶてが降り注ぐ。反射的に輝美をかばって地面に伏せた。
「大丈夫か、輝美?」
「うん……お兄……えっと……味鋤さん」
手を貸して、髪からほこりを払ってやった。
「あたし……高天原で赤ちゃんを産んだの。ワカヒコの生まれ変わりだなってわかったけれど、それだけじゃなかった。その子は……その子はね、お兄様の魂も受け継いでいたの」
「全く覚えがないよ」
『俺もだ』
「あたしも、どうしてそうなったのかはわからなかったわ。でも、一生懸命育てて、立派な若者になったのよ。虐げられた者をかくまう場を作りたいってよく言ってた。高天原にはもう野心がないと誓って、やっと許してもらえた。その子が古宮を作って、現世のあたし達の祖先になったのよ!」
「おおお~い~! 皆様ご無事で~! 会長も無事でしたぞ~! 古墳でオモイカネと同じように封印されていただけでした~!」
モヘージングと中内が、会長を両脇でささえながら手を振っている。
「と……父さん! よかった!」
「でも……サグメはどこに消えたんだろう?」
自分としては前世の復讐をするつもりはない。しかし、放っておいたらどんな害があるかわからない。
『あんまり凶鳥に力をかけすぎて、しまいには自分が凶鳥そのものになってしまったんでしょう』
鳩紫が答えた。
『ふむ。その疑問には、朕が答えねばなるまい』
翔翼の言葉が終わると共に、またビジョンが始まった。しかし、予想だにしなかったビジョンになった。




