はかりごとは慎重に 三
自分にこんな仕打ちをするのは誰なのだろう。鳩紫は考えを巡らせた。
燕郎。あれほどしつこく任務について聞いていたからには、少なくとも無関係とは思えない。
信頼していた幼馴染にまで疑いを広げねばならないのは苦痛だ。ただ、実のところ彼の格は低い。主犯とは考えにくい。
ついで、烏臣。なるほど、利益をえるのは彼だ。自分を監禁する理由も立派にある。
彼だとしたら、どうやって自分の出発するタイミングを知ったのか? 燕郎が裏切ったとは思えなかった。性格からしてそれほど器用ではない。
ドアの開く音がした。うなじの毛がそそり立つ。殺される? いや、もっとひどい仕打ちが? 目隠しのせいでなにもわからない。
足音から、かろうじて相手は一人だとわかる。
そのだれかが、自分のそばにかがみこんだ。手首がつかまれたが、意外にも温かく柔らかい感触だ。
ぶつりと音がしてまず両手が、ついで両足が自由になった。手首や足首をもみしだく暇もなく目隠しが外される。どこかの廃屋に近い小屋の中だが、そんなことはどうでも良い。
「こ、皇后陛下!」
しかし、鶴妃はいつもと異なる格好をしていた。
鎧兜と長剣で武装し、右手には縄を切ったばかりの短剣。流れるようなセピア色の髪を三つ編みにして、兜のしころにつけた穴から背中に通している。
「大丈夫ですか?」
「はいっ」
鳩紫は、血がにじんでしびれている手足で精一杯立とうとした。しかし、安心した途端に腰が抜けてしまった。
鶴妃は微笑み、鳩紫の手首をさすった。まるで母親が実の娘にするような、愛情のこもったさすり方だった。
鳩紫は感激と恥ずかしさで真っ赤になった。気を引き締め直さねばならない。鶴妃は軍装を解いていない。
これだけはおさえられなかった。両のまぶたから熱い涙がこぼれ、嗚咽がこみ上げてくる。
「そなたに辛い思いをさせて、申し訳無く思います」
そう言いながら鶴妃は、今度は足首をさすった。泣いて甘えたいのを鳩紫はぐっとこらえた。
「皆で手分けして探したのです。禁じられた魔法も幾つか使いました。皆にもお礼を述べるのですよ。さ、立ちなさい」
「は、はい。皇后陛下は、これからどうなさいますか?」
鶴妃が手を貸してくれた。おずおずと応じながら、鳩紫は聞いた。
「治安局です。そなたも来るのです」
数十分後。
郭公立ち会いの下、烏臣と燕郎はご対面を果たした。まだ二人は一言も喋っていない。うかつにものが言える場面ではない。
口を閉ざすならそれでも結構。郭公は、爆発寸前の歓喜をかろうじておさえていた。
もうすぐ自分の部下が、鳩紫を……または鳩紫の死体と犯人を……連れてもどってくる。そして報告をすませた鳶彦もいずれここに来る。
その時高らかに、クーデター計画の破綻が宣言される! なんたる痛快!
鳶彦がやって来た。宮殿でなにかともてなされ、頼りにしていますなどと鶴妃に声をかけられ、ついでに滅多に口に出来ない高級ワインを二、三杯あおっての登場である。
驚いたのは燕郎と烏臣だった。二人とも、どちらかが芝居をして自分をだましていると考えていたのだ。衝撃は並大抵のものではない。
「ご両君、驚いたかね? もう犯人も上がっているだろう。鳩紫誘拐事件の犯人が」
「そして郭公、あなたは二人を冤罪で処断してしまう事になるのですよ」
ほとんど間を置かずに扉が開き、涼やかな、しかし断固たる声が四人の耳を打った。
歓喜の玉座から、一瞬にして叩き出された鳶彦と郭公は、そろって口をぱくぱくさせる。
「こ、皇后陛下……」
烏臣と燕郎が計った訳でもないのに同時に口にした。
しかも、鶴妃は一人ではない。衛兵に化けた侍女達と鳩紫を従えている。
そして何より、鶴妃は武装していた。その凛々しくも凄絶な緊張感は誰もが息を呑まざるを得なかった。
「実行犯は既に拘束しましたよ、鳶彦」
「ご、ご冗談を。いったいどうやったと仰せになるのです?」
鳶彦は、戸口と室内を見渡した。窓一つない部屋である。どこにも逃げられない。
「朝食が終わってから、わらわは侍女達を精霊界の街へ差し向けました。街の人々から烏臣達が捕まったと聞き、烏臣の奥方からは郭公の部下達が街外れの森へ行ったと聞きました」
絶句する他ない鳶彦であった。
「わらわは宮殿の武具室から在庫を出させ、同じような姿になって彼等に紛れ込んだのです。鳶彦よ、そなたがわらわと思い込んで会ったのは、最初に話を取り次いだ門衛の一人です。魔法で変身していただけです」
後ろで侍女達がくすくす笑った。
「郭公の部下達は、鳩紫が捕まっていた場所を知っていました。そして、郭公と鳶彦が事前に会っていたのも聞き出しました。ついでに実行犯達の隠れ家までわかりました。良い運動でしたよ」
「……」
鳶彦の顔が、次第に赤黒くなっていくのを、鶴妃は哀れげに見守った。
「まず自ら鳩紫を捕らえておいてから、燕郎からの情報と偽って郭公に鳩紫の居場所を教える。燕郎は烏臣が謀反を企んでいると考えていますから、その証言を元に烏臣を処刑させる。そして燕郎も共犯として一緒に処刑出来ると判断したのです。違いますか?」
郭公は確かに鳶彦からそう聞いていた。冷静になって思い返すと、燕郎と烏臣の結びつきはなんら立証されていない。そして、実行犯とやらを鳶彦や燕郎と面通しさせれば誰に雇われたのかも明白になるだろう。
「……さすがは皇后陛下。見事な逆転ですな」
ふてぶてしさを保とうとしたが、赤黒くなった顔は容易にはもどらない。
「我が一族は帝室に協力を惜しまなかったはずです。にもかかわらず、恩賞として頂戴したのは猫の額ほどの所領のみ。魔法研究を始めとする重要技術は帝室が独占、しまいには息をするのも皇帝の許可が入りかねない。不満が無くてどうしましょう」
一度言葉を切って、鳶彦は腹に溜まった空気を吐き出した。
「烏臣閣下の娘に次々と魔法の知識を与えていたのは私です。宰相が本件でどう動こうが、スキャンダルをネタに蹴落とすつもりでした」
「けれども、ことは破れました。おとなしく裁きを受ける意志はありますか?」
鶴妃がずばり核心をつくと、鳶彦はなんとも言えない表情になった。
怒りと笑いが混ぜこぜになった、出来損ないの仮面のような顔に。そして右手で左手の袖をつかみ、力を入れた。およそ場違いな軽い音がして、袖が割れた。
「鳶彦……?」
鶴妃がけげんな顔をした。鳶彦は微笑しただけだ。
その直後、床が、否、地面がぐらっとゆれた。なにか恐るべき事態が起きたに違いない。
「皇后陛下。精霊会と人間界をつなぐ時空の秩序をたった今破壊することにしました。無理心中に付き合って頂こう」
そんなことをすれば互いの世界がモザイク状に絡み合って収拾がつかなくなる。
精霊界の建物に人間が直に埋め込まれたり人間界の道路に精霊が閉じ込められたりしてもなんら不思議ではない。いや、精霊が核兵器と合体して暴発する可能性すらあるだろう。策の破れた鳶彦が二つの世界を破滅させてやけくその道連れにするつもりなのは明白だった。
「痴れ者め!」
叫んで動いたのは燕郎だった。鳶彦の破れた袖の筒先から黒紫色の光がほとばしり、燕郎の体を直撃した。
巨大な木がゆっくり折れて倒れるような音がして、燕郎は倒れた。体はずたずたになり、血まみれになっている。
「燕郎!」
鳩紫が叫ぶ。
燕郎のおかげか、光は鶴妃達には当たらなかった。振動はいよいよ大きくなり、空間がぐにゃりと歪んで……。




